【完結】剛腕無双の討巫術師(ミストレス)
家葉 テイク
第一章 凍てつく闇と剛腕無双
1.そして彼は彼女になった
異性に囲まれて暮らしてみたい――なんて思ったことはあるだろうか?
献身的な少女達が自分のことを取り合って微笑ましい争いを見せ、あるいは頼もしい少年達がこぞって自分を魅了しようとする…………きっと、そうして誰もが何の問題もなく楽しいまま過ごすことが出来れば、それは幸せだと言えるだろう。
だが、実際にそうなってみたら…………なんて現実的なことを考えてみると、とてもそうは言えなくなってくる。
たとえば女子校に少年が一人入学したとする。そんなことは通常であれば有り得ないが、もし起こってしまったら山程の苦労がその少年を待ち受けているのは想像に難くない。
彼もそうだった。
艶やかな髪を短く切り乱雑に跳ねさせたウルフカットの黒髪に、威嚇する野良犬のような目つきの悪さ。しかしそれらの『野性的』とも表現できる容姿は、その整った美貌のせいで『可愛い』という形容でひとくくりに纏められてしまう。
総じてボーイッシュではあるもののどう考えても美少女なその少女は、今まさに女子校の、女子しかいないクラスの先頭ド真ん中でひどく居心地の悪い思いをしていた。『彼女』は――――ほんの数日前までは『彼』だったのだから、ある意味ではそれも当然かもしれないが。
そんな自分の現状を改めて省みた彼女――
*
「……はぁ」
三月下旬。
新学期に向けて文房具を揃えようと、近所のデパートへ向かったら四度目の赤信号だ。赤信号そのものはそこまで煩わしいことではないが、それが四回も続けば流石に嫌になってくる。普段こんな風に信号で足止めを食うことなどないというのに、何故今日に限って赤信号に捕まるのだろうか。良雅は信号待ちの間、そんなことを苛立ち交じりに考えていた。
――――これから起こることを考えれば、『運命だった』とも言えるのかもしれないが。
世間は春休みというヤツだが、何故だか今日は人が少なかった。いや、少なかった――というより、殆ど皆無だった。同じように信号待ちをしている女性が一人いるきりだ。
(綺麗な人だな……)
苛立ち交じり――と言っても、しょせんは赤信号。女性に視線を移した途端にそんな苛立ちはどこかへ行ってしまっていた。
その女性は知的な雰囲気を感じさせる容貌だった。スレンダーな長身で、レディーススーツがよく似合う。特にタイトスカートから覗くブラウンのタイツが少年である良雅からすれば大人の魅力だった。背中の中ほどまである艶やかな黒髪は後ろで一本に結ばれていて、そこだけは妖艶な美しさとは無縁の素朴さだったが、これは垢抜けないというよりは余計な装飾を削ぎ落した怜悧な印象で、そこがまた良雅の琴線を刺激した。
というのも、彼は大人のお姉さん好きなのだった。しかし悲しいかな、生来の目つきの悪さにどう矯正しても治らない癖毛は彼の好みである『大人のお姉さん』枠からすれば『お馬鹿な不良』という印象を持たれやすい特徴であり、その上彼のモットーは『男らしく生きる』ことだった。つまるところ、漫画に出て来るような一本筋の通った男に憧れ、なんかそれっぽい雰囲気を出そうと頑張っているのだ。……それだけならイタイ考えで済むのだが、彼の相貌の凶悪さと組み合わさると『心にもないことを言っているヤバい不良』的な化学変化がなされてしまう。お蔭で大人のお姉さんに好かれるどころか彼は未だに彼女が出来た試しがないのだった。
赤信号の間女性のことを横目に見ていた良雅だったが、彼は突然その視線を前に戻した。女性が彼の方に視線を向けたのだ。……いや、視線を戻した理由はそこではなく、良雅のことを見た女性が『ふっ』と、何やら意味深な微笑みを向けてきたからなのだが。
(ヤベー、見られてたの気付かれたか……?)
特に見たからといって悪いのではないが、彼のことなのでただ見ているだけでも『睨みつけている』なんて勘違いされる可能性もあった。過去に夜道で『可愛い人だなー』と思ってたらわりと本気で逃げられたのは、今でも彼の悲しい思い出トップ10にランキングされているほどだ。好みの容姿の女性に『睨みつけている』なんて勘違いされるのは、あまり嬉しくない。
幸運にもそこで信号が青になったので良雅は早足で歩いて行くが…………何の因果か、女性のものらしきハイヒールの足音は良雅の後ろを一定の速さで着いてくる。
というかこの道はデパートに続く道なので、デパートに行くのであれば同じ道を歩くに決まっているのだった。考えてみれば当然だった。良雅は内心で頭を抱えた。
(う、後ろから常に足音が聞こえて来る……、でも背後を振り返ることはできない……。……これってひょっとして新手の拷問じゃねーか!?)
