第4話 人を理解する能力
道春は弓香と屋上で6時間目が終わるチャイムを聞いた後、教室に戻り荷物を取ると、6時間目にいなかった理由を聞き出そうとしてくる和広をしり目に早々と帰途に着いた。
道春がクラスメイトへの挨拶もなしに、急いで家に向かっている理由は、今も道春の家にいると思われる白い少女だった。いち早く白い少女を捕まえて、「周囲に溶け込む能力」についてはもちろん、少女の過去や出身などを聞き出したいのだ。
朝に家を出た時の道春は魔法の存在なども知らず、少女の言う能力も全く信じていなかったが、今は違う。弓香から魔法について教えてもらい、少女の「周囲に溶け込む能力」も確実にあると思っているのだ。少女の謎を解明する準備は出来たと考えてもいいだろう。
学校から小走りで走り続けた道春は無事に家に到着する。家の前に誰も倒れていない状況にほっとし、
「今日も家の前で誰か倒れてたらどうしようかと思ったよ」
などとつぶやく。
もしそんなことになったら、ゆくゆくは大家族になってしまうな。なんてアホなことを考えながら、道春は玄関で靴を脱ぐと、履きなれてくたびれてしまっているスリッパをはいた。そこで道春は1つの異変に気付く。
「靴もいつの間にか増えてるな……」
普段見ない子供用の靴が靴箱に入っていたのだ。おそらく「周囲に溶け込む能力」の効果なのだろう。靴を買ってきたであろう母親に、なぜ靴を買ってきたのか問い詰めても、どもるなどしてまともな答えが返ってこないだろう。それは、今日の学校で嫌と言うほどした体験からよく分かる。
「そういえば、倒れてた女の子の名前はなんて言うんだろうな」
道春は独り言のようにつぶやく。今まで特に気にせず少女とか呼んでいたが、肝心の少女の名前を聞くのを忘れていた。
少女にあったらまずは名前を聞くか、と道春は心のメモ帳にメモをしながら、階段を上がる。リビングに少女はいなかったから、いるとしたら2階にある両親の寝室か道春の自室だろう。……少女と最後に分かれた場所が道春の部屋だったからか、道春は少女は自分の部屋にいると予感した。
「……すやすや」
自室の扉を開けた道春の目に入ってきたのは、自分のベットで幸せそうに眠る白い少女だった。予想通りと言えばその通りだが、まさか自分のベットの上で寝ているとは考えていなかった道春の頭の中は一瞬空白になる。
「いや、確かに部屋の数から考えて住むとしたら俺の部屋になるんだよな」
まさか書斎や物置でまだ小さい女の子が寝るわけにもいくまい。両親の寝室だったら分からなくもないが、まさか寝室にあるダブルベットで3人が仲良く川の字になって寝るとも考えにくい。そうなると今が晩ごはん前だということを除けば、少女が道春の部屋で寝ているのは必然とも言えるだろう。
「それで俺はリビングのソファー行きなんだろうな……」
道春は少女に押しのけられる形でソファーで寝させられるという、近い未来の不幸を予感する。寝る場所に一番融通がきくのが道春であることも確かなので仕方ないと言えば仕方ないが、自分で言っておいて、釈然としないものが道春の心の中にくすぶった。
「おーい。起きてくれ」
心にくすぶっている釈然としないもののおかげだろうか、幸せそうに寝ている少女を起こすのに何のためらいもなかった。どうせ晩ごはんの時には起きるのだろうし、それに今は少女にいろいろと質問をする方が大事だと考えて道春は無慈悲に起こそうとする。
「朝だぞ~」
「ううん。……もう朝なの?」
道春の呼びかけで少女が夢の世界から戻ってきたようで、薄目を開けて周囲を見回す。そして、カーテンの開いていた窓の向こうが薄暗いことを発見したのか、もう一度その瞼をゆっくり閉じようとする。
それを見て、少女がもう一度寝ようとするのを道春は必死に止める。
「色々聞きたいことがあるんだ。起きてくれよ」
「……わかった」
不承不承と言った感じで少女は上半身を起こす。よく見ると、少女は道春の白いシャツを着ているようで、少女の体に対してずいぶん大きいシャツをいわゆる萌え袖にして着ている。その状態でかわいらしく眠そうに目をこする少女を見て、ロリコンという新たな扉を開きそうになる道春だったが、ロリコンの道に落ちるのを間一髪のところで回避し、何とか心の地面に踏みとどまった。
「危ないところだった」
道春は嫌な汗をかきながら、そうひとりごちた。
「それで、聞きたいことって何?」
完全に覚醒した少女がかわいらしく首を傾げながら聞いてくる。そこで道春はさっき考えていた質問を繰り出す。
「とりあえず名前はなんて言うの?」
「名前はまだ持って無いよ」
「え?」
一瞬道春にハクの言っている言葉の意味が入ってこなかった。
名前を持っていない?
