3.エルレシア=エインズワース

 と、幸運にも早速心温まる交流と友達ができた良香だったが、今は対照的にむすっとしていた。


 放課後――――自室。


 神楽巫術学院は全寮制だ。通常の全寮制と違い、消灯時間がない――生活リズムの維持は自己責任なのだ――のが特徴的だが、一部の例外を除いた全校生徒の全てが寮で暮らしている。


 勿論、良香も寮に居を移していた。この為の荷造りと、その他色々にかなりの時間を要したのだが…………。


(これで当分家に帰らなくて済むのは良いけどよ……)


 良香は目の前をじいっと見つめながら、


「…………何でお前と同室なんだ?」


 素知らぬ顔で今日出された課題をこなしている彩乃に言った。


 良香の部屋は彩乃との二人部屋で、部屋に入るとキッチンに出て、右手に洗面所とトイレ、奥に入ると洋室――という間取りになっている。今、その洋室には二人分のベッドとタンス、学習机が置かれていて、ベッドに座った良香が彩乃の背中を見つめているという形だ。


 彩乃の方はむしろ『何でそんな簡単なことを聞くんだ?』と言わんばかりの調子でこう返す。


「何でって、そうなるように上が手を回してるからだが?」

「そうじゃなくて、オレの中身が男だってのは分かってんだろ! 何で『相部屋』なんだよ! 一人部屋を用意してくれよ!!」

「うーん……」


 ついでに好みのタイプの少女と一緒の部屋で過ごすのは健全な青少年的には刺激が強すぎる――という本音は隠して切実な思いを語る良香だったが、肝心の彩乃は良香のことを慮っているんだか課題の回答に悩んでいるんだか分からないほど適当に唸るだけだった。


「だが良香、君は女の身体のことをよく知らないだろう? 教えてくれる人が必要なんじゃないか?」

「だ、か、ら、余計に困るんだっつーんだよォおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!」


 良香は艶やかな黒髪を精一杯振り乱してツッコんだ。


 再三言うがけっこう好みのタイプの女の子に、女のいろはを教えられるのは健全な青少年として性的に倒錯しすぎていて心のダメージがデカすぎる。新たな性癖セカイに目覚めたくない良香としては是非とも性別とか気にならない太めのおばちゃんに教えてほしいところだった。実はけっこうアリかもとか心のどこかでは思ってたりするのだが、そこはそれだ。


 それはともかく案外保健医の先生とか良い感じなのではないだろうか? と良香は思う。女子校なので女性なのは間違いないだろうが、性に関する知識は豊富だろうし何より先生だからおばちゃんの確率が高い。


「なあ、保健医の先生とかはどうなんだよ? やっぱこういうのは本職のプロにさ……」

「……んあー……」


 というわけで遠慮しつつも思い付きのままに打診してみる良香に、彩乃は微妙な表情を浮かべながらも懐から携帯を取り出し、指でつついと動かして何かしらの操作をし、良香に画面を見せる。


「…………ん?」


 彩乃の携帯の画面には、胸元の開いた黒く煌びやかなミニスカドレスの上に白衣を羽織るという、何だか白衣を冒涜しているような格好の女性が笑顔を浮かべながら大人の姿の彩乃と肩を組んで写っていた。目元にある泣きぼくろが余計に扇情さを掻きたてる。


「……この人は……?」

「私の同期で、今はこの学院の高等部の保健医をしていたかな」


 絶望が、良香を襲った。


「だからっ!! それじゃっ!! 意味ないって言ってんだろ!!!!」


 良香はベッドにぼすん! と拳を突き立てる。


「でも、正直役得だろう?」

「えっうんそれはその………………」


 ……絶望と言いつつ、わりと煩悩丸出しうれしそうな良香。


 確かに精神的にキツイといえばキツイが、でも大人のお姉さんにイロイロとやさしく教えてもらえるというのはそれはそれで嬉しいことなのである。これは仕方がない男のサガなのである。


 とはいえ美少女というのは得だ。何故なら男なら完璧ブサイクな顔をしていても何だかんだ『可愛い』という最終評価を得られるのだから。


 まあ、それが良香にとって望ましい評価かどうかは別だが。


(ま、コイツがこうなっているのは『保健医ならエロくなきゃダメ』とかいうサブカル知識を真に受けているだけで、本性はただのむっつりスケベ委員長だから、良香の期待には添えなさそうだが…………)


