第56話「大きいお友達」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、趣味に邁進しすぎている面々が集まっている。そして日々、脇目も振らない活動をおこなっている。

 かくいう僕も、そういった視野狭窄に陥った人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、困った面々ばかりの文芸部にも、まともな人が一人だけいます。腐ったリンゴ箱に迷い込んだ、フレッシュな果実。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を上げた。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横にちょこんと座る。そして、上目づかいに僕を見上げて、嬉しそうな顔をした。僕は眼鏡の下の、先輩の瞳を見る。先輩の目が、優しげに細められる。僕も知らず知らずのうちに笑みを漏らす。僕は、小動物のように愛らしい楓先輩を見ながら、声をかけた。


「どうしたのですか、先輩。また、ネットで新しい単語を見つけたのですか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットに精通しているわよね」

「ええ、日々研究に余念がありません。ノーベル賞も間近だと思います」

「その、サカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、家でも推敲するためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を使用するためだった。そのついでに、ウェブブラウザも開いた。その結果、ネットに情報の沃野が広がっていることに気が付いた。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。


「大きいお友達って何?」


 あちゃー。それはまた、困った言葉を拾ってきましたね。

 大きいお友達、あるいは、大きなお友達。略して大友。いずれもネガティブな意味合いで使われる言葉だ。子供向けのヒーローショーに参加して、子供そっちのけで最前列に座り、カメラを構える大人とか、女児向けアニメにはまり、そのグッズを大人買いして、本来のターゲットである女の子たちに、商品が行き渡らなくさせてしまう人などを指す言葉だ。


 この言葉の起こりは、ヒーローショーや、ヒロインショーの司会が、そういった大人たちに呼びかける際に使ったものと言われている。侮蔑的な意味合いで使われることが多く、自分で使う場合は、自虐的、自嘲的な用法になる。僕は、この言葉を、どのように楓先輩に伝えようかと考える。


 ……あれ? もしかして僕、大友予備軍じゃない? 説明しようとして僕は気が付いた。


 僕はまだ中学二年生だから、小学生向けアニメやヒーロー番組を見ても別段おかしなことはない。そういったショーに参加したり、グッズを購入したりすることは普通だ。でも、十年後、二十年後はどうだろう。僕は、その頃も同じことを続けている自信がある。


 これは、説明の仕方を誤ると、十年後、二十年後の自分にはね返って来るぞ。いわば、負のタイムカプセル。時限発火装置付き爆弾だ。

 僕は、未来の自分を救うために、今大活躍をしなければならない。いわば、逆バック・トゥ・ザ・フューチャーだ。あれ? それって、真っ直ぐ未来に進んでいない? 僕は混乱しながら、大きいお友達の解説を始める。


「楓先輩。アニメや特撮は好きですか!」

「私、テレビを見ないから分からないけど」

「人間には、様々な趣味や嗜好がある。それはご存じですね?」

「うん。好きなことがあるということは、とってもよいことだと思うわよ」


 楓先輩は、にっこりと微笑んで僕の顔を見上げる。ああ、やっぱり楓先輩は可愛い。僕は、先輩の笑顔に勇気をもらいながら、話を進める。


「人は子供の頃に、多くの宝物を持っています。そして、大人になると、その宝物を失っていきます。しかし、人類の中には一定数、子供の頃の楽しみと喜びを失わないまま、大人になる人たちがいるのです」

「サカキくん。何だか素敵な話ね。私もそういった大人になりたいわ。サカキくんも、きっとなれるわよ」


 楓先輩は、小さな手をきゅっと握って胸の辺りに上げる。その口調は、僕を励まし、応援するようなものだった。


 よし、布石を打った。これで、大きいお友達の本丸に切り込んでも大丈夫だ。大きいお友達は、子供心を忘れないピーター・パン。そういった印象で、先輩の心に届くだろう。

 そうすれば、十年後、二十年後に、僕が大きいお友達になっても大丈夫。先輩の目には、素敵なピーター・パンとして映るはずだ。そして楓先輩は、ピーター・パンに憧れる少女ウェンディ・モイラー・アンジェラ・ダーリングとして、僕を羨望の眼差しで見つめることになるだろう。


「大きいお友達は、大きなお友達、大友などとも呼ばれる、子供心を忘れないおじさまたちのことを指します。彼らは、子供向け特撮ショーに参加して、最前列で写真撮影をしたり、女児向けアニメのグッズを多数購入したりします。そして、子供時代のまま、そのコンテンツを楽しむのです。

 このように、大きいお友達は、いつまでも子供心を忘れない、ピーター・パンのような大人たちなのです」


 よし。これで、ポジティブなイメージで、大きいお友達のことを楓先輩に伝えることができたはずだ。僕が将来、大きいお友達と言われて後ろ指をさされても、僕は華麗なるピーター・パンとして、先輩の前に立つことができるだろう。


