第3章 飯岡三丁目の交差点
飯岡三丁目の交差点 1
「ほう。鍾馗神を召喚しなかった、ですか」
美術室の幽霊、中川ゆりの一件を解決した翌日の放課後、恵子と奈津美は、兎我野の研究室である文化部棟の地下準備室に来ていた。
ちなみにいずみは弓道部の練習があるからと来ていない。
「なんだろ、何となくなんだけど、話せる気がしたんです」
二眼レフカメラのファインダーを覗いた時に、映った中川の顔。月の光が反射し、青白く光っていた。左右反対に映る像でも、左右のバランスが整った美しい顔。
はじめに視た時には、怖さから逃げ出したいと思った。しかし、鎧武者の霊のような現実離れした姿ではなく、恵子となんら変わりない制服を着た、同じ成陵西高校の生徒というあまりにも日常的な姿に、もしかしたら話せるかもしれない、そう思ったのだった。
「わたしも初めは怖くて仕方なかったけれど、恵子ちゃんが話しているうちに少しだけ、見ることが出来ました」
兎我野は納得したように頷いた。
「それは、たまたまキミたちの運が良かっただけですね。そこら辺にいる霊はそうは行きません。この前の鎧武者のように。そうですね、今後のために、幽霊の特性について教えておきましょう」
兎我野はそう言うと、そのまま続けて話し始めた。「今後」というのは「期末テスト」までのことであり、この罰が終わるまでのことである。先はまだまだ長い。
「キミたちが、鍾馗眼で視ている幽霊と言うのは、人間界と切っても切れない世界に存在しているものなのです」
兎我野は足を組み直し、話を続けた。
「キミたちはこどもの頃、仕掛け絵本って読んだことありますか? こう、ページを開くと、立体的に内容が飛び出してくる絵本」
奈津美が、思い出したように、
「あ、それなら『不思議の国のアリス』の飛び出す絵本を読んだことがあります。ページを開くと、アリスや帽子屋さんが起き上がって立体的になって、それからその周りをたくさんのトランプがページから飛び出すぐらい広がって――」
「そのアリスの本にあったかどうか分かりませんが、ページに縦にいくつも切り込みがあって、本のサイドのタグを引っ張るとその切り込みから別の絵が出てくるような仕掛けは見たことありますか?」
「あたし、あります。動物の仕掛け絵本で、馬のページのタグを引っ張ると、切り込みから白い帯が出てきて、シマウマになるようなやつ」
「そう、それです。幽霊の存在とは、例えるとまさにそのような存在なのです。つまり人間界が表向き見える世界だとすると、その裏には別の世界、霊界が表裏一体となっています。仕掛け絵本のように。そして、目に見える人間界の至る所には、我々の目には見えない空間の“切り込み”があって、それを引っ張ることで幽霊が視えるようになると、こういうことです」
「それが、鍾馗眼の機能ってことですね」
兎我野はパチンと指を鳴らし、恵子を指した。
「そう、さすが古道さん。――まぁ鍾馗眼は仕掛け絵本のような直線的な切り込みではなく、霊障が比較的強い点を利用しているのです。それらの点を、僕は
「幽霊が視える、もしくは感じる人というのは、この
彼らは生前の何らかの強い後悔、私怨、思念、未練を持っています。隠れた世界なので、彼らの存在に気がつく人は少ないのですが、先述したようにその存在に気がついた人間は、私怨のはけ口となり、憑かれ、襲われ、苛まれるのです」
兎我野は理解を確かめるように、二人と目を合わせた。
「この街は、古墳が出土されているように、とても古くからある街なので、それだけ多くの怨念も渦巻いています。そしてそのほとんどが、もはや話すことを忘れたただの欲の塊と化しています。彼らは、自らの存在に気づいた人間に容赦なく襲ってきますので気をつけてください。襲ってきた場合には、すぐに
「……わかりました」
とは言ったものの、恵子は来世転送をすることにはあまり気が進まなかった。
兎我野の話によると、幽霊は、この世に何らかの未練があって幽霊として存在していて、行くべき世界にいけないのだという。来世転送という方法で強制的に他の世界である
兎我野にしてみれば甘い考えなのかもしれないが、恵子にしては暴力で解決しているようにも思えたのだ。
幽霊と言っても元は人間だった訳だから話せば解決出来るんじゃないのかな。中川さんのように。……怖いけど。
「特に、野中の森公園は近づかないように。幽霊の数がかなり多く、とても古道さんのレベルじゃ対処できないところです」
「野中の森公園って、西成陵の?」
「ええ。西成陵駅の裏の、病院だったところを埋め立てて公園にしたところです。まぁ、もっともこの街には野中の森公園よりも危ない場所はたくさんありますけどね」
兎我野は、意味ありげな笑みを浮かべた。
「それでは、次の課題に行きましょうか」仕切り直しをするかのように、声のトーンが上がった。
「あ、あの。その前にひとつお願いがあるんです」
「なんですか?」兎我野は怪訝な顔になる。
「いずみのことなんだけど」恵子は切り出した。