 ベッドに突っ伏して身悶えている健全な少年(傍から見たらパンツ丸見えの美少女)にそこはかとなく生暖かい視線を投げかけながらとんでもないことを考える彩乃だった。


 ………………その後の熱心な話し合いの末、結局良香の性教育はネットの知恵袋系Q&Aサイトに託されることとなった。


 科学の発展は、今日もどこかで誰かを救う。



    *



 神楽巫術学院には消灯時間がない。

 その為、生徒達は基本的に自由に行動しそれぞれ思い思いの場所で活動しているが、授業が終わり、一息ついた午後七時ごろになると、ほぼすべての生徒が一つの場所に集結する。その場所とは――――、


『学生食堂』だ。


「へえ、流石に広いな」


 食堂に入った良香は、その広さに感心して呟いた。


 神楽巫術学院高等部生食堂――――小中高一貫というマンモス校でもある神楽巫術学院には、小中高の生徒の為に三つの学生食堂が用意されている。が、それでも高等部の学生数は四八〇人。全寮制である以上利用者割合は普通の学生食堂の比ではないので、大きさもちょっとした体育館並なのだった。


「確か一〇〇〇人は入るようにしているらしいよ」

「…………確か高等部の全校生徒って四八〇人なんだろ? そんなに多く作る意味あったか?」

「これから増えるということだろう」

「あー、なるほど」


 討巫術師ミストレスといえば妖魔に対抗する人類の主戦力――言ってみれば国防の要だ。にも拘わらず、討巫術師ミストレスは全国でもほんの三〇〇〇人程度しかいない。参考までに、自衛官の総数が現時点でおよそ二五万人と言えば、身近な災厄であるはずの妖魔に対して討巫術師ミストレスの数があまりにも少ないことが分かるだろう。つまり、『猫の手も借りたい』状況というわけだ。


「『国防の要』なだけに、むやみやたらと増やすわけにもいかないんだけどねー」


 と、話している二人に、才加の声がかけられる。


「あ、才加」

「おーっす。ってか二人とも一緒に来たの?」

「ああ。良香とは偶然にも部屋が同じでね」

「ええー! そんな偶然、マジであんのね~」


 しれっと嘘を吐く彩乃に、才加は無邪気な反応を返す。上が勝手に決めたという秘めたる事実を知っている良香としては、何とも言えない気分であった。


「んで、さっきの話だけどさ」


 券売機の前までやって来てカツ丼の食券を買いながら、良香はそんな風に話を切り出す。


「『むやみやたらと増やすわけにもいかない』って?」

「ああ、それね」


『とんこつラーメン』の食券を買いながら、才加が頷く。女の子的にラーメンってOKなんだ…………と内心で思う良香だったが、男の目の届かないところや食べてもOKな状況では女の子だって普通にラーメンを食べたりするものだ。……カツ丼を頼んだ自分の男らしさが霞むなぁ、と良香は内心残念に思った。