 僕は、意気揚々として楓先輩の表情を窺う。きっと、僕の説明に満足して、喜んでいるはずだ。


「ねえ、サカキくん」


 あれ? 大きいお友達に、バラ色のイメージを抱いている様子はないぞ。僕は、不思議に思いながら、楓先輩に応じる。


「何でしょうか、先輩」

「子供向けのイベントで、そういった大人の人たちが、最前列にいるというのはどうなの?」


 うっ、痛いところを突かれた。僕は笑顔を引きつらせて、その場で硬直する。


「それに、女の子向けの番組の商品をたくさん買ったら、お店からその商品がなくなったりしないの?」


 ぐふっ。どうしよう。化けの皮がはがされていく。


 ごめん、未来の自分! 僕は、君を救えそうにない! デュフフとか言いながら、玩具店のショーウィンドウを覗いている将来の僕。君に、先輩の羨望の眼差しをプレゼントするという計画は、失敗に終わりそうだ。


 さて、どうしよう。ここで、何か一発逆転の手を打つか? いや、ここは逆にハードルを下げよう。先ほど述べた大きいお友達の説明は、狭義の意味だ。広義の意味にすれば、その毒は一気に抜けるはずだ。


「先輩。実は、大きいお友達の説明には、続きがあるのです」

「そうなの? 私がまだ知らない、大きいお友達の秘密があるの?」

「そうです!」


 僕は胸を張り、未来の自分を擁護するために、高らかに台詞を述べる。


「言葉が普及して、より多くの人に使われるようになると、その言葉の定義は厳密ではなくなり、その範囲は拡大していきます。それは、言葉というものは、使い手によって少しずつ意味が異なるものだからです。


 人は、それぞれの人生を持っています。そして、異なる経験を積んでいます。その体験の中で、言葉の意味を類推し、身近な人とコミュニケーションするための道具とします。

 つまり、私たち人類は、長さの違う物差しで物事を測るように、すべての人々が、わずかずつ違う意味の言葉を使いながら、意志疎通をしているのです!」


 熱量を帯びた僕の説明に、楓先輩は手に汗を握る。僕は、ローマ軍の前に立つカエサルのように、自信に溢れた姿で、話を展開する。


「そういった、使用範囲の拡大とともに、その定義が曖昧になり、論争を呼んでいる言葉は多くあります。たとえば、オタクという用語は、世間への普及とともに、その意味が拡大して、よりカジュアルに使われるようになりました。

 そして、発生当時の意味から外れるような、『ちょっとだけマンガを読むような人』まで『俺って、オタクだからさあ』と、使うようになりました。


 大きいお友達という言葉も同じです。発生当初はともかくとして、現在では、児童向け娯楽作品に夢中になっている大人全般を指す言葉として利用されています。


 たとえば、児童を対象とした特撮やアニメで、本来のターゲット層ではない、大人のファン層のことも、大きいお友達と呼びます。

 この、本来の顧客層とは違う、第二の顧客層は、近年注目されています。そして、購買力の高い彼らも視野に入れながら、番組制作がおこなわれたりします。その場合は、子供向けグッズだけでなく、大人向けの高価な限定グッズが企画されることもあります。


 このように、大きいお友達とは、どこにでもいるありふれた、児童向けアニメや特撮、マンガやゲームが好きなおじさんという意味で、使うことができる言葉なのです」


 よし。大きいお友達という言葉の危険度を下げた。デトックス成功だ。これで、僕が将来大きいお友達になっても、普通の人として、楓先輩は受け入れてくれるだろう。

 楓先輩は、軽く握った手を口元に当てて、小首を傾げる。その動きとともに、三つ編みにした髪が動いて、可愛らしく揺れた。


「大きいお友達って、もしかして、サカキくんの将来の姿? それも狭義の方の」


 うっ。何でそこに気付くのですか? もしかして、先輩は天才ですか?

 あまりにも図星な楓先輩の指摘に、僕はヘビににらまれたカエルのように硬直する。


「いや、そんなことはないはずですよ。きっと」


 僕は、おろおろしながら答える。


「でも、大人になっても、子供の頃のまま好きなものがあるというのは、ちょっと素敵かなと思ったけど」


 楓先輩は、少し照れくさそうに言う。

 ああ、天使がここにいる。僕は、楓先輩のはにかんだ様子に浄化される。


 先輩は、テレビも見ないし、マンガもほとんど読まない。児童向けグッズも買わなければ、ヒーローショーに行くこともない。だから、玩具売り場や、イベント会場にいる、現実の大きいお友達を目にしたことはない。


「そうです。僕は、いつまでも子供の心を持った、ピーター・パンのような人間なのです」


 僕は、爽やかイケメンのポーズで言う。ごめん、未来の自分。僕は、今目の前にいる楓先輩に格好を付ける方を選びました。だって、仕方がないよね。僕は、欲望に忠実な若者なのだから。


 それから数日、楓先輩は僕のことを、「ネバーランドの大きいお友達」と呼んだ。それじゃあ、子供に交じって遊ぶ、ただの変態おじさんじゃないですか!

 僕は十年後、二十年後に、そうなっている自分の姿を想像して、かなり憂鬱な気分になった。

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