春陽

「なんかちょっとドキドキしちゃう。」


リクルートスーツ姿の康介を見て、里奈がちょっと肩をあげて笑う。康介が里奈の頭に手をポンッと置いて、「何が?」と優しく問いかけた。


「だって、なんか新鮮なんだもん、スーツ姿。」


里奈が目をキラキラさせて言う。そんな里奈を見て、康介がふっと苦笑した。


「いちいちドキドキしてたら、来年からどうすんだよ?」


おでこをコツンと優しく叩かれて、里奈がちょっと膨れた。康介が優しく頬っぺたをつねる。里奈はプイっと横を向いてから、口を尖らせながらブツブツ言う。


「だって、かっこいいもんはカッコイイんだもん。」


康介が優しくふっと笑った。


「ありがと。」


里奈が康介を振り返ると笑顔になる。


「就活お疲れ様。着替えてから行く?」


康介が里奈の言葉に頷いた。花を開いた桜が満開で、里奈と康介は今日お花見をしに行く約束をしている。康介はちょうど今日で就活を終え、電車で最終面接から帰ってきたところだった。里奈が伸びをしながら、空を見上げる。見上げた空は真っ青で、雲ひとつなく輝いていた。


「う~ん、しかし就活長かったなあ、会えなくて死ぬかと思った!」


陽気に言った里奈のおでこを康介がコツンと優しく叩く。


「コラ、就活したのは、里奈じゃなくて俺だろ?長くねえだろ、1ヶ月もしてないぞ?」


言われた里奈がペロッと舌を出した。「だってさ・・・」言いかけた里奈の口を康介の口が塞ぐ。里奈から離れた康介の口が開いた。


「ま、俺も会いたかったけど。」


里奈がふっと笑う。康介の胸にふわっと体を寄せた里奈が優しく言った。


「おめでとう、康介。お疲れさま。」


里奈の頭を康介がなでながら言う。


「ありがとう。」


顔をあげた里奈と康介の視線が空中で絡み合った。康介がふっと笑って、里奈の手をとって歩き出す。


「お弁当できた?」


康介が優しく聞いた。里奈が笑顔で頷く。


「できたよ~、2人じゃ食べきれないかも!」


桜並木に敷かれた石畳を2人で歩きながら、里奈の家へと向かった。桜の下では、あちこちで桜を楽しんでいる姿がある。康介が宴会をしている学生達を見ながら言った。


「んじゃ、翔達も呼ぶか?」


里奈が「えー!」と声をあげる。


「やだあ、康介と2人がいい。」


康介がふっと笑った。里奈を覗き込んでから言う。


「里奈が食べきれないって言ったんだろ?」


言われた里奈が頬っぺたを膨らませた。


「だって、久しぶりに会ったのに。。。」


康介がふっと笑いながら、里奈のおでこに唇を寄せる。


「ん~?2人では今見てるじゃん。きれいだなあ、桜。」


そう言うと、康介が上を見上げた。里奈もつられて上を見る。満開の桜の花びらがキラキラとした陽射しに照らされて、光っていた。青い空と康介の横顔が、桜の花とリンクして、里奈が目を奪われる。上を向いたままの康介が言った。


「また、来年も一緒に観ような。」


里奈がコクンと頷く。ちょっと胸がチクっとして、里奈が少し俯いた。


「来年、康介またいなくなっちゃうんだね。。。」


康介が里奈のほうを振り向いた。少し不安げな里奈を見て、つないでいた手を離して、里奈の肩を寄せる。


「いなくなんないよ。就職するだけだろ?」


里奈が「うん。」とポツンと呟いた。康介が立ち止まった、里菜のことを包み込む。里奈が康介の胸に顔を埋めた。


「そんな顔すんなって。里奈だって卒業したら就職するだろ?」


里奈がポツリと言う。


「また康介だけ先に行っちゃう。」


康介が優しく里奈の頭をなでた。


「歳が違うんだから、仕方ないさ。」


頷いた里奈を見て、康介が優しく笑う。


「里奈、大好きだよ。」


里奈がビックリしたように顔をあげた。普段、康介からこうゆうことを言うことはあまりない。驚いた顔をした里奈に康介が優しく言う。


「大好きだから、安心して?」


里奈が少し笑顔になって頷いた。康介がまた優しく笑う。


「可愛いな、里奈は。」


里菜の頬をなでながら、康介が言った。里奈がちょっと照れたように首を傾ける。頬をなでていた康介の手が、里奈の顔を自分の口に引き寄せた。口を離した里奈がふっと笑いながら、康介のおでこをコツンと叩く。


