第8話 魔女の妹
「私の名前は梅宮香織。梅宮家のれっきとした次女です」
目の前の少女がそう言う。彼女の名乗りを信じるのならば、梅宮の妹ということか。なるほど、性格は正反対だが容姿は姉によく似ている。香織の着ている制服から判断するに、香織が近所の中学の1年生のようだが、おどおどした態度はともかく、容姿は案外と大人びて見える。
(お前の魔法で梅宮の妹が出てきちゃったけど、どうするんだよ?)
道春が弓香に目くばせでそう聞くと、弓香が同じく目くばせで「当然聞きこむに決まってるじゃない」と返してきた。家の前でこそこそしているいかにも不審者な状態から、一体どうやって香織の信頼を獲得するというのだろうか。
道春はもう顔を覚えられる前に逃げた方がいいのではとかすかに身構えるが、弓香は道春とは逆に香織に愛想よく話しかけた。
「あなたが理恵の妹さん? 時々理恵との話に出てきてたけど、思ったよりかわいいのね」
「あ、あなたは誰なんですか?」
性格が臆病なのだろう、香織は遠慮がちに聞いてくる。いや、しゃべり方がおどおどしているだけで、質問自体はしっかりとしているから、性格が臆病と言うわけでもないのかもしれないが。
その質問を受けて、弓香は顔面にとびっきりの笑顔を貼り付けながら香織に答える。
「私はあなたのお姉さん――梅宮理恵の親友よ」
よくもまあそんな白々しいことが言えるものだ。道春は香織に見えないようにあきれ顔をしながらそう思った。「理恵」と下の名前を呼んでいたのもいやらしい。
「実は私たちは理恵を心配してここまで来たのよ」
弓香が香織を説得し始める。
「最近学校であまり元気がないみたいで……。家庭の事情かなって思ったんだけど、どんどん調子が悪くなっているようだったからね。心配してここまで来ちゃったのよ」
「お姉ちゃんがそんなに元気なくなってたの?」
姉である理恵の調子が悪くなったと聞いて、香織は不安そうな顔をする。
「うん。……そうだ! あっちのファミレスで少し話を聞かせてくれない?」
うまい、と道春は思った。人は前提条件を嘘だと考えることは、基本的に出来ない生き物だ。それを利用して、初めに弓香が理恵の親友だと偽った。1度信じたら、もう香織が疑うことはないだろう。そして次に弓香は香織の不安を煽る。香織は姉のことを心配すれば心配するだけ、弓香の話術にとらわれていくだろう。
「……分かった」
はじめは少し怖気づいた顔をしていたが、姉のためと考えて道春たちに付いて来る決意をする。香織はまだ中学1年生だ。初対面の高校生に付いて来るのは足がすくむだろうに。
少し緊張しながらも弓香の質問に答える香織を横目で見つつ、道春はそう思っていた。
「そうなんですよ。お姉ちゃん、部屋の色を統一したくないようで、いくら言っても部屋を無駄にカラフルにしちゃうんです」
ファミレスに入って30分ほど、道春たちと話していて緊張も解けたのだろう。香織は少しずつ饒舌になっていった。これも弓香の作戦だ。警察の聞き込みと同じように、緊張している人からはうまく情報を引き出せない。だからこうして雑談をして香織の緊張をほぐそうとしているのだ。
「へえ、理恵は結構、完璧人間みたいなところがあるのに、部屋の色とかバラバラにしちゃうんだ。白とかで統一してそうなイメージがあったけど」
弓香が当たり障りのないような相槌を打つ。下手なことを言って、話が矛盾したら困るからだ。姉が褒められて誇らしいのだろう、香織はかすかに頬を赤くしながら言う。
「完璧だなんてそんな……。ああ見えても案外出不精で、雨の日は全然外に出ようとしませんしね」
言いつつドリンクバーからとってきたオレンジジュースを飲む。ドリンクバーを頼んだ時、1種類のジュースだけしか飲まないのをもったいないと感じるのは道春だけだろうか。香織は来てからずっとオレンジジュースばかり飲んでいる。
「そういえば、理恵は今日早めに弓道部を出たんだけど、心当たりはあるか?」
道春がタイミングを見計らって気になっていたことを聞く。道春が梅宮を下の名前で呼ぶのはただ単に香織と被っているからで、特に他意はない。
「うちはお母さんがいませんから、お姉ちゃんが家族3人の分のご飯をいつも作ってくれてるんです」
家族3人とは父親、理恵、香織の3人だろう。それにしても理恵が毎日料理をしているとは思わなかった。理恵の持つ意外な女子力のせいで、道春は香織の言葉の重要な部分を聞き飛ばしていた。
「理恵の家にはお母さんがいないの? それは聞いた事なかったわ」
弓香が意外そうに言う。それを聞いて、道春はようやくそれに反応する。
(母親がいない事と悲劇に何かしらつながりがある可能性は高いな)
「お母さんはいつからいないんだ?」
結論を焦るばかりに、道春はぶしつけなことを香織にストレートに聞いてしまう。もしかしたらここで香織が言葉を閉ざしてしまう可能性があったが、ファミレスに入ってからの雑談がいい具合に作用したのだろう。香織は道春の質問に素直に答えた。
「私が生まれてすぐのことです。交差点で赤信号を無視してきた車に引かれちゃったみたいですね」
香織が中学1年生、理恵が高校1年生なので年の差は3歳。香織が生まれたばかりだとすると、理恵は4歳の頃か。
道春は計算する。4歳の頃に起こった交通事故がトラウマになるか?
