飯岡三丁目の交差点 4
自宅に帰ると、上下セットの部屋着に着替えた後、母親と世間話やテレビの話をしながら夕飯を食べた。やはり家は落ち着く。先ほどの出来事が嘘のようだった。その後、二階にある自室へ入った。
「ふわぁー。食べた。食べた」
自室に入るなり、ばたんと淡い黄色い花柄のベッドに倒れ込んだ。部屋着はピンクと白のパステルカラーで、素材は綿、モコモコとした質感のものである。部屋着と言うよりか、パジャマだ。実際、恵子は部屋着兼パジャマとして使用しているのだ。
ポケットからスマートフォンを取りだし、早速いずみにSNSで連絡した。
――部活お疲れさまー。ご飯食べてたー。世は満足じゃあ
――ん。何食べたの?
――チキン南蛮。んまかったよー
――いいな、チキン南蛮。うちは今日は青椒肉絲だった
――なんだっけ? その漢字?
――チンジャオロース。牛肉とピーマンとタケノコの中華炒め
――あぁ、チンジャオね
軽く世間話をした後に、今日の放課後の出来事を報告した。
――それは交通事故だろうな
――そうだよね。しかも幽霊ってことは何らかの未練があるってことだよね
――そうだな。まぁ、交通事故で急に死んだら、誰だって未練あるだろうな
もし明日、交通事故で急に死んでしまったら……。恵子はふと考えたみた。やり残したことがたくさんある。未練の塊でしかない。
人生が今日までだなんて、考えただけで苦痛である。
――だね。そりゃ、死んでも死にきれないよね
――あぁ、そりゃ人間界にも化けて出るわ
恵子は自分で言っておきながら「死んでも死にきれない幽霊」をついさっき視たという、あまりの身近さに、軽く恐怖を覚えた。
と同時に、ある考えが頭に浮かび、部屋のあらゆる隙間や死角が怖くなった。ひょっとしたら、死んでも死にきれないような幽霊が家にもいるのではないか、と。
一度そう思ってしまうと、もはや家は落ち着く場所ではなくなってしまう。
恵子はベッドから飛び上がった。いずみとの連絡を中断し、床に転がっているアウトドアプロダクツのリュックサックの中から鍾馗眼を取りだした。
部屋に幽霊がいたらどうしよう。
恵子はカメラ上部の蓋を開け、隅にあるアンテナを引き出し、ラジオの電源を入れた。ザザザーというノイズ音が部屋に響き渡る。「幽霊の声」を捉えることのできるラジオだが、音量調節が出来ないことを先ほどのバスの中で知った。
ファインダーを覗く前に、窓際へ行き、ブラウンのカーテンを開け、念のため部屋の照明も落とした。月明かりが部屋に入るようにしたのだ。
兎我野の話によると、この鍾馗眼で幽霊を視るためには、月明かりが必要だと言うことだった。月明かりがない部屋の中はもちろん、屋外でも広告灯が光り輝くようなところでは視えないらしい。
とは言っても室内照明を完全に消してしまうのは心臓に悪いため豆電球だけは付けている。
先ほど、バスの車内照明がついていた状態でも幽霊が視えたので、豆球ぐらいなら問題ないはずだ。……それでも十分に怖いのだが。
恵子は鍾馗眼を構え、ファインダーを覗いた。室内が暗いので、ファインダーに映る像もあまりハッキリしない。
部屋の扉を開けて、廊下からの光を取り入れた。すると、ファインダーに映る像もそれなりに認識できるようになった。恵子は部屋を一周するようにカメラを動かす。
壁際からクローゼット……、勉強机……、今のところ妙なものは映らない。それから本棚……、化粧置き場……、ここも問題なさそうだ。さらに窓があって、ベッド周り……、ノイズ音も特に異常がない。良かった。あたしの部屋には幽霊はいなかったようだ。そして最後に部屋の扉……、廊下には人の影……えっ。何かいる!
一瞬で背筋が凍り付くようにしびれた。恵子はファインダーから目を離し、直接その場所を見た。
「なにしてんの? おまえ」
部屋の外からひょっこりと見慣れた顔が覗いていた。
「なんだ、おにいちゃんかぁ」本当にびっくりした。
「なんだとはなんだよ」恵子の兄が不機嫌に言い返す。
「おまえ暗い部屋でなにしてんだよ」
「いいじゃん、何したって。おにいちゃんには関係ないでしょ」
恵子は口をすぼめて兄に言った。すると兄は廊下から手を伸ばし、壁にある部屋の電気のスイッチを押して、照明をつけた。
「ちょっと何するのよ、もうー」
そのまま兄はズカズカと部屋に入ってきた。
「もうー、勝手に入らないでって言ってるでしょー。ぐぅ」
「入るぞー」
「遅いわ。もう入ってるじゃん」
ぐるるる、と猫のようにうなっている恵子をよそに、兄はまるで自分のベッドかのように中央にどかっと座ったのだ。
恵子の兄、古道伸也は恵子とは歳が四つ離れている。図々しいところと偉そうなところは気にくわないが、特段、仲が悪いわけでもない。
既に兄は恵子のベッドの上で頭に手をついて寝転んでいる。
「お、カメラか?」
顎で恵子の持っているカメラを指した。
「まぁね」素っ気なく答えた。
「なんで、音が鳴ってんの? ラジオ?」
「そう。ラジオ付きカメラ」
ラジオのダイヤルを放送している周波数に合わせた。流行のJPOPが流れる。
「ほらね」
「そんなカメラあんのかよ」
「まぁね。古いカメラだから」
鍾馗眼のことが兄に知られたら、いろいろ面倒なことになりそうだ。ここはあくまで「古い二眼レフカメラ」として貫くことにした。
「へぇ。ちょっと見してみ」
「だめー。古いカメラだから、壊れちゃう」
「なんだよ、まるで俺が壊すみたいな言い方だな」
「おにいちゃん、あたしのウォークマン壊したもん」
「あれは、雨で濡れたせいで、別に俺は……ったく、もういいよ」
兄は諦めたようで、ベッド脇にあった少女漫画を読み始めた。
「そのマンガ持ってって良いから、自分の部屋で読んでよー」
「んあー」
兄は適当な相づちを打っているが、動く気はなさそうだ。幽霊がいないか調査したかったのに完全に邪魔された。
「もうー」
恵子もいつものことのように諦め、スマートフォンを手に取った。
――ごめん。戻ったー
再びいずみにメッセージを送ると、すぐに既読になった。
――おかえり
――さっきの交通事故の話してたらさ、急に怖くなって
――トイレにでも行ってたの?
