第5話 ハクという少女
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
道春は偶然にも、ハクと同じタイミングで晩ごはんを食べ終わった。
「おいしかった」
ハクが満足そうに言う。その様子を見て、道春は前々から思っていたことを改めて思い返す。
(もしかしたらハクの欲の大部分は食欲で出来ているのかもしれないな)
道春にそう思わせるほど、ハクはいつもおいしそうにごはんを食べているのだ。
「風呂、どっちが先に入る?」
ハクと暮らすことにふんぎりがついたのだろう。道春は気さくにそう聞く。
「ん、じゃあミチハルが先に入っていいよ」
「分かった。俺が先に入らせてもらうよ」
まるで家族かのようなやり取りに、ハクは薄くだが、満足そうな表情を浮かべる。もし道春がハクのその表情を見ていたなら、道春の中にあるロリコンの扉が開いたかもしれないが、運良く、その顔を見ることのできなかった道春は、食器を台所の流しに持っていくと、早々に着替えを取りに自室へ戻って行った。
「いい湯だった」
道春に続いて風呂に入ったハクが、風呂から出てくる。ハクの着替えについては言うに及ばず、昼のうちに母親が買っておいたそうだ。そこら辺はさすが「周囲に溶け込む能力」と言った所か、生活を送るために必要なものは、ちゃんと今日のうちにそろったそうだ。
(なら、なんで俺が学校から帰って来たときに、ハクは俺のシャツを着ていたんだ?)
道春の頭を一瞬かすめたその疑問を、その2秒後には「まあいいか」と思い、頭から削除する。道春は基本的にどうでもいいことは深く考えない性格をしており、時々その性格のせいで大失敗をやらかしてきた経験があった。そのたびに幼馴染に迷惑をかけたのは、道春にとってすでにいい思い出として消化されている。だから懲りずに同じような間違いを繰り返すのだろう。
「寝るまでにまだ時間あるし、ゲームでもやるか?」
道春の部屋には数年分のお年玉を使って買ったテレビがあり、さらに最近になって買ったテレビゲームもあった。2人でもできるゲームだからハクとやるのに都合がいい。ハクと一緒に遊んで、親密度を上げようと思っての行動だった。
「やる!」
道春の提案にハクは目を輝かせながら首を上下に振った。ハクの様子を見る限り、道春が遊びに誘ったのは正解のようだった。
しかしハクとのゲームに熱中した結果、明日提出の数学の宿題をやり忘れてしまい、美紅に泣きつくことになることに、今の道春は気付いていない。――道春の性格ならたとえ数学の宿題を思い出してもハクと遊ぶことを優先したかもしれないが。
「もういい時間だな……寝るか」
道春が時計を見ると、ゲームを初めて2時間以上が経過していた。まだ道春がいつも寝ているような時間にはなっていないが、今日はいろいろなことがあって精神的に大分疲れたので、今日に限っては早めに寝たかったのだ。
「うん」
直前のゲームに勝ったからだろうか、ハクは素直に頷く。今日のゲームの戦績はトータルとしてみれば道春の方が若干多く勝っているが、ほぼ半々と言ってもいいような成績だった。ゲームの腕に多少自信があった道春は、ハクと五分五分という結果に内心悔しがっていたが、手加減せずに遊べる相手を見つけられたことは素直にうれしかった。
「じゃあ、明日は俺が起きる時間に起こしに来るよ」
そう言って道春は自室から出て、階下に降りようとするが、ドアに手をかけた時、道春の隣で勝利の余韻に浸っていたハクに声をかけられた。
「どこに行くの?」
「ああ、もう寝ようと思ってな。俺は下のソファーで寝るから、ハクは俺のベットを使ってくれ」
流石に12歳くらいの女の子にソファーで寝ろとは言えないため、道春がソファーで寝るのは当たり前の結論だった。しかし、ハクは道春が自分にベットを譲ってソファーで寝ることを容認できないようで、口を出してくる。
「だめだよ、ミチハル。1日くらいなら大丈夫かもしれないけど、これからずっと一緒に暮らすんだから……いつか体を壊しちゃうよ」
「そうは言っても……じゃあ、どうするんだよ?」
代案が思いつかない道春はハクにそう質問する。道春のその言葉に少し考えるようなそぶりを見せた後、ハクは上目遣いになり、少し目を潤ませながら答える。
「一緒に、寝よ?」
「――っ」
