2.サバイバル演習

「……モットーは『男らしく生きる』、ね」


 自己紹介や委員決め――なお、クラス委員長には良香の隣に座る御縞みしま鹿波かなみちゃんが立候補の末任命された――なんかの雑務に満ちた一限目のホームルームが終わり、初めての休み時間。


 彩乃は良香の席までやって来て、意味深な笑みを浮かべていた。


「何だよ、悪いか?」


 良香は少し拗ねたように言うが、彩乃は意味深な笑みを浮かべたまま『いや、そんなことはないさ』と言うだけだった。


『君が女性になってしまったのは、本来女性にしか適合しない巫石クリスタルが適合してしまった……その矛盾を穴埋めする為かもしれないな』


 あの日、巨大なアメーバを退治した後の彩乃――この時点ではまだ大人の姿だった――がそんなことを言ったのを良香は思い出す。


 いや、そこはそんなに重要ではない。少なくとも、門外漢の良香にとって重要なのは原理ではない。重要なのはその後に何気なく彩乃が言った台詞だった。

『それはそうと……非常に心苦しいのだが、君は安全の為にも巫術師養成学校――神楽巫術学院に女子生徒として入学してもらう。……そうでもして君の身柄を保護しないと、どこからか君の情報を集めた組織に拉致されて解剖されかねないからね』


 ――――良雅の平穏な人生がバラバラに崩された瞬間だった。


 そういうわけで、良香が元々男だったという事実を知っているのは教師陣を初めとした学院上層部と、サポート役として身分と姿を偽り編入したこのプロの巫術師である彩乃のみである。当然ながら、同性の友人などという都合のいい存在は此処にはいない。そんな非常に居心地の悪い状況に彼女はいるのだった。


 とはいえ、良香はこのくらいのことでくよくよしたりしない。『男らしく生きる』というモットーは良雅だった頃からの彼女の座右の銘であり、彼女の中の『男らしい男』は女になったくらいで戸惑うような人間ではない。……いや、そこは少しくらい戸惑えよと普通の人は思うかもしれないが、彼女も彼女で普通からはちょっとズレているのだった。


 ともあれ、落ち込んでいても仕方がないのだ。彩乃も『絶対に君を戻す方法を見つける』なんて言っていたし、こういうのは気の持ちよう。男らしく生きるのは、別に女になっていてもできるのだ。


「お前こそ何だあの自己紹介。特技が徹夜と利き栄養ドリンクって、お前はエリート社畜か? っつーかブラック企業勤めでもあんな酷い特技は身につかねーだろ」

「ま、昔取った杵柄というかね」


 呆れたような良香のツッコミにも、彩乃は肩を竦めるだけだった。それは暗にブラック企業勤めの経験があると言っているようなものであるが、彼女はあくまで何も言わない。良香は今から巫術師の勤務環境に思いを馳せざるを得なかった。


「しっかし」


 呟き、良香は辺りを見渡す。


 クラスの中では、彩乃と同じように席を立ち、知り合いと話しているらしい少女が多く見られた。…………が、全員どことなく浮足立っている。端的に言って、良香のように辺りを目線だけでキョロキョロ見ている生徒が多い。


