成陵西高校の美術室 7

 閉め切った室内から一瞬、湿度の高い空気が身体にまとわりつくように流れた。なんとも陰湿で嫌な感じがする。何者かが薄暗い室内の闇に同化して身を潜め、彼女たちを見つめているような気さえしてくる。

 恵子は早速カメラを構え、ファインダーを覗いた。

 パチンっ

 スイッチの音とともに辺りが明るくなる。美術室の蛍光灯が一斉に灯った。

 さっきまで恵子にしがみついていた奈津美がいつの間にか、電気のスイッチの前に立っている。

「え? 奈津美、電気つけたの?」

 一気に普段の美術室へと戻った。

「うん、暗いと思って」

 きょとんと首をかしげている。

「奈津美、とりあえず電気消そうかー」いずみが子供に話すように微笑みながら言った。その微笑みが刺々しくも見えるが。

「う、うん」

 パチンと再び電気を消すと、先ほどの闇が戻ってきた。しかも、照明をつけたせいで目が暗闇に慣れず、先ほどよりも暗く感じる。

 奈津美は再び恵子の後ろにぴったりとついて、ぎゅっと腕辺りを抱きしめられる。その様子を見ると奈津美を誘って申し訳ないと感じた。

「暗いし、電気つけたいのは分かるけど。こんな時間に教室の電気が点いていたら、先生に見つかるぞ」

「そうだよね。ごめん」

「奈津美、今日誘ってごめんね、怖いよね。あたしも怖いし」

「ううん、わたし、平気だよ! 恵子ちゃんもいずみちゃんもいるから」

「とりあえず、奈津美はそのまま恵子の後ろにいな。ちょっと暗いけど、このスマホで辺り照らすから」

「うん、ありがとう」

 スマートフォンの明かりだけでは手元を照らす程度だった。

「ね、いずみ。職員室から見えない窓側の電気だけでもつけちゃだ――」

「だめ」

 いずみは恵子の言葉に被せるようにぴしゃりと否定した。

「むぅ」

「さっさと終わらせるよ」

 恵子は再びファインダーを覗く。ラジオからはノイズ音が流れている。教壇の上から、教室を見回すようにカメラを動かす。

 いずみも恵子がカメラを向けている方向に合わせてLEDライトを照らした。

 廊下側から窓側に向かって、座席を映し出す。

 ザ、ザザ……ザザ。ノイズが聞こえる。カメラには特に変わった様子はない。そのまま一列ずつカメラを窓側へ向かって移動させていく。

 暗い座席が映るだけで、異常はない。そして、ゆっくりとカメラを窓側の最後の一列に向けた。

 ザ、ザザザ……ザザ。

 すっと、ごく自然に、それはいた。恵子たちと同じ制服を着た女子生徒が、椅子に座っていた。

 足の先から頭の上に嫌な感覚が走った。恵子は言葉にならず立ち尽くす。

「恵子ちゃん、どうし……ひっ」

 奈津美は恵子の背後からカメラを見た瞬間、目をつむり、より強く恵子の腕を握りしめた。

 異変に気づいたいずみもカメラを見る。

「まさか……」

 女子生徒は窓側の列、前から四番目に座っている。身体が透けているわけでもなければ、足がないわけでもない。少しばかり青白く光っているようにも見えるが、外からの月光によるものと思える程度だ。

 猫背気味に座っていて、長い髪を前に垂らしているため、顔の表情は見て取れない。

「ゆ、ゆうれい、だよね?」

 恵子は逃げ腰になりながら小声で話す。

「おばけさん、こわいよぅ」

 奈津美は恵子の足下にしゃがみ込んでしまっている。

「恵子、ちょっとカメラ見てて」

「え、ちょ……、いずみ、なに……」

 いずみはスタスタと歩き出し、女子生徒が映っている机の前で止まった。

「この席だよね?」

 いずみの指さす方向には、女子生徒が青白い顔をしながら座っている。当然、カメラから目を離すと、そこには何もいない。

「う、うん」

 カメラに映った女子生徒は目の前にいるいずみに気づく気配もなく、なにやら手を動かし机の上の作業に集中しているようだった。

 いずみは女子生徒の座る椅子や机を調べ始めた。いずみが女子生徒の座っている辺りを触れようとすると、映画館でみる3D映像のように、実体としてぶつかることはなく、いずみの身体の中に女子生徒の身体の一部が埋まっていった。

「いずみ、気をつけてよ……」

「ん? あぁ、大丈夫だよ」

 女子生徒はいずみの存在に全く気がつかないようだが、この前の鎧武者のように、急に襲いかかってくるのではないかと不安が続く。今にでも長い髪を大きく振り上げて、狂気に満ちた顔で襲いかかってくるのではないかと……。

