秋
9月が終わり、10月が始まった。新人戦まであと1ヶ月。当たり前のように毎日一緒に帰る康介と里奈の関係はまだ微妙なままだ。里奈の気持ちは康介に伝わっているようだが、康介からは何も言われていない。康介が一緒にいてくれるのは嬉しいのだが、彼女でも後輩でもない微妙な関係が里奈の気持ちをモヤモヤさせていた。
「あ~あ、なんかいいことないかなあ。」
モップをかけていた里奈は、ため息をつきながら。体育館の窓の外に見える空を見上げる。幾分秋めいてきた空を見ながら、里奈は自分の気持ちみたいだと思った。そんな里奈を見て、隣で一緒にモップをかけていた優子が笑う。
「いいことあるんじゃない?里奈はレギュラーとれそうじゃない?」
文句を言うことを知らない優子を見て、この子は名前のとおり、本当に性格がいいなあと思ってから、里奈はふうっと肩を落とした。確かにレギュラーをとれそうなことは嬉しい。でもそれよりもハッキリしない康介との関係が里奈の気持ちをモヤモヤさせていた。
「それはまあ、そうなんだけどさ。なんかさ、なんかねえ。。」
言葉を濁した里奈を見て、「里奈らしくないじゃん。」と、優子がふふっと笑う。優子に特に打ち明けた訳でないが、里奈の態度が、バレバレすぎて、里奈が康介のことを好きなことを優子は当たり前のように知っていた。それについて、あれこれ言ってこないところも、優子の優しさなのだろう。
「あ、先輩来たよ。」
優子に言われて、里奈はモップを片付けていた手を止めて、体育館の入口のほうを見た。視線を向けると、康介が部員達と喋りながら、ちょうど入ってきて、後輩達の挨拶に手を挙げて答えている。里奈の姿に気づいた様子はない。里奈はまた、ため息をついた。声をかけにいこうか一瞬迷ったが、男子コートまで行くのも変なので、里奈はその場に留まる。
気を利かせたのか、優子が里奈のそばから離れてストレッチを始めた。里奈は、ふうっとまたため息をついてから、ぼんやり窓の外の空を見やる。もうすぐ誕生日なんだけどなあ。。そんなことを考えながら、しばらく空に浮かぶ、いわし雲に見とれていた里奈は不意にぽんっと頭を後ろから叩かれた。里奈は叩かれた頭を押さえる。
「練習始まるぞ?ぼけっとすんなって。」
振り返ると康介がいつの間にか里奈の後ろに立っていた。さっきまでストレッチをしていたはずの優子は他の部員達のほうにすでに集合している。顧問がまだ来ていなくて良かったと、里奈はほっと胸をなでおろした。練習前からゴローさんに怒られるのはゴメンだ。
康介に叩かれた頭に手を当てながら、里奈は康介のことを見上げた。練習中の康介は普段と違って、引き締まった顔をしている。現役ではないのだから、そんなにクソ真面目に練習しなくてもよいと思うのだが、バレー馬鹿な康介にとって、現役なのかどうかなどは関係ないらしい。
「うん。」と少し元気のない返事をした里奈を見て、康介が不思議そうに顔を覗き込んだ。里奈と康介の視線が空中で絡み合う。里奈が珍しく塞ぎ込んだ。そんな里奈を見て、康介がちょっと首をかしげながら聞く。
「どうした?具合でも悪いのか?」
当たり前のように、おでこに手をあてた康介を見上げてから、里奈は首を横に振った。先輩は私のことどう思ってるんだろう。。。言葉にならない想いでいっぱいになった気持ちを振り払うように、里奈は頭をふる。「大丈夫。」と力なく答えてから、里奈は部員達の元へと走っていった。
***********************
バンッっと大きな音がして、ボールが高くあがった。里奈から跳ね返ったボールは、高く上がって、まだ空中を飛んでいる。二年生部員が追いついて、相手コートにボールが返った。喜んだのも束の間、すぐにボールをクイックで返されて、今度はボールが里奈達のコートに落ちる。
「あーあ。」
里奈はちょっとがっくりした。また怒られるかと思いきや、顧問の「よしっ。」という上機嫌な声がコートに響く。里奈はちょっと意外な気がした。顔をあげた里奈に向かってゴローさんが叫ぶ。
「相澤~、今のだ今の!今度はコートの中にちゃんと返せ~。」