「…………グループ作りとか、まだないのか? 此処って小中高一貫なんだよな」

「ああそうだ。ただ、巫石クリスタルと偶然適合してしまう事故は後を絶たないからな……だから全員が全員小等部からというわけでもない」


 痛ましい事実に彩乃は眉を顰め、


「もっとも、彼女達に関してはおそらく別の理由だろう」

「別の理由?」

「事前配布された資料は見ていないのか?」

「逆に聞くが、この一〇日間俺に資料を見るような時間的心理的余裕があったと思うか?」

「悪いことを聞いた。すまない」


 良香が軽く皮肉ると、彩乃は茶化すわけでもなく真面目腐った表情で頭を下げる。あまりに素直な態度に逆に皮肉を言った良香の方が何だか申し訳なくなってくるレベルだった。


 何て言おうか良香が悩んでいると、彩乃はけろっと無表情に戻って顔を上げていた。良香は思わず肩透かしを食ってしまうが、彩乃はまるで気にせず続ける。


「では改めて説明するが…………明日のサバイバル演習を有利に進めるために、今からチーム作りに躍起なんだよ」

「……………………はい?」

「サバイバル演習だよ、サバイバル演習。昼の一一時から夕方六時まで七時間、ロボットから逃げ回るサバイバル形式の試験だ。成績決定は個人が基準だが、チーム結成までは制限されていないから事前にチームを組むのが慣習になってる。高等部に上がった生徒達の基本的な能力を見る為に毎年行われている、神楽巫術学院の伝統行事さ」

「………………………………」


 討巫術師ミストレス――――なんてマスコミに持て囃される彼女達が厳しい訓練を乗り越えてきたプロ中のプロだということは、良香も分かっているつもりだった。しかしこれは予想の範疇を越えていた。なるほど、新学期からこんなハードな実戦形式の試験をするのであれば中途入学が大勢いても卒業するころには全員がプロ中のプロになっているはずである。


「……にしたって、仲良しグループみたいなのはあるだろ? それで行こうとはならねーのか?」


 おそらくこの分だと良香は彩乃とチームになるだろう。なので特に切羽詰った状況ではないのだが、それはそれとしてクラス全体の一大行事だ。どうしても気になる部分はある。


「それはそれ、これはこれだ。試験には本気で向かうのが流儀なんだよ」

「それで友情にヒビが入ったりしないのか…………」


 特にこの学院は実技の成績が将来に直結するような場所だ。そうしたやっかみの類は絶えなさそうだと、一般的な感性を持つ良香は思ってしまう――勿論彼女自身は『男らしくない』のでそうしたことはしない――のだが。と、


「しないのよ。此処の連中は揃いも揃って変人だから」


 話し込んでいた二人に、別の少女の声がかけられる。


 その少女は焦げ茶の長髪を後ろで束ねて三つ編みにしていた。ただし大人しめの少女というわけではなく、目つきはあまり良くない三白眼。顔つきもとりたてて美少女というわけではない。怜悧な印象の美少女である彩乃とは対照的な、非常に『庶民的』な容姿の少女だった。


「アンタは?」

磯湖いそこ才加さやかよ。出席番号一番だったでしょ? 聞いてなかったの?」

「緊張してたもんで……」


 どこか責めるような色のある才加の言葉に、良香は思わず肩を竦めた。


 が、それが彼女の素だったらしく、才加は気にした様子もなく続けていく。


「妖魔の登場によって、人類の敵意は妖魔に向いた。巫術師の育成が国家事業になってもう大分経つし、偶然巫石クリスタルを拾ったようなのを除けば、ガキの頃から巫術師になる為に色んなモンを削ぎ落して来た筋金入りしかいないのよ、此処は」


 つまり、自分より優秀な誰かを腐すような人間は此処にはいない、ということだ。


 圧倒されている良香をよそに、才加は顎をしゃくって前の方の席に座っている少女を示す。


「あっちにいるエインズワース社の令嬢さんなんかは、巫術師どころか一流の討巫術師ミストレスになる為にこーんな小っちゃな頃から猛特訓してたって話だしね」


 自分の腰よりも下あたりを手で示した才加から視線を外し、言われた少女の方を見る。


 そこにいたのは、金髪碧眼の美少女だった。長髪の一部を肩にかけ、肩にかけた部分をゆるくカールさせている。『テンプレなお嬢様』のデザインをマイルドにさせたらちょうどあんな感じになるだろうか、という感じの容姿だ。


 ただ一つ『テンプレなお嬢様』と違うのは、彼女の放つプレッシャーだった。


 見ただけでその気位の高さが分かる。まるで、女王――彼女の放つ威圧感は既にその域に到達していた。彼女の傍に立つヘッドドレスをつけた生徒が傍に侍るメイドのように見えてくるほどだ。


「ほう、あれは可憐崎かれんざきさんか」


 と、その傍に侍るメイド生徒を見た釧灘がそう口を開いた。


「知ってる人か?」

「ああ。私の前の席の生徒だ。メイドを目指しているらしい」

「ちなみに、ご令嬢さんの前の席があたしね」


 …………どうやらメイドのように見えたのは錯覚ではなかったらしい。


(っていうか、メイドを目指しているようなヤツがなんでこの学院に来てるんだ……? オレと同じように偶然適合したのかな?)


