4.『登頂』
さて、夕食が済めば残る一日のスケジュールは入浴と就寝である。
一応課題は出ているが、明日は一日中サバイバル演習で授業が潰れるし、その後も課題の締め切りとなる授業は来週の月曜日までないから別に今日はやる必要ないよねと思う『夏休みの課題は最終日になってからが本番派』こと良香にとってはないも同然だ。
だが――――この入浴が、彼女にとってはある意味最大の難関だった。
『学生浴場』。
神楽巫術学院の浴場は、簡単に説明すると巨大な歯車のような形状をしている。巨大な円状の大浴場を中心として、歯車の歯のように九つの脱衣所が設置されている。それぞれ小中高につき三つずつ用意されているわけだ。
浴場の中には通常の浴場のほか、ジャグジー風呂や冷水風呂、炭酸風呂、サウナ、足湯、露天風呂など一〇種類の湯を楽しむことができる。しかも源泉かけ流し。湯から上がった後もマッサージ椅子やら卓球台やら、まるで温泉旅館かと思うほどに設備の整った施設なのである。
そしてこれほど施設が揃っているということはつまり、それ以外に入浴用の設備はないということを意味している。
良香にとって最大の問題はそこだった。
「……………………目のやり場に困るよう」
心の中は立派な思春期の少年である良香にとって、全裸の少女が何も気にせず闊歩する浴場というのはまさしく地雷原である。ちょっとでも目のやりどころを間違えれば起爆してしまう。
少女と化してからの五日間、入浴の作法については決死の覚悟で学んだ良香だったが、だからといって女性の身体に対する照れがなくなるわけではない。
性教育とか、そういう間接的なアレならまだ役得にカウントできる良香だったが、流石に直接的なエロとなると閾値を超えてしまうのである。
しかしそんな良香の心情など毛ほども気にせず、横にいる彩乃は平気な顔で上着を脱いでいく。当たり前のように黒いブラジャーに包まれた少々控えめな胸がまろび出た。
「ちょ、おま……! 何で脱いでんだ!?」
「何でって、脱がなきゃ風呂に入れないだろう」
「そりゃそうだけど……っつか、お前恥ずかしくねーの?」
「別に裸を見られたところで何かが減るというわけではないしな」
どうやらこの少女に減るような羞恥心は残っていないようだった。おそらく異次元生命体である彩乃に理解を求めることを諦めた良香は、せめてそちらの方は見ないようにして自分も上着を脱ぐ。
すると、淡い緑のブラジャーに覆われた『自分の胸』が現れた。
『自分の胸』だ。
カップはCだったか。大きいのか小さいのか、男だった頃は判断できていたものが自分のモノになったらよく分からなくなってしまった。
(姉ちゃんに聞いたら『どっちかというと大きい』って言ってたけど…………)
もやもや考えながら背中に手を回してブラジャーのホックを外す。すると、生まれたままの姿の双丘が――――、
………………。
スッ……と良香は真顔で顔を上げていた。そのままスカートを落とし、パンツも脱ぐ。正真正銘全裸になった良香は、目にもとまらぬ速さで(特技:早着替え)ボディタオルで身体の前面を覆い完全防御を完成させる。
「おろ、良香ってば何隠してんのよ?」
そこに現れたのは才加だ。彼女は隠すどころかボディタオルを肩にかけ、仁王立ちしていた。せっかく三つ編みをほどいて髪をおろしていつもと違う色っぽい印象になっているというのに、そんな印象を吹っ飛ばしてしあうほどの清々しさだ。人間というのは不思議なもので、ここまで男らしい姿を見せられると恥ずかしがるとかそういう感情も吹っ飛んでしまうようだった。
端的に言うと、
「色気がない…………」
「あァ!? 女だらけのとこでブッてなんの得になるってんだオラ!」
「ひぎぃ!! ギブ、ギブギブ…………!」
正直に思ったことを言ってしまった良香に才加のアイアンクローがキメられる。ギリギリギリと女子とは思えない握力によって繰り出される暴力に、良香はただ無心でタップするしかない。
色気がないは禁句。良香は覚えた。
「ってーか、だから何で隠してんのよ? 恥ずかしいの? それともでっかいキズがあるとか?」
「恥ずかしいんだよ……。むしろ才加はなんで恥ずかしくねーの?」
「そりゃ、隠すようなモンないからね。エインズワース社のご令嬢さんみたいな立派なモンがあるんなら隠すかもしれないけど」
「…………そんなに大きいのか?」
才加があまりにもイイ顔で言うので、良香は思わず首をかしげてしまう。対する才加はにんまりと頷き、