「いずみ、弓道の大会が近くて、このところ部活が忙しいみたいなんです。今日も部活があって、来れないみたいで」
「ええ。それで?」
「んと。だから、その……。大会で良い成績取れるように、しばらくいずみは欠席にしてほしいです」
「……なるほど。状況は分かりました」
兎我野は腕を組み背もたれに寄りかかった。
「ほんとですか! じゃあ――」
「教師としても、生徒が大会に出るのを邪魔しようなんて考えていません。ただ――。片瀬さん抜きというのはちょっと考えさせてもらいます」
「だめ、ですか?」
「わたしからもお願いします」奈津美も恵子の考えに同意した。
「キミたちの気持ちは分かりますが、即答は出来ません。容認してしまうと、古道さんの反省になりませんから」
「あたしたち二人で手伝いますから。なんとかいずみだけは……」
「そうですねぇ……」兎我野が渋る顔をしている。
自分の思惑通りに進まないのか、いつものクールな口調が崩れてきている。
「じゃあ、さっきの野中の森公園を次の課題にしてください。あたし、そこで
「ダメ、ダメ。無理です。さっきも言ったように、古道さんの力ではとても無理。確かにあそこは人間に危害を加える幽霊がいるので、来世転送してもらえたら嬉しいのですが、ただ危険も多く伴うし、とにかく古道さんにはまだ早いです。やはりまずは三人で次の課題をやってもらいましょう。片瀬さんの件については考えておきますから」
「でも……」
「あまり歯向かうようなら、罰を増やしますよ」
兎我野が厳しい言葉を言った。
「分かりました……」
恵子は不服そうに肩を落とし、奈津美と目を合わせた。
「よし。それでは次の課題は、高岡さんが知っている心霊スポットにしましょう」
「え、わたしですか?」
突然、指名され驚いている様子である。
「えっと、わたし、この辺のことあまり知らないから、どうしよう」
奈津美は、恵子やいずみと異なり、電車通学で市外から通っている。そのため、この辺の地理はあまり詳しくないのだ。
それに恵子以上に怖がりの奈津美が好きこのんで心霊スポットを知っている訳がない。
「トイレの花子さんとか口裂け女とか、そういう都市伝説しか思いつかないよ……」
「な、奈津美、ずいぶん古いね、それ」
恵子たちが生まれる前の、噂でしか聞いたことのない、まさに都市伝説だ。
「そう? あ! ひとつだけあるかも」
奈津美はぽんと手のひらを叩く。
「なに?」
「おばけさんが出るか分からないけど、いつも学校から帰る時に怖いと思う場所があるの」
「ほう。面白そうですね、どんなところですか」
兎我野が身を乗り出して興味を示す。
「成陵駅行きのバスに乗ってて見えるところなんだけど……」
「どの辺?」
「『成陵西高前』の次のバス停過ぎたあたりの交差点」
成陵西高等学校は市街地から少し離れている。周囲には四方に田んぼが広がっていて、陸の孤島と呼べるほど、周りには何もない。遠くには新幹線の高架が見え、その高架下には成東線が南北に延びている。
大抵の学生は周辺地区から田んぼ脇にある小さな県道を自転車通学で通ってくるのだが、市外から通学する生徒は電車とバスを駆使して登校する。
奈津美の場合、電車で成陵駅まで来た後に、西成陵駅行きのバスに乗り、「成陵西高前」で降り、そこから十分程度歩いて登校する。この最寄りのバス停「成陵西高前」は小さな県道と大きな幹線道路である国道をつなぐ交差点の先にあるのだ。
恵子も雨の日などはこのバスに乗り、登校することがある。
「成陵駅行きのバスだと、『成陵西高前』の次は確か……『飯岡三丁目』だっけか」
「そう、そこ。そのバス停過ぎてすぐの横断歩道なんだけどね、横断歩道脇の電信柱の下にペットボトルに入った花が置いてあるのが見えるの。バスの前の方の席とか、入り口入ってすぐの右側の席に座ってないと見えない位置なんだけど」
「それはなかなか興味深いですね」
「そんなのあったかなぁ?」
「うん、ちゃんとあるよ。だってわたし高一の時からバス通だけど、ずっと見てるから」
「ずっとって、じゃあもう一年以上あるってこと?」
「そうなの。生け花は枯れることなくいつも刺さってて、きっと誰かが替えているんだと思うの」
「それって場所的に交通事故で亡くなった人がいるってことよね?」
「そう、だと思う。だからなんだか怖くて。特に図書委員で帰りが遅くなった時は、極力、車道側の席に座って見ないようにしてるの」
「なるほど……。よし。今度の課題は、その交差点の霊を成仏させることにしましょう。まぁ幽霊が存在していれば、ですけどね。どうですか? 古道さん」
特に反対する理由もなかったので、恵子はその場で回答した。「わかりました。飯岡三丁目交差点を調べてきます」
「もちろん古道さん、高岡さんに加え、片瀬さんも参加するようにね」
兎我野は「三人で課題解決」ということを改めて伝え、にこりと笑った。
「……はい」
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