成陵西高校の教室 9


「はぁ」

 静かにため息を漏らし、机に頭を突っ伏した。

 ――このまま、何もしたくない。


 窓の外を見ると梅雨時期らしいジメジメとした雨が降っていた。外は気温が低いらしく、窓が曇っている。

 恵子は曇った窓ガラスにウサギの絵を描いた。隣にいるいずみはクマの絵を描く。

「うさぎしゃーん」

「くまさん!」

 恵子は白いウサギのぬいぐるみを、いずみはクマのぬいぐるみを持って、ままごとをしている。

「まぁ、ステキなおうちね。お茶でもしていこうかしら」

「うさぎさん、うさぎさん、どうぞどうぞ、上がっていってくださいな」

 二人は幼稚園の年少組だ。夕方、恵子の母親が買い物に出かけている間、二人で留守番をしているのだ。

「ママ、帰ってこないね」

「けいこちゃんのママ、さっき出かけたばかりだよ」

「ちがうよー。長い方の針が五の時に出かけたから、もう一時間も経ってるんだよ」

「けいこちゃん、短い針はまだ四のままだから一時間経ってないよ」

「うそだー」


 ――ピンポーン

「あ、ママ帰ってきたっ!」

 恵子はウサギのぬいぐるみを抱きかかえて、玄関まで走る。

「けいこちゃん、まって!」すぐ後ろをいずみが追いかける。

「なあに、いずみちゃん」

「どうして、けいこちゃんのママだって分かるの?」

「だって、もう一時間も経ってるもん。ママだよ」

 恵子は、玄関のドアを指差しながら言う。

「もう行ってもいい?」と身体が玄関へ向かおうとしている。

「おかしいよ。けいこちゃんのママならおうちのカギ持ってるはずだよ。ピンポン鳴らすなんておかしいよ」

「そうかなぁ。じゃあ宅配便かなあ」

 恵子は常日頃から、「ママがいない時はピンポンがなっても出てはいけないよ」と母親に言われていた。このところ女児ばかりを狙う誘拐未遂事件が全国で多発している。幸い、この街では発生していないが、子を持つ親たちとしては過敏に反応しているのは事実であった。


 ドンドンドンとドアを叩く音がする。

「恵子、ママよ。開けて」

 ドンドンドン。ドンドンドン。

「ママの声だ!」

「そうよ。ママよ」ドンドンドン。ドンドンドン。

 恵子が玄関のドアに駆け寄り、背伸びしてドアのカギに手を掛ける。チェーンは掛かっていない。

 直後、いずみが恵子の服を引っ張った。後ろを向くと、口を固く結んで、不安そうな顔をしたいずみが無言で首を横に振っている。

「大丈夫だよ。ママの声だもん」

 ドンドンドン。ドンドンドン、と引っ切りなしにドアが叩かれる。

 いずみは再び首を横に振る。幼い二人には、ドアののぞき窓から外を確認することは出来ない。

「早く開けてちょうだい」

 ドンドンドン。ドンドンドン。

「カギ、持ってないの?」

 いずみが外に向かって恐る恐る尋ねた。

 ぴたり。ドアの叩く音が止まった。しん、と静寂が訪れる。


「カギを、なくしちゃった、の。開けてちょうだい」

 ドンドン! ドンドン! ドンドン!

 先ほどより大きな音で扉が叩かれる。

「ひっ」

 恵子もいずみも思わず後ろに下がった。

「ママ……じゃない」

 うわあああん、と恵子は大声で泣き始めた。

 それでも、ドンドンドンと扉を叩く音が鳴り止まない。

「開けろ! ここを開けろ、くそガキ!」本性を現したかのような声色で叫ぶ。

「おい、恵子! 開けろ! お前を連れに来たんだっ。ここを開けろ!」

 ドンドン! ドンドン! ドンドン!

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