小春

「痛っ」


綾乃の声がして、里奈は視線をうつした。アタックを止めようとした綾乃が足首を抑えている。どうやら、無理な方向に飛んで、足を捻ったらしかった。綾乃はまだしゃがみこんでいる。同じコートにいるメンバーが綾乃の元に集まった。綾乃が立ち上がる気配はない。


「里奈、アップできてる?」


4年生コーチに言われて、里奈は頷いた。綾乃とどうやら交代するらしい。他のメンバーに付き添われて綾乃がベンチに戻ってきた。完全に捻っているらしく、片足をつかずにケンケンしている。戻ってきた綾乃の周りにメンバーが集まる。


「綾乃さん、大丈夫ですか?」


2年生の女子が聞いた。綾乃が元気なく答える。


「ちょっと大丈夫ではないわね。」


靴ひもを、マネージャーが解き始めた。里奈が綾乃をじっと見つめる。今日は3年生、現役最後の試合だった。今日、MVPや優秀選手賞、優勝、新人賞、色々な賞が決まる。順調に勝ち進んできた里奈達の大学は、準決勝に進んでいた。この試合に勝てば、次は決勝戦だ。これまで、不動のエースだった綾乃は、今季のMVPの最有力候補と言われている。里奈が綾乃に歩み寄った。


「先輩、テーピング巻き終わるまで、コートあっためときます。MVP絶対またとってくださいね。」


心を込めていった里菜のことを綾乃が見上げた。ちょっと苦笑して、首をかしげてから言う。


「里奈、ごめん。この試合、お願い。私、ちょっとあと2試合、この足で踏ん張れないと思う。」


里奈が目を見開いた。靴を脱いだ綾乃の足は予想以上に膨らんでいる。驚いた里奈を見て、綾乃が口元をあげて、真面目な顔で言った。


「里奈、あんたこの試合、大事にしなさい。今年、里奈はで、試合に出れた数が少ないのよ。でもね、私は里奈なら取れると思う。んだからね。」


自分のMVPだけでなく、里奈の賞のことを気にかけていてくれたことに里奈が驚く。綾乃の言うように、スタメンの実力があるのに、ポジションの、里奈は今年1年あまり試合に出れなかった。初めこそ、ベンチスタートに嫌気がさしていたものの、試合を見て学ぶことの多さや、ベンチをあたためる意味に気づいた今は、試合に自分が出続けることに固執していない。そんな里奈を見て綾乃が笑った。


「早くコートに行きなさい。MVPは私は1回とったから、いいのよ。今欲しいのは、だわ。」


本心はそう思ってないだろう綾乃にそう言われて、里奈は「はい。」と元気に頷く。綾乃のプレーヤーとしての素質のこを里奈は尊敬していた。先輩にまたMVPをとって欲しい。そんな強い思いが里奈の顔を引き締めさせた。


「先輩、絶対勝ちますから。足ちゃんと冷やして観ててくださいね。」


拳を握った里奈の手に、綾乃の拳がコツンと触れた。口元をあげて里奈が笑う。綾乃がそれを見て頷いた。


「お願いね。」


里奈がもう1度頷く。気持ちを切り替えて試合モードになった里奈を見て、綾乃がふっと笑う。里奈がつまさきをトントンとしてから、体の向きをくるりと変えた。小走りに走ってコートに向かう里奈の後ろ姿に、綾乃が後ろから叫ぶ。


「里奈、思いっきりやっちゃっていいわよ。」


里奈が振り返った。口元をあげてにニヤっと笑ってみせる。コート上のメンバーとタッチしてから、里奈はポジションに向かった。試合を観戦している吉野の声が里奈に聞こえる。


「里奈~、頑張れ~。」


里奈がチラリと吉野を見た。口元をあげて笑ってみせる。そんな里奈に康介の声が聞こえた。


「里奈、暴れていいぞ。」


里奈が康介を見た。いつもとは違った顔つき、鋭い視線に異様なオーラ。里奈がまた口元だけ笑ってみせた。康介が頷く。里奈は今、完全にだ。は、今はいない。康介が苦笑して呟いた。


「どうやったら、あんなに集中できんだよ。」


康介の隣にいる吉野が言う。


「オンオフが激しすぎですよね。」


康介がふっと笑って頷いた。今の里奈には多分、康介のことが見えていない。高校の始めの頃はそうでもなかったが、康介と別れてから、里奈のバレーに対しての集中力は異様に強くなった。それは、また康介の彼女になった今でも続いている。