「巫術師というのは、特殊部隊を出さないと退治できない妖魔を一人で相手取ることができる個人戦力だからな」


 二人に続……かず、途中のコンビニでブロックの栄養調整食品と栄養ドリンクを購入した彩乃はコンビニ袋を揺らしながら言う。


「……………………彩乃、お前ちゃんと食った方が良いと思うぞ」

「何を言う。夕食に必要な栄養素はしっかりと取っている。これでもこの『カルブロック』、その名の通りカロリーのブロックみたいなものなんだからな」

「そういうことじゃなくて…………まあ良いわ。良香、コイツのは気長に何とかしていきましょ」

「そうだな……」


 決意も新たに食券を料理と交換しにカウンターへ向かう三人は、そのまま話を続ける。


「でね、巫術師は強力な武力で、国の重要な戦力なのよ。むやみやたらと増やしたりすれば、スパイにその国の重要な武力を与えかねないってわけ」

「………………スパイ?」

「まあこのご時世、どの国も自国で発生する妖魔の対処に追われていて諜報どころじゃないが……それでも、というのはどこにでもいるものなんだよ」

「エインズワース社のご令嬢なんかも、外見とか名前は外国人だけどなんか特殊な方法で帰化してて今は日本国籍らしいしね。そこらへんかなり徹底してるらしいわよ」


 三人は食券を渡しながら(約一名それに付き添いながら)、およそ普通の女子高生らしからぬ会話を繰り広げていく。


「そうなのか……」


 とりあえず相槌を打つ良香だったが、いまいちピンと来ない話だった。この間までただの少年だった良香にはスパイだのといった話はあまりにも縁遠い。


 そんな雰囲気を感じたのか、陰謀論大好きな主婦っぽい才加はこほんと咳払いをして、話を変える。


「そういえば」


 早速出てきた料理が載ったお盆を受け取ると、才加は辺りを見渡しながら、


「やっぱり、どいつも夕食の面子がチームになってるわね」

「ふつうは違うのか?」


 同じように料理を受け取ると、良香は問いかけながら空いているテーブルへと歩き出す。


「『実技は実技、プライベートはプライベート』が成立する連中だからね。でも今日は、チームワークを強化する為に突貫でも交流を深めてるんでしょ」

「……もう少し時間的余裕をとればいいのに」

「そうは言っても元々は個人戦だったものが、『たとえ突貫でもチームを組んだ方が有利に試験を進められる』ということで慣習的にチーム戦になっているだけだからな。日程の方を組み直すのもそれはそれでおかしいだろう」


 言われてみればその通りだった。


 良香は五人も座れそうな大きめのテーブルを見繕ってお盆を置きながら、


「ちなみに、才加はこの中でどのチームが脅威とかってのは分かるか?」

「ああそりゃもう簡単よ。エインズワース社のご令嬢。アレに当たるようなら速攻で逃げるべし。あの人はモノが違うわよ」


 才加は即答だった。


「…………そんなにか?」

「そんなによ。軍需企業のトップである『塵芥凝集する堅牢剛盾ユニオンエンタープライズ』の一角、エインズワース社の次期社長とか言われてるんだからね、あの歳で。単純な能力も恐ろしいけど、戦略でもどれほどのものか……ぶっちゃけ既に実力は一線級って評判だし」


 ぶるりと身震いしてみせる才加の瞳には、本気の畏怖が宿っている。


「中等部の頃の実戦訓練じゃ常にトップの成績だったし、小等部に入学したその日に高等部の三年生と互角に渡り合ったって噂もあるし、もうとにかくとんでもない人なのよね」

「……流石に後者の噂は誇張が過ぎるが、彼女の噂は『外』でも聞いたな」


 付け加えるように、彩乃が言う。才加には『外でも名が通るほど優秀』という意味に聞こえたかもしれないが、実際には『現場でも期待されるほどの有望株』という意味だと良香には分かっていた。何にせよ、恐ろしい人材ということらしい。


「コネもあるし、きっとあの人は将来偉くなるわよ。エインズワース社の護衛騎兵ガードロイドはこの学院でも模擬戦の相手に採用されてるくらいだからね」


 これは周知の事実だが――――如何に討巫術師ミストレスが強いと言っても、国の軍隊を相手に勝利することが出来る訳ではない。同じように、妖魔もまた銃や戦車を持ち出せば倒すことはできるだろう。


 ただし、軍隊を出すということはつまりそのたびに『金がかかる』のだ。燃料費、弾薬費、人件費、妖魔の攻撃を受ければ人材や兵器は損耗し、その修繕費も当然かかる。その上、妖魔との戦いに『終わり』はない。まだ人類は妖魔が発生する『原因』を突き止めることはできていないのだ。討巫術師ミストレスが対妖魔の救いの女神として扱われているのも、出撃にかかる費用も軍隊より遥かに安いからというのが主な要因の一つになっている。


 だが、討巫術師ミストレスでも突如現れた妖魔相手に民間人や周辺地域への被害をゼロに収めることは難しい。そこで出番となるのが、民間人を守るための護衛騎兵ガードロイドだ。


「肝心の現場では『もしもの時の最後の気休め』扱いされているがな。……ただでさえ学院は対妖魔関連で権力を一極集中させすぎて一部から反感を買っているから、こういうところで利益を与えておかないと無用に敵を作ってしまうのさ」

「下手に除け者にするからいけないのですわ」


 と、そんな風に話していた三人の対面に、コトリと焼きたてのステーキとパンが載せられたお盆が置かれる。


 お盆の持ち主は、肩にかけた金髪の一部を縦巻ロールっぽく緩くカールさせた、碧眼の美少女だった。


 その傍らには、焼き鮭定食の載せられたお盆を持ったヘッドドレスの少女が控えるように佇んでいた。


「……アンタは」

「おや、こんばんは」

「あっどうも!」

「こんばんは、お三方」

「皆さん御機嫌よう。……端境さんは初めましてですわね。…………その言葉遣いは不問にいたしますわ。わたくしは寛大ですので」

「お、おう……?」


 同級生のはずなのにナチュラルにタメ口を窘められた良香は、しかしエルレシアの大物オーラに流されてツッコミすら入れられなかった。仕方がないので横に座る少女に視線を向ける。