 しかし、才加、エインズワース社のご令嬢、可憐埼という女生徒、彩乃と話題に上がる人達は席が近いなあ……と少し離れた場所にいる良香は思った。席順は教壇から見て左の廊下側からあいうえお順に並んでいるので仕方ないのだが。


「さっきからご令嬢ご令嬢言ってるけど、あの子の名前はなんて言うんだ?」

「エルレシアさんね」

「……知ってるならそう呼べば良いのに。せめて名字でも。流石によそよそしすぎないか?」

「とんでもない!」


 首を傾げる良香に、才加は驚いたように声を上げた。


「ご令嬢さんといえば大企業の社長令嬢で神に愛された天才でストイックな努力家で、そんな人を普通に呼ぶ『普通の女子高生』なんていないでしょ! 畏れ多くてとてもじゃないけど呼べないわ」


(あ、まともかと思ってたけどコイツもコイツでちょっと変だ)


 良香は本能で才加との接し方を何となく悟った。


 一通りの解説を終えた才加は、ようやっと本題に入っていく。


「んで、話は逸れたけどあたしも周りと同じようにサバイバルで仲間になれそうな子を探してたのよね」

「へー…………で、何でオレ?」

「だって、そこで話聞いてたらあんた達けっこう『外』に近い価値観の持ち主っぽいしねー」


 才加は何てことなさそうに話し出す。


「あたしね、中二の頃に適合したから、連中みたいな『筋金入り』とは違うの。だから自分のことは『一般人代表』みたいなものだと思ってるのね」


 昔のことを想い出してるのであろう、才加の瞳の中には懐かしさのようなものが浮かんでいた。


「最近、マスコミじゃ『討巫術師ミストレスサマ~』ってアイドルみたいに持ち上げてるけど、実態はこんな風に一癖も二癖もある変人の集まりでさ。仮にも民衆の平和を守る正義の味方なのに、価値観が肝心の民衆と違うってんじゃいつか問題が出て来ると思うのよ。だから、あたしがそうならないように架け橋になりたくってね」


 この『普通ではない場所』で頑ななまでに『普通な価値観』を貫き通すのも、それはそれで『普通ではない信条』ではあるが――――。


 中学二年生の頃に適合した――つまり多感な時期にそれまで歩んできてそれから歩むはずだった人生が大幅に捻じ曲がった彼女がその結論に至るまで、どういう心の動きがあったのか、『男らしく生きる』という生き方を変えずにいられた良香には分からない。ただ今は、そんなことを自慢げに話せる彼女を真っ直ぐ見るだけだった。


「だから、『外』の価値観に近いヤツのが馬が合うのよあたし。まあ、あんたもあんたで『男らしく生きる』とかちょっと変わってるとこあるけど。あと彩乃ちゃんはどうか身体を大事にね」

「うっせーほっとけ自称一般人」

「前向きに善処しよう」


 既に、三人は打ち解けていた。こういう雰囲気も才加の持ち味なのかもしれない。


「でさ。あんた達チーム組むでしょ? あたしも入れてよ。あたしは他の連中と違って『チームはチーム、友達は友達』ってほど分けられないしさ~、ついでに友達にもなっちゃおうぜ~」


 そう言って、才加は良香の机に手を突いて身を乗り出し言う。冗談交じりの提案だったが、二人の答えは分かり切っていた。


「勿論。……っつか、もうすっかり友達だけどな。彩乃も良いだろ?」

「ああ、勿論だ。……よろしく才加。私は釧灘彩乃」

「知ってるわよ。あたし、ちゃんと名前聞いてたし」

「…………あの時は緊張してたんだよ」


 皮肉っぽく言う才加に、良香はバツが悪そうに呟いた。

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