「理恵はその事をどう思っているんだ?」
「何しろ物心つく前のことだったので、こういうと変ですが、あまりお姉ちゃんが心に傷を負っているようには見えないですね」
(じゃあ、母親の事故と悲劇とは直結しなさそうだな)
道春がそう考えているうちに、香織が「ただ」と控えめに言葉を続ける。
「ただ、お父さんはその事故からちょっと変わったそうです」
「伝聞口調だけど、誰が言ってたのかな?」
「お姉ちゃんが言ってました。私も昔に比べてお父さんが優しくなったような気がしてます」
父親が変わった、ね。それをわざわざ妹に言うとは、よほど変わったんだろうな。
道春がそう考えていると、香織は時計をちらりと見ると申し訳なさそうに言う。
「すいません。お姉ちゃんが晩ごはんを作って待っていると思うので、これで失礼します」
「分かった。話してくれてありがとう。またお話ししようね」
弓香はそう言って、手を軽くふる。その時ふっていた右手が青く光ったから、また何か細工をしたのだろう。
「今さっき何をした?」
香織がファミレスを出た後、道春は弓香にそう聞いた。道春が言っていることが香織の去り際に使った魔法のことを指していると分かったようで、弓香は得意そうに説明してくる。
「姉に私たちと会ったことを言わないようにしたのよ。もし香織が言っちゃったら、あっちも私に本気で向かってくるでしょうし」
確かに弓香の言う通り、妹と会ったことが理恵にばれたら危ないところだったのかもしれない。
「助かったよ。……それで、弓香はどう思う?」
理恵の悲劇についてどう思う?
道春のその質問に、弓香は即答する。
「恐らく父親ね」
「やっぱりお前もそう思うか」
理恵のトラウマの原因、それがどこにあるのかについて、弓香と道春の意見が一致した。まず父親で間違いないだろう。
「多分理恵の父親には契約が働いてるわね」
「どんな契約だ?」
「それは分からないけど、父親が優しくなったって言ってたでしょ? あれは理恵とか香織に対してひどいことをしないような契約を結ばせたに違いないわ」
父親が悲劇の原因になっているとしたら、弓香の言う通りかもしれない。
「まだ確定はしてないから予想だけどね」
思考を固定しないためだろう。弓香は道春に今までの話はあくまで予想だと告げる。道春もそれは承知しているようで、こくりと1回頷くと、
「そこら辺はちゃんと分かってるから安心してくれ」
と言った。
そこから道春と弓香はしばらく他愛もないことをしゃべってから、暗い道のなか家路をたどった。
家に帰った道春はハクと一緒に晩ごはんを食べている。
「なあハク。今日は何やってたんだ?」
食事中に道春がハクに話しかける。人によっては食事中に話しかけられるのを嫌悪する人もいるが、どうやらハクはそうでもないようで、むしろ昨日から食事の時には道春に積極的に話しかけてきていた。
「ゲームしてたよ」
詳しく聞いてみると、ほとんどずっとゲームをしていたようで、昨日ハクのために新しく作ったキャラクターのレベルはなかなかの上昇を見せていた。
「道春は何をやってたの?」
「えーっと」
聞き返してくるハクに道春は即答できない。まさか、同級生の女子の部活姿を見物した後、家まで気付かれないように尾行し、その同級生の妹とファミレスで仲良く話していたなんて正直には話せないだろう。
「放課後は友達とファミレスで遅くまでしゃべってたよ」
「ふーん、いいなあ。私も今度そのファミレスに連れてってくれる?」
道春がなんとか事実をぼかして伝えると、特に追及もなく話題が変わる。どうやらハクはファミレスに行きたいらしく、道春に連れて行ってくれるようねだり始めた。
