成陵西高校の美術室 3


 朝の天気予報では午後は晴れると言っていたが、正午を過ぎても、雨は降り続いていた。恵子たちは早々に昼食を取ると、そのまま文化部棟の準備室へ向かった。

「やあ、三人ともよく来てくれましたね。どうぞ座ってください」

 三人は促されるままに、部屋中央に置かれた机の周りに座った。窓がなくただでさえ暗い室内なのに、必要最低限の――部屋中央部分の――蛍光灯しかついていない。

 室内はいくらか整理されており、恵子が持ってきた段ボール箱は既に開封され、隅にたたまれてあった。

「古道さん、課題の心霊スポットは決まりましたか」

 朝、「古道さんが聞いたことのある心霊スポットに行き、幽霊を成仏する」という課題を兎我野が出していた。

 心霊スポットについていくつか思い浮かんだが、ここに来る前にいずみと奈津美とも話をして、「学校の美術室にいる女の幽霊」の話をすることにした。

 この話は恵子が成陵西高校に入学する前から語り継がれてきた噂で、なんでも失恋した女学生が、美術の授業中に突然発狂し、彫刻刀を振り回したあげく、自らの喉に彫刻刀を突き刺し、その場で亡くなったという。

 一瞬にして美術室の床は真っ赤に染まり、同時に女学生の強烈な思念も染みついて、今でも夜になると、彼女の泣き声とも叫び声とも言えぬ声が聞こえてくる……と言う、ざっとこんな噂話である。

「ん。なかなか面白そうですね。聞いた限りでは、それほど難易度も高くなさそうです。では今日の放課後……」と途中まで話すと言葉を切り、天井を仰ぎ見た。

「……雨ですね」

「雨だと問題あるのか?」

 いずみが相変わらず、冷たい口調で兎我野に問いかける。

「大いにあります。大問題です」

「そういえば、この前も雨の日って……」

 この前は単純に外に出るのに雨の日を避けたとばかり思っていたが、今日の放課後は、美術室――つまり室内であるにもかかわらず雨が問題と言うのは、単純に雨に濡れるのを避けるためではなさそうだ。

「あれだろ? 雨が降っているとプロジェクターの映像がうまく映せないからだろ」

 いずみは皮肉いっぱいに笑った。

「プロジェクター? いえ、雨が降っていても、月が見えてさえいれば問題ないのですが」

 兎我野はプロジェクターという単語がなぜ出てきたのか、心底見当がつかないと言った顔をした。鎧武者にしても緑の物体にしても、兎我野がなんらかトリックを仕掛けたとは思えない。

 それは実際に兎我野の近くにいた恵子が一番よく分かっている。兎我野はあの時、恵子の後ろから、抱きつくようにしてカメラを一緒に持っていたのだ。誰か共犯者がいない限り、プロジェクター含めトリックを仕掛けることはできないだろう。

「お月様?」

「そう、月。……そうだ、古道さん、例のカメラはありますか?」

「あ、はい」

 恵子は念のためカメラをいれたリュックサックを持ってきていた。リュックサックからカメラを取り出す。

 前面にレンズが二個付いていて、レンズの周りには、ひょうたん型にくすんだ金色の金属が縁取られている。正面上部には、メーカー名らしき名前が記されている。アルファベットのRから始まっているが、恵子にはなんと読むのか分からない。黒の革張りのレトロな二眼レフカメラである。

 ずっしりと重みのある二眼レフカメラをテーブルの上に置いた。

「せっかくですので、そのカメラ、ショウキガンで幽霊が視える原理について話しておきましょう。片瀬さん、死後の世界ってあると思いますか?」

 まったく同じ質問をこの前、恵子にもしていた。

「いや。ないね。人は死んだら心肺活動が停止し、脳も活動しなくなる。それで終わり。それ以上もそれ以下もない」

 兎我野は「そう」と端的な返事をして、「では高岡さんは?」と奈津美にふった。

 聞いておきながら、素っ気ない回答をされたことにいずみは面白くなさそうな顔をした。

「わたしはあると思います。生きている時に善いことをしていると天国に行けて、悪いことばかりしている人は地獄に落ちると思います」

「なるほど。広く知られた一般的な考え方ですね。――では、古道さんはどう思いますか?」

「んと、あたしは……正直よく分かりません」

 ただ、この前訊かれた時よりも「ある」という思いの方が強くなっていた。

「三人ともそれぞれ違った考え方ですね」

「正解はというと、実は、死後の世界はあります」

 兎我野はあっさりと「正解」を述べた。

「天国があるんですか?」

「天国があるかどうかはまだ分かりません。僕が発見したのは、地獄にあたる世界の方です。仏教では餓鬼界とか薜荔多界へいれいたかいと呼ばれるところだと考えています。まぁ僕は単純に餓鬼界プレタ、と言っていますが」

「プレタ?」

「ええ。餓鬼界のサンスクリット読みです。古道さんには前に言ったと思いますが、僕はこの辺の民俗学について研究しています。人がどのようなものを信仰し、どのようなものに関心を抱き、どう生きてきたか。その研究の過程で、ある歴史的価値のあるものを見つけました。――まぁ、その話はまた今度するとしまして、その歴史的価値のあるものを使って改良したのが、そこにあるショウキガンなのです」

