エッセイ 愛情


 愛情とは何だろうなって、僕はいつも考えている。不思議と身近で、不思議と遠い存在に感じる愛情という言葉は僕ら人間にとって不可欠なものだろう。

ある先生が僕に言ったことがある。

「三歳までに母親が愛情を与える。6歳までに父親が子供に倫理観を与える。」

なるほど。

そんな風に考えるものなのか。僕はそうやって納得した。

僕の家族は正直言って家庭円満ではない。七年前から両親の不仲で家庭内別居が続いている。僕も飛び出してしまい、結局家族がそろって何かをしたのはもうはるか昔のように感じる。

僕が危惧することは一つだ。父が法事の際に家庭内別居のことを話そうと決めていることだ。

僕は何もわかっていない

何も考えていない。

そうよく兄には言われていたが、僕も一応は考えている。

どちらかに偏ればどちらかに犯されてしまう。僕は父に、兄は母についたけれど、僕はそんなことはどうでもいいと思っている。確かに母とは不仲ではある。けれど、うまく会話もできず、意思疎通もできない間柄で仲良くやれるほうがかえっておかしいのだ。だから僕は母と不仲でも仕方ないと考えている。自分がそういう時間を持てるときに持とうとしなかったから今この現状があると受け止めるほかない。

父は母が悪い。

母は父が悪い。

断固としてその二人の意見が交わり解決し、家庭が良い方向に向かうなどと僕は考えていない。でもそれでもいいではないか。ふとそう思える時が来たのだ。僕はそれでいい。それでいいんだ。

愛情

この一言はとても重く、深く。失くしてしまったらもはや人間として認められないくらいのものに感じるが、それでも僕は愛情を受けていると主張できる。

僕が愛情を受けていなければこんなにも感受性豊かに自分のために人のために涙が流せただろうか。誰かが笑っているそばで、同じように笑うことができただろうか。それはもう、僕にしかわからないことだから、否定などは絶対にさせないのだ。

家族がバラバラになり、それが子供苦痛になる。

それは何歳までのことだろうか。僕はもう二十を超えた。確かにあだ甘えていたい。なかなか甘えられなかったこともあった。だからこそ、お母さん、お父さん。と袖を引っ張りたい気持ちがあるが、僕はもうもっと周りに目を向けていいのだと気が付いたのだ。

甘える相手は家族だけではない。家族以外に僕のそばには甘えてもいい人がいるということに納得しなければいけない。それができないということは、僕にとってその仲間たちは何になるんか。ただの底に偶然鉢合わせた人になってしまう。そんな人たちと仲間になったわけではない。だから、存分に甘えさせてもらおうと思うのだ。

僕が甘えることで、誰かを甘えさせられるとしたら、それはいいことではないか。僕らは一人ではなく、うまくうまく回っている。だから、僕は甘えて、僕は甘えられて、そんな関係ができたら最高だと思っている。

いつか主張するだろう。

家族がバラバラであると体裁を気にする何らかの人に僕の家族が否定されたとき。

僕はきっと言ってしまうのだろう。

この場にいない、母に変わって、僕の話を聞いてください。

母は強がりで、意地っ張りです。皆さんにも素直に甘えることができなくて、仮面をかぶっていたように思います。娘の自分としてももどかしく辛く悲しいことではありましたが、母には精一杯の生き方です。それは、母に変わり私が謝罪します。皆さんの思うように動けない母のことを、皆様の思い通りにならないことを。けれど、母は人間です。母の生き方と、というものがあります

指針があります。それだけは娘として絶対に否定されたくないのです。母は私にたくさんの愛情をくれた一人の人間です。そして、親戚の皆さんも私にたくさんの愛情を与えてくださった人の一人なのです。家族がバラバラになり子供が不自由し、困ることよりも、家族がバラバラになっても子供の心が寂しくなることのほうが悲しくないでしょうか。私はそうはなりたくありません。

もし、両親が分かれるとしても、居を別にし、会うこともなくなるようにするかもしれません。それでも一つ言えることは私はこの人の娘であるということです。

夫婦は他人でも子供は他人ではありません。だからこそ、夫婦が分かれたときにわかることができるのは子供ではないでしょうか。愛された子供ではないでしょうか。違いますか。

私は両親の幸せを願います。自分の幸せも願いますが、家族の個々の幸せを願います。

それではだめでしょうか。

私の家族は、私だけのものです。それを忘れなければ家族は家族であると私は信じてはいけませんか。

このセリフがうまく言えるだろうか。涙でかすむかもしれない。けれど、家族は私にとって、形ではないのだ。心なのだ。

走って病院に連れていってくれた母。

病院に駆け付けた父。

家出して泣きながら追いかけてきた父。

言葉を交わさずにも、私を思った歴史の数々の束。

私はそれを見なかったことにはできないのだ。それを心というのではないか。私は、すごい家族を持ったと胸を張って言える。私はすごい両親に出会ったといえる。それだけは嘘じゃないんだよ。そう言ってもいいだろうか。

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