エッセイ 高校を四年間通うということ。
高校を四年間通うということ。
私は高校を四年間通った。ここで一言、断言したいことがある。
それは、『私自身高校に四年間も通うと思わなかった。』ということだ。
私の中で人生設計というものはなかった。
中学受験は無理やり受けて、受験校の前で母に渡されたキットカットが切なく感じたというくらいのものだった。もちろんその受験は落ちて、公立の中学校に電車に乗って通うことになった。
高校受験も、私を焦らせる要因にはならなかった。困ったことに、受験ぎりぎりまで願書の書き方すら学ぼうとしない自暴自棄さだ。自分の将来を考えるよりもその時を楽しんでいたように思う。
そんな風だから、高校で挫折を味わうなんて一切思っていなかった。
皆と同じように高校を三年で卒業し、無難な大学を出て就職するんだろうなぁ…
と、他人事のように考えていた。
しかし、私の高校生活は今思うと波乱万丈だったのだ。
意地と、恥。そんなものを中学の時には持ち合わせていた。そのせいで、友人のいない高校を選択するというおバカなことをした。
「志望校どこ?」
と聞かれて
「誰も行かなさそうなところ。」
という自分が何だかかっこよく見えていた。(それは大いに間違いなのであるが。)
そして、誰も受験しない辺境の地の某私学に入学するわけである。
校則は厳しく、いちいち先生の言うことがウザったい。そんな風に思う毎日だった。
その場所場所によって順応していく生き物が人間だと思っていた。
もちろん、それは中学の経験からによる自信もあったが、それでも、順応できない人間はいるものだと感じた。
周囲の友人との壁を入学してから感じていた。私のような変な奴はいないということだ。
教室は40人学級で机が前から後ろまでぎゅうぎゅう煮詰まっている。
私はその一番後ろの座席だったせいか、休み時間は自分の席に座っていられなかった。
座っていると後ろのロッカーとの間がなくなり、人が通れないのだ。仕方なく、休み時間はロッカーの上に座った。
ただロッカーの上に座り込み、本を読んだり、「天気いいなぁ」とぼおっとしたりしていただけなのだが、後々同級生に聞くと、
『ロッカーに座ってる怖いやつ』
という印象を皆が持っていたらしい。そんなに眉間にしわを寄せて座っていたわけではないのだが、もともとの顔が怖いのも仕方がないと思うのだが・・・・
ただ、私は皆の通行の妨げにならないようにとロッカーに座っていて特にまじめなことは考えていなかった。
私はこうやって友人を積極的に作りに行かなかった。その為、おろおろとまじめな学級委員長の女子がが話しかけにくるまで一か月は便所飯だった。
(私学なので、便所飯もなんだか悪くないくらいきれいだった。)
男みたいな怖い顔した女子の中のやばいやつ。
という印象を持たれたまま、あまりなじまないままその高校での生活を続けていると、一学年上がりクラス替えですぐに順応できなくなった。
私に勇気を出して話しかけに来た学級委員長とは文系理系クラスで別れてしまい、私はまたロッカーの上に座るやばいやつという印象で二学年をスタートさせた。
授業中は、先生の言葉や文章を板書し、なんとなく何も考えず、早く授業が終わらないかなとかんじていた。もちろんつまらない授業は机の上に突っ伏して寝るほどの図々しさも持っていました。
ある日、とてもまじめに聞いていた物理の授業中にとんでもないことを教師に言われてから私の世界は一転した。
何を言われたか、とても気になるところ。しかしここでは伏せたいと思う。
それはもう「お下品。」
「げひん」とは言わない「おげひん。」と「お」も「。」もつけちゃう。それ位女性としては発するにはいかがなものか、女子に発するにはいかがなものかという言葉だった。
苦手科目で、せめて平均点だけは死守したい。そう思いながら必死に授業についていこうとしていた私の心をへし折り、やる気どころか登校、そしてその教師と顔を合わすことも嫌にさせた。
こうして私は学校に行かなくなった。
時々行けば、学校に来なくなったふてたやつ。もしくはたまに学校に来たと思ったらロッカーの上で本読んでて物理の授業はふてるやつ。そんな印象だっただろう。
もう、クラス中が事実を知っているのに、学校が教師を擁護するとは何事か。と怒りが頂点に達し心労がたまって私は壊れてしまったようだった。
ようやく私に火が付いた。
今まではどうでもいい。何とかやり過ごせばいい。と勉学に関してはその程度の意気込みだった。
学歴社会?そうだねそうだね。でもさ、学歴よりもっと大事なことない?それでもまずは勉強しないといけないんじゃない?
