第101話「縦読み・斜め読み」
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、世界の秘密に精通した者たちが集まっている。そして日々、人類の破滅に立ち向かって暮らしている。
かくいう僕も、そういった禁断の知識にアクセスしまくっている人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。
そんな、裏の世界に通じた面々の文芸部にも、表街道を歩み続けている人が一人だけいます。MMRの中に紛れ込んだ、普通の女子中学生。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。
「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」
間延びしたような声が聞こえて、僕は体を動かした。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横に座る。先輩は、いつものように三つ編みをゆらして僕を見上げる。眼鏡の下の目は、まつ毛が長くて美しい。そんなご尊顔を見ながら、僕は先輩に声を返す。
「どうしたのですか、先輩。ネットで、初見の言葉に出会ったのですか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの情報を読み解く名人よね?」
「ええ。ジャン=フランソワ・シャンポリオンが、ロゼッタ・ストーンを解読するように、ネットの情報を読み解きます」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」
先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家で少しずつ推敲するためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、無限の宇宙ともいえる情報に遭遇した。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。
「縦読みって何?」
ああ、疑うことを知らない先輩は、よもやネットの文書に、違う読み方があるとは思いも寄らないようだ。文章に隠された、まったく異なる意味。それが、ネット掲示板などでよく見られる縦読みだ。僕は、先輩にそのことを伝えるために説明を開始する。
「縦読み自体は、実はネット時代以前から存在するものです」
「そうなの?」
「はい。たとえば平安時代。短歌の各句の頭や末尾に、別の言葉を織り込むことが流行りました。これは折句と呼ばれる技法です。一文字目に仕込む場合は冠、最後の文字に仕込む場合は沓、双方に仕込む場合は沓冠と言います。この折句で一番有名なのは、かきつばたですね。他には、おみなえしもあります。少し書いてみましょう」
僕は、メモを引き寄せて、記憶している和歌を書く。まずは、冒頭の文字を読むと「かきつばた」になる、在原業平の羇旅の歌だ。
からころも
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
たびをしぞおもふ
次は、同じように「おみなえし」になる、紀貫之の物名歌だ。
をぐらやま
みねたちならし
なくしかの
へにけむあきを
しるひとぞなき
「へー、こういった歌の作り方もあるのね」
楓先輩は感心したようにして声を漏らす。
「こういった折句は、日本だけではなく、世界各地で見られます。また、歌や詩ではなく、手紙にこういった違う意味を仕込む場合もあります。
ネットで知られているものでは、元カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツェネッガーが議会宛てに書いた書簡があります。これは、各行の冒頭を繋げると『FuckYou』になります。
このような文章を縦読みと呼ぶのは、ネットの文章のほとんどが横書きだからです。その冒頭の文字を繋げて読むと、必然的に縦に読むことになるわけですね。だから縦書きなのです。
また、一文字目だけでなく、二文字目三文字目まで文章が続く高度なものもあります。さらに、縦ではなく斜めに読ませる斜め読みというものも存在します」
楓先輩は、へーと言いながら、しきりに頷く。文章を書いたり、言葉遊びをしたりすることが好きな先輩の、ツボに入ったようだ。
「ねえねえ、サカキくん。縦読みは面白いわね」
「そうですね。ネットの掲示板では、たまにそういった文章が書かれます。そして、読み手が気付いた時は、あっと思いますね。僕も、そういった経験がありますよ」
「サカキくん。私も縦読みを作ってみたい。サカキくんも一緒に作らない?」
「いいですよ。互いに作って見せ合うことにしますか?」
「分かったわ。それでいきましょう!」
楓先輩は大興奮だ。これは、いいぞ。僕の心をさりげなく伝えるのに、ちょうどよさそうだ。僕は頭をひねって、文章を考える。先輩も僕の横で、メモを隠しながら一生懸命ペンを動かしている。
「ねえ、サカキくんできた?」
「あと少しです」
「私も」
しばらく無言で文字を書いたあと、互いに顔を見合わせて笑みを浮かべた。どうやら、二人とも完成したようだ。
「それじゃあ、楓先輩。見せ合いましょう」
「いいわよ。どちらから読む?」
「では、僕の方から読んでください」
僕は、メモを楓先輩の前に出す。先輩は、食い入るようにして、僕の書いた文章を見つめる。
三つ子の魂百までと言うが、その言葉には、一定の真理があると僕は思う。
つまり、人間の好みは、そう簡単には、変わらないということだ。たとえば
編集者が変わっても、マンガ家の作風には一貫性がある。そういったことを
みんな経験上知っている。なぜ、そのようになるのか。誤解を恐れずに、色
眼鏡と言われようとも書くならば、変わらぬ好みが根底にあるからだろう。
鏡に自分の姿が映るように、心に幼児の自分がいる。それが原因だと思う。
楓先輩は、熱心に文章を読んでいる。その冒頭の文字を繋げると、「三つ編み眼鏡」になる。つまり、楓先輩のことだ。僕はとても控えめに、文章の中に先輩のことを織り込み、先輩への好意を伝える。先輩は読み終わったあと、指で一文字目をたどり、目を輝かせて何度も点頭した。
「なるほどね。なかなか上手いものね」
「ありがとうございます。それでは、楓先輩の書いたものを読ませていただきます」
「うん。どうぞ」
先輩は、僕にメモを渡す。いったいどんな文章が書いてあるのかなと思いながら、僕は文字を追っていく。
文章を書くのはなんて素敵なんだろう。それ
は芸術などといわれるけど、私は遊びだと思
う。部活をしているとそう感じる。文字を連
ねるのは楽しい。だからこの文芸部が大好き。
読み終わったあと、僕は首をひねる。縦読みしても、言葉や文章は出てこない。僕は楓先輩に説明を求める。
「縦読みではなくて、斜め読みよ」
「えっ、そうなんですか?」
僕は、文章を読み直す。
文 な
芸 い
部 し
は楽
文芸部は楽しいな、というフレーズが浮かび上がる。げっ、やられた。僕は、楓先輩に負けてしまったことを知る。
「くっ、次は負けませんよ」
「私だって、複雑な文章を考えるわよ」
僕と楓先輩は、相手の顔を見て、にやりとする。そして趣向を凝らした文章を、再び作った。
僕たちはその日遅くまで、縦読み、斜め読みの文章を作り、感嘆の声を上げながら互いに見せ合った。
翌日のことである。僕は部室に顔を出した。
「こんなことになるなんて
今まで想像もしなかった。
だって予想できないわよ。
わたしどうなっちゃうの?
あわわ。縦読み病なんて」
楓先輩の言葉を聞き、僕は何かおかしいと気付く。
「あの、先輩。今の台詞を紙に書いてくれませんか」
先輩は口をつぐんで、ペンを走らせる。「こまったわ」その文章が二列目に浮き上がってきた。
「困っているんですか?」
楓先輩は涙目で頷く。
「縦読み病で?」
楓先輩は、首を一生懸命縦に振る。
えー、そんな病気があるんですか? というか、僕は何の影響もなかったのですけど。でも、純真な先輩なら、あるかもしれないと僕は思った。
それから三日ほど、楓先輩は、縦読みでしゃべり続けた。僕はそのたびに、メモを取らなくてはならず、とても苦労した。
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