第8話「セクロス」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部は、文芸活動をおこなう気のない面々が集まっている。彼らは学校に私物を置く場所が欲しいとか、自由にくつろげるスペースが欲しいとか、そういった理由で入部して、自由に振る舞っているのだ。

 部員は全部で七名。三年生が三人に、二年生が三人、そして一年生が一人だ。そんな文芸部の一員が、僕、榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 あっ、そんな蔑むような目で見ないでください。これでも僕の活動は、一定の評価を得ているんです。主に、ネットのアングラサイトの中でですが。歴史を振り返ってみてください。文芸というものは、そういった少数で共有されるところから広まったりするものなのです。明治の文人たちもそうでした。少ない人で集まり、同人誌を作っていたではないですか。僕も同じです。ネット時代ということで、掲示板に文章を発表しているのです。主に、家でプレイした、エロゲの感想だったりするのですが。


 そういった、僕を含めて、やる気のない人で満たされている文芸部にも、一生懸命がんばっている人が一人だけいます。人間の廃棄場のような場所に咲く、可憐な一輪の花。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。

 楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。そんな彼女は、この部室で、一人で文芸活動にいそしんでいます。すらりとした指で、美しい言葉を紡ぎだし、自作のポエムを朗読したりしているのです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえてきて、僕は顔を向けた。ととととと、と歩いてくる楓先輩は、思わず抱きしめてしまいたくなるほど素敵です。屈託のない笑顔に、何事にも真面目な姿勢。三つ編み眼鏡の姿と相まって、それは天然記念物的な可愛さなのです。


「どうしたんですか楓先輩? またネットで、知らない言葉があったんですか?」


 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を美しく仕上げるためである。そして先輩は、そのノートパソコンをネットに接続した。切っ掛けは、オンラインの辞書を使うためだった。そこで先輩は出会ったのである。未知の言語空間に。言葉の魔術師たらんとする先輩は、その宝の山に目を潤ませた。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。


「セクロスって何?」


 キタコレ! 僕は、先輩の口から飛び出した卑猥な言葉に、顔を真っ赤に染める。先輩は、それが性的な行為を指す、ネットのスラングであることを知らないはずだ。いやいや、分からないぞ。違う質問かもしれないぞ。日本物産から一九八六年に発売されたファミリーコンピュータ用ゲームソフト「セクロス」のことを尋ねているのかもしれないぞ。うんまあ、そんなことはないだろう。


 僕は、額の汗を拭く。そして、自分の自制心に感心する。僕は、もう一度先輩の口から「セクロス」という言葉を聞きたいがために、「よく聞こえませんでした。大声で言ってください」と、お願いするところだった。そんなことをした日には、その言葉の正体がばれたあと、人間のクズとして認定されることになる。こんなにも純真に僕を頼ってくれる先輩に、そんな目で見られたくはない。ここは、きちんとした、紳士的な対応をするべきだ。そして、「そんな言葉を、大声で言ってはなりませんよ」とたしなめるべきである。


 それでは、どのように説明したらよいのだろう。それは、S・E・X、つまり「素晴らしく・エロティックな・XXX」の略だと教えればよいのだろうか。いや、それでは、あまりにもストレートすぎる。その言葉を口にしてしまった先輩を、辱めるだけだ。先輩の自尊心や羞恥心に、傷を与えないような配慮が必要だ。それが、紳士たる僕の務めです。この解説は、かなり難易度が高いぞ。僕は思わず身構える。


「ねえ、サカキくん、セクロスって何? 早く教えてよ。私の予想なんだけどね、この言葉って、スポーツの一種じゃない?」

「えっ、スポーツですか?」


 なぜそう思ったの? 僕の頭に、はてなが飛ぶ。


「うん。ラクロスってスポーツがあるでしょう。だから、セクロスってスポーツもあるんじゃないかと思ったの」

「あー。まあ、スポーツの一種と言えば、そうかもしれないですね。肉体を駆使して、何かをする行為ですから」

「わあっ、よかった。やっぱりスポーツなのね! それじゃあ、睦月ちゃんを呼びましょう。この部室で、一番スポーツ少女だから!」


 先輩は嬉しそうに両手を合わせて、笑顔を見せる。

 おいおい、ちょっと待った~~! 僕は、どうにかして先輩を止めようとする。セクロスの説明に、これ以上関係者を増やしたくない。そんなことをすれば、解説したあとの、僕への蔑みの目の数が増えてしまうだけだ。