なんて自問自答を始めるようになったのもこの頃かもしれない。
私は猛勉強した。嫌いな英単語を一日に百単語は覚えた。数学もがりがり問題を解いた。
そして、私はこの某私学を辞めた。
あたらしい学校はそこそこの不良校だった。
おうおう…こんなに自分よりできの悪いのがいるのか。心の中でそう思うほど自分の授業態度が良好に感じられた。
授業に出席しているだけで先生が喜ぶ学校なんてめったにないのではないだろうか。板書をしている生徒が教室に何人いるかというレベルだった。
携帯をいじるのは日常茶飯事、最悪は電話がかかってきて授業放棄。レベルが高すぎる。
時々「夜露死苦」なんて書かれた服を着てる「いかにも」という男が入ってくるんだからもうついていけない。
と、思いきや…
「ねぇ、そのノート後で貸してください。留年だけはしたくない。」
なんて隣の席のヤンキーは素直に頭を下げるやつだった。高校卒業しなかったら親が泣くからなんて言うようなタイプには見えないが、その時あまりの眼孔に「あ、はい」と言ってしまった私は完敗だった。
私はとても生意気だった。ギャルと不良のたまり場のような教室内はとても空気が悪く感じた。周りが仲良くしようとしてくれている雰囲気を醸し出していても、私はそこに上辺の笑顔で対応したのだ。
要するになじめなかったのだ。自分からその空気の中に入ろうとしたが、やはり合わないと思ってしまうと意地でも合わせなくなるものだ。
私は孤独をこのんだ。
幸運なことに、学校を変える際に単位数によって授業の選択が変わることが私にとって救いだった。私は前の学校で授業の単位数が少なく、転校してから単位を多くとらなくてはならなかった。
そのため、同じクラスの人間よりも、年下のクラスの授業とかぶることが多く、上級生だからという理由で話しかけらられることも少なかった。
半年ほどその高校に順調に通っていたが、また学校に通えなくなった。
心は一度弱くなるともう一度強くなるのに時間がかかりますのでゆっくりやりましょう。
そんなことを医者に言われ、私は不登校になった。
電車の前で何時間も座り込み、学校に行かなくては学校に行かなくては・・・と一人葛藤していたことが親にばれたのだ。
そして、また半年ほど引きこもった。毎日文章を書き続けた。今の自分がどんな風なのか、言葉にして残さなければ自分が消えてしまう気がしたのだ。
朝起きて、両親を仕事に送り出し、パソコンの前に座り文章を書く日々。
夕方五時になれば夕飯を作り始め、親が帰ってきたら一緒に食事を摂り、またパソコンにかじりつく。
家から出ない生活を続け、中学の友人が声をかけてこないと家から出るのも怖くなっていた。
そんな生活を半年続けていると、学校の単位もたりなくなるわけで。
「もう一年通わないと卒業できない。」
そうお達しが来るのも仕方のないことである。
衝撃だった。まさか自分が留年するなんて・・夢のまた夢の、レアな人間だけが経験できるものだと思っていたが、まさか自分が。しかも高校で。
そのあとは劣等感との戦いだった。
四年間高校に通うということは、年下と授業を受け、単位を落とした授業をもう一度受けなおさなくてはならないということだ。
プライドも意地もめちゃくちゃだった。
私はできる限り授業に出た。しかし、授業は聞かなかった。地理の時間に英語の勉強をしたりしていた。もちろん先生には注意されたが、テストでの点もよく、出席率もよいので段々といわれなくなった。
四年目は心を閉ざし、黙々と勉強に励んだ。
出席は最低限で、できる限り。という日々の目標をこなす。空き時間や、授業のない日は図書室にこもって勉強していた。
ノートを貸してほしいなどとは一切言わなかった。それだけはプライドが許さなかったのだ。授業は出なくても内容に遅れは取らないように必死だった。
周囲は大学に行き、新しい環境での会話がふえ、私はその集まりに行くのでさえ億劫になっていたが、それに顔を出さなければ今度こそ自分の意地がみっともないものに感じるようになってしまう気がした。
今ある自分が自分であることに意地を持った。
「もう一年、大変だな」
なんていうやつ、ありがとうと私は言えるようになった。
自分のせいでこうなったけど、私のために「たいへんだな頑張れよ」と言ってくれる友人に感謝した。私が頑張れたのは包み隠さず、私に本心をさらけ出してののしってくれる友人がいたからだと思っている。
高校を四年通うということは、覚悟がいる。
「遅れる」ということは私たちにとって劣等感の塊で、会ってはならないことだとされている。
けれど、仕方なく、事情があり、そういう現実にぶち当たった私は、それを乗り越えることにより、少し笑えるようになった。
違うことに否定感を持つのではなく、違うということが個性であるということ、自分らしさがにじみ出ていることを覚えるいいきっかけになった。
もし、自分が思っていた人生を歩めてなくて苦しいと思う人間がいたなら、いい人間だと思う。
寂しさも、悲しさも、悔しさもたくさん味わって、喜びを感じることはありきたりな人生では薄っぺらいものではないだろうか。
だから、自信を持って歩け。
躓いた瞬間、顔をあげられない瞬間。それでも歩いているということが大事だ。
私は高校に四年間通い、いろんな感情を織り交ぜながらも今自分がいることを否定しないだけの自信は得たと思っている。
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