第17話後編 決着、邪神クトゥグア!
虚数教団導師シャルル・ド・ヴリトー。
奴はクトゥグアの召喚術式を起動させるだけ起動させて逃げ出した。
俺とケイオスハウルと、恐らく海賊共に囚われているだろう人々だけを……この島に残して。
「逃げ、られた……」
全身から力が抜けていく。
身体が寒い。頭が痛い。呼吸が上手く出来ない。
「それよりサスケ、我々も逃げるぞ!」
「そうよサスケちゃん! 死ぬわよ!」
チクタクマンとアトゥは口々にここからの撤退を叫ぶ。
だが真っ先に考えるべきことは別にある。
ミリアが逃げる時間は十分に稼げたか?
いや、気絶した子供をコクピットに突っ込んで逃げたとしてもこの短時間では無理だ。
それにそもそも消失半径10kmと破壊半径100kmという話が事実ならば俺が逃げたところでこの近くの島々が被害に巻き込まれる。
罪人だろうと、顔も知らない人々だろうと、見捨てるわけにはいかない。
「いや……まだだ。アトゥ……この島で、取り込ん……だ、人間が……居たな?」
「え? ああ、まあ殺さない程度に絞った子達は居たけど……」
「チクタクマン、今まで、支……配、していたエクサスがあ、あ、ある……な?」
「乗っ取ったエクサスの残骸がまだ残っていたね。多少は使えるが……」
一度大きく息を吸い込む。
最後の力を振り絞り、俺は一気に命令を下す。
「……じゃあ問題無いな。アトゥ、お前は今まで取り込んだ人間からもう一絞りしろ。寿命で言えば半分……いや四分の三くらいは持って行って構わない。死ぬよりかはマシだ。そしてチクタクマン、お前は今から残骸だのなんだの全部集めてケイオスハウルを……直せ」
「あらあら、まあまあ! そういうことね! 素敵だわ素敵だわほんとうに素敵! 乗ってあげるわサスケちゃん!」
アトゥがそう言うが早いか俺の全身に温もりが戻ってくる。
頭の痛みも消え去り、荒くなった呼吸もすぐさま整った。
これで良い。これで戦える。なんだかんだ察しが良い辺り本当に役に立つ神だ。
「待て、我々に正面からクトゥグアと戦えというのか!? 君だって知っている筈だろう! ニャルラトホテプとクトゥグアは旧支配者同士でも相性が……」
勿論チクタクマンの言うことは正論だ。
俺の知る神話の知識が正しければ、ニャルラトホテプ、すなわちチクタクマンとクトゥグアは互いに相性が悪い。
故にここで戦うのはハッキリ言って愚策だろう。
だけど、だからといって勝算が無い訳ではない。
「――――ああ、相性が悪い。俺も正面対決はしたくない。だから出鼻を全力でぶん殴って怯んだ隙に押し戻したいんだ。魔力と材料の算段はついただろう? これを使って全速力で機体をベストコンディションまで戻してくれないか」
チクタクマンが溜息をつく。
「君は……無茶を言う」
「…………」
ああ、その通りだ。
確かに無茶を言っていた。だから今ここで神に見放されたとして文句は言えない。
「――――だが、君は無理を言ったことはない」
しかし左腕の妖神ウォッチの液晶の中でチクタクマンは微笑む。
乗ってくれるのか。
本来敵対するクトゥグアに一泡吹かせるチャンスだから?
アザトースの復活を目論む連中の手がかりをつかむチャンスだから?
いや、それだけじゃない。
「君は常に人として道理に則した行動を選択し、同時に私に人の心を示し続けた。君は人間の協力者としてこの上ない男だ! そう、この歯車神チクタクマンの
「ありがとう……チクタクマン!」
「ハハ、今回だけだぞ」
基地中からバラバラになった機械の部品がケイオスハウルに向けて飛翔し、ケイオスハウルの中へと取り込まれていく。
それはまるで雲霞の如き鋼の群れ。人の積み上げてきた営みの集積。
「ヒァウィゴー! 一気に準備を終わらせよう! 予備鋼材、アビジウム合金取り込み完了。人工筋肉用細胞分裂再開自己修復完了。魔力コンデンサー充填率100%、コンディションオールグリーン! 事ここまで至れば救援を要請されたであろうナミハナ嬢以外には誰にも見られる心配は無い。仮に他人に見られても構っていられない! ああ、これ以上ないパーフェクトなシチュエーションだ! 今こそ私の邪神としての姿を解放しよう!」
「ずるいわ! 我輩も、アトゥも全力出しちゃうもん! 見ててねサスケちゃん!」
口元のマスクが割れ、本来ならば口が有るべき場所から邪悪なる光を灯したケイオスハウル第三の眼が開放される。
ケイオスハウルの腰部分からアトゥの本体である水晶の大樹が伸びて二本の足へと変わる。
その足に、無数の機械部品の群れが纏わりつき形を変え色を変え漆黒の装甲を形成する。アトゥの魔力が走ると同時に漆黒の装甲には金色の非ユークリッド幾何学的曲線による装飾が施され、強化が終了する。
「行くぞサスケ!」