当たり前のことを言っている顧問を無視して、里奈は相手コートを見た。眉毛をちょっとあげて、「ナイス!」と口だけ動かした康介と目が合う。里奈も眉毛をちょっとあげて、唇を片方だけあげて笑ってみせた。笛が鳴って、2年生部員のサーブが康介達のコートに飛ぶ。
新人戦を週末に控え、練習は緊張感で張り詰めていた。夏はすっかり過ぎ去り、まさにスポーツの秋という天候が続いている。体育館の窓から見える空は、夕方が訪れるのが早くなり、窓から入る風が、選手達を快適に包み込んでいた。
里奈は、さすがに康介のスパイクは止められないものの、レシーブがかなり上手くなり、このままいけば、レギュラー確実だった。そんなこともあって、最近は練習に前向きに取り組めるようになっていた。
「里奈っ!」
2年生部員の声が響いた。他の選手から跳ね返ったボールがコートの外に向かって高く飛んでいく。里奈は慌てて、ボールを追いかけた。片手で受け止めたボールがコートへと戻っていくのを見て、里奈はほっとする。
バシっと音がして、先輩の打ったアタックが、ラインぎりぎりに落ちた。
「アウト!」
里奈はまたちょっとがっかりした。審判をしていた他の部員の声で試合が終わる。なかなか勝てないなあ。試合大丈夫かな。里奈は少しだけ心配になった。そんな里奈の心配を吹き飛ばすように、ゴローさんが上機嫌で笑っている。
「よーし、いいぞいいぞ。この調子でいけば、今年は女子も上を狙える。いいか、今みたいな時は~・・・」
熱血講師として知られる顧問は、最近機嫌が良かった。ここのところ初戦負けが何年も続いている女子も、今年は少し上が狙えそうな位、チームが仕上がってきている。早く話が終わればいいのに、とは里奈は今は思わない。何か言われれば、反抗ばかりしていたが、自分でもどんどん上達していくのがわかるようになって、里奈は素直に話を聞くようになっていた。
話を聞きながら、里奈はプレーのイメージを思い浮かべる。顧問の言うことは正しい。支持通りにプレーすれば、結構うまくいくものだったが、あそこでグイっととか、キュッととか擬音語や擬態語が多い顧問の説明は、たまに要領を得ないことも多かった。
なんかよくわかんないな。。。里奈は少し苦笑する。顔をあげると、康介と目があった。よくわかんない、と眉毛を寄せた表情をすると、あとで。と康介が口だけ動かした。康介には顧問の言わんとすることがわかるらしい。
すごいなあ、先輩は。。。いつまでたっても追いつけない、もどかしい気持ちで里奈の心はいっぱいになった。顧問の話が延々と続く中、里奈はいつものように体育館の窓から見える空を見る。
オレンジ色に染まった空には、太陽の光が幾筋にも伸びていて、里奈は目を離すことができなかった。
***********************
「さっきのわかんなかった?」
帰り道、康介が思い出したように言う。里奈はまた空を見ていた視線を康介のほうに向けた。どうやら、顧問の説明が理解できなかったのを康介は覚えていてくれたようだ。里奈がちょっと頬っぺたを膨らませる。拗ねたように里奈は康介に言った。
「キュッとして、シュッとして、ふわっとするなんて言われても、私にはわかんないよ~。先輩はなんでわかるんですか?」
隣で康介が笑う。3年間あの顧問の下でバレーをしただけあって、康介は顧問の言うことをいつもちゃんと理解していた。「あれはさ・・・」身振り手振りを加えて、康介がわかりやすく説明を始める。里奈は、わからないことがあるといつも康介にこうして教えてもらっていた。
わかった?という顔をして、康介が里奈の顔を見た。うなづいた里奈を見て、よしよしっと頭をクシャクシャする。里奈はまた胸がキュンとなるのを感じた。俯いて顔が赤くなるのを必死に隠す。
「そういや、もうすぐ誕生日なんだって?」
里奈の頭に手を置いたままの康介が、突然話を変えた。里奈がキョトンとして顔をあげる。康介はいつもこうだ。話の脈略がない。
「どうして知ってるんですか?」
康介がちょっと頭をかしげながら言う。
「ん~?塩崎が言ってた。」
塩崎とは、優子のことだ。里奈の気持ちを知っていて、気を利かせてさりげなく康介に伝えてくれたのかもしれない。里奈は心の中で、「ありがと。」と優子につぶやいた。そんな里奈を見ながら、康介が続ける。
「何か欲しいものある?」
