成陵西高校の美術室 5


「んじゃ、私、部活行ってくるから」

 五時間目の終わりには雨も上がり、いずみは授業が終わると早々に、弓道部へと向かった。奈津美も、図書委員会の係で、図書室へと向かっていった。

 恵子は、部活動も委員会活動にも入っていなく、いわゆる帰宅部というやつである。本来、何かしらの部活動か委員会に所属する必要があるのだが、恵子は高校入学当初にサッカー部へマネージャーとして入部しており――もちろん目的はイケメンの男子生徒狙いだったのだが、彼女がいることを知ると、恵子はそれっきりサッカー部へ顔を出さなくなり、幽霊部員となっている。

 その後、学年が上がる際に、こそっと退部届を出しているため、現在は帰宅部となっているのだった。

 やることがない恵子は、兎我野のいる準備室に向かったのだが、「今日はキミたち三人で噂の検証をするのが課題です」と言われ、門前払いさせられてしまった。

 いっそのこと翌日に「来世転送リブートしました!」と嘘の報告でもしようかとも思ったが、後で嘘だとバレたときに被害があるのは恵子ではなく、いずみであることを思うとそうもいかない。

 仕方なく、奈津美のいる図書室で暇を潰すことにしたのだ。

 特別棟の二階にある図書室に入ると、奈津美が受付カウンターに姿勢正しく座り、読書をしていた。

 恵子の姿を確認すると本を閉じて、「あ、恵子ちゃん、どうしたの?」と小声で尋ねてきた。

 受付カウンターの向かいには、読書机が並べられており、数人の生徒が勉強スペースとして活用している。

「奈津美たちが終わるまで、暇つぶししようと思ったんだけど……」

 恵子は周りを見渡しながら小声で「ここ、静かだね」と苦笑いした。この状況では奈津美と話すのも憚れる。

「ほ、本でも読もうかな」と、柄にもないことを言った。

「ごめんね、わたしも一応、委員会の活動中だから相手できなくて」

 受付カウンターのすぐ前の席に星柄のリュックサックを置くと、書棚へ向かった。

「そうは言っても、特に読みたい本なんてないんだよね」と小声で独り言を呟いた。

 目の前の柱には、プラスチック製の案内板が取り付けられている。恵子のいる場所が、「歴史書・哲学書」の棚で、そこから右に「宗教書」、「心理学」、「経済書」、「資格・就職」……と、棚が並んでいる。さらに図書室を囲む壁添いの窓下に設置された小さな書棚には「雑誌・刊行物」と記載があった。

 その表記を見ると、恵子は迷わず「雑誌・刊行物」の棚に向かった。高校の図書室でも雑誌が読めるとは、意外と使える図書室だな、と感心し、さらに「ファッション誌があれば最高なんだけど」などと考えながら、たどり着いた「雑誌・刊行物」の棚で見たものに落胆した。

 濃い緑色で重厚な装丁をした背表紙には「第一〇七期生成陵西高等学校卒業記念」と書かれていた。さらに似たような本が、背表紙の色とタイトルの数字部分のみが異なって横一列に並んでいる。

「むぅ。雑誌って卒アルのこと?」

 つまらなそうにその場でしゃがみ込む。何気なく「第一〇七期」という表記を見ていると、あることに気がついた。今年分の卒業アルバムはまだ発行していないことを考えると、八年前の中川ゆりの事件というのは創立百周年ということなのだろう。

 何か分かるかもしれないと、恵子は「第一〇〇期」と書かれた卒業アルバムを手に取り、ページをめくった。

 光沢材質で製本されたページは、長期間、誰も見ていたかったせいか、互いのページが張り付いていて、ページをめくるごとにペリペリと音を立てる。

 恵子は近くの席に座り、改めてページをめくった。

 ページ前半部分には、文化祭や体育祭など催事ごとの写真が掲載されている。誰一人として見覚えのない顔が、それぞれ笑顔を作り、ピースサインをしている。

 自分や友達のものでもない卒業アルバムを見るのは、なんとも違和感を感じる。

「あ、これ、佐伯? こっちは福士だ」

 その中に知っている顔を見つけた。日本史教師の佐伯と、英語教師の福士だ。

 佐伯は白髪も少なく髪も今より後退していない。福士に至っては現在と比べると、びっくりするほど激太りしている。本庄優が好みそうなネタだ。あとで教えてあげよう。

 確か今、佐伯は病気で長期休みとなっているのだった。その代わりとして兎我野がやってきたのである。佐伯の正確な年齢は分からないが、おそらく今は五十過ぎぐらいだと思っている。八年前の佐伯の姿と現在の姿を比べてみると、年を取ると身体の故障も増えるのだな、と恵子は将来の不安を少なからず感じた。

 後半のページをめくるとクラス写真が載っていた。この年の卒業生は五学級ある。本庄優の情報が正しければ、中川ゆりがどこかのクラスにいるはずだ。もっとも、在学中に死亡した生徒の写真が載っていればの話ではあるが。

 恵子は三年一組から順に生徒の顔写真を見ていく。生徒はそれぞれ、サッカーボールやギターなど思い出の品らしきものを手に持ちながらカメラ目線で笑顔を作っている。途中、「やだ、かっこいい」とか「んー、タイプ」とか言いながら男子生徒を舐めるように見た後に、さらっと女子生徒を見た。その調子で三年二組も見たが、件の中川ゆりは見当たらなかった。

 しかし、次のページをペリペリとめくった瞬間にすぐに中川ゆりの姿を見つけた。

 個人写真は皆、青から白へのグラデーションのかかった背景の前で撮っているのだが、一人だけ異なる背景だったのだ。

 生徒氏名に「中川ゆり」と記載された彼女は、つやのある黒髪ストレートで、奈津美より少し短い、胸の辺りまでの髪の長さだ。小顔のベースには顔のパーツが綺麗に配置されており、誰が見ても美人と言える顔立ちだ。

 校内の敷地内で撮られたと思われる場所で、カメラに向かって小さく微笑んでいる。その表情は意識した笑顔ではなく、本当に不意にほんのりと微笑むような感じを受けた。

 個人写真の撮影日にはすでに他界していたのだろう。残念ながらクラスメートと一緒に卒業することはできなかったのだ。

 撮られることを意識していない中川ゆりの笑顔は、他の生徒の個人写真よりも生き生きしく感じられてしまうのが、なんだか切なかった。

 一度見た前半部分の写真を見返すと、様々なシーンに中川ゆりが写っていたことに気づかされる。

 文化祭の準備で、フードメニューを書いている写真。学年全員で野球応援に行っている写真。友達と笑い合っている写真。どの写真も学生生活を楽しんでいるように見える。

 ひとりの人物を探すように卒業アルバムを見ていると、親近感が沸くもので、全く会ったことも話したこともない中川ゆりが、今の恵子のクラスに存在しているかのような錯覚すら覚えた。写真に写っている顔の表情からはとても自殺するような雰囲気には見えなかった。

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