「ねえ、睦月ちゃん~!」


 先輩は体を少し傾けて、入り口近くにいる、日焼けしたショートカットの少女に手を振る。


「何ですか、楓先輩」

「セクロスって知っている?」

「いえ、知らないですが。何ですか、それ?」

「スポーツらしいのよ」

「へえ、それは初耳ですね」

「どんなスポーツか、一緒に考えて欲しいの」

「分かりました。協力しましょう」


 うわああ、やめてくれえええ。僕は心の中で身悶える。睦月は、僕たちの近くにやって来て、椅子に座った。久しぶりに睦月の顔を正面から見た気がする。日焼けした顔の睦月と目が合った。睦月は、少し恥ずかしそうに顔を赤らめ、目をわずかに逸らした。

 保科睦月は、僕と同じ中学二年生で、幼馴染みだ。保育園の頃からの友人で、小学校時代は、よく一緒に野山を駆け回った。そんな睦月と、いつ頃からか、まともに話さなくなった。そうなったのは、中学に上がったあとだ。睦月は水泳部と文芸部に入った。水泳部は、自分がやりたいこと、文芸部は、僕がいるからと言っていた。せっかくそう言ってくれたのだから、水泳部に見学に行こうと思い、僕は室内プールに遊びに行ったのだ。


 僕は、その時のことを思い出す。

 水に濡れ、体にぴっちりと張り付いた競泳水着を着た睦月がいた。冬以外は屋外で泳ぐ睦月は、肌が小麦色に焼けている。その肢体は、女性のふくらみと曲線を持ち、そこを滑る水滴は、美しい音楽のように、リズムよくプールサイドに落ちていた。

 正直な話、僕はその姿に見とれた。目の前に、今まさに、開花しつつある少女の肉体があることに感動した。僕は、幼馴染みの気安さで、そのことを睦月に伝えた。睦月は目を泳がせて、近くのバスタオルで自分の体を覆った。


「そんな、もったいないよ、睦月! とっても、きれいな体を隠すなんて!」


 僕は心の底から、その台詞を言った。


「そ、そう。ユウスケが言うなら、見せないこともないけど」


 睦月は、恥ずかしそうにバスタオルを取り除き、目をつむって、姿勢を正して僕の前に立った。僕は、その自然の美を愛でるために、数センチの近さまで寄って、丁寧に観察した。

 水で濡れた髪、筋の通った鼻、美しい曲線を描くあご、そして、首のなめらかさ。視線は徐々に下りていき、胸のふくらみを捕らえ、引き締まったお腹をなめ、横に広がり始めた腰のラインを見た。太ももの間は、わずかに隙間があり、その先の水辺の様子が見て取れた。僕は、筋肉と脂肪がバランスよく付いた脚部をゆっくりと観察する。よく鍛えられたふくらはぎも鑑賞した。そして、足の甲の骨の一本一本を目に焼き付け、爪先で女体の旅を終えた。


「いつも、水着姿だったらいいのに」


 僕は、爽やかな笑顔でそう言った。ジャニーズのアイドルも真っ青な、素敵な笑顔だったと思う。睦月は、恥ずかしそうに手を後ろで組んだあと、つぶやいた。


「ユウスケが見たいなら、たまにこの格好になってあげる」


 それが一年の時だ。そして現在、睦月は、文芸部の部室で、水着姿で過ごすことが多い。だいたいは競泳水着で、三日に一度ぐらいは、スクール水着だ。どうして睦月が、それほどまでに、僕の嗜好を押さえているのか分からない。でも、その奇行を華麗にスルーして、僕は睦月の肢体の美しさを、この文芸部で堪能しているのだ。

 そういった、視姦する側とされる側になって以降、僕と睦月は、あまり会話をしていない。それは、とても不思議な関係だった。


 時間を、今に戻そう。今日の睦月はハイレグの競泳水着だ。そのスポーツ少女と、三つ編み眼鏡の楓先輩が並んでいる。これはまさに眼福である。僕は、文芸部を選んでよかったなあと、しみじみと思う。


「セクロスですか。どんなスポーツなんでしょうね」

「サカキくんは、セクロスを知っているみたいだから、ヒントを教えてもらおうよ!」

「分かりました。セクロスについては、私も興味がありますし」


 あ、ああっ! そういえば、セクロスの話をしていたんだ! 僕は絶望を感じる。駄目だ。このままでは、僕は変態認定されてしまう。女の子たちにセクロスと連呼させた、変態中学生として、全校生徒から蔑みの目で見られてしまう。どうするか。どうすればいいのか。しかし、先輩と幼馴染みは、果敢に質問を開始した。


「ねえ、サカキくん。セクロスは、ボールを使うスポーツなの?」

「ええまあ、ボールが関係ないことはないですね。主に、攻め手が所有しているものですが」


 うわあぁぁ、何を答えているんだ僕は! それは、ボールはボールでも、ゴールデンボールではないか!