里奈がちょっとびっくりして康介を見る。康介がどうした?と惚けた顔をした。ちょっと慌てている里奈を見て、康介がクックと笑う。おでこをコツンと叩かれて、里奈はまた顔が赤くなるのを感じた。
「なんでそんなびっくりすんだよ。誕生日プレゼント。何が欲しい?」
康介が当たり前のように言う。里奈は、ちょっと怪訝な顔をして黙った。疑問と期待で胸がいっぱいになる。話したいことも聞きたいこともいっぱいあった。でも考えが珍しくまとまらない。
先輩はどうして私にプレゼントをくれるんだろう?言葉にならない里奈の気持ちが表情に表れる。ちょっと俯いた里奈を康介が覗き込んだ。どうした?と表情だけで聞いてくる。里奈は思った疑問を口にした。
「先輩はなんでそんな優しくしてくれるんですか?」
じっと見つめる里奈を、康介が不思議そうに見る。里奈はちょっとイライラした。先輩はいつもこうだ。頰っぺたを膨らました里奈を見て、康介がふっと笑った。里奈の頭にぽんっと手を置いてから、康介が答える。
「ん~?俺はおまえにしか優しくしてないぞ。」
要領を得ない康介の答えに里奈がさらに頬っぺたを膨らませた。いつもチグハグで里奈の質問に答えない。そのくせ、里奈の心をグラグラ揺さぶるようなことを言う。里奈はちょっと腹を立てて、口を尖らせた。唇を突き出したまま、康介に向かって里奈が言う。
「そんなこと言われたら、期待しちゃいます。先輩、よくわかんない。」
怒った里奈を見て、康介が何故か笑った。里奈はさらに頬っぺたを膨らませながら怒る。笑われたことに腹を立てたのか、康介の返答に腹を立てたのか、里奈はよくわからなかった。
「もう、なんで笑うんですか?」
不意に里奈の目から涙がこぼれる。喜怒哀楽が激しい里奈だったが、泣くのは珍しかった。そんな涙をぬぐいもせず、里奈は感情をむき出しにする。思わず敬語を忘れた里奈が言った。
「彼女でもないのに、なんでプレゼントくれるわけ?期待しちゃうじゃん。」
間髪入れずに里奈が続ける。
「もういい加減ハッキリしてくんなきゃ、ヤダよ。先輩、絶対私の気持ちに気づいてるのに、なんで気づかないふりするの?」
涙もふかずに里奈は康介を睨みつけた。悔しくて切なくて、里奈は胸がいっぱいになる。「もう、こんなんやだ。」里奈が、今度はうつむいて小さくつぶやいた。
康介は何も答えない。試合前に私、何やってんだろ。。里奈はため息を付きながら、肩を落とした。カバンの中のハンカチを出そうとした里奈の手が、ふいに康介の手に掴まれた。泣き顔をあけだ里奈の視線と、康介の視線が空中で絡み合う。康介はもう笑っていなかった。流れ落ちた里奈の涙を、掴んだ手とは反対の康介の手が優しく拭う。
「ハッキリって?」
手のひらの上で転がされているのを感じて、里奈が康介をまた睨む。またこうやってごまかされるんだ。里奈がちょっとイライラする。思ったことが口から出てしまう里奈が、康介をキッと見ながら言った。
「プレゼントなんて、いらない。私は先輩の彼女になりたいの。ダメなら、もう一緒に帰らない。期待してばっかなの疲れちゃったよ。」
一気にまくし立てて、里奈はふうっとため息まじりに肩を落とす。怒ってるのか悲しんでいるのか、里奈は自分でもよくわからなかった。そんな里奈を見て、康介がふっと笑った。顔をあげた里奈と康介の視線が、空中で絡み合う。康介が里奈の頭を、優しくコツンと叩いた。
「彼女になりたいって?俺はとっくに付き合ってると思ってたけど?違うの?」
里奈の涙がピタリと止まる。涙が止まると同時に、里奈は頬っぺたを膨らませて、康介を睨んだ。そんなことは聞いてない。里奈がケンカ腰に言った。
「はぁ?いつから付き合ってるんですか?私なんにも言われていません!」
敬語になったりタメ語になったりする里奈を見て、康介が噴き出す。里奈が頰っぺたを膨らました。「敬語使わなくていいよ。」と言った康介が、里奈の頬っぺたを優しくつねる。頭をポンポン叩かれて、里奈の目からまた涙がこぼれ落ちた。それをみた康介がちょっと困ったように言う。
「そんな怒ったり泣いたりするなって。ごめん、俺、なんも言ってなかったっけ?」
珍しく康介に謝られて、里奈の怒りが消えた。何にも言われてないから、言ってるのに。。。切ない想いで里奈の胸がいっぱいになる。また少しうつむき加減になって、拗ねたように里奈が言った。
