第102話「黒歴史」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、闇の世界に落ちた者たちが集まっている。そして日々、暗黒時代さながらに暮らしている。

 かくいう僕も、そういった危険な歴史を持つ人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、闇に生きる面々の文芸部にも、光の世界の住人が一人だけいます。道を間違えて、怪しい秘密結社の扉を開けてしまった普通のお姉さん。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は体を動かした。楓先輩は、楽しそうに歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩は、僕より頭一つ分ほど背が低い。そんな先輩は、小動物のような可愛さを持っている。

 僕は、思わず頬ずりしたくなる顔を見ながら、声を返す。


「どうしたのですか、先輩。ネットで、知らない言葉に出会ったのですか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットに鋭い勘を働かせるわよね?」

「ええ。ニュータイプばりに、ネットの情報を探り当てることができます」

「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、自分の部屋でも書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで宇宙の星々のように輝く情報を見つけた。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。


「黒歴史って何?」


 僕はほっとする。今回は楽勝だ。それも、僕のオタク知識を活かした解説ができそうだ。黒歴史という言葉は、今はネットだけでなく一般社会にも浸透している。その元ネタは某アニメだ。それも超の付く大作シリーズが、この言葉の由来である。


「楓先輩は、超古代文明をご存じですか?」

「超古代文明というと、ムーやアトランティスやレムリアのこと?」

「そうです。有史以前に、高度な文明が存在したとする説は、昔からいろいろとあります。そういった考え方を取り入れたアニメで、大御所の監督が作った、有名な作品が存在します。黒歴史という言葉は、その作品の中で登場した用語が元ネタなのです」


 楓先輩は興味津々といった様子で僕の顔を見る。エンタメ小説も読む楓先輩は、どうやら、超古代文明の概念を知っているようだ。それなら話が早い。そう思いながら、僕は説明を続ける。


「そういった概念を含む作品に、『∀ガンダム』という作品があります。この作品は、TVアニメ作品『機動戦士ガンダム』の誕生二十周年記念作品として、初代ガンダムの生みの親である富野由悠季監督によって作られたものです。

 この『∀ガンダム』は、奇抜な設定を持っていました。これまで数多く作られてきたガンダムシリーズ。そのすべてを、過去にあった歴史として扱い、その先にある未来を舞台にしていたのです。


 この作品の世界では、過去の文明は失われており、産業革命以前のレベルにまで衰退しています。そして、過去のガンダムの時代は、忘れられた時代として扱われます。その時代のことを、『∀ガンダム』では黒歴史と呼んだのです。

 この忘却された歴史を意味する黒歴史が、ネットの用語として、微妙に違う意味で使われるようになったのです」


 僕は先輩に、ガンダムとは何ぞやという話をする。そのあと、いよいよネットの黒歴史について解説を始める。


「ネットで用いられる黒歴史は、なかったことにしたい、あるいはなかったことにされている、過去の事実を呼称する言葉です。


 たとえば今人気絶頂の俳優が、実はデビュー当時、子供向け戦隊番組に出ていたとか。多数のファンを抱える実力派歌手が、売れない時代にアニメタイアップ曲を出していたとか。大ブレイク中のアイドルが、昔ジュニアアイドルとして怪しげなビデオを撮っていたとか。人気アイドルグループの一人が脱退して、違う分野に転向したとか。そういった時に、黒歴史という言葉は使われます。

 また、人気作のハリウッドリメイクが大コケで、話題にもしたくないという時にも黒歴史は使用されます。また、有名監督やマンガ家が鳴り物入りで作った作品が、惨憺たる結果になった時にも用いられます。


 そこから転じて、個人の触れられたくない過去や、封印したい恥ずかしい言動にも黒歴史と言う言葉が利用されます。たとえば中学生時代に書いていた、自分の考えた最強主人公の設定とか。自分が異世界からの転生者で、世界を救う力を持っているといったポエムとか。格好を付けているつもりで、ただの痛い人になっていた謎のファッションやポーズとか。そういったものが、黒歴史と呼ばれます。

