エッセイ 考えることは難しい

考えることは難しい。


時々まっすぐ、ひたすらまっすぐに歩いたらどうなるだろうと考えたりする。

真っすぐの道だったらそれでいいけどT字路とか、飲食店とか障害物が目の前に現れたらそれを突き破ってでもまっすぐに歩いてみたいことがある。

ただひたすらにまっすぐ歩き続けたら世界一周できるのではないだろうかって。そんな風に考えちゃう。

人間まっすぐに歩くことってとても難しい。

私は紆余曲折して今、まっすぐ「らしき」道を進んでるけれど、ただただまっすぐに歩き続けた人は素直というよりも、残念に近いような気がするんだ。

まっすぐ歩いて何かにぶつかったとき、私は何回も膝を抱えて前後に揺れた。

これも違う、あれも違う。自分自身の存在否定なんて当たり前。母親を泣かせるようなこともあった。

でも、まっすぐ歩きたくない人間はいないと思うんだ。

曲がって、ひねくれて迷惑かけっぱなしなんてそんな人生だれも望んじゃいないと思うんだ。

私はだから考える。

いつもまっすぐに歩いて、壁が目の前にできたとき、膝を抱えて前後に揺れる。言葉を書いて、考える。とっても難しいけれど、自分の目の前の壁は自分にしか見えないからどうしようもない。

ここで、誰かに相談するという手がある。

だれでもいいから私の話を聞いてほしい。そう言って酒で流し込む悩みなら、そんなもの考えるのをやめてしまいたい。

私はいつもそうやってしまうからだ。

けれど、悩んでいる間に聞く人の言葉は雄大だ。

私にない答えは私以外の人が持っている。

それが私に会うか会わないかは別として、情報として持ち歩くことに損はない。

まっすぐに歩いてぶち当たった店に入ることもある。

こんにちは。ここは今日の壁です。何のお店だろう。

そうやってお店の中に入って、ひたすら時間をつぶす。興味のない雑貨屋や、洋服屋だとしても30分くらいは時間をつぶす。

それが無駄だと思ったら生きているのをやめてしまえ。

私はそんな無駄な時間を今まで作ってこなかったのだ。

いそいそと忙しく動き回り自分を考えなかった。壁はそのせいでかなり分厚いものになってしまったから、私は今その壁を竹串でほじくり穴を開けている。

今の私のレベルはそんなものなのだ。

公園のベンチで音楽を聴きながら、小説を一冊読む。

何も考えずに公園を歩いてみる。

ふと携帯電話を見て予定があったことを思い出して急いで家に帰ってみる。

近くの喫茶店のマスターと世間話をする。

大好きな音楽を聴いて涙を流す。

ゆっくりと珈琲を挽いて、淹れる。ゆっくりと流れる時間にほっと心を落ち着かせる。

誰かが切ない気持ちをしていないか考える。みんなが笑っている世界とはどんなものかを考える。

世界に旅立っていく友人の情報を入れながら、自分が日本人であることを理解する。

そして何も知らないことを覚える。

私は日本に生まれたのに、こんなにも日本のことを語れない。

生きることは知ることではないだろうか。

私と言う人間ができるまでの歴史と、私と言う人間がたどってきた歴史をつなげていまだ。

誰が私を嫌おうと私は誰も嫌うことができないように、人は人を知って考えをつなげていくのだ。

外に出ることが怖くなることがある。

無知であることが最大の罪である。

私はそう思うと自分がどれだけ学ばなかったかを知る。自分が外に出れば笑われる錯覚に陥るほどだ。

今からでも遅くない。。ゆっくり本を読み、話を聞き、話をし、時の流れに身を任せよう。

私はどんな人間になるだろうか。



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