成陵西高校の美術室 2
「で。恵子は昨日、いったい何を見たの?」
前の席のいずみが恵子に向かって話しかけてきた。いずみは横向きに椅子に座り、すらっと長い足を組みながら、後ろの席の恵子と、斜め横の席の奈津美を見る。
昨日は遅い時間だったのであのまま解散したのだ。二人とは家に帰ってからもSNSでグループメッセージのやりとりはしたが、文章ではいまいち伝えられず、「明日話す」としたのだった。
「まさか本当に幽霊ってわけじゃないだろうね」
「幽霊、かどうかは分からないけど――」
恵子は昨日、カメラで見た出来事を改めて説明した。リュックサックの中には例のカメラが入っているが、さすがに教室で見せるのは良くないと思い、このタイミングでは出さなかった。
「緑のおばけさんはわたしも見たよ? ねえ、いずみちゃん」
「あぁ、確かに人の形をした緑の物体は見た」
「それが何かはあたしも分からない。でも、もしかしたらってのがあったんだ。一応、昨日帰ってスマホで調べてみたんだけど。兎我野の言う『ショウキガン』って言葉」
「で、なんだったの?」
恵子は首を振る。
「何も引っかからなかった。でもこれ見て」
恵子はスマートフォンを取りだし、インターネットの検索結果画面をいずみたちに見せた。そこにはなにやら難しい漢字が表示されている。
「カネ、キュウ? クビ? なんて読むの?」奈津美が尋ねる。
「『鍾馗』って書いてショウキって読むみたい」
「兎我野の言ってた『ショウキガン』と関係あるってことか?」
「うん、たぶん関係あると思う。これ見て」
恵子は検索結果画面からあるページに遷移した。そこには江戸時代末期の浮世絵師、歌川国芳が描いたという『鍾馗』の画像が映し出されていた。
閻魔大王のような大きな目とふくよかな頬、長い髭を生やし、睨み付けるような形相をしており、歴史の教科書で見たような中国の官人衣装に黒い冠、長靴を履いている。右手には長い剣を持ち、左手には、赤い子鬼のような者を掴んでいる。
画像の下には、鍾馗についての説明文が記されていて、いずみがそれを読み始めた。
「鍾馗とは、主に中国の民間伝承に伝わる道教の神。日本では、学業成就や――」
日本では、学業成就や厄除けとしての効があるとされ、現在でも関東では端午の節句に五月人形としたり、関西、主に近畿地方では鍾馗像を屋根の上に置く風習がある。
「五月人形って、あの?」
「こどもの日のやつだよね。あまり見ないけど」
いずみはさらに読み進める。
鍾馗はもともと中国の唐の時代に実在した人物だとする説が広く伝わっている。
ある時、唐の六代皇帝である玄宗が病に伏してしまった。その時、玄宗皇帝は高熱の中、ある夢を見たという。宮廷内で一匹の小鬼が悪事を働いていたところ、どこからともなく大鬼が現れて、小鬼を掴んで退治したのだ。夢の中で玄宗皇帝は大鬼に「お前は何者だ」と尋ねたところ、「私は科挙になるために試験を受けたが、落第してしまい、そのことを恥じて自殺した鍾馗というもの」だと言った。そして玄宗皇帝は鍾馗が自殺した際に、手厚く葬ってくれたのだという。鍾馗は「その恩に報いるためやってきた」と。
その後、夢から覚めた玄宗皇帝はすっかり熱がひいて治っていたといい、すぐに著名な画家に鍾馗の絵姿を描かせたと言う。
この伝説がやがて一般に広く伝わり、厄除けとして鍾馗図を家に飾る風習が生まれたのだ。
「その挿絵の人、昨日見た緑の物体に似てると思うんだよね」
恵子が挿絵を指して、「ほら、この長靴みたいなの履いた足とか」と言う。
「うちらは、離れたところで見てたから、あまり細かいディテールまでは分からないけど、確かにこの横にでかい感じは似てるかもな」
「でしょ、でしょ」恵子は自分の手柄に満足したようすだ。
「じゃあ、兎我野の言う『ショウキガン』ってのはこの鍾馗のことなのか?」
「うん、それっぽいと思うんだけど……」
「『ショウキ』がこれだとしても、『ガン』はなんだ?」
三人とも思考を巡らせた。
「あ。銃じゃない? 拳銃のガン、鍾馗ガン!」奈津美は指でピストルのまねをする。
「確かに、レンズから緑の光が出てきたとき、銃みたいだったよ」
「え、じゃあ、あの緑の光はおばけさんじゃなくて、鍾馗さん?」
奈津美が首をかしげる。
「うーん。鍾馗がおばけってことじゃない?」
「はぁ。あんたら、おばけおばけって、おばけなわけないじゃん」 いずみは大きくため息をついた。
「えーでもでも、この目でちゃんと見たもん」
「霊感がない恵子の肉眼で見えるなら、なおさら幽霊じゃないと思うんだけど?」
そう言われるとその通りで、何も言い返せなくなる。
「むぅー。いずみのいじわる!」
恵子は思いっきりふくれっ面になった。
「きっと、兎我野やつがプロジェクションマッピングでもしてるんでしょ。そんな感じの透明さだったし」
「あー……そっか。プロジェクター使うから、夜じゃなきゃダメだったんだね」奈津美もぽんっと手を叩いて納得した。
「でも……」
恵子だけが納得いかずに何か言いたげであったが、次の授業の教師が教室に入ってきて話は中断された。
たとえ緑の物体がプロジェクターから映し出されたものだとしても、恵子はもうひとつ視ているのだ。カメラのファインダー越しでしか視ることの出来ない鎧武者を。あれは間違いなくこの世のものではなかった。幽霊という単語がぴたっとはまる、そんな物体だった。
「まぁいいじゃん。兎我野に聞いてみれば」
納得していないのを察したのか、いずみがそう言って、身体を正面にむき直した。
「うん……」
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