――違う、違う。家に幽霊がいないか鍾馗眼で調べてた
――なるほど。で、どうだった?
――あたしの部屋は異常なしだったよ
――あんたのってことは他の部屋にいたとか?
――ううんー。おにいちゃんに邪魔されたー
――あぁ。妹好きの兄貴ね
いずみは、「ククク」とメッセージを送信してきた。
――もう、やめてよー
ふて腐れた猫のキャラクターのスタンプを送る。
――あ、交通事故の交差点のこと、聞いてみたら? 確か、兄貴も成陵西高だったよな?
――そっか、なんか知ってるかも。ちょっと聞いてみる
親指を突き立て了解のポーズをしているスタンプを送り、兄に視線を移した。
「ねぇ、ちょっとー」
「んあー」
兄は相変わらず適当な返事をして漫画を読んでいる。
「おにいちゃんが西高に行ってた時、『飯岡三丁目』のバス停前の交差点で交通事故とかなかったー?」
「んあー……あ? なんだ、交通事故?」
「うん、『飯岡三丁目』のバス停前ー」
「あぁ、あそこか。有名だよな、子亡き婆」
むくりと起き上がり、恵子の座っている学習机の方を見る。
「コナキババア?」
「あぁ、腰の曲がった婆さんでさ、ゴミ捨て場から持ってきたような汚いクマのぬいぐるみを抱えてるんだよ。なんでも亡くなった子どもが大事にしていたぬいぐるみらしいぞ。毎月決まった日に花を替えに現れるっていう噂でさ、その日だったのか、俺も友達と偶然、婆さんを見たことあんだよな。つーか、まだ花あんのか?」
「うん、まだあるよ。きっと交通事故なんだろうねってうちらの周りで話題になって」
「あぁ、確かバイクと衝突したって話だぞ。たぶん十年ぐらい前の話なんじゃないか? しっかし、あの婆さん、まだ花替えてるんだな。ほんと、気味悪かったな、まじで。婆さんが幽霊かと思ったわ」
「ねぇ、そのお婆さんがお花を替える日っていつなの?」
「あー? 覚えてねーなぁ……忘れたわ」
「そっかー」
「つか、おまえ、そういう話苦手なんじゃないの?」
「んー。まあ好きじゃないけど」
「子どもの頃みたいに、こわいこわいって夜泣くんじゃねーぞ」
「そんなことしないもん」ぷいとそっぽ向く。
「まぁ、いいや。んじゃ俺は風呂にでも行ってくるかなー」
そう言うと、少女漫画を置いて、部屋を出て行った。あの自由人め、と恵子は思う。
しかし今の話で、噂の大枠は掴めたようだ。あとはバイク事故の真相と、子亡き婆についてもう少し調べてみよう。
恵子はいずみと奈津美のグループSNSで内容を簡単に伝えておいた。
その後、恵子も風呂を済ませ、部屋で髪を乾かし、ベッドに入った。部屋の電気を消した途端、さっきまで何ともなかった部屋を闇と静寂が包み込む。
大丈夫、この部屋に幽霊がいないのは確認済み。
そう自分に言い聞かせ、目をつむる。コチ、コチ、コチと時計の秒針が耳につく。一度気になり始めると様々なものが気になる。
コチ、コチ、コチ……
クローゼットの隙間やカーテンの隙間、壁のシミ。部屋の気配が気になる。先ほどのバイク事故の話、花束、子亡き婆、そしてなにより、こちらをじっと見ていた子どもの幽霊。
だめだ。恵子はいてもたってもいられなくなり、部屋を飛び出し、向かい部屋をノックした。
「おにいちゃん、まだ起きてるの?」
「んあー」
中から間の抜けた返事が返ってきた。
入るよ、と断りを入れ扉を開ける。恵子の部屋とは対照的に、ものが少なくきれいに整っている。兄は部屋中央のソファベッドで横のなりながらテレビを見ていた。
「まだ起きてるなら、部屋のドア開けたままにしててもいい?」
「なんだ、おまえ、やっぱ怖くなったの」
「むぅ。仕方ないじゃん」
いずみのように、にやにやと笑う兄には癪だったが正直に答えた。
「こわいなら、おにいちゃんが一緒に寝てあげようか?」
「やだ。このヘンタイ!」と即答した。
部屋のドアは開けてもらって寝ることは出来たが、なんだか弱みを握られた気分だった。
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