飯岡三丁目の交差点 7
十八時過ぎ、三人は店を出て、例の交差点までやってきた。電柱の下には二リットルのペットボトルに菊の花が生けられていた。菊は白や赤、黄色と色とりどりだ。ペットボトルが倒れないように麻紐で電柱にくくりつけられている。その脇には、黒ずんだクマやウサギのぬいぐるみ、車のおもちゃ、缶ジュースなどが並べられていた。昨日の雨のせいかぬいぐるみは濡れているようだ。
目の前は成陵市の主要バイパスなので大型トラックなどの往来が激しい。十年前、ここで事故があったのだ。
奈津美が恵子の腕をぎゅっと掴む。
「恵子、鍾馗眼使ってみ」
空を見ると、月が綺麗に出ていた。
「うん」
恵子はリュックサックから鍾馗眼を取り出し、ラジオのチューニングを合わせた。スピーカーからノイズ音が鳴る。そのままファインダーを覗きながら電柱付近を映した。
バイパス沿いに灯っている街灯や、車のライトがあるため、周囲はそれなりの明るさを確保している。おかげで鍾馗眼のファインダー越しでも、像が見えにくくなることはなかった。
ノイズとともに、電柱の下を映すが、そこには何も映っていなかった。
そのまま、この前バスから見えた街路樹の植え込み辺りを映すと、そこに男の子が立っていた。道路に向かって立っており顔は見えない。
背中にはランドセルを背負っており、服は白いTシャツに半ズボン。全体的に青白い。さっきまで鳴っていたノイズがいつの間にか消えている。
「どうする? 声かけてみる?」
「いや。このまま
「でもでも……」
「迷うことないって。ちゃっちゃとやって兎我野に報告しよう。兎我野の要求は、あくまで来世転送。それ以上介入する必要はないって」
「そう……だよね。分かった」
男の子の霊をこのまま来世転送してしまうのは、少々気が引けるが、いずみにも迷惑を掛けられないため、鍾馗神を召喚することにした。
恵子は男の子の背中に向けてファインダーを合わせる。ピントが合ったところで、シャッターボタンを押す。
「恵子ちゃん、待って」
突然二の腕を強く握られた。奈津美が、あれ見て、と右手を向けた。
その先には、ちょうど成急バスがバス停に停車していた。
「降りてきた人……」
バスのステップを降りている人をみて、一瞬でそれが子亡き婆だと分かった。
「子亡き婆か」いずみが怪訝な顔をする。
「……だよね」
グレーのスウェットとチェックの暖色系タイトスカート、それから無地のスニーカー。見るからにボロボロで薄汚れたクマのぬいぐるみを抱え、もう片方の手には大ぶりの菊の花を持っている。
「ババア」と言うから腰の曲がった八十歳ぐらいの老婆を想像していたが、実際には腰は曲がってなく、年齢も五十代後半と言ったところだと思われる。
ただ、とても健康的とは言えず、髪は艶がなく、顔も頭蓋骨に皮膚を乗せただけのようにやつれており、異様な雰囲気を漂わせている。それはまるで、そばにいる男の子の幽霊よりも幽霊らしい姿だった。
「子亡き婆」と言われる所以が分かった気がする。
子亡き婆は、花の置いてある電柱まで来ると、しゃがみ込んだ。クマのぬいぐるみを撫でながら、なにやらボソボソとしゃべっている。
「あの婆さん、頭イカれてるな」
「いずみちゃんっ。そういう言い方は良くないよ」
「でもよ……」
「ちょっと二人とも、これ見て」
恵子は鍾馗眼に映っている男の子を二人に見せた。そこには、男の子が子亡き婆のそばまで来て、飛び跳ねている姿が映っていた。男の子の喜んでいる顔の表情まではっきりと見てとれる。
「やっぱ、お母さんなんだね」
親子の再会。実際には目に見えないが、そこには確実に親子の姿が映っていた。
しゃがみ込んだ母親の周りをぐるぐるとはしゃぐように回っている。
そんな子どもの様子に気づくわけもなく、子亡き婆はペットボトルに生けた花を取り替えている。
「わぁい、お母さんだ。お母さんが来てくれた」
鍾馗眼のスピーカーから嬉しそうな男の子の声が聞こえた。
しゃがんでいる母親を覗き込むように見て、「いつも僕のお花替えてくれてありがとう」と言った。
「あの子、自分が亡くなっていること知っているのかしら」
奈津美が恵子の陰から言う。
「子泣きバ――、お母さんに、男の子のお母さんに伝えたらダメかな?」
「ガキが幽霊になってるってことをか?」
「……うん」
いずみは、少し間を開けてから、首を横に振った。
「やめとけ。恵子の気持ちは分かるけどな。あのババアは未練があるから今でも花を絶やさないんだ。例えそれがプロジェクターで映し出された虚像だとしても、まして本当に幽霊だったとしてもだ。ガキが存在していることを知ったら、ババアはこの先もずっと未練が残ったままになるぞ」
「確かに……」
「男の子は今、ここにいるよ」と言ったところで、信じてもらえないだろう。仮に信じたとしても、鍾馗眼がなければ、この先、男の子を視ることも話すこともできない。
「……分かった。やめとく」
いずみは満足したようにうなずいた。
「あのお母さんに……話だけでも、聞いてもいいかな。幽霊の話はしないで」
「あぁ。そのぐらいならいいんじゃないか。あいつがまともに会話してくれるかは分からんが」
「うん……ちょっと話してみる」
恵子は鍾馗眼をいずみに渡した。男の子の幽霊が何か危害を加えることがないか見張っていてもらうことにしたのだ。それから母親に男の子の声が聞こえないようにラジオの電源はオフにした。
恵子は子亡き婆に向かって歩き出す。いずみと奈津美も後に続く。
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