「……すんごかったわ。前にお風呂で何度か見たけど、やっぱ外国の血が入ってると違うわね。日本人とは比べものにならなかったわ~……。あたしも令嬢さんくらいあればねえ」
そう言って、胸を持ち上げるジェスチャーをする。当然空を切るという悲しすぎる動作だったが。
そんな動作に、良香は呆れたように笑って、
「――――わたくしがどうかしまして?」
直後、その笑みを凍りつかせた。
「はぅあ!?」
「ななななななっなんでもありませんマジで本当にのーぷろぶれむです!!」
馬鹿二人はガクガクと膝を大爆笑させながら、必死に取り繕う。気位の高そうな彼女にこの手の下世話な話を振ったらどうなるか分からない。
ちなみに、エルレシアのマウンテンはやっぱりとんでもなかったし、その傍らに無言で佇む志希のおっぱいヒルズもなかなかのものだった。
*
浴場の中は音が響くせいか、脱衣所に輪をかけて賑やかだった。
そんな中、五人はさっさと蛇口の方に向かっていく。サバイバルでは敵同士というスタンスを崩さない二チームだったが、それでも先程の食堂ではけっこう打ち解けていた。
エルレシアはやっぱり威厳の塊みたいな存在だったが、それでも取りつく島すらないというわけではないらしい。話してみると意外と冗談の分かる少女だった。
とはいえ、やっぱり地雷を踏んだら嫌なので滅多なことは言えないなぁと思う良香だったが。
(無心…………無心だ…………)
そんな良香は今、必死に心を無にしている真っ最中だった。
いかに湯気が働いてくれていると言っても限界がある。女の身体になったとはいえ、男の精神を持つ自分がそれにかまけて女体を思うさま見尽くすのは『男らしくない』……そう思った良香は、なるべく他の女生徒の身体を見ないようにして身体を洗っていた。
その様子を見ていた才加は、ふとこんなことを言い出した。
「…………良香ってば、もしかして女の子が好きなの?」
「んごふっ?!」
あまりにも突然な指摘に、思わず咽る良香。そんな様子を見て才加は疑念を確信に変えたらしく、
「やっぱり……。なんか妙に恥ずかしがってるし、かと思えば他の女の子のこと見てるし、ひょっとしたらって思ってたんだけど。あ、でも安心してね。あたし別にそういうこと気にするタイプじゃないし。むしろ応援するわよ! あたしは普通に男が好きなクチだけど!」
良香としては中身が男なのであながち間違いでもないというのが何とも言えないところだった。しかも明るい感じで冗談すら交えて良香が傷つかないように配慮しているのがまた辛さを倍増させている。
「いや、あの………………」
「才加、それは君の勘違いだよ」
あまりの勘違いっぷりに何も言えなくなっている良香に代わって、彩乃がフォローを入れてくる。彩乃が食いついて来たのでさらに興味を示した才加は、頭を洗いながら身を乗り出して、
「勘違い? どういうこと?」
「私も聞いてみたが、彼女はバイだそうだ。つまり女の子だけじゃなく男の子もイケるということだ」
「
とんでもない虚偽発言に、良香は思わず叫んだ。
「オレはレズでもなければバイでもない!! ただの異性愛者なの!!」
「でもオレとか言ってるし……てっきりボイタチに憧れるフェムネコなのかと……」
「これはポリシーなの! オレっ娘っていうだけでそれ以上の個性はないの!!!! っていうかイタチとかネコとかいきなり何言い出してんだ!?」
自分で自分のことをオレっ娘と呼ぶ苦行を乗り越えた良香は、はーはーと肩で息をする。殆ど半泣きなのは誰にも責められないだろう。
ちなみに、ボイタチというのはボーイッシュなタチ(男性的な嗜好が強い攻め好き)という意味であり、フェムネコというのはフェミニンなネコ(女性的な嗜好が強い受け好き)という意味である。才加の良香に対する認識が窺える一幕であった。
そんな三人のやりとりを見ていたエルレシアは、ぽつりとこんなことを言う。
「あら、残念ですわね。もしそういう趣味があるのでしたら、色々と教えて差し上げようと思っていましたのに」
……………………。
何だかんだで耳を澄ませていた女生徒のうち数人が人知れず狂喜していたことについては、あまり詳しく語らない方が良いだろう。
*
そんなこんなで身体を洗い終えた五人は、そのまま通常の浴槽に浸かっていた。身体を洗う時と違って距離も近く、その上あんなことを聞いてしまった直後なので良香の方は気が気ではなかったが、他の面子については意外と普通そうにしていた。
(表面上は取り繕ってるのか……? それとも女子校ではこういうノリが普通なのか……?)