「なんで持ってないんだ?」
「分かんない」
白い少女はしょぼくれながら言う。それを見る限り、本当に覚えていない様子に見える。ということは少女は記憶喪失の類なのか、と道春は考える。
「じゃあ、何て呼べばいいんだよ?」
「付けて」
ねだるように言う少女。それに対して、道春は初め、少女が何を付けてと言っているのか分からなかったが、すぐに名前を付けることかと納得する。要は道春に名付け親になれと、少女はそう言っているのだ。
「えっと、じゃあ……」
名前を付けるにあたって、身体的特徴から名前を付けるのは良くないことかもしれないが、昨日会ったばかりの少女の名前を付けるにあたっては外見から名前を付けていくしかないのだ。適当な名前であればそうでなくてもいいのだが、せっかくの名付けだ。考えて決めよう。そう思って道春は少女に注目する。やはり少女の特徴と言えば、道春は少女の腰ほどまでもある、純白と表現できるような白い髪に目が行く。
白、しろ、ホワイト、はくしょく……。
「ハク、かな」
道春は安直すぎるかとも思ったが、口に出してみると存外、違和感もなく呼べることに気が付いた。日本人の名前ではないが、少女の謎めいた雰囲気と白い髪の毛にはよく合っていると思う。
「ハク……ハク。ありがとう」
どうやら少女――ハクもその名前を気に行ったようで、数回名前を口にした後、嬉しそうにニコニコとお礼を言って笑みを浮かべている。付けた名前を気に入ってくれたようで、道春は気付かれないように安堵のため息を吐く。
「じゃあハク、改めて。俺の名前は松田道春。高校1年生だ。よろしく」
そう言って右手をハクに向けて突き出す。
「うん、ミチハル。よろしく」
ぺこりと可愛らしく頭を下げつつ、道春の手を取って軽く握手をする。
こうして「周囲に溶け込む能力」を持つ少女と道春は出会ったのだった。
「魔法? なにそれ?」
早速、道春がハクに魔法について聞いてみると、そんな答えが返ってきた。
おかしいなと思い、道春はハクに続けて質問する。
「ハクが持ってる『周囲に溶け込む能力』は魔法じゃないのか?」
「あれは魔法じゃなくて超能力みたいなものだよ」
詳しく聞くと、使えるようになるのに悲劇を体験する必要がない辺り、どうやら魔法とは原理が少し違うらしい。もっとも、そこら辺を詳しく考えようとしても、ハクもなぜ自分が「周囲に溶け込む能力」を使えるか分からないため、結局は予想になってしまうのだ。一端発想を変える必要があるのかもしれない。
「他に超能力を使える人を知っているか?」
ハクが超能力についてあまり理解していないのなら、他の人に聞けばいいとばかりに道春は質問する。自分の名前すら覚えていなかったことを考えると、他の超能力者の話は随分と望み薄だと高をくくっていた道春だったが、ハクの答えは、結論まで考えると道春の予想を数段上回るものだった。
「知ってるよ」
「知ってるのか! じゃあ、教えてくれ。そいつは今どこにいるんだ?」
嬉しそうにはしゃぐ道春がしたその質問に、ハクは道春を指さして答える。
「あなた」
「は?」
ハクの解答が予想外過ぎたのか、道春は口を半開きにして思考を止めている様子だった。
「私が知ってる超能力が使える人は、私を除くとミチハルだけだよ」
「何言ってるんだよ。俺は超能力なんて使えないぞ」
魔法の時も同じようなことを言った気がする。まさか1日に2回も異能力者の疑いをかけられるとは道春は思ってもいなかった。
そこまで考えた道春は、「超能力」や「魔法」とか言う、昨日の時点では決して受けいれられないような言葉をすっかり受け入れている自分に気付いて思わず苦笑する。その様子を見ていたようで、ハクからきついツッコミが来る。
「何を笑っているか知らないけど、本当だよ」
だって、とハクは言葉を続ける。
「私がミチハルに超能力を渡したんだもん」
今、道春に嘘を吐く必要もないのだし、ハクの言っていることは本当だと考えてもいい。どうやら道春は本当に超能力を持ったらしい。
「……そんな、いつの間に?」
今日は道春もすぐ学校に行ったし、渡すタイミングが無かった。となると、昨日時点で渡されていたということか。そこまで考えた道春は、昨日家の前で倒れていたハクを助け上げたときハクが「あなたにしよう」と小さな言っていたことを思い出す。渡したとなれば恐らくあのタイミングだったのだろう。
