成陵西高校の美術室 11
中川ゆりは身体が弱く休みがちだった。一度体調を崩してしまうと、二日、多いときは三日連続で休んでしまうことがあった。
幸い彼女は頭が良く、授業の遅れについては、通信教育の教材で取り戻すことが出来ていた。あとは出席日数が足りるかどうかという問題ぐらいだった。
彼女を苦しめたのはそれよりも友人関係だった。三日も休んでしまうと、当然友人との話題にもついていけなくなる。今のようにSNSもない時代だったため、休むことによる取り残され感は大きかったのだ。
中川が学校に出てきたときには、友人は「もう大丈夫なの?」、「無理しないでね」、「昨日の授業ノート貸してあげる」と話しかけてくれる。いじめられていたわけでも距離を置かれていたわけでもない。普通に友達がいて、普通に話が出来た。
でもその優しさが彼女にとって辛かったのだ。周りの友達は本当に純粋な気持ちで心配してくれているのが分かった。
だから彼女はそれに答えようと気を張ってしまい、結果体調を崩してしまう、という負のスパイラルに陥ってしまうのだった。
――もっと気軽に話せたら良いのに……。わたしがいけないんだ。
そんなある時、成陵西高の創立百周年記念事業として、学年全員で一枚の彫刻板を作ることになったのだ。
自分の割り振りが決まってからは、遅れないよう、期日に間に合わせられるよう、掘り進めていった。
あの時の美術の時間も、目の前の彫刻板に集中していた。彼女の彫刻板は、四辺とも他の友人の彫刻板と接合する作りになっているので、時折、友達と接合部がズレていないか確かめながら彫っていた。
みんなとの共同作業。自分が彫っているこの一枚が役に立つと思うと嬉しかった。遅れないように彫らなくちゃ。
その時だった。突然、胸を締め付けられるような痛みに襲われた。ガタンと大きな音を立てて席を立った。右手に彫刻刀を握りしめ、左手で胸を押えながら数歩、歩いた。
一瞬、何が起こったのか分からず、唖然としていた生徒は、彼女の手に持っているものを認識すると、叫び声を上げ、彼女から遠ざかっていく。
地面が近づくのが見えた。
作らなくちゃ。遅れるわけに行かない。作らなくちゃ……。
遠くで助けを呼ぶ声が聞こえた。教師の声が聞こえた。
「あの時のまま……。完成させなくちゃ」
ファインダー越しに映る中川は、机の上に置いてある彫刻刀を手に取ると、彫刻板を彫り始めた。
ファインダーから目を離し実際の彫刻板を見たが、そこには一切変化がなかった。
「彫れてないけど、いいのか?」
いずみがファインダーと机の上の彫刻板を交互に見る。
「わかんないけど、このまま見てよう」
恵子たちはファインダー越しに、中川の彫る彫刻板を見続けた。五分経っても、掘り終わる気配がないので、恵子は中川に呼びかけたが、その声は聞こえてないようだった。
それからさらに十分ほど過ぎると、彼女は彫刻刀を机に置き、「できた」と静かに言った。
ファインダーを通して見る彫刻板には、確かに実物にはない彫り込みが施されていた。それは、隣の彫刻板へと繋がる帯状の線だった。蝶が羽ばたきながら、周囲に輝く鱗粉を振りまいている姿だ。
「これで完成」
中川は席を立ち、恵子たちの方を向いた。
「あなたたちありがとう。友達って良いね……」
それは恵子たちに対してなのか、それとも当時の友達という意味なのか判然としなかったが、「うん、そうだね」とうなずいた。
「ひとつだけ、お願いしても、いいかしら」
この彫刻板を元の場所に戻して欲しい、彼女はそう言った。それだけ言い残すと、きれいに消えてしまった。ファインダー越しに辺りを見渡しても見つからなかった。
その呆気のなさに三人とも唖然としてしまった。やがて恵子が「成仏、したのかな?」と言うと、
「どうだろな。ただ――、そういうのもあるのかもしれないな」と、現実主義のいずみが幽霊の存在を認めるような発言をした。
「天国で幸せになってほしいね」奈津美も言葉を重ねる。
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