「応ッ!!」
魔力で形成された足場を二つの足で強く踏みしめ、俺達は先ほどから更に激しく激しく赤く紅く赫く燃える次元の裂け目へと腕を伸ばす。
その間、空間に刻まれた闇の扉からは燃え盛る触手が伸び、何度も、何度も、何度もケイオスハウルを打ち付けた。
その灼熱の鞭が振りかざされる度に地底湖はグラグラと沸き立ち、其処には地獄のような有様が現出する。
だがわずかにも熱くはない。全くもって、熱は感じない。
――――そして、ケイオスハウルの重く強い外皮は傷一筋すらつかなかった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あああああっ!」
蒸気、いいや魔力だ。今までケイオスハウルの腕から吹き出していた蒸気が全身から溢れだしている。
高密度の
「――――取った!」
ケイオスハウルは邪神クトゥグアの住まうだろうフォマルハウトへ通ずる漆黒の裂け目をついに掴みとる。
熱い。その時初めて俺は熱を感じた。
ケイオスハウルの中に居る筈の俺の腕がチリチリと音を立てて柔らかに融け始める。生身なら死んでいただろうが、鋼仕掛けのこの身体が容易く朽ちる訳もない。
「チクタクマン! もっと! もっと出力を上げろ!」
「良かろう! 君のレベルに合わせることはするまい! ついてきたまえ!」
「応ッ!」
「星辰正しき時は来た! 旧支配者の名の下に告げる!」
ケイオスハウルの顔面で光る三つの目が魔力を帯び、更なる輝きを放つ。
ああ、そうか。チクタクマン。これがお前の本当の力か。
悪くない。
俺の目に映るこの
「我が契約者佐々佐助、汝に星は見えているか?」
「応ッ!」
「我が契約者佐々佐助、汝は我ら旧支配者に正しき星の刻を告げるか?」
「応ッ!!」
「時は満ちたり。佐々佐助よ、汝こそ我が
見渡すかぎりの光が収束し、チクタクマンやアトゥの気配が一瞬だけ消える。
そして次の瞬間、俺の口が勝手に動き出す。
「
ケイオスハウルが持つ三つの目から放たれた光の奔流が次元の裂け目へと飲み込まれていく。
あの光、分かる。あの中にチクタクマンやアトゥが居ると確かに感じる。
まさか……今の一撃は、もしや変化したニャルラトホテプそのものによる攻撃だったのか!?
「やったか……?」
俺は思わず呟く。
裂け目の彼方から苦悶の声が聞こえた。
遥か彼方、叫びのような、痛みのような声が聞こえた。
あれが……邪神の断末魔なのか?
「よくやったサスケ、一瞬とはいえ我々を真の姿で召喚してみせるとはね」
「やるじゃないサスケちゃん。今はゆっくりお眠りなさい」
次元の裂け目が少しずつ小さくなっていく。
だというのに熱は、熱だけは消えることがない。
裂け目が消えていくのと同じように、ケイオスハウルの腕もまた赤熱して消えていく。
戦いは終わった。
そう思った瞬間、俺の心の中の何かがプッツリと切れた。
「クトゥグアの最後の悪あがきか。痛覚は遮断した。大丈夫だねサスケ?」
「…………」
チクタクマンが笑ってる。
「あら、サスケちゃん?」
「…………」
アトゥがホログラムの姿で現れて心配そうにこっちを見ている。
「お、おいアトゥ君は一体何をした!」
「し、知らないわよぉ! 私達の使役に耐え切れなかったんじゃないの?」
おかしい、喋れない。
脳味噌が直接捻れるような異物感まで襲ってきた。
痛いとか熱いとか、そういう苦痛ではない。
自分が何処にいるかが分からない。
俺は、おれは、オレハ、――ハ?
―――――ダレ?
「サスケ! ちょっとサスケ! 返事なさいサスケ! ワタクシの声が聞こえないの! 先ほどワタクシに緊急出動要請がかかりました! このナミハナが来るまで持ちこたえなさい! これは命令よ!」
目の前の通信から甘ったるい、でも悲壮な少女の声が聴こえる。
彼女は……ナミハナ。
短くとも、鮮烈に、――の、オレの、おれの、俺の中に刻まれた少女の名前。
彼女は俺をサスケと呼んでいる。
ああ、そうか。俺はサスケか。俺はサスケだ。
佐々佐助。そういう名前だ。
最近まで高校生やってて、今は湖猫で、そして――――俺はここに居る!
「サスケ! ちょっとサスケ! 応えなさいサスケ!」
ああ、ごめんナミハナ。ごめんチクタクマン。
そしてありがとう。
次元の裂け目が消え去ったことをもう一度確認した後、俺の視界は暗闇に閉ざされた。
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俺は眠る。
深い深い夢の底で。
皆のすぐ近くで、けど最も遠いところで。
第十八話 「俺の居ない日常」
邪神奇譚、開幕!
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