 兎我野の話はどこに向かって話しているのか、着地点が全く分からず、終始、地に足が着かない状態で話を聞く必要がある。

「この前、古道さんが見た緑の人物、あれは鍾馗神といって――」

「唐の玄宗皇帝」いずみが言った。

「ほう」兎我野が感心したようにつぶやく。

「さっき、恵子と調べた」

「では話が早いですね」

「その鍾馗神、――実際には鍾馗神の霊力が具現化した物体が、この世に留まっている幽霊を強制的に餓鬼界プレタ来世転送リブートさせます。輪廻って言葉は知っていますか?」

「あ、知ってますっ。来世のことですね」恵子は得意げに話す。

「まぁ、そうですね。生前の行いによって、来世の生まれ変わりが決まります。虫かもしれないし、動物かもしれない。もしかしたら来世もまた人間かもしれない。――で、人間界と同様に餓鬼界プレタが存在しているのです。餓鬼界は、鬼や餓鬼、それから醜い姿の怪物が住んでいる世界なのです。鍾馗神は幽霊を強制的に輪廻させることができます。それが、そのカメラ。鍾馗神の鍾馗に、二眼レフカメラの眼で、『鍾馗眼』と言っています」

 『ガン』は『眼』のことだったようだ。

「えっと、つまり死後の世界っていうのは、餓鬼界プレタで、このカメラは、幽霊を餓鬼界に送るってこと? ん? あれ、じゃあ幽霊は死後の世界にはいないの? あれ?」

「いえ、ちょっと違います。死後の世界とは、言ってみればこの人間界も死後の世界にあたります。つまり、この世には人間界のほかに、餓鬼界やほかにもいくつか世界があって、その中にはおそらく天界や地獄界も存在しているはずです。

 僕が見つけたのは餓鬼界プレタで、ほかにも世界が並行してあると思っています。仏教では六界と言い、下から地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界と六つの世界が定義されています。

 人が死ぬとそれらすべての世界のどこかで生まれ変わるのです。まぁ、この他にも、すべての世界をつなぐ中間的な存在が別にあるのですが。ややこしくなるので、この話は置いておきましょう。

 で、僕らの言う幽霊と言うのは、人間界に存在するものなのです。本来、人が死ぬとどこかの世界に行くべきなのですが、人間界に何らかの強い念があり、留まってしまうことがあります。それが地縛霊とかそういうものなのです」

「それを、鍾馗眼で来世転送リブートする、と」

「そういうことです。幽霊と言うのは過去に人間であった存在で、それが人間の形のまま、人間界に留まっていることは、おかしなことなのです。三途の川って聞いたことありますよね。そこで、次にどこに生まれ変わるか、判断させられ、新たな世界に生まれ変わるのです。でも強い念で人間界に留まっているために、三途の川があるところにいけない。だから強制的に餓鬼界プレタ来世転送リブートさせ生まれ変わらせる、ということです」

 日本史教師兼自称民俗学研究者が語るとオカルト染みた話も宗教勧誘のように聞こえてしかたない。オカルトにしても宗教にしても、どちらにせよ恵子にとって怪しい話には変わりないが。

「それで、その鍾馗眼による鍾馗神の召喚と、餓鬼界プレタへの来世転送リブートには月の光が必要なのです」

「なるほどーっ。だから雨が降っているとダメってことなんですね。それじゃ、月の光が入らないところもダメなんですか?」

 天然の奈津美が、珍しく物わかりがよい。普段からSF小説やらファンタジー小説を読んでいる奈津美には、どこか現実離れしたこの話が受け入れやすいのだろうか。

 対する恵子は、まだ疑問ばかりで、なにをどうしていいのか分からなかった。

「もちろん。鍾馗眼には三つの機能があります。一、幽霊を視る。二、幽霊の声を聞く。そして三番目が鍾馗神を召喚し、来世転送リブートする。このどれもが月の光を必要とします。月の光がないと何も機能しません」

「じゃあ、教室や美術室もダメってことですか?」恵子が尋ねる。

「僅かでも月明かりがあれば大丈夫です。この辺は周りが田んぼばかりで余計な光がないから問題ありません。逆に晴れた夜でも、街中の広告や飲み屋の明かりがたくさん輝いているところでは効果を発揮できません」

「なるほどー。わたしもおばけさん視てみたいなぁ」

 奈津美がわくわくしているようだが、恐らく奈津美の頭の中では可愛らしいおばけを想像しているのだろう。決してこの前見たような鎧武者を想像しているわけではない。

「今日の放課後、視られますよ。雨が止んで月が出ていたらですが。実際に幽霊を視れば、先程から疑いの目を向けている片瀬さんも信じると思いますよ」

「ふっ。そう願うよ。今のところ、ただの新興宗教の勧誘にしか聞こえないからな」片瀬は皮肉交じりの返事をした。

「さて、そろそろお昼休みもおしまいだ。さ、教室に戻りなさい」

 時計を見ると、授業開始五分前となっていた。次の授業は英語だったはずだ。

「では放課後。前に少し言いましたが、美術室にはキミたち三人だけで行ってください」

「えっ。先生は行かないんですか?」

「ええ。行きません。形の上では古道さんの反省ってことですから。片瀬さんの成績もありますし」

「うう……」

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