「コラ、公衆の面前だよ?」


言われた康介が、ククっと笑った。


「いいんだよ、知らない奴ばっかじゃん。」


里奈がふっと笑う。康介がもう1度里奈を引き寄せようとすると、機嫌のいい声が遠くから聞こえた。康介の手が、止まる。


「あー!里奈と康介先輩だ~!」


声のほうを見ると、サークル仲間とお花見をしているらしい愛美が立ち上がって、上機嫌で手を振っている。里奈と康介が苦笑した。里奈が笑いながら言う。


「ほらね、公衆の面前でしょ?」


康介が「だな。」と言って笑った。愛美のほうに向かって、2人で手を振る。愛美もブンブン手を振ったあと、2人の邪魔をする気がないのか、すぐにまた仲間達と盛り上がりだした。


「なんちゅうタイミングで登場すんのよ。」


呟いた里奈に、康介が「だな。」と相槌を打つ。2人とも笑っていた。また手をつないで、里奈の家へと歩き出す。康介が里奈の耳元に口を寄せて言った。


「さっきの続きは家着いたらな。」


里奈がふっと笑いながら、康介の耳元で囁いた。


「今したいけど?」


康介が里奈のおでこにデコピンをする。里奈が「いったーい。」と頭をおさえた。


「コラ、公衆の面前だろ?」


言われた里奈が笑って言い返す。


「知らない人ばっかりだからいいの。」


里奈が康介のの口に、顔に近づきかけた動きが、機嫌のいい声に止められた。


「おい、さっきからイチャつきすぎだぞー!」


さっきとは反対側の桜並木を振り返ると、すでに出来上がっている太田と数人のメンバーが花見をしていた。大学の最寄り駅近くの桜並木だ、知り合いに会わないほうが難しいかもしれない。


里奈と康介が苦笑した。太田達を指さした康介が里奈に聞く。


「着替えたら合流すっか?」


里奈が頷いた。康介が太田たちのほうに「着替えたら行くわ。」と声をかける。酔っ払った太田が里奈に向かって言った。


「里奈ちゃーん、腹減ったから、なんか作ってきて~。」


里奈が「はーい。」とちょっとめんどくさそうに言うと、太田は満足気に頷いて、また酒盛りを始めた。里奈と康介が苦笑する。


「ま、ここで2人で花見をしようと思うのが無理だな。」


里奈が頷く。


「だね。」


2人はまた手をつないで、里奈の家へと歩き始めた。里奈が康介の腕をつかみながら言った。


「ちょっとラブラブしたかったなあ。」


康介がふっと笑う。


「ラブラブしてから、花見行けばいいじゃん?」


2人の視線が空中で絡み合って、2人とも声をあげて笑った。キラキラ光る陽射しと桜の花びらにつ包まれて、里奈と康介はいつまでもいつまでも一緒にいられる気がしていた。


***********************


「大阪?!」


里奈の素っ頓狂な声が部屋に響いた。聞き間違いかと思って、もう1度受話器を握り直す。息を吸ってから、里奈は口を開いた。


「いつから?」


電話の向こうで、「来週の月曜。」と言う康介の声が聞こえる。里奈は全身の力が抜けていくのを感じていた。


「来週って・・・。」


里奈が言葉に詰まる。今日は金曜だ。一体どうやったら、来週の月曜に大阪に転勤することができるのだろう。里奈はよくわからない、金融の洗礼に頭の中が真っ白になる。何か喋りたいのに言葉が出てこなかった。頭が完全に真っ白である。


受話器の向こうから康介の声がしたような気がした。何か喋っているが、里奈の耳には入ってこない。何度か頷いた後、里奈は力なく電話を切った。電話をする前に何をしていたのか思い出せず、里奈は力なくその場に座り込む。


康介が就職し、里奈は大学3年生になっていた。覚悟はしていたものの、社会人と大学生では今までのように会うことは全くできない。おまけに、就職したての康介は、新人研修とやらで研修所に3週間近く缶詰で、4月に入ってから里奈は康介と1度も会っていなかった。


