飯岡三丁目の交差点 8


「あの。お子さん、亡くなられたのですね……」

 恵子は言葉を選びながら、しゃがんでいる子亡き婆の背中越しに話しかけた。

 クマのぬいぐるみを撫でていた手が止まり、横目で恵子を一瞥する。

「……もう、だいぶ前の話よ」

 しわがれた声が感情なく静かにつぶやいた。

「バイク、事故……だったんですよね」

 その瞬間、母親が、ぴくんと反応し再び恵子を見た。

 近くで見る母親の顔は、頭蓋骨に張り付いた皮膚が余っているかのようにシワだらけだった。ただ、そのシワは老化によるものとしては、不自然な感じで、過労やストレスによるものではないかと感じた。

「職場に電話が掛かってきたわ……まるで昨日のことのよう」

 止まっていた手が、再びクマのぬいぐるみをゆっくりと撫で始めた。

「あの朝、あの子はいつものように学校に行ったわ。『行ってきます』って笑顔を見せて。でも……」

 母親は力なく拳を握る。

「……帰ってこなかった。急いで病院に向かったけれど、ストレッチャーに乗せられたあの子は……」

 いずみの持っている鍾馗眼には、さっきまで喜んでいた男の子が、寂しそうにうつむいている姿が映っている。

「顔に掛かっていた白い布を取ると、顔が分からないぐらいに潰れていたわ……」

 それっきり沈黙が続いた。

「ごめんなさい、変なこと聞いてしまって……」恵子が謝る。

「いいのよ……。もう、昔のことだから……」

 母親は恵子たちの方に顔を向けた。三人の顔を一通り見たかと思うと、すぐに地面に視線を落とし、呟くように

「あの子が生きていたら、あなたたちぐらいの歳になっていたんだわね」と言った。

「そうですね……」

 返す言葉が見当たらなかった。

「今日はね、事故から丸十年経つのよ。十年前の今日、ここで事故が起きたの」

 母親は、ちょうど男の子が立っている辺りに目を移す。男の子は母親を見つめる。

 ちょうど目の前の道路を大きな音を立てて大型バイクが通り過ぎた。

「もう十年も経つの……」

 母親は自分に言い聞かせるように言った。

「あの子はもうあの世に逝ってしまっただろうけど、私はこの先もずっとここに花を生けるつもりだわ」

「お母さん」

 鍾馗眼に映る男の子の口がそう動いたように見えた。

「こうしてここで事故があったことをこの先も伝えて、少しでもあんな事故がなくなってくれればと思うわ」

「ありがとう」

 男の子の口が動いた。

「恵子ちゃん、みて」

 恵子が鍾馗眼を見ると、男の子はスウッと消えていった。

「もし良かったら、あなたたちもあの子と話してあげて」

 母親は生け花を手のひらで指す。

「ええ、もちろん」

 三人は花が生けてあるところにしゃがみ込み、手を合わせた。

 その直後、ぽつぽつと静かに雨が降ってきた。まるで母親の癒えることのない悲しみを表しているかのような繊細な雨だった。

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