「ユウスケ。バットみたいな棒は使うの?」

「うん。それでずんずん攻撃するんだ」


 駄目だ。自分の口を、自分で制御できない。僕は心の中で涙目になる。


「だいぶ、ヒントをもらったね睦月ちゃん。攻撃側が、ボールや棒を使うのね。他に、スポーツで使いそうなものって、何があるかなあ?」

「そうですね。サッカーみたいなネットや、ゴルフみたいな穴がありますね。球技では、そういった場所にボールを入れることで得点できるものが多いですから」

「サカキくん。ネットや穴は使う?」

「え、ええ。穴は使いますね。主に受け手側が」

「だいぶヒントがそろったね!」


 楓先輩は、嬉しそうに競泳水着姿の睦月の両手を握る。うわわわわ。僕はどうすればいいんだ。このままでは、道具の使い方を聞かれてしまう。その前に、部室を去ろう。そうすれば答えなくて済む。僕はこっそりと、抜き足差し足で、出口に向かおうとする。

 その腕を、睦月が両腕でつかんだ。競泳水着越しに、睦月の胸が僕の手に触れる。僕はめろめろになり、全身の力を抜く。元々、運動部の睦月と、運動不足の僕とでは腕力が違うのだ。僕は睦月のなすがままになり、元の位置に引きずり戻されて、椅子の上に座らされた。


「ユウスケ。都合が悪くなったら、すぐに逃げようとする癖は、よくないと思う」


 睦月は僕に顔を寄せて、覗き込む。その顔が、間近に迫ることで、僕は顔を真っ赤に染めた。そんな僕の横に、楓先輩がちょこんと座る。そして、両手を僕の手の平に添えて、上目づかいで笑顔を見せた。


「ボールと棒と穴を、どう使うか教えて」


 その満面の笑みに、僕はとろけそうになる。


「できれば、実演を交えて、説明して欲しい」


 正面の睦月が、真面目な顔で言った。

 退路は断たれた。僕は、この二人の美少女の前で、セクロスの何たるかを、演じて見せなければならない。ああ、僕の人生は終わった。さようなら、マイライフ。僕は、仕方なく、服のボタンを外して、シャツを脱ぎ始めた。


「な、何をやっているの、サカキくん!」


 先輩が、首筋まで紅潮させて、口をあわあわしながら両手を振る。正面の睦月は、顔を逸らしながら、僕の肉体を見るためか、視線だけこちらに向けている。


「いや、セクロスを実演するために」

「サ、サ、サ、サカキくん、そのために、服を脱ぐ必要があるの?」

「ええまあ。セクロスは、ネットスラングで、男女の交合ですから」

「えええええ~~~~~! サカキくん、スポーツだって、言ったじゃない!」

「いやまあ、肉体を駆使する意味では同じです。ペアスポーツというか、ダブルスというか」

「いやああああ~~!!!!」


 先輩は両手をばたばたとさせて、部室の一番奥に行き、机の陰に身を隠した。そして、顔だけこちらに出して、ガルルルルといった表情を見せる。ああ、怒った顔の先輩も素敵だなあ。僕はその顔の可愛らしさを堪能する。

 気付くと、睦月が僕の肩に手を置いていた。


「実演、する?」


 睦月の目が潤み、口から甘い吐息が漏れていた。競泳水着姿のために、全身のラインはあらわになっている。そして、多くの肌が露出している。僕は、自分の下半身が熱量を増していることを感じた。


「駄目えええ~~!」


 楓先輩が走ってやって来て、僕と睦月を引き離した。睦月は、ちょっと残念そうな顔をして、自分の席に戻っていった。先輩は僕に向き直ったあと、真面目な顔をして顔を近付けてきた。


「サカキくん。部室で、エッチなことを言ってはいけません。先輩として、きちんと注意しておきます」


 いや、最初に言い始めたのは、あなたなのですが。そう喉元まで出かけたが、僕は素直に「はい」と答えた。先輩は、ようやく表情をゆるめて、へなへなとその場にへたり込んでしまった。


「大丈夫ですか?」

「緊張したわ」

「どうしてですか?」

「だって、睦月ちゃんとサカキくんが、いい雰囲気だったから」

「えっ?」


 先輩それは、期待していいのですか? 僕は、この先輩の反応を、よい方に受け取ろうと思った。

 しかし、それから一週間、受難の日々が待っていた。先輩は、睦月に、きちんと制服を着るように指導した。睦月は正直に従っていたが、一週間経つと、また水着姿に戻った。僕が喜んだことは、言うまでもない。

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