「無茶ぶりが激しいよ・・・。」


里奈は座り込んだまま、ポツンと独り言を言った。今週赴任先が発表されることは康介に聞いて知っていたが、まさか発表されて、着任するとは聞いていない。今日は、研修最後の打ち上げで、会えないと康介から聞いていた。里奈はため息をついて、布団の中に潜り込む。今日はもう何もする気がしなかった。


「明日会えたら、次いつ会えるんだろ。。。」


里奈の目から涙が溢れる。とめどなく流れる涙を止めることができずに、里奈は一晩中布団の中で泣き続けていた。


***********************


玄関のチャイムが鳴ったような気がして、里奈は目を覚ました。部屋の中はすでに明るい。明け方近くまで起きていたが、どうやら、いつの間にか寝てしまっていたらしい。里奈は枕元にある時計を見た。すでに正午を回っている。


寝不足で頭が重い。泣きつかれたせいで瞼が重たかった。チャイムの音がしたのは気のせいかもしれない。里奈はため息をついて、頭から毛布を被った。すぐにまたウトウトとしかける。


玄関のチャイムの音がまた鳴った。どうやら夢ではないようである。里奈は面倒くさそうに、体を起こしかけた。また頭痛がして、里奈は起きかけていたのをやめる。今日は何もしたくなかった。


玄関のチャイムが止んだので、里奈は勧誘か何かだったのだろうと思って、また眠りに落ちかける。まどろみ始めた里奈の枕元で今度は携帯が鳴った。里奈がめんどくさそうに携帯を手に取る。画面には、康介と里奈の写真が表示されていた。里奈が通話ボタンを押す。


「里奈?」


電話の向こうとドアの向こうので康介の声がこだました。


「ごめん、開けて。」


里奈は黙っていた。どんな顔で会えばいいのかわからない。里奈の頭の中はグチャグチャだった。頭だけでなく、髪の毛もグチャグチャである。


「ごめん、今起きたから。」


里奈はそれだけ言うのがやっとだった。胸がズキズキする。電話越しにため息が聞こえた。


「そんなこと、気にする間じゃないだろ?」


里奈が、重たい体を起こして、玄関の鍵をあける。玄関の扉は外側に引かれて、康介が部屋に入ってきた。手にスーパーのビニール袋を持っている。


「ヒドイ顔だな。」


里奈を見ると康介が言った。床に袋を置いてから、玄関でそのまま里奈を包み込む。里奈の目からまた涙が溢れた。


「ごめん、一晩中泣いてたのか。」


里奈が顔を埋めると、康介が里奈の耳元で優しく言った。


「泣くなって、夏と冬には帰ってくるよ。」


頭をなでられながら、里奈が頷く。頷いた里奈の頭を康介が優しくポンポンッと叩いた。里奈の涙を手で拭いながら、康介も少し淋しそうに笑う。里奈と康介の視線が空中で絡み合った。康介がふっと笑いながら里奈に言う。


「飯食ってないんだろ?なんか作ってやるから、顔洗ってこいよ。」


里奈が頷いた。洗面所に向かう里奈に康介が声をかける。


「里奈、着替えもしといて。」


里奈がちょっとだるそうに頷いた。寝不足と泣きすぎで頭が痛い。そんな里奈を見て康介が苦笑する。


「昨日、給料出たんだよ。なんか買ってやっから。」


里奈の目が大きく見開かれた。里奈と康介の視線が空中で絡み合う。康介がふっと笑って言った。


「化粧もしろよ?電車で新宿行くから。」


康介に言われるがままに里奈が頷く。都会に2人で出るのは久しぶりだった。里奈が少し笑顔になって言う。


「お揃いのが欲しいな。」


何も考えずに言った里奈の言葉に、康介がちょっと首をかしげた。考えてから、何故かちょっと苦笑する。里奈が不思議そうに康介を見た。康介が里奈の指を指さしながら言う。


「お揃いは、里奈がちゃんと就職してからな。」


里奈がキョトンとして、自分の指を見た。ずっと昔に康介が買ってくれた指輪が指にはまっている。里奈が康介のほうをびっくりして見た。里奈の口からいつものように言葉が溢れ出す。