あまりにも明け透けなノリに、女性の現実を知っているつもりになっていた良香も困惑を隠せなかった。特に浴槽に入るなり『っふう゛ゥゥううううううう』とオッサンくさい溜息を吐いた才加は、良香の中の『女子高生』という言葉の定義を根本から揺るがしたほどだ。
「そういえばさ、二人って付き合い長いの?」
目を瞑って暖かいお風呂を堪能している良香は、不意にそんなことを切り出した。メイドを目指す少女と、超絶お嬢様。学院で偶然知り合ったにしては運命的過ぎる組み合わせではないだろうか、と良香は思うのだ。あと志希のエルレシアに対する態度とか、一朝一夕でできるものとは思えない。
「いえ」
そんな風に思っていた良香に、志希はあっさりとした否定を入れ、
「付き合いも何も、今日知り合ったばかりですが」
「はぁ!? えぇ、マジで言ってんの!?」
思わず目を見開いた良香は、そこでバッチリ志希の裸を見てしまい、無言でお風呂のふちに頭をガンガンと打ちつける。
「事実ですわよ。朝のHRが終わったら話しかけてきて、わたくしの専属メイドにしてほしいと。別に断ることでもありませんでしたので受け入れたのですわ」
「なんかもう…………もう……」
初対面の相手にメイドになりたいと申し出る方も、それを『別に断ることでもない』と受け入れる方も、当たり前な方向から明らかに逸脱してしまっている。
「そういう貴女達はどうなんですの? 特に良香さんと彩乃さん――貴女がたは最初から知り合いであったように見受けられますが」
「え、ああ、それは……」
「彼女とは、『外』で知り合ったのさ」
一瞬言い淀んだ良香の言葉を引き継ぐようにして、彩乃が言う。
「……はぁ、『外』?」
「ああ。それで彼女が『適合』した場所に出くわした。彼女を学院に招待したのも私さ」
完膚なきまでに隠し事のない一〇〇%の真実だった。それ言っちゃって良いのか? と良香は思わず彩乃の横顔を見て、見なくて良いおっぱいまで見てしまって目を瞑った。なんかもう此処にいる限りシリアスになることは無理っぽい感じだった。
「学院に招待……貴女も編入組と言いつつなかなか訳ありのようですが」
「そうは言っても、この学院の生徒なんて大体が訳ありだろう?」
「……………………それもそうですわね」
人に歴史ありとはよく言ったもので、常人ではなれないはずの巫術師になっている時点で普通では考えられない『訳』を抱えている。少しばかりイレギュラーがあったところで、そんなのはイレギュラーまみれのこの学院では逆に埋没しかねない個性でしかなくなってしまう。
もちろん、その中でも『実は男だった』なんていうのはこれまでの巫術師の常識を塗り替える世紀の大発見だし、現役の巫術師が身分を偽って入学しているのも別の意味で大問題なのだが。
…………彼女があえて包み隠さず事情を話したのは、そう思わせる為だ。下手に嘘を吐けばそれだけ不信感を与える種は大きくなってしまう。『彩乃が実はプロの巫術師で』『良香の正体が良雅』ということさえ隠せていれば、何も問題はないのだ。
あと、包み隠さず話すことで良香が動揺する様を見せれば、彩乃の証言が嘘ではないと三人に信じさせることができるという狙いもあったりする。大人は色々と考えているのだ。
「では、明日もありますしわたくしはそろそろ上がりましょうか」
「じゃあ、オレ達も上がろうぜ」
聞きたいことも聞けたからか、そう言ってエルレシアが立ち上がったと同時に志希も立ち上がる。それに続いて、三人も立ち上がって浴槽から出た。