高校3年生の引退試合を観に行ったときのことを康介は思い出した。あの時、里奈の凄まじさに鳥肌が立った覚えがある。もともとバレーは上手かったが、ゴローさんに相当鍛えられたのか、里奈の高校3年間の伸びが凄まじかった。バレー馬鹿な康介が時にヤキモチを焼くくらい、里奈のカリスマ性はズバ抜けている。


「普段とギャップが激しすぎなんだよ。」


独り言を言ったつもりだったが、吉野がそれに答えた。


「あいつ、ほんと3年間、先輩に追いつきたいって、毎日必死でした。痛々しいくらいだったっすよ。この1年、試合になかなか出れなくて、里奈なんも言わないけど、多分悔しかったと思います。」


珍しく真面目に言う吉野を、康介が少しビックリしたように見る。吉野が笑って続けた。


「ちゃんと観ててやってください。あいつは、先輩に観てほしくて、バレーしてるんだと思います。」


康介がふっと笑って、吉野に少し弱めのデコピンをする。


「わかってるよ。」


吉野がおでこをおさえた。康介が吉野の頭にポンッと頭を載せる。


「吉野、サンキューな。」


目線をコートに戻した康介が言った。吉野が「いえ。」と笑ってから、コートに視線を戻す。主審のホイッスルが鳴って、今まさに試合が再開されようとしていた。


***********************


首をポキポキ折って、手首をクルクル回した後、里奈は構えのポーズに入った。1年生とは思えない雰囲気と威圧感がある。普段どこか抜けているよう里奈だったが、コートに入ると昔からいつも別人だった。里奈の目にはコート上の12人しか見えない。


主審のホイッスルが鳴った。相手コートからサーブが飛んでくる。飛んできたボールがレシーブで里奈の上に上がった。相手は多分打ってくると思わない。里奈の身長は160cmそこそこだ。


バシッ。


痛烈な後がして、ボールが相手コートに落ちた。里奈がメンバーと目を合わせる。隣のプレーヤーと手をパチンと合わせると、ベンチから綾乃のはしゃいだ声が聞こえた。


「里奈~!もっと暴れて~!」


里奈がチラッと視線だけ綾乃にうつして口元を緩める。その視界からすぐに綾乃が消えた。里奈の視線がまた鋭くなる。また主審のホイッスルが鳴った。3年生の痛烈なサーブが相手コートに飛ぶ。打ち返されたボールは大きく跳ねて、そのまま里奈達のコートの上空に戻ってきた。


「里奈。」


3年生の声に里奈が反応する。跳ね上がったボールはちょうど里奈の方へと向かってきていた。「いただき。」里奈が心の中で、呟く。1,2歩助走をしてから、里奈は空中で、右腕を振り落とした。相手コートで取りきれなかったプレーヤーが床に転がっているのが、視界の隅に見える。里奈はまたニヤっとした。綾乃の声がまた聞こえる。


「里奈~、最高!」


里奈のプレーと綾乃の声で、ベンチとコートの気温が一気に上がった。里奈はそんなことはお構いなしに、ギャラリー席の上にあるスコアボードを見る。スコアボードの上からは、キラキラとした冬の陽射しが差し込んでいた。  


「キレイだなあ。いい事ありそう。」


里奈が呟く。また里奈の後ろから仲間のサーブが飛んだ。3回で帰ってきたボールを見て、里奈がにやっと笑う。


「この試合、いただきっ。」


独り言を言いながら放たれた里奈のスパイクが相手コートに落ちた。はしゃぐベンチを他所に里奈はまた構えに入る。首をぽきぽき回している里奈を見ていた康介がギャラリー席で呟いた。


「新人賞とってこい。」


となりにいた吉野が頷く。


「俺もとりたいっす。」


康介が吉野をコートに目を向けたまま言った。


「吉野、おまえ次、第2セカンドからだから、体あっためとけよ?」


吉野が大きく頷いてから、里奈を見て言う。


「俺だって、この1年悔しかったっす。」


康介がにやっと笑って言った。


「さすが2人とも、後輩だ。」


コート上では里奈が暴れ続けていた。周りの歓声に答えもせず、里奈は試合の世界にどんどんと引きずり込まれていった。


***********************


「お疲れお疲れ~っ。」


ベンチに上機嫌な、メンバーの声がこだまする。綾乃消失で一瞬暗くなったチームだったが、里奈の活躍で、あれよあれよとあっという間に試合が終わった。次はいよいよ決勝戦である。3年生が笑いながら、里奈に言った。