「就職ちゃんとしたら、結婚してくれるの?」


康介が包丁で野菜を刻みながら苦笑した。


「コラ、恥ずかしいからストレートに言うな。」


里奈が満面の笑みになる。料理をしている康介の背中に里奈が抱きついた。背中に顔を埋めた里奈が康介に聞く。


「それって約束?」


康介が背中を向けたまま言った。


「そうだなあ?約束かな。」


里奈がまた顔を埋めた。あたたかなものが胸に流れてくるのがわかる。笑顔になった里奈がいつもの調子で言った。


「私も一緒に大阪行きたいな~。」


料理をしていた康介が今度は振り返って言う。


「コラ、まだ里奈は学生だろ。ちゃんと卒業しなさい。」


コツンと手の甲でおでこを叩かれた里奈が膨れた。


「やだー、一緒行きたい。」


そんな里奈を見て、康介がふっと笑う。


「そうだな、次またどっか地方になって、里奈がちゃんと働いてたらだな。」


里奈がまた笑顔になった。康介から離れて、康介を覗き込みながら聞く。


「ねえ、それも約束?」


康介が苦笑した。里奈と康介の視線が空中で絡み合う。康介が少し目を逸らして言った。


「そうだなあ?約束かな。」


返事を聞いた里奈が笑顔になる。康介と里奈の視線が空中で絡み合う。里奈はそれ以上、康介に何も聞かなかった。聞いたら、今の幸せが壊れてしまうかもしれない。若い里奈には先のことなんて考えられなかった。今この瞬間の幸せを手放したくなかったから。。。


「着替えてくるね。」笑ってそう言うと、里奈は洗面所へと向かっていった。キッチンでは康介の料理の音が心地よく流れている。それはよく晴れた、春の日の出来事だった。


***********************


「皆さん、グラスは持ってますか~?」


太田の機嫌のいい声がかかる。みんながグラスを高く掲げた。綾乃が続ける。


「では、康介の門出を祝って、かんぱーい!」


里奈も高くグラスを掲げた。勢いよくみんな一杯目を飲み干す。


「康介、一言どうぞ~。」


太田のいい声がまた響いた。里奈の隣に座っていた康介が立ち上がる。里奈は一杯じゃ足りずにもう一杯グラスを飲み干してから、康介を見上げた。この3週間で顔つきが少し引き締まったように見える。


里奈と康介は、新宿で買い物をした後、太田が開いてくれた康介の送別会に来ていた。昨日の今日でよくこれだけの人数が集まったものである。太田の力量だけでなく、康介の人柄のせいもあるかもしれなかった。話し始めた康介を里奈はぼんやり見つめる。


憧れだった先輩が、今こうしてずっと隣にいてくれるのを、数年前の自分は想像すらしていなかった。康介のプレーに釘付けにされた日のことを里奈は昨日のことのように思い出す。里奈は康介が喋っているのも忘れて、もう一杯グラスを飲みながら、思い出にふけっていた。そんな里奈を見て、綾乃が喝を入れる。


「ちょっと、里奈!主役が喋ってるんだから、グラス置きなさい!」


里奈が慌てて「あ、すいません。」とグラスを置くと、みんながどっと笑った。隣で立っている康介が里奈の代わりに言い訳をする。


「綾乃、この子、今傷心だから、そっとしておいてあげてくれる?」


また笑い声がおこった。里奈が康介の声にふくれっ面になって、で言い返す。


「誰のせいで、傷心だと思ってるのよ、もう!もうやだ~!大阪の馬鹿!」


いつもより少し酔いの周りが早い里奈を見て、みんながまたどっと笑った。太田が笑いながら里奈に言う。


「里奈ちゃん、今日はでいちゃついていいよ~。何か康介に1言~。」


里奈がグラスを手に持って、よっこらせと立ち上がった。立ち上がった里奈にコールがかかる。里奈はまた勢いよくグラスを飲み干してから、康介を見た。「大丈夫?」と笑いながら聞いた康介をキッと睨んで里奈が言う。


「大丈夫じゃない!もうやだ!やっぱり一緒行く!」


酔いが回ったのか、最後は鳴き声になった里奈に、誰かが「里奈、可愛い~。」と野次を飛ばした。康介が苦笑して、首を曲げる。そんな康介に太田が機嫌よく言った。


「康介も、里奈ちゃんに1言どうぞ~。」


苦笑した康介が顔をあげて里奈を見る。里奈が泣きながら膨れていると、勢いよく腕をつかまれて、里奈は康介にすっぽり包み込まれた。びっくりした里奈から怒りが消える。康介が、里奈のおでこに唇を寄せてから言った。