「……そっちのメイドさんは、可憐崎さん、だったか?」

可憐崎かれんざき志希しきと申します。以後よろしくお願いします」


 志希と名乗ったヘッドドレスの少女はそう言って立ったまま頭を下げる。まるで分度器で測ったかのように正確に一五度をマークした完璧なお辞儀に、良香も思わず首だけで頭を下げた。


「除け者にするからいけない、か」


 栄養ドリンクを飲んでいた彩乃は、飲み口から口を離して反芻するように言う。


「ええ。現状でも学院は人材派遣・人材管理・後進育成・技術開発・法則研究の五つの分野を独占していますから。顰蹙を買うのも頷けますわ」

「だが、分散させればその分連携は取りづらくなる。教育を軸にした一極集中管理システムがあるから、今の社会が成り立っているんだ」

「しかしそれは我々の――力ある者の我儘ですわ」


 彩乃の言葉を、エルレシアはそう言って一刀両断した。


「いっそのこと門戸を広げれば良いのです。広げて広げて――そして国家全体を覆ってしまえばよろしい。国立学校などと小さい範囲に収まらず、巫術関連だけなどと小さいことを言わず、一つの政府となって国全体を巫術中心に再構成すれば問題など全て解決しますわ」


 それはつまり国体の改変――というとんでもない話だったが、エルレシアの瞳にはしっかりと野望の光が宿っていた。彼女は、自分の手でそれを実行するつもりだ。


「……素晴らしい理念だ」


 彩乃は目を細めてそんなことを言った。皮肉の色はない。そんなエルレシアの言葉を否定するでも肯定するでもなく、立場の差を越えて、彼女が秘める『信念』に敬意を表したのだ。


 それに対し、あっさりと引いた彩乃に肩すかしを食ったのか、エルレシアはつまらなそうに鼻を鳴らしてこう返した。


「当然のことですわ。に相応しい力があるのであれば、支配するのも力ある者の務めですわよ」

「そういえば、エルレシアと志希はチームを組むのか?」


 話がひと段落ついたタイミングで、良香はエルレシアに話を振る。ちなみに政治とかの良く分からない話になっていた頃、良香は才加と一緒に志希と親睦を深めていた。


「ええ。そのつもりですわ。本当は一人で挑みたかったくらいですが――――いかにわたくしとはいえ、流石にそれは慢心が過ぎますからね」

「…………へぇ」


 エルレシアはさらりと言うが、あたりを見渡すと一人のテーブルに五人掛け――つまり五人のチームが普通に見られる。最低でも三人が精々だ。そう考えると、二人で挑むというのはかなり無謀だと言えるだろう。


 あるいは、それが無謀にならないほどの力を持っていれば話は別だが。


「貴方がたは三人で戦うおつもりのようですが、これ以上メンバーを増やそうとは思わないので?」

「まぁな。他のチームも三人のところはそれなりにいるみたいだし…………」


 良香としては人数が足りなければ、誰かを誘うつもりだったし、今いるエルレシアと志希を誘えばちょうど五人になる。人数も平均に達するし、何よりエルレシアは同級生の中でも頭ひとつふたつ抜けていると評判の凄腕だ。誘わない手はない。


 だが、良香としてはエルレシア達を同じチームに誘うつもりは毛頭なかった。もちろん、エルレシア達以外の生徒もだ。


「横で二人で頑張ってるヤツらがいるってのに、人数集めに躍起になるのは『男らしい』ことじゃねーしな」

「は? 何カッコつけてんの良香。もしかしてホントにメンバー集めしないつもり??」

「…………………………」


 キメ顔で言ったのだが、速攻で才加にツッコミを入れられてしょぼんとする良香。


「だって! 有象無象など徒党を組んでも二人で十分みたいなこと言ってるライバルがいるのに『でも俺達は一生懸命徒党を組みまーす』なんて格好悪いだろ!」

「ヨソはヨソ! ウチはウチ!」

「ちょっとお待ちなさい。有象無象は言いすぎですわ。わたくしに比べれば確かに劣りますが、この学院の生徒はそれでも優秀な人材が……」

「お嬢様、それはフォローになっていない気が…………」


 ギャーギャーと、食卓はたちまち賑やかになっていく。

 政治的なこととか、戦闘のこととか、色々と常識離れしてはいるが、基本的には彼女も女子高生である。


(…………あーあー、凄い悪目立ちしてるなぁ……。他のチームから目をつけられなければ良いんだが)


 そんな四人を横目に、年長者である彩乃は何を言うでもなく栄養ドリンクを呷るのであった。

 ちなみに、チームの人数は結局三人で行くことになった。

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