ハクのその態度は12歳程の見た目をしているにもかかわらず、道春に「女性」を感じさせるものだった。濡れた長い白髪がそう見せているのだろうか、一緒に寝ようと提案してきたハクには言葉で言い表せないような「色」があった。
「そ、そういう言い方はやめておいた方がいいぞ」
「?」
可愛らしく小首をかしげる様子を見るに、さっきの言葉は狙ってやったのではなく、天然だったんだろう。しかし、たとえ天然だったとしても、いや天然だからこそ、道春はハクの将来が心配になってきた。
その後、ハクと10分ほど問答した結果、奮闘したものの道春はハクに押し切られ、結局ハクと道春は仲良く一緒に道春のベットで寝ることになった。
「じゃあ、電気消すぞ」
「うん」
部屋の入口にあるスイッチを切って、電気を消した。途端にあたりが真っ暗になり、豆電球がなければ10センチ先も見えないような状況になる。もしそうなった場合、足元に散乱しているゲームや漫画などを踏むのは避けられないだろう。道春が寝るときに豆電球をつけっぱなしにしておくのは、それらを踏んで壊すような事態を防ぐためでもある。
道春は掛け布団をゆっくり持ち上げて、布団の中に入る。中にいるハクにぶつからないように位置取りした結果、ほとんど体が布団の中に入らなかったが、女の子と一緒の布団に入ることに動揺しているのか、道春はそれを気にした様子もない。
「ねえ、ミチハル」
道春の隣で寝ていたハクが話しかけてくる。それと同時に吐息が道春の首筋にあたり、脳に電流が流れたかのように道春の全身が緊張した。
それをハクに悟らせないように、道春はなんとか落ち着いた声で返事をする。
「ん? なんだ?」
「……ありがとう」
ハクが照れくさそうに言ってくる。少し考えてみたが、道春は何に対してお礼を言われているかさっぱり分からなかった。なぜ自分にお礼を言ったのか聞こうとハクの方を見るも、
「ハク?」
「すう……すう……」
道春が見た時には、もうすでにハクは夢の世界へと旅立っていた。
(ここら辺は見た目通り12歳相応なんだな)
行動が変に大人びているせいか、ハクの年相応な振る舞いにほほえましいものを感じる。
それにしても、
(腕にやわらかい感触があるし、なんかいいにおいもするし……)
道春は心の中で動揺しまくっていた。最後には動揺のあまり、これでハクを抱き枕にして寝れたら、どれほど幸せだろうかなどと考える。
「って、できるわけないだろ」
1人でノリツッコミをしながら悶える。こうして道春にとって苦しくも幸せな時間は過ぎていった。
そして午前2時。隣で寝ているハクのせいでどうしても寝れなかった道春は、寝るのを一端諦めてすごすごとベットから出ると、気分を変えるために家を出てコンビニに向かったのだった。
コンビニについた道春は雑誌コーナーで少し立ち読みをし、たまたま発見した今日発売の漫画雑誌を購入しようと、レジへと向かった。道春が買おうとしている雑誌は週刊連載で、毎週買っては部屋に保存しているものだ。かなり昔から集めていて、本棚からあふれそうになっているこれらの雑誌を、そろそろどうにかする必要があるだろうと道春は随分前から考えている。
「250円になります」
夜勤のレジ打ちのお兄さんにそう言われ、支払いをしようとポケットをあさる。
「あれ? おかしいな」
反対側のポケットもあさる。しかし、ポケットに入れた手には何も触れない。そこで初めて、道春は自分がした致命的なミスに気付く。
「財布を……忘れた」
ハクを起こさないことを優先するあまり、財布を自室に忘れてきてしまったのだ。――当然のことながら、道春は雑誌を買うことができない。
(こういう無駄足って地味にへこむんだよな)
そう思うも、財布がなければどうしようもない。
「あ、すいません。財布忘れてきちゃったみたいで……。この雑誌、返しときますね」
レジ打ちのお兄さんにお金を忘れたことを告げる。
その瞬間、道春にすぐ真横から声がかかった。
「お金、貸してあげようか?」
声のした方を見ると、道春の目に見えたのは、黒い長髪に強気な目、見たことのある整った容姿。
「えっ!?」
さすがの道春もこれには驚きの声を上げる。なぜなら道春に声をかけてきたのは、6時間目に道春が屋上からその顔を確認した、梅宮理恵本人だったのだから。
+++++
「お金、貸してあげようか?」