「なんにも言われてないです。好きも嫌いも、なんにも言われてないです。」
康介がふうっと息を吐く。怒っているのかと思って、里奈を康介を見上げた。康介は何も言わない。何も言わない康介を見て、里奈はもうダメだと思った。もうやだ。なんでこんなに好きなんだろ。。。叶わない恋だと思った里奈が、ちょっと悲しげに笑った。
ふいに里奈の頭に置かれていた手が、優しく里奈の頬を包み込む。その手がふわっと里奈から一瞬離れて、今度は里奈を包み込んだ。あったかい。里奈は目を閉じた。先輩の優しさで里奈は余計悲しくなる。ずっとこのままでいられたらいいのに。。そんな里奈の気持ちを察したかのように康介が言う。
「ごめん。俺言ってなかったっけ?俺は、里奈のこと好きって気持ち、里奈にちゃんと伝わってると思ってた。」
-里奈のこと好き-
初めて名前を呼ばれたことと嘘みたいな康介の言葉が嬉しくて、里奈の目からまた涙が溢れる。涙を拭ってくれた康介が、腕の中にいる里奈に優しい笑顔を向ける。少し赤くなった里奈が康介の胸に顔を埋めた。そんな里奈をもう1回抱きしめた康介が優しく言う。
「泣くなって。里奈は笑ってて?俺、里奈のこと、ちゃんと好きだから、もう泣くな。」
康介がどんな顔で言っているのか、里奈には見えなかった。腕の中のぬくもりがあったかすぎて、里奈は顔を埋めたままコクンと頷く。「よしよし。」と里奈の頭に手をポンっとおいた康介が、里奈の耳元でちょっと笑いながら言った。
「里奈は俺の彼女なんだから、プレゼント、彼女にしてはナシな。」
またコクンと頷いた里奈を見て、康介が優しく笑う。里奈も嬉しくて笑顔になった。康介が珍しくちょっと照れたように笑ったのを見て、また里奈が康介に抱きつく。そんな里奈を康介が愛おしそうに包み込んだ。
「先輩、大好きです!」
康介の胸から顔を離した里奈が笑顔で言う。
「俺も。」
康介が笑顔で言った。里奈がとびっきりの笑顔になる。
「あ~スッキリした!もうずっとモヤモヤしてて嫌だったの。」
完全に普段の調子に戻った里奈の口から、いつものように、思ったことがありのままに溢れだし始めたのを見て、康介が笑った。
「おまえは可愛いな。」
笑った康介が里奈の頭をコツンと叩く。里奈は叩かれたおでこを抑えながら、えへっと笑った。足取り軽く康介の前を歩き出す。そんな里奈が「あ!」と声をあげた。
「どうした?」
後ろから問いかけた康介を里奈が笑顔で振り返る。
「プレゼントは、先輩とキスがいい。」
無邪気にはしゃぐ里奈を見て、康介が頭を駆きながら笑った。きょとんとした里奈と、ちょっと困ったような康介の視線が空中で絡み合う。
「モノじゃないのかよ。」と康介が里奈のおでこをコツンと叩いた。
「痛っ。」と言いながら、里奈は頭をおさえる。ダメなの?と問いかけ顔になった里奈の顔に康介の顔が近づいた。
「うーん。誕生日まで俺が待てないから、それもナシ。」
何か言い返そうと思った里奈の口が康介の口に塞がれて、里奈は何も喋ることが出来なかった。
***********************
「昨日すごかったじゃん。」
頭の上で声がして、里奈は靴紐を縛り直していた手を止めて、上を見上げた。見ると、片手でボールを持った吉野が里奈の隣に立っている。「ここいい?」と里奈に聞いてから、吉野が里奈の隣に座った。
「俺、興奮しちゃったよ〜。」
隣でストレッチをしながら吉野が言う。凄いというのは、昨日の試合のことを言っているのだろう。吉野も観に来ていたことを初めて知って、里奈はちょっと苦笑した。
「応援きてくれてたんだね、ありがと。でもさ、私、試合に夢中で、なんかあんまり覚えてないんだ。」
吉野に答えてから、里奈も同じようにストレッチを始める。冬が近づいてきて、朝の寒さが少し身に染みるようになってきていた。
体育館の窓から見える空の下では木枯らしが吹き始めている。愛美は外だから、今朝は寒いだろうな、と里奈は思いを巡らせた。テニスバカな愛美も、里奈と同じように朝練を欠かさない。