と。
急に立ち上がったからか、フラ……と突然のめまいが良香を襲う。よろめいた良香は咄嗟に手を出したが、幸いにも壁に手を突けたのか、ムニッという感触と共に体の傾きはそこで止まった。
「…………むに?」
そこで、気付く。
壁にしては、自分の掌に収まるものの感触が柔らかすぎるということに。
そしてそもそも、自分の手の届く範囲に壁と呼べるものはないということに。
信じられない、信じたくない気持ちを抑えながら、良香はゆっくりと目を開ける。そこには、一面の肌色が広がっていた。自らの両手が置いてある膨らみの下になだらかな曲線が見え、ぽちんと小さなヘソが見える。そこで良香は反射的に視線を上げた。
やっぱり彼女の手は、豊かな膨らみの上に置いてあった。
そして、彼女はやっと事実を認識する。
つまり、良香の手は。
マウントエルレシアの登頂に成功していた。
「あ、あば」
サッと手を引いた良香だったが、しかし彼女の狼狽は収まっていなかった。
今も、その両手にフッジサーンの柔らかな感触が残っている。良香はどうしようもなくてただ両手の指をピクピクさせることしかできない。
「あばば、あばばばばばばば…………!」
「……………良香さん……………」
エルレシアがそう呟いた途端に、湯気で温まっているはずのその場の空気が一気に一〇度も下がったような錯覚に襲われた。
偶然とはいえ、胸を揉んでしまった。あの自尊心の強さで言えば世界で一、二を争いそうなイメージの、正義の軍需企業のトップである『
それはもう……駄目だろう。越えてはいけないラインを大幅に越えてしまっているだろう。
だが、既にもう手遅れだからと言って逃げる訳にはいかない。
これは良香の過失であり、そこから逃げるような生き方は『男らしくない』のだから!!
「す、すみませんでしたァァああああああああああああああああああッ!!」
流れるような動きで、良香は土下座した。全裸の少女が土下座している姿は見ようによっては背徳的に見えないこともないかもしれないが、前後の状況を知っている周囲としては色んな意味で『伝説』でしかなかった。
「わ、悪気は…………悪気はなかったんですこの子も! どうか、どうかお命ばかりはお助けを!」
そう言って、才加も一緒に乗っかって頭を下げる。それってむしろ状況を悪化させているだけなのではと彩乃は思ったが、面白そうだったので何も言わなかった。
「………………」
対するエルレシアは、何も答えなかった。ただ土下座する良香に背を向け、こう言い残した。
「――――『後日』、ゆっくりと『お話』しましょう」
そして、一つの物語がバッドエンドを迎えた。
*
「…………ねえ、志希」
「……はい、なんでしょうお嬢様」
「…………わたくし、そんなに冗談の通じないイメージかしら?」
「私にはお答えできかねます」
「…………………………………………即答しましたわね」
*
木々の葉同士が擦れ合う音が、波のように寄せては引いて行く。
そこは鬱蒼とした森林地帯だった。
面積は神楽巫術学院が誇る一〇の演習場の中でも最大。神楽巫術学院が収まっている周囲一〇キロの人工島の敷地面積の実に三分の一を占める、学生達の汗と涙が染み込んだ修練場。
その名は、『
良香達が七時間もの間生き残りをかけた死闘を繰り広げるのは、この場所になる。
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