第9話 トラウマの正体

 道春と理恵は街灯が等間隔で並ぶ夜の道を歩いていた。満月の月明かりが照らすその道は道春と理恵以外に人気はなく、話をするには好都合だった。


 「それで、落としどころは見つかったのか?」


 理恵が期待したような顔で道春に聞いて来る。まだ落としどころを見つけていない道春にとっては理恵の視線はとても痛かったが、あくまで予定通りという口調で返す。


 「いや。まだ見つけてないな」

 「そうか」


 そう言った理恵の口調はなぜか残念そうなもので、いかにも最後に「頑張ってくれ、期待してるのだぞ」と付きそうなものだった。


 「何でそんなに残念そうなんだ? 理恵にしてみればこの契約は果たしても果たされなくてもいいんだろ?」

 「……理恵?」


 道春は言った瞬間にしまったと後悔した。夕方に理恵の妹の香織とファミレスで話していた時、理恵を下の名前で呼んでいたのがまだ直っていなかったのだ。名字で呼ぶと香織とかぶっているからなどと正直に言うと、香織に会ったことを理恵に悟られてしまう。香織に会ったことを秘密にしておきたい道春は内心焦る。


 (正直に言えない以上、下の名前で呼んだ理由を考えないとな)


 そんなことを考え初めた道春だったが、理恵の反応は予想外のものだった。


 「理恵か。ははっ、いいな。これからもそう呼んでくれ」


 理恵の言葉にとっさに反応できなかった道春は、ほとんど反射的に「分かった」と答えてしまった。道春としては呼び方なんてどうでもよかったから別に構わないのだが。


 「私も君のことは道春と呼ぶことにしよう」


 理恵は上機嫌でそう言う。なぜ理恵がこんなに上機嫌か予想もつかない道春は理恵の言葉に翻弄されるだけだった。

 道春と理恵が歩く道はT字路に差し掛かる。特に歩く道が決まってなかった2人は特に相談もせずになんとなく右の道を進んだ。この道は多少右にカーブしており、もう少し進むと道春が夕方香織と話したファミレスへと続き、さらに進むと理恵の家がある道だ。


 「そう言えば私には1人妹がいてな」


 理恵はしゃべり方に意地悪な雰囲気を匂わせながら道春にそう話しかけた。


 「へえ、妹がいるのか。何歳なんだ?」


 道春はすでに香織と話しており、理恵の妹が中学1年生であることを知っているが、理恵に対して道春はあくまで妹の存在を知らない体で話す。


 「誕生日が5月だからもうすぐ14歳になるが、今は13歳で中学1年生だな。」

 「で、その妹がどうしたんだ?」


 理恵がわざわざ話に出したということは、何か理由があるのだろう。若干の嫌な予感を感じつつ道春は理恵に話の続きを促す。


 「今日はいつもと違って少し遅い時間に帰ってきたんだ。なんで遅くなったか理由を聞いてみると、友達と遊んでいたらしく、ファミレスで話していたと言った」

 「うん、それで?」


 1回言葉を切り、こちらをちらりと見る理恵に嫌な予感が加速していくのを感じ、冷や汗を垂らしながらも道春は理恵に相槌を打つ。


 「妹はそのおどおどした性格のせいか、友達があまりいないんだ。私は妹に友達が出来たことが嬉しくて、その友達について聞いたんだ」


 またも理恵はこちらを見て言葉を切る。まるで自白するタイミングを道春に与えているかのような理恵の態度に、道春の嫌な予感はほぼ確信に変わった。


 (おかしいな。仮にも「スコシノキセキ」が働いているのに。もしかして理恵は香織に無理やり話させたのか?)


