成東線の踏切 10


「あそこ、人が倒れてる!」

 恵子はファインダーから目を離し、直接確認した。しかし、そこにはただ線路があるのみだった。

「どうかしましたか?」

「あそこに人がいた気がしたんだけど……」

 兎我野は人差し指でカメラを見てごらんと、ジェスチャーを送ってきた。

 恵子が再びファインダーを覗くと、そこには複数の鎧武者姿の人物が線路に倒れていた。五、六人はいるだろうか。五、六人の鎧武者が、まるで合戦で敗れたかのように折り重なるように倒れていた。

 カンカンカンと警報をならしながら遮断機が降り始める。

 もう一度、直接確認するが、そこにはなにも見えない。しかし、このカメラのファインダー越しにみると、確かにそこに“視える”のだ。

 一人の鎧武者がむくりと起きだすと、それに合わせてほかの鎧武者も起き上がってくる。「オォウオォウ」と低い声の呻き声が恵子の手元のスピーカーから聞こえてくる。どの鎧武者も恵子に背を向けており、降りてくる遮断機の方をじっと見ている。鎧武者たちはそれぞれ、のそり、のそり、と遮断機へ近づいていく。一人の鎧武者が立ち止まり、降りてくる遮断機を凝視すると、急に素早い速度で腰に添えた日本刀を抜き振りかざした。日本刀は宙を斬った。

 遮断機が降りきった。

カン、カン、カンと警告が鳴り響く。

 手元のスピーカーからは鎧武者の「グギャア」とも「グォウウ」ともつかない苦痛に満ちた呻き声がひっきりなしに聞こえてくる。カメラに映っている鎧武者の姿は恵子の位置からだいぶ遠いのだが、音だけが近く妙にリアルだ。

 一人の鎧武者がギリギリギリと頭だけを恵子の方に動かした。遅れて身体も振り向き始め、ゆっくりと正面を向く。目は空虚で闇が広がっていた。しかし、確実に恵子を捉えて逃さない。

「きゃっ!」思わず叫んだ。

と、同時に、ガタンガタンと大きな音を立てて電車が通過した。車内の明かりで周囲が規則をなして明るくなる。


「なに? なんて言ったの? 聞こえた?」

「ううん、聞こえなかった」

 いずみたちは電車の通過音に邪魔されて、恵子の叫び声が聞こえなかった。

「どうなってるの? ここじゃ全然ダメだ。いくよ」

 いずみは奈津美を連れて、恵子が見える位置まで移動することにした。先ほどより日が落ちたので、多少近づいても見つからないだろう。月が煌々と輝いている。


 六両編成の成陵駅行きの電車が通り終えた。ふっ、と踏切の警告音も鳴り止み、遮断機が上がり始める。辺りは再び静寂に包まれ、闇に染まり始めた。

 しかし、手元のスピーカーからは依然、ノイズ混じりの呻き声が聞こえる。ファインダーの像にもまだ鎧武者が映っており、こちらに向かってきている。

「古道さん、今、視えているのが幽霊です」兎我野は驚いた様子もなく落ち着いた口調で話す。

「ゆ、ゆうれい……」カメラのファインダーから目を離して、鎧武者のいる辺りを直接目で見ても、そこには何も視えない。

 鎧武者がじわりじわり恵子に近づいてくる。鎧武者が歩くごとに、手元のスピーカーからガシャン、ガシャンと鎧同士の当たる音が聞こえた。

 さらに高い金属音の日本刀を引きずっているような音、深く重い鎧武者の吐息も重ねて聞こえる。

 動じないように気を張っていたが、足の震えが止まらなくなり、ついにはその場にぺたんと座り込んでしまった。

 ファインダーから目を背け、力なくカメラをその場に置いた。

 しかし、鎧武者の接近音のみがスピーカーから聞こえてくる。

 ラジオの電源を消したい。

「ほら、古道さん、構えてください」

 兎我野が座り込んだ恵子の後ろから、カメラを持たせる。

「こうして、狙いを定めて……シャッターを切る」

 兎我野がカメラ正面についているシャッターボタンを押した瞬間、カメラから緑色の閃光が辺りを照らした。

 フラッシュかと思ったが、そうではなかった。閃光は一瞬の光ではなく、今もまだ光っている。第一、このカメラにはストロボらしき物は付いていない。

 光はカメラに付いている下側のレンズから発しているようで、霧や煙のような動きをしながら緑の光がレンズから徐々に出てきている。

 その光はファインダー越しでなくても、直接見えた。

 

「なに? なんなのあれ?」

「おばけさん?」

 いずみたちは踏切近くの茂みに移動していた。先ほどまでは恵子らの背後にいたが、斜め前まで移動することができ、恵子と兎我野の表情が分かる位置まで来ていた。

「いずみちゃん、助けに行った方がいいかな?」

「待って。まだ」いずみは奈津美が動こうとするのを手で制した。

「あの光はなんなの?」

 光は次第に形をなしてきた。人のような形になってきている。高さはゆうに二メートルはあろう大きさである。


 緑の光は人の形をしているが、はっきりとした実態はなく、細かいディテールは分からない。ぼんやりと見える姿は、「着物のような物を着ている大男」といった感じだ。「男」と分かるのは肩幅の広さからそう思った。残念ながら容姿や表情といったものはまるで分からない。

 恵子は見上げるように大男を見た。

 それはモヤモヤと動きよろめいたかと思うと、大きな足を、ドスンと一歩前に出した。

 手元のスピーカーから「ヌオゥウウウ」と叫び声が聞こえ、鎧武者たちが日本刀を振りかざし、座り込んでいる恵子に向かって駆けてくる。

 しかしその瞬間、緑の大男が鎧武者の一人を、左手で軽々しくつまみ上げたかと思うと、迷いなく握りつぶしてしまった。

 鎧武者は一瞬で塵のように粉々に散らばった。その塵は暗く――周囲が暗いにもかかわらず、それよりも数段暗い――、無限に広がる闇のような黒さを持っていた。無数の塵はちらほらと地面に落ちていったが、地面近くで急に速度を変え、恵子の持っているカメラのレンズの中に吸い込まれていった。

 途端、カメラに大きな抵抗があり、カメラを持つ手に力がこもる。後ろにいる兎我野もカメラとカメラを持つ恵子の体勢が崩れないように支える。

 大男は次々と鎧武者を軽々しく掴み上げると、いとも簡単に握りつぶした。

 スピーカーからはその都度、言葉にできないような苦痛に満ちた嗚咽が響き渡った。

 次々と漆黒の灰と化した鎧武者はレンズの中に吸い込まれていった。

 すべての鎧武者がレンズに吸い込まれると、大男もまた、粒子の細かい緑色の霧になりレンズの中へ戻っていた。

 スピーカーからはチューニングの合ってないノイズ音だけが、途切れなく流れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る