飯岡三丁目の交差点 3
車内を見回すと数人の乗客が席に着いていた。奈津美の話していた、「例の場所」が最も見やすいバスの前方の席は既に乗客が座っていた。その後ろの優先席に座ると窓側が見えなくなってしまうので、後ろ扉よりも奥の二人掛けの席に座ることにした。
恵子たちが席へ座るよりも早くバスは発車した。次のバス停が目的地である。
恵子が窓側、奈津美が通路側に座った。通路を挟んだ隣側の席には老夫婦が、後方の席にはイヤホンで音楽を聴いているOL風の女性が座っていた。
恵子は早速リュックサックから鍾馗眼を取り出し、古い革製のストラップを首にかけた。
「次は飯岡三丁目。飯岡三丁目。住まいの安心、山丸セキュリティへお越しの方はこちらでお降りください」
女性のアナウンスが流れた。次いで、ピンポーンと「降ります」ボタンの音が鳴り響く。
「誰か降りるみたいね」
「だね。止まってくれた方が見やすいね」
カメラ上部の蓋を開け、ファインダーを出す。ラジオのアンテナを立て、カメラ側面のダイヤルをカチリと回し電源を入れる。
ザザザ……
車内にノイズ音が響く。老夫婦もOL風の女性も反応しなかったが、バス前方に座っているスーツ姿の男性が、ちらりとこちらを見た。
「あれ? これってボリュームの調整って出来ないんだっけ?」
カメラ側面についているダイヤルをいじってみたが、音が小さくなることはなかった。男性の視線が気になり、仕方なくラジオの電源を落とした。
「兎我野、ボリューム機能ぐらいつけて欲しかったな」
鍾馗眼は兎我野が作ったと前に言っていた。
「兎我野先生、お金がなかったのかな?」と奈津美は見事に見当違いなことを言う。
「そういうわけじゃないと思うんだけど、ね」
窓の外では牛丼チェーン店の「牛野屋」やハンバーガーショップ「トマトバーガーズ」といった飲食店の景色が流れる。
バスはすぐに「飯岡三丁目」に停まった。
「奈津美、どの辺?」
恵子は鍾馗眼を構え、ファインダー越しに車内を見た。蛍光灯の明かりが強すぎて、ファインダー内に映る像はぼんやりとかすれて見える。
奈津美は身体を窓側に寄せながら目的の場所を探した。
後方の席からハイヒールをコツコツと鳴らし、OL風の女性が降りていった。
「んっと、えっと。ここからだと見えないみたい」唇に人差し指を当てながら残念そうに言った。
「発車しまぁす」と運転手が低い声でアナウンスすると、バスはゆっくりと動き出した。
「あ……、あの電柱だよ」奈津美が指をさす。
「え? どこ?」
急いで探すが、恵子の位置からは見えなかった。奈津美が指さしているあたりがファインダーに映るように、窓に向かって鍾馗眼を構えた。
右から左へと景色が流れる中、ファインダー内では左から右へと景色が流れている。
街路樹がいくつか通過し、その後におそらく例の電柱が通過した。バスはそのまま交差点へと向かう。ちょうど横断歩道の上を通過していると思われるところで、映った。
「え……」
恵子が視線を鍾馗眼から離し、窓の外を見た。誰もいない。
すぐに視線をファインダーに戻したが、既にバスは交差点を渡りきっており、景色が流れていた。一瞬だった。一瞬だったが、確かに視た。
「恵子ちゃん、どうだった?」
しかもこちらをじっと見ていた。
「う、うん。映ってた」
「え? お、おばけさん?」奈津美は恵子にしがみつく。
「たぶん。小学生くらいの男の子だったと思う」
恵子は二眼レフカメラの上部蓋を閉じ、太ももの上に置いた。先ほどの光景を振り返ってみる。
バスが「飯岡三丁目」を発車した時、恵子は窓の外を鍾馗眼で映していた。奈津美から予め聞いていた「電柱の下に花束がある」というのを映すため、画面に地面が入るように角度を下げて映していたのだった。
そこに男の子が映っていた。横断歩道で待っている男の子。見上げるように恵子を目で追っていた。おかっぱ頭で色白い顔、白っぽいTシャツに、黒っぽい半ズボン。両肩からは黒いベルトのようなもの。おそらくランドセルを背負っているのだろう。ファインダーに映った像はぼんやりとしていて細部までは分からなかったが、その容姿から小学生の男の子だと分かった。
花、横断歩道、男の子。恵子の頭の中で「交通事故」という単語がすぐに連想された。
「じゃあ、やっぱりあのお花は……」
奈津美も同じことを思っていたようだ。
「うん。交通事故、なのかな」
「やだぁ。どうしよう。わたし一人で帰れない」奈津美はぎゅっと強く恵子の二の腕を握った。
「分かんない、分かんないよ、奈津美。ほら、あたしの見間違いかもしれないし」
恵子は必死に取り繕うが、見間違いではないことは恵子が一番よく知っていた。あの瞬間に視た像が脳裏にまとわりついている。
しばらくして恵子が降りるバス停に着いた。
「じゃね、一人で帰れるよね」
「うう……頑張る」
奈津美は心細そうに八の字眉で恵子を見送った。奈津美と別れた恵子も、家に帰るまでの夜道がこわくて仕方なかった。
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