成陵西高校の美術室 4

 

「ちっ。ほんと、あいつむかつくなー」

 準備室の扉を閉めた途端、大きな舌打ちをして、いずみが言った。

「いずみちゃん、言葉……」

 奈津美の注意も聞く耳を持たない。

「成績を出汁に使うなんて、職権乱用じゃんね。やっぱ私、ほかの先生に相談してくるわ」

「ちょ、ちょっと待って。確かにいずみの言うとおりだけど、もうちょっと様子みたいな」

 恵子の制止にいずみが目を丸くした。

「え。なに、あんた、兎我野を信じるとか言うんじゃないでしょうね」

「ううん、まだ分からないけど、カメラのこととか気になるし。いずみもハッキリさせたいでしょ?」

 恵子は鍾馗眼に関する出来事が気になっているのだ。昨日恵子が視たあれは一体なんだったのだろうか。

「そうだな。どうせタネがあるなら、それを暴いてやるのもいいな」

「あたしはね、昨日実際に視たからだと思うけど、どうもタネがあるとは思えないんだ。なんて言うか、その本当に……」

「幽霊が視えた?」

「うん……信じられないけど」

「ふんっ。なら私もこの目で確かめるわ」

「うん」

 いずみがいると頼もしい。

「あー。でも、今日も部活あるわ。終わるまでちょっと待ってて」

 いずみは弓道部に所属しており、県内屈指の腕前である。本人曰く、「県内での競技人口が少ないから、強く見えるだけ」と言っているが、何かの大会で優勝した経験もあり、その腕前は実績が証明している。

「わたしも、図書委員だよ」

「そっかぁ。じゃあ二人が終わってからにしようか」

 帰宅部の恵子には彼女たちを待つ放課後が長い。

「恵子ちゃん、いずみちゃん、授業始まってるんじゃない?」

 スマートフォンの時計を見ると、授業開始から十分も経過していることを知った。

「やばっ」

 三人そろって、声を上げると、三人そろって同時に廊下を駆けていく。そして教室の後ろ扉からそっと教室の中に入った。

 その直後に教室から怒鳴り声が聞こえたのは言うまでもない。



 学年一、いや学校一番の情報通と言ったら、残念ながら恵子ではない。恵子と同じクラスの本庄優の右に出るものはいないだろう。

 特に成陵西高に関する恋愛ネタやゴシップネタは本庄優の得意分野である。

 隣のクラスの誰々くんが何々さんに猛アタックを仕掛けているだの、国語教師が誰々くんの母親と不倫しているだの、どこから情報を得たのか、あらゆることを知っているのだ。

 しかし、その情報の信頼性は、実はあまり高くない。情報によっては本庄優の憶測がかなり入ることがあるのだ。

 それでも兎我野の素性について一度、優に聞いてみようと思っていた。そのほうが兎我野本人から聞き出すよりも効率的だ。

 本庄優は、クラスの中でもギャル系のグループに属している。ギャル系、といっても都会ほどはしゃいだ感じではない。少し軽い程度のグループだ。本庄優は恵子よりも小柄で、小顔にくりっと大きな目、艶やかな髪を右横で軽く結っている。

 恵子は休み時間、本庄優に話しかけた。

「優ー。ちょっと聞きたいんだけどさー」

「いいよぉー。優に分かるかなぁ?」

 優は身体をくねくねと動かしながら答える。

「兎我野のことで、何か知っていることない?」

「兎我野ぉー? 日本史のぉ?」

「そう、この前、佐伯の代理できた先生」

「優も世界史だから、あんま接点ないんだよねぇ。恵子の方が詳しいんじゃないのぉ?」

「えっ。どうして? あたし全然知らないよ」

「また、またぁ。優に知らないことはないんだよぉー。この、このぉ」

 本庄優は恵子の脇腹を悪戯につついてくる。

「ちょっ、えっ? なになに?」

「なにって、そりゃあ、教師と生徒の禁断の恋的な?」

「ないよっ! そんなのないってー」

 恵子は慌てて否定した。どこからそんなことになるのだろうか。

「うそぉっ、学校に来る途中に兎我野に声かけられて、胸きゅんなんでしょー。しかも放課後二人でどこか行ったらしいじゃん」

「うぅ、あれは……」

 さすが、学校一番の情報通である。いずみと奈津美にしか話していないことを知っている。あの二人が恵子のいない場で恵子の話をするとも思えない。

「恵子、手が早いねぇ」

「違うってー。そんなんじゃないって」

「そうなのぉ? 優の早とちり?」

 恵子はコクコク、コクコクと赤べこのごとく首を縦に振った。

「もうぉ。乙女なんだね、恵子って」

 意表を突かれた本庄優の言葉に、恵子は赤面する。まさか本庄優に言われるとは思わなかった。

 本当のことを話したいが、本庄優に話したら、いずみの日本史の成績はなくなる。

「いいよぉー。協力したげる。兎我野の素性調査は優におまかせ」

 本庄優はピースサインを恵子に向けて突き出してきた。

 恋愛ネタ専門の本庄優に聞いたのだから仕方ないか。何かしら有力な情報を得ることができるかもしれないので、このまま本庄優に任せることにした。

「あ、それとさ、もうひとつあるんだけど」

「もうひとつ?」

「『美術室の幽霊』ってどんな話だっけ? 詳しく知りたいんだけど」

 情報通の本庄優なら何か知っているかもしれないと思い、ついでに聞いてみた。

「美術室の幽霊って、教師刺し殺して自分も自殺したって話ぃ?」

「そうそう、それ。どんな話だっけ?」

「あれはぁー。失恋の末の嫌がらせだって話でぇ――」

 本庄優は、自らの情報を恵子に伝えた。本庄優の語尾が伸びる独特のしゃべり方のせいか、それとも彼女のキャラクターのせいなのか、怖い話をしていても、ちっとも怖さが伝わらなかった。むしろ、最近起こった世間話のような軽い話題にしか聞こえない。

 ともあれ、本庄優の話した内容は、恵子がもともと知っていた内容とさほど変わりなかった。

 しかし情報通の本庄優だけあって、新しい情報もいくつか得た。

 一つ目としては、その事件が起こったのは、今から八年前の出来事だということ。二つ目は、女学生は「中川ゆり」と言う名前で、事件当時、高校三年生だったということ。そして三つ目は、事件当日、美術の授業では彫刻画を制作していたということだ。

「彫刻画?」

「そう。なんかぁー、成陵西高うちの創立何周年かの記念のために作ってた作品らしいよぉー。でも、どこに飾ってあるかは知らないー」

「そうなんだ。分かった。ありがとー」

「どぉしたの? そんなこと聞いて」

「ううん。あたし美術って苦手でさ。授業中、ぼんやりしてたら、そういえば美術室の幽霊話があったなぁって思い出しただけ」

「ふぅん。そっかぁ」

 本庄優は特に怪しんだ感じはなく返事をした。

 兎我野に口止めされているため、優には余計なことは伝えないようにした。情報通でしかも口が軽いので、どこに伝わるか分からない。

 本庄優は、身体をくねくねさせながら、いつものギャル系のグループに戻っていった。

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