「里奈、暴れすぎだよ。あー、里奈が敵じゃなくてほんと良かったぁ。」


周りのメンバーも「ほんとほんと。」と調子を合わせる。みんな笑っていた。言われた里奈だけが、ちょっと膨れる。


「どうゆう意味ですかあ?!綾乃先輩が思いっきりやっていいって言ってたんで、暴れていいのと思って。」


最後はブツブツ言いながら、口を尖らせた里奈を見て、綾乃が笑いながら言った。


「いいのよいいのよ、印象付けとかないと、新人賞とれないじゃない?里奈、次も暴れていいわよ。」


綾乃がクスリと笑いながら里奈を見る。里奈がキッと綾乃を睨んで反抗した。


「はあ?先輩次は出るって言ったじゃないですか?MVPはどうするんですか?MVP!」


綾乃が苦笑する。里奈はまだ綾乃を睨んでいた。


「はあ?って、本当に里奈は態度でかいわね。里奈が勝手に次出ろって言ったんでしょ?見てよ、この足。」


指さされた足を里奈が見る。捻った方の足だけ、スリッパを履いていた。たぶん、靴ひもを締めるといたいのだろう。


「テーピングしても無理なんですか?」


里奈が不安気に綾乃を覗き込んだ。せっかくここまでエースの座を守り続けてきたのに、最後の試合に出れないなんて、里奈だったら耐えられない。綾乃が続ける。


「無理とは言ってないわ。」


綾乃が里奈にウインクした。


「全セット出るのが無理なの。里奈、悪いけど、最後のセットだけ、花持たせてくれない?」


里奈が笑顔になった。


「もちろんです!じゃあ、次も暴れます!」


里奈につられて、周りのメンバーも笑った。綾乃の目が細くなる。


「里奈はすごいわね。安心して引退できるわ。里奈が笑ってるとチームが明るくなる。」


里奈がキョトンとした。綾乃がふっと笑う。


「その、わかってないとこが、またいいけどね。」


里奈の顔が疑問いっぱいの顔になる。綾乃とみんなが笑った。


「ほら、次男子決勝だよ。応援してくれないと、泣いちゃう人がいるんじゃない?」


他の3年生が笑いながら里奈に言う。里奈が「やばっ!」っと焦った。


「1番前で見たいから、先に行きます!」


慌てて荷物をまとめる。みんながまた笑った。綾乃が面白そうに里奈を見て言う。


「里奈、いいのよ。慌てなくて。はね、女子男子ベンチに入っていいのよ。」


里奈が「え?」と振り向いた。綾乃がウインクして言う。


「もちろん、女子の試合男子ベンチ入っていいの。里奈、次も勝つわよ。」


里奈が大きく頷いた。


「はいっ!」


チームが1つになっているのを感じる。里奈はちょっと鳥肌が立った気がした。カバンを持つと立ち上がる。


「ドリンクみんなの分買ってきます!」


パタパタと走り出した里奈を見て、彩乃が笑顔でポツリと言った。


「勝てないわね、里奈には。」


綾乃が体育館の窓から見える空を見上げる。雲1つない空と、あたたかな冬の陽射しが、遠くを見つめる綾乃の顔を照らしていた。


***********************


バシッと痛烈なスパイクが決まって、里奈は歓喜の声をあげた。顔が涙と汗と鼻水でグヂャグチャである。


「里奈、おまえ、顔拭けよ。」


隣に座っていた吉野が苦笑した。里奈が慌てて、タオルで顔を拭く。顔を拭いた里奈が独り言を言った。


「あ、鼻血じゃなくて良かった。」


吉野が「色気ねぇなぁ。」と呆れ顔になる。里奈は吉野にイーッと歯を見せてから、またコートを見た。この調子だとストレート勝ちだろう。コートを見たまま、里奈が吉野に言った。