「なんで俺に超能力を渡したんだ?」
「理由は分からないけど、無性に超能力をあげないといけないような気がしたの」
「……それで? 俺は何の超能力をもらったんだ?」
ハクの言う理由ともならないような理由を無視し、ハクに聞く。超能力と聞いて真っ先に思いつくのは「念動力」とか「透視能力」とかだが、ハクの持つ能力から考えると、道春が持っているのはどうもそんな典型的な超能力ではないのだろう。
そう思った道春はかすかに身構えつつハクの言葉を待つ。
「『人を理解する能力』だよ」
はたしてハクの口から出た超能力は、典型的なものだとは言えないものだった。
「『人を理解する能力』か。今俺はそれを使えるんだな?」
「うん、使える。対象に触った状態で何を理解したいかを思い浮かべれば、ちゃんと能力が発動して、ミチハルが理解したかったものを理解できるよ」
……「人を理解する能力」か。便利そうだけど、案外使い道がなさそうにも見える。
「ハクに対して使ってみてもいいか?」
物は試しと道春が提案する。人の心を覗くような能力なのだから、ちゃんと了承を取ってから使わないと、今後の人間関係にひびが入りそうで怖い。
「いいよ。ちなみにその能力は、使っても対象にはそれが分からないから、隠れて使っても安心だね」
他人に心を読まれるような実験だが、ハクはあっさりと了承してくれた。
それにしても、能力を使ったことは、能力を受けた対象には伝わらないのか。一応覚えておいて損はないだろう。
「ちょっと手を出して」
そう言いながらハクに右手を伸ばした。道春の言葉にハクの手が伸びてきたので、そっとハクの手を自分の手の中におさめる。女の子特有のぷにぷにした手のひらの感触に、道春はドキリとしたものの何とか表面上は平静を保つ。さて、ハクの何を理解してみようか。
「じゃあ、俺はハクが今朝朝食を食べていた時の気持ちを理解しよう」
ただの使用実験なので、理解する対象は危険そうでなければ何でもよかった。ではなぜ道春がその場面を選んだかと言うと、強いて言うならば、朝ごはんを食べていた時のハクがとても幸せそうで道春の印象に強く残っていたからだ。
「分かった。朝ごはんはすごく美味しかったよ」
ハクの確認も取れたことで、早速能力を使ってみる。ハクの手を取った道春の右手に意識を集中して、ハクが今朝朝食を食べていた時の気持ちを理解しようとする。すると、
「うわっ」
道春の中に「幸せ」という感情が入り込んでくる。あるだけでいい気分にさせてくれるその感情は、詳細に言えば幸せ以外のもっと細かい感情も存在していたのだが、感情の大部分が幸せの感情で構成されていた。なるほど、気持ちを理解しようとすると、その時の感情がダイレクトに伝わってくるのか、と自分のものでない感情を味わいながら、道春は口を開く。
「魔法光は出ないか。魔法じゃなくて超能力なのだから当たり前かもしれないけど。……それにしてもこれは危ない」
そう冷静に分析する。今回は「幸せ」だったからよかったものの、仮に「痛み」を理解しようとした場合、今回の感触からすると道春はその痛みをダイレクトに感じることになっていただろう。
「?」
道春が1人で完結させている話についていけず、不思議そうに見てくるハク。道春は今起こったことを説明した。
「だから使いどころは選ばないとな」
道春は噛みしめるように言う。一歩間違えたらと思うと軽率には使えない。そんな風に道春が自分を戒めている横から変な音が聞こえて、ハクが急にそわそわし始める。
どうしたのだろうと思った道春は、ハクに目を向けてアイコンタクトで聞く。それを読みとったハクから帰ってきた答えは、大変ハクらしいものだった。
「そろそろ晩ごはんだね。下に降りよう?」
ハクと話し込んでいたのだろう。時計を見ると、もう晩御飯の時間になっていた。今ハクがご飯の話を始めたということは、さっきの音はハクのおなかが鳴っていたのかもしれない。
「よし、いい時間だしな。晩ごはんにするか」
そう言うと道春はハクを連れて、仲良く1階のリビングに降りて行った。
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