 「スコシノキセキ」はその名の通り少ししか効果がないので、人の意識をそらすことは出来ても本気の追及は避けられないのだ。万能型の魔法ゆえの脆弱さと行った所か。


 「しかし、友達についてはあまり話したくないようでなかなか口を割らない。聞き出せたのはこの道を行った先にあるファミレスでしばらくおしゃべりしたことだけだった」

 「そうなのか」


 道春は適当に相槌を打ちつつ、「スコシノキセキ」が効果を発揮していたようで香織から理恵に話が行かなかったことに安心する。香織の話を聞く限り、理恵は香織のことを本当に大切にしているようだ。無理に追及などはしなかったのだろう。


 「だから私はそのファミレスでバイトしている友人に話を聞いた」

 「いやまて、何で聞いた?」


 思わず道春はそうつっこむ。あまり友達のいない妹が友達と遊んだからと言って、ファミレスのバイトの人にまで聞いて情報を集めようとするのはおかしい。


 「もしかしたら悪い人にたぶらかされているのかもしれないじゃないか」


 このシスコンめと道春は心の中で毒づく。この話の流れだと、恐らく理恵が話を聞いたバイトの子が道春か弓香の外見的特徴を覚えていて、それを理恵に伝えたのだろうと道春は予想した。


 「その子は左手に青いリストバンドを付けた女と男の2人組が妹と一緒にいたと言っていた。心当たりはあるか?」


 道春の予想は当たっていたようで、理恵は意地悪く口元を吊り上げて道春に聞く。弓香について調べるなかにトレードマークの青いリストバンドについて情報を得たのだろう。ここまで知られているんだったら、もう道春は観念して白状するしかない。


 「……それは俺と弓香だ」

 「ほー、そうだったのか。ではなぜお前らは私の妹に近づくことにしたんだ?」

 (まずいな)


 道春は考える。弓香から理恵の悲劇を探るように依頼されたときも考えたことだが、悲劇を暴こうとすることは、その魔法使いに対しての宣戦布告になってしまう。ただでさえ道春は、弓香と理恵の関係に落としどころを見つけて、2人を敵対させないと契約しているのだ。理恵に不利になるような行動をとっていた事がばれるのは今の道春にとって致命的だった。


 (ごまかすか? 正直に言うか?)


 その2択に悩んだ道春が出した結論は正直に話すことだった。


 「理恵の過去を知ろうと思ったんだ」


 なぜ、道春が正直に言ったかと言うと、ごまかす材料が思い浮かばなかったのもそうだが、一番の理由は今日の理恵の上機嫌を考えると、正直に言っても問題ないように考えたからだ。もし、道春が悲劇を知ろうとしていることが不快ならば、会った時から理恵はもっと機嫌が悪かったはずだ。


 「私の悲劇を知ろうと思ったのか? それはいただけないな」


 理恵はあくまで上機嫌を崩さない。ここまでくると道春にとって理恵のその姿は異様に映った。理恵の様子がおかしいと確信した道春は思わず質問する。


 「理恵は何でそんなに機嫌がいいんだ?」

 「今日いいことがあったんだ」

 「……いいことって何だよ?」


 道春がそう口にした瞬間に、鈍色の空が地上に雨を降らせる。傘もいらないような霧雨だったが、道春は体が濡れることがあまり好きではないため、うっとうしげに空を見上げる。対して理恵はしとしと降る雨をいとおしそうに手に集ると、ほほ笑みながら空を見上げる。道春には、理恵のそのほほ笑んだ表情が、少し寂しそうに見えた。


 「父さんが死んだんだ」

 「えっ」


 理恵の言葉に道春は聞き返すことしかできなかった。雨のせいで理恵が口にした言葉が歪んで道春のもとに届いたのかと道春は一瞬本気でそう思ってしまった。


 「交通事故で死んだそうだ。家の近くの交差点で、赤信号を無視して飛び出してきた車にひかれたらしい。打ち所が悪かったのか、20分ほどは意識があったらしいが、救急車に運ばれている途中についに息を引き取ったそうだ」

 「……交通事故」


 その単語を聞いた道春はぞっとするような予感がした。気付いてはいけないものがあると道春の脳が警鐘を鳴らしている。そっとしておけ、深く考えるな。について深く考えるな、と。


