成陵西高校の教室 11


「辛気臭い顔してんなぁ、恵子」

 突然、男の声が聞こえた。目の前にはポケットに手を突っ込みながら机に寄りかかっている男がいた。

 ガタンッ。椅子を大きく引きその場に立ち上がった。

「ちょっ……、ダレ!?」

 男は成陵西高校の制服を着ているが、恵子のクラスではない。

「ダレって、ひでぇな。同じクラスじゃんか」

 男は大げさにため息をつく。

「い、いえ、知りませんが」

「ま。仕方ねぇか。俺がこのクラスにいたのはずっと前だしな」

 男は親指を自分に向けて「俺、幽霊」とあっさりと述べた。

 まるで、スポーツカーから降りて、車に寄りかかりながら「乗ってく?」と言わんばかりのさわやかっぷりだ。

 足もある。透けてもない。本人は幽霊と言っているが、そんな気がまったくしない。

 なにこの、たいして格好良くもないのに俺モテてますよアピール半端ない系男子。幽霊(自称)であることを飛び越えて、苦手かもしれない。

 目の前の男が言うことが本当なら、やはりカメラを通さなくても幽霊が視えるようになったと言うことなのだろうか。

 恵子が訝しげな顔をしていると、

「安心しな。恵子に危害加えるつもりないから」

 呼び捨て……。

「ちょっと。馴れ馴れしく呼ばないでよ。だいたい急に現れて、あんた何者なの?」

「あぁ、わりい。俺は安藤宗太。何年か前に死んじまって、この通り幽霊やってるってわけ」

 肩眉を上げている。「ドゥーユー、アンダスタン?」と聞こえた気がするが、空耳だと言い聞かせる。

「いや、全然説明になってないから」と恵子も思わずツッコミを入れた。

 なんだ、なんなんだこの人。幽霊? 幽霊なら幽霊らしくしてくれ。リズムが崩れるではないか、と心の中で叫んだ。

「俺は何で死んじまったか分からねぇんだけど、たぶん未練があるんだろうな。だからこうして成仏出来ずに彷徨ってるわけだ。死んじまった理由を思い出せれば成仏出来るんだろうけど、別に成仏したいって欲があるわけでもねぇしな。

 死んでるのに欲とか面白くね? でもまぁ幽霊生活もそう悪くないぞ。俺なんかは地縛霊じゃないみたいで、自由にどこでも彷徨えるようだし。

 この前まで病院にいたんだけど、成陵西高の制服着てた恵子を見つけて一緒についてきたんだ。まぁフツーの人間には俺の姿見えないみたいだしな。

 ま、俺の話はどうでもいいんだ。恵子が悲しそうにしてたからついつい話しかけたってわけ。いやぁ、それにしても久しぶりに人と話したわ」

 いやいやいや。どうでもいいとか言ってかなり説明してるし、話長いし面白くないし、呼び捨てだし、悲しそうとか気持ち悪いし……

「て、ちょっと待って。それってあたし憑依されてるの?」

「憑依? いやそんなこわいもんじゃないって。なんか恵子に惹かれたっていうか、そんなんでついてきただけだって」

 それを憑依というのではないか。憑かれているのか。疲れているのか。

「分かった。分かったから。安藤くん」恵子は手で制した。

「宗太でいいぞ?」

 だから、そういう問題ではない。生理的に受け付けないのだ。

「あたしが成仏させたげる」

 そう言うと、恵子は机の脇に掛けていたリュックサックから鍾馗眼を取り出した。

「おいおい、ちょっと待てよ、そんな物騒な物出すなよ」

 安藤は寄りかかっていた机から離れて、恵子と距離を置いた。

「ん? これが何か知ってるの?」

 カメラを首に掛け、胸の前で持った

「あぁ。幽霊を強制的に成仏させることが出来るカメラだろ?」

「どこでそれを?」

 カメラのことを知っているとは、この男、重要人物かもしれない。恵子の手の動きが止まった。

「どこって、この教室で。今日、恵子と奈津美が話してるのを聞いただけだぞ。あ、そうそう。恵子のその席、俺の席だったんだぜ」

 恵子はぽかんとした。気持ちが悪い。幽霊だから薄気味が悪いのではない。この席が彼の席だったことが気持ち悪いのでもない。それ以前に、この言動、この仕草。生理的に受け付けないのだ。重要人物だなんて一瞬でも期待した自分を恥じた。

