成東線の踏切 5

「ようこそ、兎我野研究室へ。……と言っても僕も今日初めて入りますけどね」

 廊下の明かりが室内を薄暗く照らす。

 兎我野が室内の照明をつけた。室内に入ると、ほこりっぽくカビ臭い空気が鼻に入ってきた。室内には天井までの高さの本棚がいくつも並んでいて、そのせいで、光がうまく拡散できずに、部屋全体が薄暗かった。

 図書館の書庫のような無機質な鉄製の書棚は、ところどころひっかき傷や腐食で茶色く変色している。

 書棚の間を通り、部屋の中央に移動する。ちょうど台車ひとつが通れるスペースだ。

 部屋の中央には長方形の小さな白いテーブルが設置してあり、その上には古いデスクトップパソコンと、これまた古い旧式のプリンタが置かれていた。そのほかに何かの資料が積まれている。

 兎我野は、それらの資料を興味なさげにまとめて床へ移動し、持ってきた段ボールのひとつをテーブルにおいた。

「さて」

 しん、と静まりかえった準備室で、じっと見つめられる。遠くで吹奏楽の練習している音が聞こえる。

 え、なに。やだ、そういう展開? 

 恵子は自然と身構えた。

「ここから先は、本当に秘密にしてください」

 心臓がびくんっと反応する。やだ、襲われるの?

 兎我野は、一歩恵子にじりりと詰め寄った。

「ちょっ」恵子も反射的に一歩下がった。

 兎我野は下ろしていた両手をあげ、恵子の方に迫った――と、思っただけで、向きを変え段ボール箱を開けた。

 なんだ、びっくりした。こわばった肩を落とし、内心ほっとした。

 兎我野は中からなにやら古そうな機械を取り出した。縦に長いその物体は、全体を黒い革で被われており、正面には円柱の出っ張りが二つあり、その上に丸いガラスがやはり縦に二つ並んである。本体上部には英語でなにか文字が書かれている。ガラスの周りには金色の金属で縁取られ、その外側には、数値が羅列されている。さらにその外側にはひょうたん型に縁取られている。

「これは二眼レフカメラっていうカメラです。古道さんにはこれを使って、研究に協力して頂きます」

「え、あたしカメラなんて使えないですよ」

 見たこともない形のカメラの正面と側面にはいくつかダイヤルらしきものがついている。とても難しくて操作できそうにない。

「大丈夫です。カメラの格好をしていますが、カメラとは少し違いますから」

 兎我野はカメラの上部のふたを開け、中をのぞき込みながら、部屋を見回している。

「これは、僕が二眼レフカメラを改造して作った『ショウキガン』というものです。これで幽霊を視ることができます」

「えっと、ショウ……?」

 なにやらまた話が分からなくなってきたが、たぶんこれは現実離れしている気がする。

「え、幽霊、ですか?」危うく聞き流しそうだった。

「そうです。ゆ、う、れ、い」

 兎我野が一文字ずつはっきりと言い直し、両手でおばけのジェスチャーをした。聞き間違いではなかったようだ。

「まぁ、いきなりそんなこと言われても信じられないでしょうし、むしろ僕への不信感を抱いていると思いますから、ここは物は試しってことで、この『ショウキガン』で実際に幽霊を視てみましょうか」

 恵子は目をぱちくりぱちくりと瞬きを繰り返す。

 夢、これは夢なの? 現実じゃないの? 

 恵子は兎我野に見えないようにそっとお尻付近の太ももをつねった。

 痛い痛い痛い。夢だと思って強くつねりすぎた。

「いや、でも――、今日は雨ですし、明日にしましょう。明日の放課後にまたここに来てください。今日は朝からありがとうございました。僕はちょっとこの段ボール類を整理するので」

 兎我野は恵子に向かって、にこりと笑うと、それっきり会話は完結したようで、持っていた二眼レフカメラをテーブルの上に置き、段ボール箱から資料の束を黙々と出し始めた。

「あ、あの」

 恵子は兎我野の背中に向かって話しかけたが、兎我野は背中越しに「聞きたいこともあると思いますが、詳しいことは明日話します」とだけ言った。

「はぁ」

 聞きたいことは確かにいろいろあったが、頭が混乱していて、それどころではない。恵子自身も少しひとりになりたかったので、このまま準備室を出ることにした。

 扉を開ける際に兎我野が「あ、繰り返しますが、このことは誰にも言わないように」と付け加えた。

 地上に上がると、吹奏楽部の練習する軽快な音楽がはっきりと聞こえてきた。

 恵子は、その音楽を聞きながらしばらく狐につままれたように、口をぽかんと開けたまま、たたずんでいた。

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