「翔さん、普段とギャップが激しすぎだねぇ?」


吉野がククッと笑う。


「だよなぁ、ま、里奈ほどじゃないけづな。」


里奈が「はぁ?」と吉野を振り返った。吉野は笑っている。


「さっきの試合、里奈多分聞こえてなかったと思うけど、すごい歓声だったぜ。」


里奈がキョトンとした。吉野が苦笑する。


「ま、里奈は気づいてなかっただろうな、役員席も大騒ぎだったけど。。。」


里奈が首をかしげた。チームメイトとコーチ、主審の声以外、里奈は大抵耳に入らなくなる。綾乃と交代した試合で、里奈はチームの半分以上の得点を叩きだしていた。アシストもかなりの数にのぼっているはずだ。里奈にとっては、だけで、大した活躍ではないと思っている。次はもっと暴れてやる。そう思って、里奈はまたコートに視線を戻した。


コート上では、里奈達の大学が圧倒的なリードで試合を進めている。その中でも、康介は一際目立っていた。高校で康介に出会わなかったら、里奈はもっと下手くそなままバレー人生を終えていたはずだった。


「MVPとれるかな。」


ポツリと呟いた里奈を見て、吉野が隣で自信満々で言う。


だろ?」


目線を戻すと、吉野が口元を少しあげて頷いた。里奈も笑顔になる。座っている吉野を見て、里奈が言った。


「吉野、アップ大丈夫なの?」


吉野が不思議そうに里奈を見る。里奈がニヤっと笑って言った。


「MVP、康介と綾乃先輩がとるなら、新人賞も、男女でもらっちゃお。」


吉野がニヤリとする。里奈を見て、鼻でふっと笑った。


「だな。」


里奈がまた口元をあげて笑う。うちのサークルのことだ。MVPと新人賞、チーム優勝総ナメ位のことは考えていそうである。試合は第2セット半ばまで来ていた。立ち上がりかけていた吉野に、コーチがタイミングよく声をかけた。


「おい、吉野。そろそろいくぞ。」


里奈と吉野がニヤリとして、拳を合わせる。里奈が吉野に向かって言った。


「吉野、サークル誘ってくれてありがとう。私バレー人生の中で、今が1番バレー楽しいよ。」


吉野がふっと笑う。


「俺もだよ。新人賞いただいて参ります。」


里奈が笑った。もう1回、2人が拳を合わせる。少し離れて座っていた綾乃がコートから目を離さずに言った。


「吉野~、思いっきりやっちゃっていいわよ。」


吉野が「ういっす!」と返事をする。綾乃が目線だけ動かして、口元を緩めた。チームみんなが吉野に活を入れる。ホイッスルが鳴って交代がつげられた。走ってコートに向かう吉野の背中に、窓から差し込む冬の陽射しが降り注いでいた。


***********************


「康介〜!」


泣きながら、走って抱きついた里奈を見て康介が苦笑する。


「里奈、公衆の面前だから。」


頭にポンッと手を置かれて、里奈が慌てて康介から離れた。チームみんなが爆笑する。


「ちょっと、里奈、次試合なんだから、いつまで泣いてんのよ、もうっ。」


綾乃がプンスカしているのを見て、太田が言った。


「綾乃~、妬くなよ~。」


みんながまた笑う。綾乃が苦笑して言う。


「里奈、あんたそんなんで次、大丈夫なの?スタート任せるわよ?」


康介が「おっ。」っと言って、頭を手に置いたまま、里奈を覗き込んで言う。


「スタートなのか、綾乃にMVPとらせてやれよ?」


里奈が笑顔で頷いた。


「もちろん!任せといて。」


そう言うと、里奈は近くにいた吉野に「お疲れ!」と言って、アップをしに走り出す。そんな里奈を見て、康介と綾乃がふっと笑った。綾乃が康介に言う。


「里奈には新人賞とってもらうわ。」


康介が「ああ。」と頷いてから言った。


「あんなんで、よく気持ちスパっと切り替えられるよな。。。俺なんて、試合中も里奈のこと気にするもんなぁ。。。」


康介が里奈の後ろ姿を見ながら独り言を言う。そんな康介を見て、綾乃が苦笑した。

「のろけないでくれる?」


一旦区切ってから、綾乃が続ける。


「結果を時に結果をのは、本物だわ。」


康介がふっと笑った。綾乃が少し首をかしげて苦笑しながら言う。


「負けたわ、里奈には。諦めてあげるから安心して?」


康介が眉毛だけあげてから、それには答えずに言う。


「綾乃、おまえもとってこいよ、最後のMVP。」


綾乃が満面の笑みで笑った。


「もちろん。最後は花持たせてもらうわよ?」


涼しい顔をした綾乃が康介に向かっていう。


「康介、ちょっと里奈借りるわね。試合中の里奈は康介に渡さないわ。」


康介がにやっと笑った。康介と綾乃が拳をぶつける。綾乃がアップをしている仲間達の元に歩き出した。その後ろ姿に向かって康介が言う。


「綾乃、おもいっきりやっちゃっていいぞ。」


不敵な笑みを浮かべた綾乃が振り向いた。


「言われなくても。」


コートに向かう綾乃の背中に、窓から差し込む冬の陽射しが降り注いでいた。


***********************


「みなさーん、グラスは持ってますか~?」


太田の声に、みんなが応えてグラスを掲げる。


「お疲れさまでした~!」


綾乃の明るい声の後に、「かんぱーい!」と全員の声が続いた。勢いよく1杯目を飲み干したグラスに、次々とおかわりが注がれていく。里奈も「ぷは~っ!」と一杯目を飲み干すと、隣にいた2年生のグラスにビールのおかわりを注いだ。太田がまた喋り始める。


「今日は男女W優勝おめでとうございました~!」


歓声とともに、みんながまたグラスを掲げた。里奈も笑顔でグラスを掲げる。


「あと、MVPと新人賞も!」


綾乃がご機嫌で言った。康介がおもむろに立ち上がる。


「今日いっぱい飲みまーす!」


そう言った康介に野次が飛んだ。


「康介、今日だろ?」


康介が豪快に笑う。里奈もそんな康介を見て微笑んだ。かっこ良すぎると1人思って康介をいると、今度は里奈に野次が飛ぶ。


「おい、里奈、康介見つめすぎ!」


みんながどっと笑った。また誰かが叫ぶ。


「里奈と吉野もコメント~。」


上級生に言われて、吉野が立ち上がった。何か言おうと口を開きかけた吉野に向かって、康介が言う。


「あ~、おまえ話つまんないから、とっとと飲んどいてくれる?」


吉野が膨れて言い返した。


「なんなんすか、つまんないって!失礼なんですよ、先輩は。」


周りがどっと笑う。吉野がまたブツクサ言う。


「コメントって言われたから立ったのに。。。」


ブツブツ言っている吉野を見て、綾乃がグラスを差し出した。


「お疲れ、吉野。よくやったわ。」


吉野が「ですよねえ?」とグラスを受け取りながら言う。綾乃がまだ座ったままの里奈に向かって言った。


「ほら、里奈も一緒に飲むわよ?私がいなかったら、あなたがMVPだわ。」


里奈が綾乃に言われて立ち上がった。独り言が勝手に溢れる。


「そうかあ、先輩いなかったら、MVPとれたのかあ。」


康介が里奈のおでこにデコピンをした。


「コラ、礼儀をわきまえろ。」


やりとりを見ていたみんなが笑う。綾乃が苦笑した。


「やだ、里奈、新人賞だけじゃなくて、MVPもとりたかったの?」


里奈が綾乃を見て、ペロっと舌を出した。


「だって、MVPとれたら、康介と同じメダルなんだもん。ほら、これと違うじゃないですか。」


里奈はそう言って、首にかかった新人賞のメダルを、綾乃のメダルと並べる。綾乃がまた苦笑する。


「里奈、そうゆうのは、康介と2人の時にやってくれる?」


里奈が「えーっ。」と不服そうに膨れる。吉野が言った。


「あの~、俺も会話に混ぜてください。」


みんなが爆笑する。綾乃が吉野を無視して苦笑しながら里奈に言った。


「TPOをわきまえなさい、里奈。公衆の面前で惚気けるんじゃないの。」


康介が苦笑する。怒られた里奈が膨れたのを見て、みんなが爆笑した。太田が楽しそうに叫ぶ。


「みなさーん!グラスは持ってますか~?」


みんなが応えてグラスを掲げた。太田が続ける。


「でわ、MVPと新人賞にかんぱーい!」


グラスが高々と上がった。


「かんぱーい!!」


一気に飲み干した康介がニヤリと笑って言った。


「今夜は荒れそうだな。」


飲み終えた里奈と康介の視線が空中で絡み合う。康介が里奈の頭に手を置いて言った。


「終わったら、2人で乾杯しような。」


里奈が笑顔で頷く。どこからか野次が飛んだ。


「コラ~!いちゃつくなー!」


里奈が笑う。康介も笑っていた。


この時の幸せがいつもでも続くと、この時の里奈も康介もずっとずっと信じていたんだ。



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