梅宮の登場による衝撃から落ち着いてきた道春は、梅宮がしてきた提案を思い出す。この梅宮の提案に、正直道春は心惹かれるものがあった。ハクの隣で眠れないから何の目的もなくコンビニに来たが、今となっては雑誌を買って自室で読みたい気持ちが道春の中で高まってきている。
(けど)
けど、梅宮は「ケイヤクノジュンシュ」の魔法使いである。あまり好んで借りを作りたい相手ではない。
道春の脳内は相反する2つの思いに揺れている。これが知り合いの、例えば和広だったなら、何の躊躇もなく借りただろうが、今回の相手は見ず知らずの……魔法使いだ。当然ためらいがある。
そして、道春は少し考えたあと口を開くと、
「じゃあ、悪いけど貸してくれないか」
と言った。
道春がお金を借りることにしたのにはいくつか理由がある。その中の1つが梅宮と接点を持ちたいというものだった。ここで借りなかったら、梅宮と会うことはもう無くなるだろう。しかし、お金を借りておくことによって、一時的にだが梅宮と関係を築くことができる。そうすることによって、梅宮の悲劇を暴きやすくなるかもしれない。そう考えたのだ。
「分かった」
梅宮はそう言って快諾する。
たった250円だが、借りを作ってしまった。これが後々どう作用するかは分からないが、下手をすると自分が言質を取られて梅宮の操り人形になってしまう可能性もあるのだ。気を付けないと。
梅宮はレジの前にあるガムを取って道春の雑誌と一緒に会計をする。ガムを買ってコンビニに来た目的は達成したのだろう。レジの横で道春に雑誌を渡した後、梅宮は道春と共にコンビニの外に出る。
道春が梅宮にお礼を言う。
「ありがとう。助かったよ」
「なに、困ったときはお互い様だ。気にするな――とは言わないが、これくらい軽いものさ」
「えっと、250円はどうやって返せばいい?」
肝心の返却方法について考えていなかった。梅宮からすると、道春とは偶然コンビニで会っただけの関係のはず。そもそも梅宮はどうやって250円を回収しようと思っていたのだろうか?
「間違っていたら申し訳ないが、君は三春高校の1年生じゃないか?」
「ああ。そうだけど」
どうやら梅宮は道春の存在を知っていたようだ。いきなりの指摘に内心冷や汗をかきながらも道春は首肯する。
「知っているか分からないが、私は三春高校の1年2クラスに所属している。明日学校で返してくれればそれでいい」
「へぇ、知らなかったよ」
道春はあくまで梅宮のことを知らなかったものとして通す。一瞬、梅宮が道春のことを知っていたので、道春も梅宮のことをたまたま知っていた風を装おうかと思ったが、後々話のつじつまが合わなくなったら面倒なのでそれは止めておいた。
「私は梅宮理恵という。よろしく」
梅宮はそう自己紹介してくる。そう言えば、こっちは弓香の話で名前を知っているけど、あっちは俺が梅宮の名前を知っていることを知らないんだった。
「俺は松田道春だ。よろしく」
この時、道春はまだ知らなかった。ここで梅宮と道春が知り合ったことが後々、道春の人生に大きな変化をもたらすようになることを。
「そうだ。少しお願いがあるんだけど、聞いてくれるか?」
お互いの自己紹介が済んだ後、梅宮が唐突にそう言ってきた。
なるほど、弓香が言っていた通り、言質を取りに来たな。ここからが本番だ。と道春は言質を取られないように気を付けつつ、慎重に答える。
「お願いってなんだ?」
自分の受け答えが不自然じゃないか頭の中で吟味しながら具体的なお願いの内容を聞く。道春としては250円貸してもらった恩があるので、軽いお願いだったら聞いてもいいかなと思っているのだ。
「ちょっと手伝ってほしいことがあるんだ。身構えることはない。君なら簡単に遂行できることさ」
どうも具体的な内容は言いたくないらしい。その梅宮の具体性を欠く答えに一気にうさん臭くなってきた空気を感じて、道春は一層身構える。
「で? 何を手伝ってほしいんだ?」
「ああ、実は……」
再三聞く道春に諦めたのだろう。梅宮がしぶしぶと言った様子で口を開く。その梅宮のしぶるような口調とは裏腹に、梅宮の目はまるでいたずら好きな妖精か、はたまた獲物を見つけた肉食動物かを思わせるような輝きを放っていた。
「君の幼馴染である竹内弓香が私の悲劇を突き止めようとするのを、止めてほしいんだ」
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