 さらに破壊力があるものとして、それらをまとめた黒歴史ノートというものも存在します。若気のいたりの恥ずかしさが濃縮しており、見るだけで顔が真っ赤になって汗が噴き出すような創作物です。


 しかし、そういった個人の黒歴史は、突き抜けると創作者としての原動力になることも付け加えておきましょう。そのことをよく象徴するのは、人気マンガ『進撃の巨人』の作者の、ブログの名前です。作者の諫山創氏は、『現在進行中の黒歴史』というブログで活動報告をおこなっています」


 僕は黒歴史について一気に語った。楓先輩は僕の話を、圧倒されながら聞いたあと、ぽつりと声を漏らした。


「そういえば、鷹子のあれって、黒歴史になるのかしら」


 楓先輩の台詞のあと、部室の一角で、誰かが立ち上がる大きな音がした。視線を向けると、そこには三年生でちょっと強面、女番長と評判の吉崎鷹子さんが立っていた。鷹子さんは、高圧的で、暴力的で、僕にアニメや、マンガや、ゲームをよく持ってこさせるモヒカン族だ。そして、僕を部室の真ん中に立たせて、それらの作品の批評や解説をさせる、恐ろしい人だ。

 そんな鷹子さんが、青い顔をしながら僕たちの方を見ていた。


「どうしたんですか鷹子さん?」


 僕は、何かあったのかと思い、尋ねる。


「い、いや何でもない」


 鷹子さんは、楓先輩の方をちらちらと見ながら、ぎこちなく声を返す。僕は楓先輩の顔に視線を移す。先輩は斜め上を見て、何か考え事をしている。


「あれは、部室のどこにしまったのかな」


 楓先輩は、ぽつりと言う。その言葉に、鷹子さんが激しく動揺している。

 しまうということは、品物なのだろうか。鷹子さんが見られて困るようなものが、この部室にあるということなのか。僕は、楓先輩に顔を寄せて、小声で尋ねる。


「先輩。何か探しているのですか?」

「うん。一年生の時に、私と鷹子と満子の三人で話をしていたら、鷹子が魔法少女が好きだという話になったの。そうしたら、満子がその変身道具を持ってきて、鷹子に変身ポーズを取らせて、インスタントカメラで撮影したの。その時の写真が、まだこの部室のどこかにあるはずなんだけど」


 ふっ。

 僕は勝ち誇ったような顔をする。


 来た。来た。来ましたよ! いつも横暴な鷹子さんをやり込める瞬間が。僕がその写真を発掘して、鷹子さんの黒歴史を暴けば、鷹子さんをぎゃふんと言わせることができる。そして僕の時代が来るのです。サカキくん王朝の夜明けは近い! 僕は喜び勇んで、すっくと立ち上がった。


「楓先輩。実は僕は、ダウジングができるのですよ!」

「ダウジング?」

「ええ。地下水脈や貴金属などを探す占いの一種です。棒や振り子を使い、探しているものの位置を当てるのです。こういった、失せ物探しの場合にも応用できます」


 僕の台詞を聞いて、楓先輩は当惑している。僕にそんな超能力のようなものがあるのだろうかと、疑問に思っているようだ。

 僕はちらりと鷹子さんの顔を見る。席から立ち上がっている鷹子さんは、僕たちから視線を逸らしている。僕はわずかな笑みを浮かべたあと、机の上のペンを二本取った。


「それでは、ダウジングを開始します」


 僕は、手にした二本のペンの根元を、左右の手で持つ。そしてペンの先端を進行方向に向けて歩きだした。


「こっちかな? それとも、こっちかな?」


 ゆっくりとした足取りで移動しながら、僕は横目で鷹子さんの表情を窺う。ペンの向きに応じて、鷹子さんの顔色が微妙に変化する。なるほど、こっちではないのか。では、こっちかな? 少し行き過ぎたみたいだな。では、ここならどうかな? 鷹子さんは、僕の方を見ない振りをしているが、その試みは見事に失敗している。