別に足音自体はそこまで気になることではないのだが、振り返れないというのが良雅にとっては辛い。自分の後姿が見られていると思うとどうにも落ち着かないのだ。靴紐はこんな時に限ってしっかり結ばれているし、ほどけた振りなんて突然すぎて訝しがられるかもしれない。というかそんな器用なことを出来る自信がない。…………普通に考えればただ前を歩いているだけの少年にそこまで注目しているはずはないのだが、後ろが気になりすぎる良雅はそこに思い至ることができない。
こんな拷問がデパートに辿り着くまで続くのか――靴紐に意識を向けていたせいで足元に視線を移していた為、段々と近づいてくるマンホールを見ながら思っていた良雅だったが、幸いにもそんな悪夢の時間はそう長くは続かなかった。
いや、案外『不幸にも』――と言った方が良いかもしれない。
何故なら……………………それを上回る『悪夢の時間』が、それから始まったのだから。
最初の異常は背後から聞こえて来るハイヒールの足音だった。
メトロノームのように一定のリズムと大きさで鳴っていたその音が、突然ひときわ強烈になったのだ。
「……?」
殆ど女性の存在を耳で捉えていた良雅が怪訝に思った時、次の異常が現れた。
水が噴き出す音を立てて、半透明の液体が彼の目の前にあるマンホールを持ち上げる。そう――『押し上げる』のではなく、明確に『持ち』『上げた』。まるで人間の手のような形を作って、だ。
「なっ……!?」
その事実に気を取られた次の瞬間、第三の異常が現れた。
天から降って来た何者かが、中途半端に持ち上がりかけたマンホールに蹴りを叩き込んだ。
蹴りが直撃したマンホールはくの字に折れ曲がり――――一瞬遅れて、思わず目を瞑ってしまいたくなるほどの轟音が響く。轟音に紛れて、マンホールを持ち上げていた半透明の液体が千々に飛び散る音が良雅の耳に届き、ぴちゃり、と彼の頬にはねた。
「……………………は?」
そんな人間離れした破壊を生み出していたのは――妙齢の女性だった。
真っ黒い布地に金色の刺繍が施されたボディスーツのような恰好をしていたが、顔を見た良雅はすぐにその女性が誰か分かった。
その女性は、レディーススーツに身を包んだ先程の女性その人だった。先程の貞淑な大人の魅力を今は妖艶な大人の魅力に変換しているが。
マンホールにダイナミックな蹴りを叩き込んだ女性は、落ち着き払ったまま良雅に言う。
「落ち着け、私は
明らかに異常な発言をする女性だったが、良雅はそこには頓着せず、
「え……は? おい待てよ、警報は鳴ってねーぞ!?」
「それはおそらくヤツが妖魔遣いだから――ええい、説明の手間が惜しい! 早く逃げてくれ!」
そう言って、女性は良雅を追い払うように手を振る。ただそれだけなのに明らかに大の男が腕を振る以上の気流が少し離れていた良雅の髪をも靡かせる。
「…………ッ!」
良雅のモットーは『男らしく生きる』だ。その彼が、『目の前の誰かに危ない役を押し付ける』のは果たして良いことなのか。咄嗟に良雅はそう考えた……が、すぐに思い直す。
此処に留まったとして、自分に何が出来る?
『妖魔には
その瞬間、女性の身体を半透明の液体が呑み込んだ。
――――確かに
あとの行動は――思考などなかっただろう。
彼女は
だからどうした?
妖魔に一般人が立ち向かったところで勝てる訳がない。
だからどうした?
無謀だろう、愚策だろう、軽率だろう、幼稚だろう。
だが、『男らしく生きる』というのは、そんなくだらない理屈で今まさに窮地に陥っている誰かを見捨てる生き方なんかでは、断じてない!!