「う~ん、俺も連れてきたい。」


みんなから、冷やかしと野次が飛びまくる。里奈は恥ずかしくて顔が真っ赤になった。そんな里奈と康介にコールの嵐が降りかかる。里奈と康介の視線が空中で絡み合った。2人の顔は笑顔で溢れている。


「かんぱーい!」


里奈と康介がグラスを合わせた。歓声があがって、一気に2人とも飲み干す。いつもより酔いの早い康介がまた里奈を包み込んだ。


「里奈~、ほんと連れてきたい。」


康介の胸に顔を埋めていた里奈が顔をあがる。そんな里奈が笑って、康介のおでこにデコピンをした。


「コラ、公衆の面前ですよ?」


康介の口調を真似た里奈のセリフに、みんながどっと笑う。送り出される側も送り出す側もみんなが笑っていた。


里奈の心から少しずつ不安が消えていく。今日、太田が飲み会を開いてくれたことに里奈は感謝した。そんな里奈の手には新しい指輪がキラキラと光っていた。


***********************


「おかえり。」


ホームで待っていた里奈を見て、康介が目を見張る。康介が里奈の仕事着を見るのは、これが初めてだった。ヒールにジャケット、スカートを履いて、緩やかにカーブした髪は、肩の下まで伸びている。康介は25歳、里奈は23歳になっていた。


「ただいま。一瞬誰かわかんなかったよ。」


そう言うと康介は、「ほいっ。」と言って里奈に袋を渡した。里奈が自分の格好を気にして「変?」と聞いた。康介が首をふる。里奈が受け取った袋を開けた。中身を見て笑顔になる。


「ありがと。これ、ほんと美味しいよね〜、なんで東京じゃ売ってないんだろ?」


里奈は袋から、大阪限定の焼き菓子を取り出すと、しげしげと眺めた。隣に立った康介が、ホームから見える空を見上げる。


「やっぱ東京の夜は明るいよな。」


焼き菓子を袋にしまいながら、里奈もつられて空を見た。夜空はたくさんの灯が反射して、21時を回っているのに白っぽく光っている。里奈は視線を落とした。胸がチクリとする。何回か大阪に行ったことはあるが、夜の空まで見ている余裕はなかった。


康介と離れた3年間、里奈はバレーや資格の勉強の夢中だった。会えない寂しさを忙しさで埋めていたのかもしれない。


2人が会えたのは3年間で、数えるほどだった。携帯やLINEがなかったら、里奈と康介は別れていたかもしれないくらい、すれ違いが多かった。今日も会ったのは3ヶ月ぶりである。空を見上げていた康介が口を開いた。


「飯食った?」


里奈が康介のほうを振り返る。首を振ってから里奈が疲れたように答えた。


「今日忙しかったから、まだ食べてないの。康介は?」


康介が里奈のほうを振りかえる。里奈を覗き込むようにしてから、康介が言った。


「食べてないよ。お疲れ。里奈、一緒になんか食いに行こう。」


頭にポンッと手を載せられた里奈がうつむく。「うん。」と返事をした里奈の頬に涙が伝った。里奈はどうして涙が出るのかわからなかった。離れていた3年間、東京駅に来ると、必ずまた別れがあった。


―「そうだな、次またどっか地方になって、里奈がちゃんと働いてたらだな。」―


いつかの康介の言葉が蘇る。また、康介がどこかに転勤で行ってしまう時、康介は里奈を連れてってくれるんだろうか。康介が帰ってきた喜びとともに、里奈の心にはどんどん不安が広がっていく。


「なんで泣くんだよ。」


スーツケースから手を離した康介が、里奈を優しく包み込んだ。


「康介・・・・」


社会人になって、少し社会の荒波に揉まれた里奈は、「ずっと隣にいたい。」という本音を言うことが出来なかった。重たくなるのが嫌で、また来るかもしれない別れが怖かったから。康介も里奈もそれ以上何も喋らなかった。それはよく晴れた、春の日の出来事だった。


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