ストレッチ狂の愛美に呆れていた里奈だったが、最近、こういったケアを大切するようにしていた。キチンと温めた身体でプレーしたほうが、いい結果を残せることに、最近気づいたからである。
物思いにふけっていた里奈の隣で、吉野が何か言ったような気がした。里奈が顔を吉野のほうに向ける。「何か言った?」と問いかけた里奈を見て、吉野が苦笑する。
「昨日勝ったから、女子今週は試合ないだろ?だから、塩崎達と応援来てって言ったの。俺もレギュラー獲れそうなんだ。」
吉野が言いながら、目をキラキラさせた。なんか仔犬みたいだな、と里奈は思う。「康介が出ない試合なんて、見たってつまんない」、と里奈は口から出そうになったのを慌てて引っ込めた。いくらなんでも失礼すぎる。吉野ファンに聞かれたら、殴られそうだ。
「みんなに伝えとくー。」
行くとも行かぬとも言わぬ里奈の答えに、吉野は少し拍子抜けしたようだった。そんな吉野をチラっと見てから、里奈は足首をまたクルクルと回す。柔軟が終わった吉野は、「俺、先始めるわ」と言って立ち上がった。朝陽が差し込むコートに向かって吉野が歩き出す。
里奈はストレッチを続けながら、ぼんやりとその姿を見た。朝陽に照らされた吉野の顔は、お世話ではなくカッコイイ。
明日の午後練は、また吉野ファンがキャーキャー駆けつけることだろう。そういや、吉野は誰かと付き合ってるのかな?と里奈はどうでもいいことを考えた。優子に聞けばわかりそうだが、里奈はそこまでして知りたいわけでもない。
「ま、どうでもいっか。」
また里奈の口から、思ったことが溢れ出た。他人の恋愛を心配するほど、里奈は恋愛上手なわけではない。里奈はおろしていた髪を、シュシュで軽く1つにまとめた。朝練には顧問はこないので、本気で髪を結ばなくてもいい。
つまんないなぁ。里奈は心の中でつぶやいた。最近康介は朝練に来ない。現役ではないので、自主練に来ないのは、当然と言えば当然だが、夏が明けてから、毎日のように康介と朝練をしていた里奈は、康介が来ないのが、ちょっと不満だった。
あんなに何が欲しい?と聞いてきたのに、結局プレゼントもまだ貰っていない。試合が終わったらくれると言っていたような気もするのだが、里奈はなんだか不満だった。1人で頰っぺたを膨らませていると、コートのほうから、里奈を呼んでいる声が聞こえる。
「おーい、相澤!人数足りないからちょっと入って。」
視線をうつすと、2年生の男子部員が手をヒラヒラさせて、里奈を呼んでいた。昨日試合だったせいか、今日は朝練の人数が少ない。里奈は「はーい。」と間の抜けた返事をしてから立ち上がった。
今日は午後の練習がない。康介に1日会えないと調子狂っちゃうな。里奈はちょっとため息をついた。康介がいれば、「ぼけっとすんなって」と怒られそうな位、なんだか今日は調子が出ない。
「優子達とカラオケでも行くかぁ。」
また独り言を言ってから、里奈はコートへと小走りで向かった。
***********************
「里奈、指細ーい!」
マイクを掴んでいた里奈の手を、しげしげと優子が見つめてから言った。バレーをしているせいか、引き締まった体をしていたが、里奈は元々、体の線は細い。そんなに細いかな?里奈はちょっと首をかしげながら自分の指を見た。中学の時に突き指した人差し指を除けば、確かに細いのかもしれない。
よくわからなかったので、歌い終えてから、里奈は優子達の手と自分の手を見比べた。優子が「なるほど。」と感心したように言う。何に感心しているのかは、その時の里奈にはわからなかった。
ふと見ると、テーブルの上に何やらストローの紙を丸めた紐のようなものがあった。里奈が歌っている間、他の部員達は紙を丸めた紐を指輪みたいに手にはめて、誰が1番細いか話していたらしい。
「ほら、里奈がやっぱり1番細い。いーなー。」
他の同級生が里奈の指に紙の指輪をはめながら言った。細くても特に得するとは思わなかったが、里奈はピースサインをする。優子がそれを見て、ふふっと笑った。たまには部活が休みなのもいいものである。歌の上手いチームメイトの歌に耳を傾けながら、里奈は居心地のいい仲間達と出会えたことに、心の中で感謝した。
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