 僕は大きな棚の前に来た。棚には引き出しがいくつも付いている。そのどこに件の写真があるのかは分からない。僕はペンの先端を、一つ一つの引き出しに向けていく。そうしながら、鷹子さんの表情の移り変わりを確かめる。どうやらここだ。その場所が分かった。僕はペンをポケットにしまって、引き出しを勢いよく開けた。


 そこには、手書きの原稿や手作りの豆本、ステープラーや綴じ紐などが雑然と入っていた。その引き出しの端に、クッキーの箱があった。僕はにやりとする。これだろう。写真を入れるには、ちょうどよい大きさだ。僕ならここに写真を入れる。その箱を手に取り、蓋を開けた。

 中には予想した通り、写真が入っていた。よく見えるように、写真の束を持ち上げる。そこには、魔法少女のステッキを持って、ポーズを取っている鷹子さんの姿があった。


 めくっていくと、どれも気合いを入れて構えている。

 えー……。鷹子さんは、父親が空手の師範で、母親が柔道の元選手だったお方だ。その薫陶を受けて育っている。そのせいだろう。写真のポーズには、滅茶苦茶腰が入っている。そして、きれきれのポーズになっている。

 そのため可愛さは微塵もなく、武道の型にしか見えない。それに、魔法少女のステッキが、鈍器のように映っている。これでは、メイスを持った武人だ。

 荒ぶる魔法少女。いや、魔法武道家。迫りくる敵を、魔法の力ではなく、腕力でなぎ倒すマッスルな少女。それは、魔法少女の歴史に、思わず忘却したくなるような、新たな一ページを加えるものだった。


「サ~~カ~~キ~~」


 僕は、背後で聞こえた台詞に背筋をぞくっとさせる。背中を取られた? 僕が振り向くと、まるでオーガのような形相をした鷹子さんが立っていた。やばい。僕は、写真の束を持ったまま、逃げようとする。その僕の首根っこを、鷹子さんはつかんだ。そして、顔を間近まで寄せてきた。


「見~~た~~な~~」

「見ていません! 見ていません! 鷹子さんが、荒ぶる魔法少女のポーズを取っている写真なんか見ていません!!」

「許さん!!!!!」


 僕は、アッパーカットで空中に浮かされたあと、足刀、回し蹴り、肘打ち、膝蹴りとコンボを極められて、きりもみしながら部室の床に落下した。むぎゅう。どうやら僕は、鷹子さんの暴いてはならない黒歴史を、紐解いてしまったらしい。


 翌日、僕が部室に行くと、楓先輩が、ととととと、と駆けてきた。


「どうしたのですか、楓先輩」

「サカキくんは、人の黒歴史を探し出す能力を持っているのよね?」

「えっ?」


 どういうことですか?

 ……そういえば昨日、ダウジングで鷹子さんの黒歴史を探し出したことを思い出す。


「まあ、そういった能力が、なきにしもあらずということもないことはないと思います」


 僕は、ものすごく曖昧に答える。僕にはそんな能力はない。ただ単に、鷹子さんの表情を盗み見ただけだ。


「今日は、サカキくんにね、サカキくんの黒歴史を探して欲しいの」

「ぶっ! ぼ、僕のですか?」


 僕は当惑しながら尋ねる。


「うん。昨日、帰りがけに鷹子が言ったの。私の黒歴史だけ暴かれるのは不公平だ。サカキの黒歴史も暴くべきだと」

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ!!!! なぜ自分の黒歴史を、自分自身の手で暴かないといけないのですか!」


 僕は思わず叫ぶ。しかし、楓先輩のきらきらと輝く目に、抵抗することはできなかった。僕は、部室でこっそりと書いていた、謎の設定の黒歴史ノートを開陳する羽目になった。

 楓先輩と鷹子さんは、そのノートを覗き見る。そして、微妙な顔をしたあと、あれこれと意見を言った。ああ~~~~~! 僕の黒歴史が蹂躙されている~~~~~! 僕の心はずたぼろになり、穴があったら入りたい気分になってしまった。

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