エッセイ 未来へ送る手紙
歩く、歩く、歩く。何も考えずにただ行けるところまで歩く。それがどんなに今よりも近い、いつでも行ける場所へたどり着いたとしても、今、歩いていることにキット意味があると思いたい。今が苦しくて、悲しくて、もどかしくて、すべて捨て去ってやりたくても、私は生きている。
生きてさえいればきっと何とかなる。
私の大好きな人。尊敬する人。たぶんあらゆる偉人よりも、先生と呼ばれる人よりも大きな存在。二十二歳の私は何も言えていない。「ありがとう」さえおぼつかない。もどかしく、顔を見れば、どうしてこういう人間が生まれるのだろうと思う。
素直という言葉がある。素直に自分と向き合うことができて、素直に表現することができて、いつもまっすぐで恥ずかしがらない、自信で満ちている人のことをさすように思う。
もちろん、私とは程遠い存在だ。どうすればいいんだろう。考えている間に物語は進んでいってしまい、その場面で伝えなくてはならないことは言えず、焦って今度は空気が北極で食事をしているように凍てつく。皆の視線がいたく、何を考えているのか勝手に思い込んだ。私は「考え症候群」なのだ。子供のころに何も考えず発言を繰り返した影響で、人を傷つけていることに気づき、考えるようになってしまった。
考えてきたことを「考えないようにする」努力をしてみてたり、忘れてはならないことを「忘れる様」努力してみたり。私はこんな風でいいのかとやはり考えている。捨てることは失くすことで、私は、私を削り落としている。私はいつも私を探している。どの自分が一番自分らしいのかわからない。技で、自分がどんなふうに倒れるのかがわからないのと同じようにどんなふうに喜び、どんなふうに起こり、どんなふうに悲しみ、どんなふうに楽しめるのか、いつも探している。
そして、生と死。いつも考える。
今、私は包丁を握らない。なぜなら自分を傷つけてしまいそうだからだ。夢の中で何度も繰り返している。夜更け、三時か四時か。それくらいの時間に私はフラっと寝床から出る。の語が乾いて水を飲んで、少しだけ呆っとする。夢か現実かわからなくなりながら、突然湧き出る不安と絶望感で気持ちがいっぱいになる。フラスコの中の水があふれ出すように私の目からは音もたてずに涙が落ちる。何を思った涙か、何のための涙かわからない。けれど、悲しくて苦しくて切なくて、どうしようもなく息苦しい。誰に助けてと叫ぶ??誰が来る。包丁は私を選ばせてくれる。「生きる」「死ぬ」。シェイクスピアが残した名言、To be, or not to be .that is the question.生きるべきか、死すべきか、それが疑問だ。
生きていて私はどうにかなるのか。自分を見つけ出して心から笑うには、過去に戻りたい。
左腹部が赤く染まる。痛みはない。苦しみもない。遠くなる意識が、私を楽にする。何も考えなくていい。素直になろうと頑張らなくていい。忘れたいことを忘れろといわれて苦しむ必要もない。あぁ、楽になる。
そうやって、深い眠りから目を覚ます。今日も始まった。今日も何かを見つけるために人間は「一日」を始める。それは私も同じ。未来に私はいないといいな。私はたくさんの人やモノや事象を壊すと思う。私に残るものはむなしさと寂しさの塊だ。もし、未来に私の手元にむなしさや寂しさ以外の温かいものが残っているとしたら抱きしめよう。精一杯愛そう。泣いて、抱きしめて、ありがとうも大好きもたくさん言って、これからもそばにいてって辱めもなく伝えよう。約束だ。これは私が幸せになった時に果たす約束。
だから手に握った刃物で私を殺さないで、そう言いたいけど、消えてもいいと思う自分がいることも認められる人間になりたい。
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