 「今日の夕方ごろに起こった事件だ。ひき逃げだったようで、犯人はまだ見つかっていない」


 理恵が嬉しそうに言葉を続ける。その様子に道春の背筋に寒いものが走った。


 ――実の父親が死んで喜んでいるなんて。それを嬉しそうに語るだなんて。もう、理恵はどうしようもなく狂っているようではないか。


「ああ、安心してくれ。別に私が魔法を使って殺したわけじゃない」


 道春が何もしゃべらないのを見て、変に誤解したのだろう。理恵は道春にそう弁明してくる。だが、それくらいは道春にも分かっている。理恵の様子を見る限り、悲劇の原因には父親がいたのだろうことはもう間違いない。しかも、理恵の喜びようから察するに、理恵の父親は理恵の悲劇にかなり深くかかわっているのだろう。

 もし、理恵が魔法を手にした後、父親を殺そうと思えばいくらでもチャンスがあったはずだ。1度交わした約束を絶対に遵守させる理恵の「ケイヤクノジュンシュ」はそれほどの力を持っているのだから。それなのに父親を生かしておいたということは、少なくとも理恵には自分の父親を積極的に殺そうという意思がなかったということだ。


 (それにしても交通事故か……)


 道春は自らの脳から出る警告を無視して考える。道春は考えるのを止めることは人間からただの猿になることだと考えて思考停止を忌み嫌っており、基本的に思考を止めないように注意しながら生きていた。そのせいで、道春はある可能性に気付いてしまった。


 (まてよ)


 道春はある場面を思い出す。それは弓香と一緒に、理恵の家の前にある電信柱に体を隠していた時のことだ。



 「何か策でもあるのか?」


 何か事件が起こるまで待機すると言った弓香に、道春はそう質問したはずだ。そうしたら弓香が、


 「こうするのよ」


 と言って、ためらいなく「スコシノキセキ」を発動させ、その効果で理恵の妹の香織が2人に話しかけてきて……。



 「あっ!」


 道春は思わず声を上げる。弓香が魔法を使ったのは青く光った右腕から明らかだ。しかし道春の目から見て、確かではないことが1つある。

 それは弓香の魔法の効果で、理恵の妹の香織が2人に話しかけてきたということだ。

 今思うとそうだ。もしかしたら香織が話しかけてきたのは、弓香の魔法の力ではなく、家の前に不審者がいたからという理由だけかもしれない。

 そう。もしかしたら、弓香が何か事件を起こそうと思って使った「スコシノキセキ」は理恵の父親の死を招いたのかもしれない。


 「理恵の父親が死んだ交通事故が起こったのは、弓香の魔法のせいかもしれない……」


 道春は呆然となってつぶやく。それはつぶやきと言うより、考えていたことが口から出てしまったようなもので、道春が出したのは相当に小さな声だった。普通は雨の音にかき消されてしまっただろう。しかし、理恵は耳ざとく聞いていたようで、嬉しそうな様子を崩さないまま道春に話しかけてきた。


 「これをやってくれたのは竹内だったのか? それはいつかお礼を言わないとな」

 「止めろ。……ただの予想だ」


 道春は口から言葉を絞り出す。弓香にこの事実をつたえるのはやめておいた方がいいだろう。たとえ直接的に自分のせいでなくても、人の死に関与した可能性があると知れば弓香は塞ぎ込んでしまう。それは避けたかった。それに予想とは言ったものの、道春は自分の予想が真実である可能性は意外に高いとにらんでいる。


 「犯人がまだ捕まってないのが引っかかるんだよな」


 夕方ごろ、人通りも少なからずあっただろう。固定カメラもあったかもしれない。そんな中ひき逃げをしたのだ。犯人の手掛かりすらつかめていないのはおかしい。

 道春がそんなことを考えている間に、雨はだんだんとその勢いを強めていた。もう道春と理恵は全身が濡れており、道春に至っては靴の中までびしょびしょになっている。


 「このままじゃ風邪をひくから、軒下に入らないか?」


 雨にぬれても全く気にした様子のない理恵に言う。今さら軒下に入った所で、ここまで濡れていればもうあまり変わらないと思うが、雨に打たれ続けるよりはましだろう。そう考えた道春は理恵にそう提案した。