「うん。分かった。成仏しよう。そうしよう」

 恵子はカメラの準備を再開した。

「ちょ、待てって、恵子」安藤が慌てて後ろに下がる。

「呼び捨てしない!」

「古道さん、待てって」

「待たない!」

「待ってくれ。いずみのことで話があるんだよ」

「っ。え? いずみ?」恵子の動きが止まった。

「ケンカしたんだろ。いずみと」

「また勝手に人の話聞いたのね……」手に構えたカメラを降ろした。

「いや。病院で恵子を見た時から知ってる。恵子が大切な親友とケンカして悩んでることぐらい分かるさ」

 大切な親友……。幽霊である安藤がなんだか温かく感じた。恵子は自分の席に座り直す。

 安藤も前の席に座った。椅子が引いてあったので、椅子と机の空間を埋めるように自然と座った。

「なんも出来ないけどよ、話ぐらいは聞いてやるぜ」

「ずいぶん、上から目線なのね」

「まあな、幽霊だからな、ある意味上から目線だな」

 安藤はわははと笑う。これが幽霊だと誰が思うだろうか。幽霊に見慣れたのか、彼が話しやすいのか、自然と会話が出来る。

「ありがと。……ケンカ、というか一方的にあたしが悪くて、いずみ怒らせちゃったんだよね」

「どっちが悪いかなんて関係ないさ。大切なのは自分の非を認め、お互い歩み寄ることだ」

「うん。でも、いずみは怒ってると思う。あたしのせいで、大事な大会に出られなくなっちゃったし」

「そうか……。いずみとは話をしたのか?」

 恵子は首を横に振った。昨日の夜、病院でいくつか言葉を交わしたっきり話していない。直接謝りたかったが、タイミングも逃してしまった。

「恵子が自分が悪いと思っているなら、謝ったほうがいいぞ」

「タイミング逃しちゃって。ラインで謝ったんだけど……それがいけなかったのかな」

 いずみはSNS上では恵子の謝罪を読んでいるようだったが、それに対する返答がなかった。

「伝える手段にダメなものなんてねぇぞ。直接、面と向かって伝えねぇといけないことはない。メールだって電話だってなんだって良いんだ。伝えられる時に伝えておかないと、後で後悔することになるんだ。今は便利なもんだよ。『既読』か『未読』か分かるだけでも良いじゃないか。おまえの、恵子の想いを受け取ったかどうかだけは分かるんだからな。

 俺が生きていた頃は、ちょうど、みんながケータイを持ち始めた頃だったんだ。連絡は電話かショートメールってやつしかなかったんだぜ。メールした後に、返事がないと、読んだかどうか気になってたんだからよ」

「それは今も同じだよ。例え『既読』がついたとしても、返事がないとやっぱり気になるし、それに『読んでるのに返事がない』ってことは、なんか気に障ること言っちゃったのかなとか考えてしまうよ」

「なるほどな。確かにそうだな。直接、顔つき合わせても、話してる途中で、突然相手が黙りこくったら、『なに? 今、俺マズいことでも言った?』と思ってしまうよな。人と話している以上、時代や伝達ツールにかかわらず共通なんだろうな」

 恵子はスマートフォンを見て、返事が来ていないのを確認すると、小さくため息をついた。

「ねぇ。どうしたら、あたしは許してもらえるかな……」

「そうだな……」

 安藤は腕組みして、真剣に考え始めた。恵子はその姿をしばらく見つめた。

「ふふ、ふふふ」

「おい、なんだよ、なに笑ってんだよ」

 そんな彼を見ていたらなんだか急におかしくなった。

「――だって、幽霊に相談してるなんて。あたし、よっぽど友達いないみたいじゃん」

「っんだよ、それ。お前失礼だぞ」

 安藤は睨みつけるように恵子に顔を近づけた。

 恵子はまぁまぁと手で制して、

「分かってる、ちゃんと感謝してるよ。ありがと」

「いや、別に……。なんだよ、ったく……。ちっ」

 安藤は照れ隠しなのか、横を向いた。

「こんな言い方したら、安藤くんに失礼かもしれないけどさ。あたし生きてるもん。生きていれば、なんだって出来るよね」

「あぁ。そうだな。失敗したって、泣いたって、ケンカしたって、生きてりゃ、大抵のことはやり直せる」

「うん」

 なんだか、おかしくなってきた。ここにいる安藤はきっと何か未練を残して幽霊になって彷徨っている。そんな彼に人生相談をしているなんて。彼に「辛い」という感情があるか分からないが、やり直しのきかない彼の方がずっと辛いに決まっている。

「あたし、もう一度ちゃんといずみに謝るよ。クヨクヨしてても仕方ないもんね。悪いのはあたしなんだし。いずみは大切な友達だから」

「おう。頑張れよ。そうだ……。俺も――」安藤は何かを思い出したかのように、ハッと目を開き、宙を仰ぎ見た。

「そうだ……。思い出した。あの時――、あの時、俺は『ごめん』って謝りたかったんだ……」

「どうしたの?」

「なあ、恵子、思い出したよ。俺が死んだのも、どうしてここにいるのかも。恵子のことが気になったのも、俺と同じ境遇だったからかもな」

「どういうこと?」

「俺は――、俺らは、ちょっとした誤解で、お互いすれ違ってしまったんだ」

 安藤の身体は、この前の交差点の男の子のように、透けてきた。まるでこの世に存在できる時間を表しているかのように、徐々にその姿が薄れていく。

「え? ちょっと。待ってよ」ガタンと、音を立て立ち上がった。状況が理解できなかった。

「恵子と話せて良かった。俺、幽霊になってずっと一人で抱え込んでたんだ。人と話すことで、ようやく解決出来たよ。友達っていいな」

 安藤は、「じゃっ」と言わんばかりに軽く手を挙げた。

 音もなく、すっと指先までが消えていった。「あ……」と声が漏れた時には、もう、そこには誰もいなかった。

 しん、と教室が静かになった。急にひとり取り残されたように感じた。うるさいヤツだったし、生理的に受け付けられないヤツだったけど、良いヤツだった。相談乗ってくれて、ありがとう。

 ちょうどスマートフォンからメッセージを受信する音が鳴った。

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