第十一話 時のアルカナム

 私たちの居る部屋の扉を開けたのはおじいちゃんだった。


「おじいちゃん!」

「おとうさん!」


 疲れ切った表情のおじいちゃんは、私たちの顔を見てホッとしたのか、ため息をつく。


「怪我は無さそうだな」

「ご、ごめんなさい! 不覚を……とりました……」

「おとうさん……大丈夫?」

「ああ、これくらいならまだ平気だよ」


 お祖父ちゃんはお父さんの頭を優しく撫でて、無理に笑ってみせる。

 まだ子供だもんな、今のお父さん。

 私に最後に笑ってくれた時も、こんな顔だった気がする。


「お前は家に戻ってお母さんを守っててくれ」

「お母さん、強いよ」

「……何時かこの言葉の意味がお前にも分かるようになる」


 そう言ってお祖父ちゃんはお父さんに手をかざし、空間かなにかを弄ってお父さんをどこかに飛ばしてしまった。

 それにしてもお祖父ちゃん、総介さんっぽいこと言うなあ。大きくなったらきっとああいう感じの既婚眼鏡黒幕になって、最終的に敵か味方かわからなくなっちゃうんじゃないだろうか。


「さて、アイダ」

「や、やっぱり怒ってる……怒ってます?」


 お祖父ちゃんは首を左右に振る。

 そして私の隣に腰掛ける。

 そのまま私の肩に腕を回す。

 ど、どういうこと!? 急に! 近い、近いよお祖父ちゃん!


「サマノスケをありがとう」

「へ、へ、へぇ! 私にとっても父親ですし!!」

「アイダが来てくれたお蔭で、妙なことをされずに済んだ。そう思うよ」

「そ、そ、そんな~! 私ができたことなんてほんと! ほんの僅かっていうか!」


 どうしよ~う! ただでさえ格好良かったお祖父ちゃんが、若かりし日の姿で、急接近してくるよ~! やだ我が祖父ながら顔が良い! ちょっとテンション上がってきたかも! ごめんねアトゥちゃん!


「ところで、佐々総介とどんな打ち合わせをしたのか教えてもらえるか?」

「ひぇえっ!?」


 いつの間にか、私の胸元に、儀式用の短剣が突きつけられていた。

 おかしい。

 総介さんのくれた情報によれば、この時代のお祖父ちゃんは生身だったら只の高位魔術師だった筈。

 近接戦闘や、まして暗器の使用なんて、できるわけがない!

 ……いや、できちゃうんじゃない?

 だって長瀬斬九郎の傍でずっと秘書やってるんだよね?

 普通に、仕事の合間を縫って、少しずつ教えてもらうだけで、多分そこそこ高い戦闘能力を手に入れられちゃうよね?

 なんだかんだいってお祖父ちゃんも器用だったし!


「あ、あ、あの……!」

「誤魔化すことはない。君が彼となにがしかの契約を結んでいることは既に掴んでいる。こちらの世界に来る際に、やつの手を借りたんじゃないか?」

「う、あう……!」


 アトゥちゃんが居ないせいでごまかしが効かない。

 

「既に魔術で君の記憶は読んでいる。素直に話して欲しい」


 と、と、年頃の! 女の子の! 記憶を!

 いや、でも緊急事態だしな。仕方ないよな。

 じゃなくて! どうしよう! 素直に話す? それともしらばっくれる? あるいは情に訴えかけて見逃してもらう?


「わ、私の世界が滅びたって話は……しましたよね?」

「ああ、聞いた」

「その世界では、お祖父ちゃんが突然現れたティンダロスの猟犬に絡むゴタゴタに始末をつける為に、無茶をして死んでしまったんです」

「それで、その後にあった諸々の混乱の中で人類は衰退した……そうだな?」


 というか全滅だ。

 前触れ無く突然現れたティンダロスの猟犬に対応できず、打ち勝った後の人材・資源の枯渇はもうどうしようもなかった。


「はい。でも、私は別に未来を変えようと思った訳じゃないんですよね」

「どういうことだ?」


 私は自虐的な笑みを浮かべる。

 そう、そこは別に大事なところじゃなかった。


「この世界を変えても、未来って変わらないんですよ。平行世界が生まれるだけです。アトゥちゃんがそう言ってました。ニャルラトホテプの化身間に存在するデータベースで調べてもらったので多分間違いないと思います」

「時間移動によるタイムパラドックスの話か」

「それどころか、この世界に来ることで、下手をすればティンダロスに目をつけられる可能性もあるんですよね。実際、私がこうして来たことで、ティンダロスの猟犬の発生タイミングがかなり加速されちゃったみたいですし」

「とはいえ、今回は初動が相当上手くいっているんじゃないか?」

「はい……」


 私は頷く。

 各都市国家間の疑心暗鬼からアズライトスフィア全体が冷戦状態になり、そんな中でティンダロスの猟犬が跳梁跋扈した状況に比べれば、遥かにマシだ。

 

「君だけがここに来た理由、それは未来のない世界から逃げ出したかったから……というところか」


 私は激しく頷く。

 全くその通りだ。

 私一人で何をすればいいのか、無理だ。

 たった一人で世界をどうこうしようとか、それこそ佐々総介でないのだから。


「しかしそのために佐々総介とどんな取引をした? アトゥまで復活しているなんて……」

「わ、私もわからない……です……。でも、人類の怨嗟と憎悪が高まったおかげで想定より早く復活したって……」


 本当に知らないのだ。何故彼が私をこちらに送る手伝いをしてくれたのか、それは本当にわからない。ただ、密約として、自分の存在を可能な限り隠せと言われただけだ。

 お祖父ちゃんはその説明だけで何か納得したらしい。


「それだけ修羅場ってことか」

「どゆこと?」

「基本的に神は死なない。殺しても、人々から求められればその求めに応じて記憶や能力を引き継いで再生する。俺のかつて居た世界でも、1999年にシュブ=ニグラスとクトゥルーが討伐されたという記録が残っているけど、2018年を過ぎてそれにまつわる教団の暗躍が起きている。そは永久とこしえに横たわる死者にあらねど、測り知れざる永劫えいごうのもとに死を超ゆるもの。この宇宙を巡る根本原理、形而上なるものが形而下に現れただけのもの、世界卵に到達し、一体化したもの、それが神だ。一度到達してしまえば、世界卵にデータは登録され、幾度でも復活する。完全な抹消を行うには、世界卵そのものの破壊しかありえない。とはいえ、アトゥが複製されるにしても数万年先の話だったはずなのに……本当にアイダが居たのはやばい世界だったみたいだな……うん」


 話の半分も分からなかった。

 そもそもセカイランってなに? ケイジジョーとかケージカとか、なに?


「え、えっと、総介さんは私が可哀想だからやっぱ助けるって言ってました」

「――あっ」


 え?

 今のだけで何か気づいたの!?

 

「佐々総介の行動について聞かせてくれ。そっちの世界では、ティンダロス襲来を無視して姿をくらましていたな」

「え? まあ確かに世界がほとんど滅びてから初めて会いましたけど……」

「やっぱりそうだ。となるとあの雑な誘導は……よし」


 お祖父ちゃんは私に突きつけていた短剣をしまうと、ベッドから立ち上がる。


「今何が起きているか、大体分かったぞ。何故君がここに来たのか、ティンダロスの猟犬が何故この世界全体を襲撃するようになったのか、そしてどうすればいいのかも……ね」


 お祖父ちゃんは自信満々にそう言った。

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