「いいよ。今度のゴールデンウィークにでも行こうか」
そうゴールデンウィークがもう目の前に迫ってきているのだ。道春は和広や美紅と遊ぼうかと計画しているが、その中の1日を使ってハクと遊ぶのもいいだろう。
「やった」
道春は両手をよし、と小さく胸の前に掲げるハクになごみながら、今更ながら忘れていたことを思い出していた。
「250円、返し忘れてたな……」
期限は決められていないが、なるべく早く負債を返したい道春はこの結果にため息を吐くのだった。
+++++
道春はハクとゲームで対戦した後、風呂に入って寝る体制を整えた。ちなみに今日のゲームの戦績は若干ハクの方が多く勝っていると言ったところだろうか。昨日に比べてわずかにだが技術が向上しているハクに末恐ろしさを感じながらも、道春は近いうちにゲームの腕を鍛えなおすことを心の中で決意した。
そして、昨日と同じようにハクと一緒の布団に入った道春は、昨日に比べて慣れたのだろうか、ハクのやわらかい体を楽しむ余裕が出てきていた。ハクの寝息と腕に絡みつくもののやわらかい感触を楽しみながらも道春は考える。
「今日もいるのかな?」
思い出すのは午前2時のコンビニにいた理恵の姿。250円を返すのもそうだが、道春としては理恵に会って話したい気持ちが強い。
「行ってみるか」
午前2時ごろに行けば理恵がいるだろうという根拠のない予感に誘われて、道春は理恵に会うために、コンビニへと向かうことを決意した。
そう思った道春は、寝巻から普段着に着替えて、午前2時になるまで読み古した漫画を再度読み返しつつ待った後、ハクを起こさないようにそっと部屋を出て、コンビニに歩いて行った。どんよりとした雲が空を覆っていたが、それに気づかない道春は傘も持たないまま、コンビニへの道をたどった。今夜は少し雨が降るらしい。
「遅かったわね」
コンビニの前にいた理恵は道春がコンビニに向かってくるのを見て、まるで道春がこの時間にコンビニに来るのが当然かのように言い切った。理恵はいつもの口調と変わっているし、遊んでいるのだろう。
道春は理恵の態度に一瞬驚くが、そう考えなおし、その遊びに付き合うことにした。
「約束の時間まであと5分はあるけど?」
道春も理恵に乗っかり、約束などないくせにデートの待ち合わせのようなセリフを吐く。
「ばかね。男が女を待たせちゃ駄目でしょ」
「これは失礼」
そう言って道春と理恵は笑いあう。その様子は息の合った友人といったふうにも見え、10年来の幼馴染のようにも見えた。
「ちょっと歩かないか?」
あまり一所にとどまるのが好きでない道春は理恵にそう提案する。そうでなくともコンビニの前で話はしたくない。
「エスコートはちゃんとしてよね」
「そのネタまだやるの!?」
いい加減終わったと思ったネタをひっぱってきた理恵に道春はつっこむ。道春との掛け合いが楽しいらしく、理恵は愉快そうに笑う。
「はは、もうやめるよ」
口調を戻して理恵は言う。今更ながら道春は昨日に比べて随分と砕けた態度をとる理恵に疑問を持った。
(あれ、何で友好度がこんなに高くなってるんだ?)
昨日は道春に笑顔すらろくに見せてくれなかったにも関わらずである。
「行こうぜ」
理恵の態度の変化に困惑した道春はそう言って先に歩き出す。当然、理恵の手は引いていない。
「分かった」
そう言って理恵は素直に道春に付いて来る。
道春は後に知ることとなる。ここから始まる1時間程度の散歩がこの騒動のターニングポイントとなって、2人の魔法使いの未来が決まる事を。
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