「いずみ、ほんとうに気をつけてよ……」

「おかしいな。どこにも仕掛けがないんだ」

「ゆ、幽霊なんだよ、本当に」

「幽霊だと言って怖がるヤツはその物体の近くに来ない。だから、物体のすぐそばにタネを仕掛けていると思ったんだけどな」

「いずみ、こわいから戻ってきてよ」

「大丈夫だって。もう少し探すよ」

 すると、何かが光った。女子生徒の手元から金属が反射するように一瞬だけ何かが光った。

「いずみ、なんか光った」

 カメラ越しに見ていた恵子は、それが現実のものなのか、それともカメラの中でしか映らないものなのか判別がつかなかった。

「なに? どこ?」

「そこ、机の右側の……、うん、そこ」

「なんもないけど?」

 恵子は半歩前に進んだ。

「うにゃあぁ」奈津美が、恵子を引き留めようと太ももを掴んで離さない。

「奈津美、ちょっと待ってて」

 何か不思議な言葉を発している奈津美をよそに、掴んでいる手を離して、ゆっくりと女子生徒の幽霊がいるところに近寄った。

 近寄った、と行っても、女子生徒の幽霊までの距離は十分に取ってあり、何かあればすぐに逃げ出せる位置には変わりない。

 窓側に近寄ったことで、月明かりが入り、カメラの映像も見えやすくなった。女子生徒がよりハッキリと視える。相変わらず長い髪のせいで顔は隠れている。髪は艶やかに月の光を反射している。卒業アルバムでみた「中川ゆり」なんだろうか。

 ラジオからも音が聞こえるようになった。カリカリカリ、ザッザッザッと何かを彫るような音だ。規則正しく聞こえる音は、どこか神経質な感じに聞こえる。音の発するところを探すと、先ほど光った正体が分かった。

 女子生徒の手には彫刻刀が握られていた。三角刀か平刀だ。それが月明かりに反射して光っていたのだ。

「いずみ、彫刻刀持ってる。その幽霊、彫刻刀でなんか彫ってるよ」

 いずみはまさに彫刻刀があるところに手を置いている。次の瞬間、女子生徒の手から彫刻刀が滑り落ちた。

 からぁーんっ!

 大きく軽い音がラジオから鳴り響いた。先ほど美術室に入る前に聞いた音と同じだ。

「きゃっ」奈津美が音に反応する。

「なに?」

「幽霊の持ってる彫刻刀が落ちた」

 恵子がファインダーで見たことを報告する。

 女子生徒は座ったまま床に落ちた彫刻刀を拾うと、ふっと顔を上げた。

 病弱気味に青白く光った顔には焦点の定まらない双眼が、何かを探すように床に視線を動かしている。手には彫刻刀を握りしめている。

「いずみ! 逃げて!」

 危険を感じた恵子は咄嗟に叫んだ。いずみはその声に反応して、すぐに恵子の元へと駆け戻った。しかし、声に反応したのはいずみだけではなかった。女子生徒は眼球の動きを止め、ふっと一点を見つめた。

 恵子の持っているカメラである。いや正しくはカメラのレンズを通して、恵子を見ている。その顔は、図書館の卒業アルバムで見た「中川ゆり」そのままの顔だった。

 八年も前の卒業アルバムだというのに、写真から出てきたようなぐらい変わらない姿で、目の前に立って、ただただ恵子を見つめている。

「え……」

 硬直してしまい目を逸らすことができなくなってしまった。

 ザザザ……アナタ――ザザ……タチ、ダレ?

 ラジオから彼女が話しかけた。耳元で話しかけられたように近くで聞こえる。

 ガタン、と大きな音を立てて、彼女が席を立つ。手には先ほど拾った彫刻刀を握りしめている。

「怖いよう。何が起こったの?」

 奈津美が座り込んだまま恵子の足下まで移動し、左足のふくらはぎを後ろから握りしめる。

 カメラに映った彼女は、一歩、また一歩と恵子たちに近づいてくる。

「ちょ……」

 奈津美に掴まれていない足で後ずさりをする。

「ほんとに、幽霊、なのか……?」

 いずみもカメラに映る女子生徒と現実の何もない空間を交互に見ながら、後ろに下がる。

「恵子、この前の大男、出して!」

 緑の光を放ち、鎧武者を倒した鍾馗神。昼間、兎我野は「鍾馗神は幽霊を強制的にを来世転送リブートすることができる」と言った。

「わ、わかった!」

 ファインダーの中央に女子生徒を合わせ、シャッターを切ろうとした。その瞬間、ピタッと周波数が合ったように、ノイズが一切聞こえなくなった。

「――ナニ、シテルノ?」

 びくん、と身体が反応する。

 クリアな声がカメラのスピーカーから聞こえた。さらに続けて「今は授業中よ」と。

「え……」

 ノイズがなく音質的な意味でクリアなのだが、それよりも女子生徒の声色自体が、透き通るように細く綺麗でクリアな声だった。

「授業中?」

 いずみが拍子の抜けたような声で独り言のように呟いた。

「そうよ、ほらみんないるじゃない」

「会話が、できる?」

「……そのリボン、あなたたち、二年生ね」

 成陵西高の女子の指定制服は、白いブラウスにベージュのカーディガン、紺地に緑のラインが入ったチェックスカート。そして、胸元には細いひもで結ったオレンジ色のリボンがある。このリボンの色が学年を示しており、オレンジ色は二年生を意味していた。

 カメラに映る女子生徒のリボンはブルー、つまり三年生ということだ。

「あたし、ちょっと、話してみる」

 恵子は小声でそう言うと、カメラから目を離し、そこにいるであろう場所を見つめて話した。

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