「悪いな、ねーちゃん」
良雅は、『男らしく生きる』という己の生き方に従って、決定的な一歩を踏みしめる。
その先にある希望がいくら小さかったとしても、そんなことは足踏みする理由にはならない。
「忠告は、聞けね、」
ゴリッ、と。
良雅が踏みしめた、その一歩目。
そこに、最後の異常があった。
軽質な音と共に、足先に何かに引っかかった感覚が生まれた。まだ体重移動をしていなかったのでこけるようなことはないが、怪訝に思って足元を見ると…………そこにあったのは、
透き通った、
真っ赤な、
宝石、
刹那、良雅は
そして。
*
――良雅という少年は良香という少女になり、此処――国内唯一の巫術師養成学校である『神楽巫術学院』にいる。
アレが災厄だったのか、あるいは誰かに危険を押し付けることを良しとしない『良雅』への幸運だったのか、それは彼女としても判断に悩む部分だったが…………しかし、それはそれとしても女の子に変化しなくたって良かったじゃないか、と思う。思っても仕方がないところではあるのだが。
およそ七〇年前から突如現れるようになった神出鬼没の生きる災害――『妖魔』と同時期に現れた、妖魔に対抗できる唯一の存在、巫術師。これがどういうわけか女性にしか適性がない――正確には、巫術師の才を得る為に必要な
そして、神楽巫術学院はそんな社会で活躍する女性――巫術師を育成する為の施設であり、当然ながら生徒は女の子しかいない。
彼――いや彼女以外の全ての生徒が女の子なのも、それが理由だ。
「――じゃあ、次ー」
(…………ん?)
現在に至るまでのいきさつを思い返しているうちに担任の挨拶は終わり、いつの間にか生徒達の自己紹介が始まっていたようだった。これはいけない、と良香は内心で頭を振った。少年漫画が好きな良香だが、女子同士の交友関係が少年漫画のように単純に済む訳ではないということくらいは分かっている。この自己紹介でミスをすれば、最悪の場合……今後の学院生活は皆から浮いたまま生活することになる。ただでさえ女子の中に中身男という針の筵状態を針地獄状態にするほど、良香は孤独を愛していない。
気を張り直すと、幸いにもまだ四人目の自己紹介だった。良香の順番は一七番。『予習』する時間はたっぷりある。
「
立ち上がったその少女は、およそ高校一年生になったばかりとは思えない冷静さでそう言った。
その少女は知的な雰囲気を感じさせる容貌をしている。学院指定の制服はスレンダーな長身を包むことで礼服のような高貴さを醸し出し、ミニスカートから覗く黒いタイツは大人な魅力を放っていた。艶やかな黒髪は肩の長さで切られていて、そこだけは少女らしいあどけなさを保っている。きっと、長く伸ばせばより綺麗に、大人びて見えるだろう。
総じて、大人のお姉さんが好きな良香のタイプにドンピシャリだったが…………良香は彼女を見ても何とも思わない。女になった影響で、女性に魅力を感じなくなった――なんて恐ろしい話ではなく、より大きな印象がそれらを塗り潰していたからだ。
つまり――――この少女こそ、良雅だった良香を助け、この学院に入学させた張本人――ボディスーツの
ともあれ、彼女の中身は立派な大人――――自己紹介の模様は多いに参考に出来る。
「趣味は映画鑑賞と研究…………特技は徹夜と利き栄養ドリンク。好きなものは栄養ドリンクだ。ちなみに一番好きな銘柄は『ブレイク眠気』。私は今年からの編入だがよろしく頼む。……自己紹介はこんなところで良いかな?」
……………………と思ったが、そんなに参考にはならなかった。
その後も――――、
「
「……………………
「
――などなど、名乗りだけでも各々個性的な自己紹介が繰り出されていく。この自己紹介でスタートダッシュをかけられるか否かでこれからの学生生活がどういったものになるか決まる…………とは限らなかったらしい。あるいは、彼女達の自己紹介が『正解』で良香のイメージしていた『無難な答え』が外れだったのかもしれないが。
ともあれ、そのお蔭で自分の番になるころには良香の余計な不安もすっかり吹っ飛んでいた。現実は意外とファンタジー寄りなのだ。巫術師や妖魔なんてモノがある時点でファンタジー寄りも何もないが。
「オレは、端境良香」
立ち上がった良香は、これから三年間何度となく名乗ることになるであろう名前を、ゆっくりと噛まないように言った。
この学院に入学するにあたって、男のままでは色々と問題があるからと言って用意された女の身分としての名前だった。
男の頃と名前が違いすぎては良香の精神状態に悪影響が出るかもしれないということでなるべく違いはなくしておこうという配慮らしかったが、良香としては近すぎて咄嗟の時に言い間違えそうだという不安しかなかった。まあ、仮に言い間違えても普通に聞き流されそうな程度にしか違わないが。
名前を言った良香は、これまでの生徒達に倣って『ありのまま』の自分を言っていく。
「趣味は漫画を読むこと。特に少年漫画が好きだな。特技は早着替えで、好きなものは天ぷら。モットーは――――」
そう言って、良香は一拍だけ間を空ける。
よく分からないままに女になってしまったし、色んな事情で名前や個人情報も変わってしまったが、それでも『端境良香』は『端境良雅』だ。
そんな思いを込めて、彼女はこう宣言した。
「『男らしく生きる』だ!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます