第2章
立夏
「あれ?やっぱり里奈ちゃんか~。キレイになったなあ。」
少し呂律の怪しい声がして、里奈は飲んでいたグラスを口に当てたまま、声のほうを振り返った。見ると、太田が顔を赤くして、里奈の隣に座ろうとしている。里奈は少し壁側に体を寄せて、太田が座るスペースを確保した。
「やっぱり、入ってくれたかあ。いやあ、良かった良かった。」
太田が上機嫌で喋っている。朝まで迷っていたが、里奈は結局、康介のサークルの練習に参加し、その足で、夜に行われる新歓コンパに参加していた。新入生で附属高校出身は里奈と吉野しかいない。優子も練習には一緒に来ていたが、ちょっとイカツすぎるこのサークルの雰囲気に馴染めず、他のサークルに入ることに決めたようだった。
「翔さん、お久しぶりです。」
太田の話を適当に聞き流して、里奈がペコンとお辞儀をする。太田は「大きくなったなあ。」とオヤジみたいに言いながら里奈を見て、うんうん、と頷いていた。里奈の前に座っていた吉野が苦笑する。
「翔さん、なんかオッサンみたいになってますよ。」
ジョッキを片手に持った吉野を見ながら、「よく飲むなあ。」と変に感心しながら、太田が里奈の隣に座った。自分もグラスを手に持つと、何故か吉野に向かって敬語を使って話し出す。
「いや、だってさ、制服姿と部活着しか見たことなかったんですよ、僕は。オジさんは、ちょっと眩しくて目が痛いですよ。」
そう言って、太田は眩しそうに目を細めるフリをした。吉野がやれやれといった表情になる。こんなキャラだったかな?里奈はちょっと首をかしげた。酔っ払っているから、普段とキャラが違うのは仕方がないのかもしれない。それでも、普段はちょっとクールに見える姿とのギャップに里奈は思わずプッと笑った。
「翔さん、なんか今日いつもとキャラ違くないですか?面白いですね。」
口に手を当ててクスクス笑う里奈を見て、吉野も笑う。太田がそんな2人を見てちょっと驚いた顔を作ってみせた。
「里奈ちゃ~ん。俺はカッコイイって言ってもらったほうが嬉しいんだよ~。」
太田が泣き真似をする。里奈が「はいはい。」と受け流した。吉野も適当に相槌を打っている。そんな2人を見て、太田がまた鳴き真似をした。里奈と吉野がまた笑う。
「附属の奴らは、ほんと、冷たいなぁ。」
相変わらず酒を飲みながら、鳴き真似をする太田を見て、里奈と吉野が苦笑した。太田が顔をあげて、口を尖らせる。そんな太田が、また里奈を見て言った。
「しかし、キレイになったよなぁ。里奈ちゃん、俺どうよ?」
吉野が何か言おうと口を開きかけた時、「コラ。」と声がして、太田が「痛っ。」と頭を抑えた。里奈が声の主のほうを見る。こんな凶暴なことをするのは1人しか思い当たらなかった。
「ちょっと、里奈のこと、口説かないでくれる?」
怒った口調とは裏腹に、康介の顔は太田を見て笑っている。吉野が、自分の隣に座った康介に向かって、「相変わらず凶暴だなあ。」と言った。酔っ払って思わずタメ語になった吉野のことも、康介はどつく。「先輩、凶暴すぎっす!もう!」声とは裏腹に、吉野も何故か笑っていた。康介が暴れているというより、2人でジャレあっているような雰囲気である。
「口説いたっていいだろ~。里奈ちゃんは、今おまえのもんじゃないんだから。」
2人のやりとりを見ていた太田が康介に言い返す。康介が「そうゆう問題じゃねえだろ。」と太田に今度はデコピンした。太田が後輩の吉野に、何故か助けを求めている。3人のやり取りを見ていた、里奈が笑った。笑った顔をみて、太田が言う。
「ほら~、なんか可愛いじゃん、里奈ちゃん。でも俺より酒強そうだな~。」
里奈がちょっと膨れた。頬っぺたを膨らませたまま、里奈が太田を睨む。そんな里奈の頭を康介が、少し優しく叩いた。
「コラ、年上を睨むな。」
口調とは裏腹に、顔は笑っている。里奈も笑った。
「翔さんが酔いすぎなんだよ、お酒が強くて何が悪いのよ。」
里奈が同意を求めるように「ねぇ?」と康介と吉野に問いかける。3人でそーそーと、調子を合わせていると、太田が言った。
「あー、これだから、附属の奴らはやだね、酒強すぎなんだよ〜。」
よくわからない屁理屈に3人が笑う。太田は顔だけテーブルに載せて、口を尖らせた。寝ているのか起きているのかも、よくわからない。
太田は確かにお酒が少し弱かった。しかし、附属高校出身者は何故かお酒に強いものが多く、附属高校=酒に強いと言うイメージが大学内でも根付いている。
里奈と康介はお酒が本当に強かったが、吉野は2人ほど強くはなかった。それでも、周りの者達に比べれば、確かに強い方だ。現に1次会ももうすぐお開きの時間だというのに、康介と吉野と里奈はまだあまり酔っ払っていない。
酔っぱらった太田を見ていると、康介が携帯の時計をチラっと見た。里奈と吉野のつられて時計を見る。もうそろそろ、1次会はお開きの時間だ。康介が、吉野と里奈に向かって口を開いた。
「悪いんだけどさ、ちょっと会計手伝ってくんない?」
吉野と里奈がコクンと頷く。2人とも飲み会では大体最後まで生き残るので、会計は得意だ。「新歓なのに、悪いな。」康介はもう1回2人に謝ると立ち上がる。太田にペコンとお辞儀してから、まだ何か言っている太田を残して、吉野と里奈も席を立った。
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「なんか今年の飲み会は荒れそうだな。」
お札を数えていた康介が言った。里奈と吉野が顔をあげる。康介は名簿と金額をチェックしながら、2人を見ずに笑いながら言った。
「男子も女子も人数少ねえけど、キャラ濃いのばっか入ったからな。ま、吉野は普通か。」
吉野と康介は何故か昔から仲が良い。キャラが完全に違うから、里奈は康介と吉野が仲が良いのが、高校の頃から不思議だった。普段普通といえば、普通の吉野だが、何故か康介に言い返すことができる数少ない後輩の1人で、今も、ムッとしたように言い返している。
「普通ってなんすか、普通って。失礼ですよ、全く。こんな優秀な後輩なのに。」
吉野がぶつくさ言っているのを康介は完全に無視していた。吉野はそんな康介に向かって、「先輩、無視するとか無礼すぎです。」とかなんとか、まだブツクサ言っている。お札を数えていた手を止めて、康介が「オッケー。」と声をあげた。どうやら、勘定が合っていたようである。普段ならマネージャーがやる仕事だが、そのマネージャーが既に潰れてしまっていて、康介がしぶしぶ会計を引き受けたらしい。
「飲み直しに行くだろ?」
康介は立ち上がると、里奈と吉野に向かって言った。2人が頷くと、康介は「外で待ってて。」と言って、店員のほうに向かって歩き出す。里奈はそんな康介の姿を少し不思議そうに見ていた。あんなに異次元だと思っていた世界に普通にいる自分。康介との距離が縮まったような気がして、里奈がちょっと口元を緩める。
どうして信じられなかったんだろ。。。里奈はちょっと苦笑してから、吉野と連れ立って、席を立った。
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「あ、いたいた。康介~。」
甘ったるい声に、靴を履いていた吉野と里奈が顔をあげる。見ると綾乃が康介を見つけて、抱きついているところだった。綾乃はどうやら酒癖が悪いらしい。プレーヤーとしてはピカイチだったが、太田と同じで、酒を飲むと別人のように里奈には見えた。
「なんだよ、綾乃。あっち行けよ。」
康介がめんどくさそうに綾乃に言う。酔っ払った綾乃に絡まれるのは慣れているようだった。里奈はちょっと胸がチクリと痛む自分に気づく。
「なによ~、相変わらず冷たいわね。私のどこがダメなわけ?」
酔っ払った綾乃が康介にまた抱きついた。康介が鬱陶しそうに、「おまえ、飲み過ぎだから、早く帰れよ。」と言って、綾乃を自分の体から離す。周りのサークル仲間が特に気にしていないのは、綾乃が酔っ払うと康介に絡んでいるのが日常茶飯事だからだろう。里奈はまたチクリと胸が痛むのを感じながら、いつかの康介の言葉を思い出した。
-「そ、安心。変な虫が寄ってこないように見張ってなきゃいけないだろ?同じサークルなら、俺の目が行き届くからな。里奈は昔からなんか危なっかしいから。。。」-
孝介のが危なっかしいじゃん。里奈が心の中で反抗する。そんな里奈の心の声に気づいたかのように、康介が里奈を見た。康介と里奈の視線が空中で一瞬だけ絡み合う。先言ってて、と口だけ動かした康介を見て、里奈はまた胸がチクリと傷んだ。
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「里奈、さっき、妬いてただろ?」
1次会が終わり、駅に向かって仲間達と歩いていると、後ろから追いついてきた康介に、ポンッと頭を叩かれた。里奈を見てクックと笑っている。里奈が膨れっ面をした。
「妬いてないもん。」
里奈がプイッと顔を横に向ける。2人ともさすがに酔っていた。康介は上機嫌である。頬っぺたを膨らませた里奈を見て、康介がクックと笑った。里奈が空を見上げる。見上げた空には星がキラキラと光っていて、里奈は心が吸い込まれる。空に見とれた里奈の頭をまたポンッと康介が叩いた。
「だって、すごい顔で見てたぞ。」
康介が里奈の顔を真似る。里奈はまた頬っぺたを膨らませてから、俯いた。里奈の胸が悲しい気持ちでいっぱいになる。見たくない康介の姿を見てしまったような気がした。上を見上がるとキレイな星空があるのに、今の里奈の気持ちは少しどんよりとしていた。
「妬いたんじゃなくて、ちょっと悲しかったんだよ。。」
里奈の口からポツリと言葉が溢れる。
「ん?」
聞き取れなかったのか康介が顔真似をしたまま聞き返した。里奈が黙る。黙り込んだ里奈を見て、康介が顔真似をやめた。
「ごめん、怒った?」
頭にポンッと手を置かれ、里奈が首を振る。頭から離れた手が里奈の手を掴んで、康介は里奈を桜並木の下へと引っ張って行った。なんで手つないでくれるんだろう。。疑問に思った里奈の口から、ポツリとまた言葉が溢れた。
「サークル、入らなければなら良かったかな。。」
たかが酔っ払いの行動なのに、里奈はなんでこんなに胸が痛むのかわからない。里奈は自分が心の狭い人間のような気がした。康介が他の誰かに抱きつかれたりしているのは見ていて心が痛む。里奈と康介は今付き合っていないのだから、文句が言える立場ではなかった。それでも悲しく思ってしまう自分の気持ちに、里奈は心が痛む。
「ごめん、ふざけすぎた。なんもないよ。」
頭に手をポンッと置いた康介が、里奈の頭の上でポツリと言った。里奈が顔をあげる。2人とも笑っていなかった。里奈と康介の視線が、空中で一瞬絡み合う。
「なんもないって?」
里奈がいつものように聞きかえした。康介が苦笑する。
「俺と綾乃。不安になったんだろ?」
頭にポンッと手を置かれた里奈が、目線だけ落とした。ちょっと首を傾けてから、「うん。」と小さく返事をする。
「心配すんなって。」
康介が優しく言った。康介はいつだって、里奈に優しい。ちぐはぐな気持ちのまま、里奈が目線を康介に戻した。康介はどうしていつも、里奈を期待させる事を言うんだろう。
「期待しちゃうから、やめて。」
里奈が今度は顔ごと下を向いた。酔っているからなのかわからない。里奈の頬に涙が伝った。康介の手が里奈の頬に触れる。あったかくて大きい手。里奈は抱きつきたい衝動にかられた。
「期待していいよ。」
頭の上から康介の声がした。下を向いていた里奈の目に昔の2人の姿が浮かぶ。
-「期待しちゃうから、あんまり優しくしないでくだい。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「期待していいよ。」-
あの時、もっとちゃんと気持ちを伝えておけば良かったんだ。。。里奈が言葉に詰まる。康介の手が頬から離れて、今度は里奈のおでこを優しくコツンと叩いた。里奈が顔をあげる。康介と里奈の視線が空中で絡み合った。
「康介、あのね。。。」
見上げた里奈の視線に吸い込まれたかのように、おでこにあった康介の手が止まる。言葉に詰まった里奈のことを、康介の腕がフワッと包みこんだ。。里奈は素直に顔を埋める。康介が里奈の耳元で、ポツリと言った。
「俺、里奈が可愛い。」
里奈を包みこんだ手に力が入る。
「他の奴らと話してる里奈見ると、ヤキモチやくんだよ、俺は・・・」
言いかけた康介の声に、里奈が顔をあげた。2人の視線が空中で絡み合う。康介がふわっとした里奈の髪に触れた。
「里奈、髪伸びたな。」
里奈は黙っていた。なんて言ったらいいんだろう。ずっと大好きなのに。。。踏み出せないのは、一旦訪れた別れがあるから。髪に触れられた手が愛おしくて、里奈の手が、康介の手を包みこむ。
「里奈?」
手を包み込まれた康介が、ちょっとビックリしたような顔をした。。里奈が口からポツリと想いが溢れる。
「あのね、私ね、嫌いになって別れたんじゃないよ?」
里奈の涙が頬を伝った。大きくて優しい手が涙を拭う。康介が、泣いている里奈を見て、ポツリと言った。
「知ってるよ。」
里奈が「え?」とちょっとビックリしてて康介を見る。康介の指が里奈の頬を撫でた。1年と少し前の会話が、里奈の中に蘇っていった。
***********************
「だから、なんで別れなくちゃなんねーんだよ?」
康介は怒っていた。里奈にこんな荒々しい言い方をするのは珍しい。里奈が俯いた。ポケットに手をつっこんだまま、康介は里奈の頭にポンッと手を載せてこない。
「だって・・・。」
里奈が言葉に詰まった。なんて説明したらいいのかわからない。
「俺のこと、嫌いになったの?」
康介が少し突き放したように言った。里奈が首を振る。康介が自分の頭をくしゃくしゃした。里奈が顔をあげる。
「あのね、嫌いとかそうゆんじゃなくて、気持ちがついてかないっていうか・・・。」
言い淀んだ里奈のことを、康介はじっと見ていた。里奈はどう説明したらいいかわからなくて、また言葉に詰まる。康介がため息をついた。里奈の目から涙が溢れる。その涙を、康介は拭ってくれなかった。里奈が唇を結んで言う。
「私、やっぱりまだ、そうゆうの、あんまりいっぱいしたくない。。ごめんなさい。」
康介の目線が足元を見た。表情はよく見えない。
「嫌だったってこと?」
下を見たまま、独り言のように言った言葉に、里奈が首を振った。
「違うの。嫌だったとかじゃなくて、康介のことが大好きなのに・・・」
涙が溢れた里奈が言葉に詰まる。そばにいたいのに、どうしていいかわからなくて、もう少し待ってて欲しい、と里奈は何故か言えなかった。康介がため息をつく。
「わかったよ。」
康介が言ったのはそれだけだった。
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別れを切り出したのは里奈だ。好きなのにどうしていいかわからなくて、気持ちがグジャグジャで、高校生の里奈は、解決できない思いを、背負い続けることが出来なかった。
ぶつけた言葉はストレートすぎて、康介のことを傷つけたのかもしれない。康介が里奈に対して怒ったのは、あの時1度だけだ。康介からは、その後連絡がなかった。連絡をしたけれなできたのかもしれない。でも、里奈は嫌われたと思って、康介に連絡することがなかった。
部活に打ち込む毎日。エースになっていた里奈は気持ちを封じ込めていた。失ったものが大きすぎて何かに打ち込まなければ、里奈は壊れそうだったからである。
里奈が諦めかけた頃、最後の公式戦に、突然康介が太田達と現れた。里奈はあの日のことを今でも鮮明に覚えている。それがちょうど1年前だ。
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「お疲れ様でした!」
優子が機嫌よく言って、部員達が「お疲れ様でした!」と揃って大きな声で挨拶する。里奈は少しふわふわとしていた。勝ったのが信じられなくて、気持ちの整理がつかない。そんな里奈の隣で優子が笑った。
「里奈、勝ったんだから、もう1試合、また頑張ろうね。」
優子の優しい笑顔が里奈を包み込む。この子がキャプテンでいてくれて良かったと里奈は心の底から思った。プレーは上手いが、里奈に周りの選手に目を配る力量はない。
「私、審判あるから、先に行くね。」
そう言うと、優子は荷物を持って立ち上がった。里奈が「お疲れ様。」と言って、優子に微笑む。歩きかけた優子が「あ!」と言って振り返った。
「里奈、今日さ、男子も試合すごそうじゃない?前で見たいから、席とっといてくれる?」
里奈が頷いた。男子の試合にはいつも吉野ファンが大勢押しかけて、席があっという間に埋まってしまう。里奈はその場でストレッチをしようとしていたのをやめて、席をとるために立ち上がった。今日は男子の試合も大一番だ。キャーキャーうるさい歓声につつまれていては、ロクな観戦ができない。
着替えを終えて、応援席に向かうと、愛美が誰かと話しているのが目に留まった。里奈は試合に夢中で、誰が応援に来てくれているか、いつも大体気づかない。
この日は相手校が強豪校だったこともあって、里奈は普段よりさらに試合に集中していた。勝てば大金星だ。
愛美をチラリと見てから、里奈は椅子の前に座ってストレッチを始める。蒸れた足が靴から解放されて、里奈は「う~ん」と腕を伸ばした。
「あ、里奈!おめでとー!ストレッチ手伝う!」
明るい声がして、愛美がパタパタと里奈のほうに走ってくる。この日午後の試合だった愛美は、自分の試合の前に、里奈達の応援に来てくれていた。たまたま会場が近かったので、里奈も愛美の試合を観に行く約束をしている。
愛美が「こっちこっち〜!」と後ろを振り向いて、手招きをする。里奈は後ろは見ずに、愛美を見た。愛美は目をキラキラさせて、満面の笑みで里奈に言う。
「すっごいじゃん!私興奮しちゃった!男子終わったら、来てね♡はい、これ会場までの地図。」
男子とは、男子の試合のことだ。この後、同じ会場で試合がある。愛美は男子は見ずに、自分の試合に向かうらしい。
ちょっと早すぎると思うが、愛美のことだから、たっぷりストレッチをしてから、試合に臨むのだろう。そんな愛美を見て里奈が笑った。ストレッチをしながら、弾んだ声で愛美に言う。
「ありがと♡もーさ、ヤバイ!なんかまだ体がフワフワするよ。」
地図を受け取ると、愛美がさらに笑顔になった。「私も勝つぞ〜!」と愛美が手をあげて見せる。
里奈も手をあげた。2人がパチンと手と手をあわせる。違うスポーツであっても、こんなに心が通い合うのが里奈は嬉しかった。2人でキャッキャと笑い合う。
その時愛美の背後に人が立つ気配がした。よく晴れた日で、体育館の中には、キラキラとした陽射しが差し込んでいる。座っている里奈からは、顔が逆光でよく見えなかった。胸がザワザワと高鳴る。
「里奈、良かったね。私行くね。」
試合に勝ったことかよくわからない言い方を、愛美はした。目が優しく笑っている。愛美が立ち上がって、後ろにペコンとお辞儀をした。
「じゃ、里奈、あとでね♡」
機嫌の良い愛美が、パタパタと出口に向かって走り出す。里奈が背中に向かって「愛美、応援ありがと!」と言った。振り帰った愛美が、目をクリクリッとさせて里奈に言う。
「里奈、吉野にちゃんとお礼言うんだよ。」
里奈が怪訝な顔をした。愛美は笑って、また手を振ってから走り出す。里奈が視線を足元に戻した。見覚えのあるバレーシューズが目に入る。
「よく頑張ったな。」
ポンッと頭に手を置かれて、里奈が顔をあげた。里奈の前にしゃがみ込んだ康介が、ちょっと困ったように笑う。
「吉野から連絡もらったんだ。今日、男子も女子も同じ会場だから、応援しに来てくださいって。」
愛美が吉野にお礼するんだよ、と言った意味がわかったような気がした。愛美はいつも里奈の気持ちを見抜いている。里奈が1番試合を見て欲しかったのは、康介だった。
「次も応援来るから、頑張れ。」
康介が頭に手を置いたまま優しく言う。里奈の目から涙が溢れた。
「泣くな、俺はもう里奈の泣いた顔は見たくない。」
康介が里奈の涙を拭う。里奈は涙を止めることが出来なかった。里奈の口から、封じ込めていた想いが溢れだす。
「会いたかった・・・。」
里奈と康介の視線が空中で絡み合う。康介がふっと笑った。
「俺もだよ。吉野にお礼言わなきゃな。」
愛美のセリフを真似したような、康介の言葉に、里奈が笑顔になった。
***********************
「俺は別れたくなかったんだ。でも、里奈の中で整理がつかなかったんだろ?」
思い出に浸っていた里奈の心が、康介の声で、現実に引き戻される。里奈と康介の視線が、空中で絡み合った。
どうしてこの手を離したんだろう。1年前に解決出来なかった心のグジャグジャが、里奈の中にはもうなかった。
コクンと頷いた里奈を見て、康介が優しく笑う。里奈の頬から離れた手が、頭の上にポンッと載せられた。
「で、どうする?」
康介が優しく覗きこむ。問われた意味がわからず、里奈は首を傾げた。
「どうするって?」
聞き返された康介が苦笑する。
「里奈が気持ちの整理つくの、俺は待ってたんだよ。」
里奈が俯いた。
「ごめんなさい。」
ポツリと言った里奈を見て、康介がおでこをコツンと叩く。
「謝んなって。」
顔をあげた里奈と康介の視線が空中で絡み合った。康介がふっと笑う。
「今度はちゃんと言わないとな。里奈、言っとかないと、すぐ怒るから。」
里奈が首をかしげた。
「ちゃんとって?」
康介が苦笑する。
「俺はさ、里奈のことが好きなんだ。」
康介が里奈の頭に手を載せた。
「里奈も俺が好きなら、もう1回彼女になって?今なら里奈の気持ち、受け止められるよ。」
里奈が康介を見た。星空と康介の顔がリンクする。里奈は一体何回、この姿に胸が締め付けられそうになるんだろう。
気持ちを封じ込めるのをやめた里奈が、コクンと頷いた。そんな里奈の体を、康介の腕がふわっとつつみこむ。素直に顔を埋めた里奈が「康介。」と名前を呼んだ。「ん?」と康介が体を離して里奈を覗きこむ。
「好き。」
里奈が言った言葉を聞いて、康介が笑った。
「豚骨ラーメンじゃなくて、俺のこと?」
おどけた康介を見て、里奈がふふっと笑う。入学したばかりの学食での会話が蘇る。里奈が笑った。
「そうだよ、康介のこと。」
笑顔で言った里奈を見て、康介が優しく笑う。何か言おうと口を開きかけた康介の顔に、背伸びをした里奈の顔が近づいた。康介の口が里奈の口に塞がれて、康介は喋ることが出来なかった。
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