 「ああ、いいぞ」


 意外にも素直に頷いた理恵は道春の前を歩いて、営業時間が終わってシャッターを閉めていた店の軒下に入る。


 「ふう」


 理恵に続いて道春が入る。雨に打たれなくなりようやく一息と行った所か、道春は大きく深呼吸をした。


 「ははっ。濡れてしまったな」


 その声に道春が理恵の方を向くと、理恵の服が濡れて体にピタリと張り付いてるのが目に映った。出るところは出て、しまるところはしまっている理恵の体が濡れた服によってさらに強調されている姿に道春は目が釘付けになってしまう。理恵のあごをつたう水滴が妙になまめかしい。


 「何を見ているんだ?」


 道春の視線に気付いたのだろう。理恵が少し恥ずかしそうに言ってくる。


 「わ、わるい」


 多少どもりながら、道春は謝罪の言葉を口にする。体を凝視していたことがばれてしまった気まずさに2人の会話が止まり、先ほどより少し弱くなった雨の、さあさあという音だけがかすかに聞こえる。その時だった。


 ――ポチョン


 軒の角から1滴の水が落ちる音が聞こえた。その音は2人の間が静かだったため、余計に大きく道春たちの耳に響く。道春がその音を耳に入れた瞬間、


 「ああああああああああー!!」


 道春の隣に立っていた理恵が、急にうずくまって悲痛な叫び声を上げ始めた。


 「どうした? 大丈夫か?」


 理恵の急な変貌に慌てた道春は、片膝をつくと理恵の肩を抱いてそう聞いた。先程まではいびつとはいえ、上機嫌に話していたのだ。それが急に叫び声を上げ始めて、道春が心配にならないわけがなかった。


 「父親が死んだから大丈夫だと思ったのに。もう克服したはずなのに。なんでこうなるんだ!」


 理恵はうずくまったまま意味不明なことを言い始めた。その様子を見て道春は思う。


 (これは……トラウマか?)


 弓香が言っていた悲劇の代償、トラウマ。魔法使いはその条件から必ずトラウマを持っているようだが、これが理恵のトラウマなのだろうか?


 (水が1滴落ちる音か。そういえば香織も雨の日は理恵が家から出ようとしないと言っていたな)


 夕方に香織とした会話を思い出す道春。香織は雑談の中で確かにそう言っていたはずだ。


 「う、誰か……誰か助けてくれ……」


 理恵がいつもの強気な雰囲気を壊し、すがるように空に手を伸ばす。道春はその手を取ると、理恵を安心させようと口を開く。


 「安心しろ。俺が何とかしてやる。だから安心しろ」

 「うるさい!! 私の痛みなんて理解できないくせに何を言っているんだ!!」


 トラウマが発現たことによって父親が死んで不安定になっていた心が、より不安定になっているようだった。普段の落ち着いた様子はどこへやら、理恵は道春に対して当たり散らす。

 そんな理恵の言葉が道春の心に刺さる。本気でそうは思っていないだろうが、理恵の言葉は道春の心に傷をつけてしまったのだ。そう、人は他人の痛みなど、しょせんは他人ごとなのだ。他人の気持ちを真に理解できない以上、それは揺らがないし揺らげない。例えどんなに心配したからといって、それは安全な場所からの傍観に過ぎないのだから。

 理恵を見て道春は、理恵の痛みを、過去を理解したいと思った。


 (理恵の痛みを知った所で状況が改善されるわけでもない。理恵のトラウマが消えるわけでもない)


 でも、


 (知りたい。理恵の痛みを『理解』したい)


 そして道春は発動させる。ハクから譲り受けた能力を、道春が唯一使える超能力を。


 「『人を理解する能力』。俺は理恵の痛みを理解したい」


 そう言うと、道春の中に理恵の過去が流れ込んできた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る