第17話前編 悪意の語り手

 俺達の目の前に突然現れた男シャルル・ド・ヴリトーは突然の自己紹介の後に高らかに言い放った。


「まず、最初に言っておこう。僕を殺すと、僕の死体を利用してこの地底湖のど真ん中に邪神クトゥグアが顕現する。簡単にいえば僕の死体を起点に半径10kmは無限熱量が生み出す虚無に飲まれ、半径100kmは瞬く間に海が沸き立つ地獄と化すって訳だ!」


 その言葉を聞いた瞬間、俺とミリアは固まった。

 今更だがゲームなんかに良く居る「ニャル相手に困ったらクトゥグアを召喚すればいいよね」と思っている探索者ってのは本当に迷惑だったんだな、と俺は痛感させられた。


「かの炎熱の邪神が降り立てば、この島の崩壊は避けられないだろう……勿論君達も巻き添えだ。それが嫌だったら僕を殺すな、殺さないでくれ死にたくない」

「そこまでして死にたくないなら何故俺達の目の前に姿を表したんだ?」


 シャルルは大仰な仕草で頷いてみせる。


「ああ……佐々サスケ、君の指摘は正しい。それには答えよう。僕は君に用が有る。ギルドに登録された情報から君の名前は分かる。これは勿論誰にでもアクセスできる情報だからね。機体特徴を元に検索をかけるだけさ。でも君が何者か、それが我々には分からない」

「それを知りたいと?」

「そうだ。僕と君の間でこの場を穏便に収める為にね。だってほら、例え君がクトゥグアの攻撃に耐え切ったとしても、逃げ切ったとしても、その手の子供や此処に居る無辜の人々、それに今近づいてきている軍人さん達は無理でしょ?」

「サスケ殿、自分達のことは気にしないでください。かように邪悪な魔術師と取引するなど言語道断です」

「駄目だミリア、話し合いもせずに殺し合っても何にもならない。その先に有るのは破滅だけだ。それを分かってくれ」

「確かにこんな男と共倒れは避けたいのでありますが……」

「だろう? という訳でミリア、この子を頼む。そして今から全速力で逃げて全人軍の人達にもここから離れるように言え。そしてナミハナに連絡。邪神の相手なんてギルドナンバーズにしかできないだろう」

「なんですと!?」


 俺はケイオスハウルの右手の中で気絶する子供をミリアに預ける。

 シャルルはそれを見て嬉しそうに頷いていた。恐らく俺と交渉や話し合いができると思っているのだろう。

 奴の考えは正しい。俺もこいつの情報は探りたい。


「頼んだぞ」

「いやはや……サスケ殿の頼みならば断れませんが……」

「ほう、それを僕が見逃すと?」

「見逃すと思うさ。だって見逃さないなら俺がお前を叩き潰すしかなくなるんだから。違うかシャルル?」

「正解、君の考えは正しい。しかもギルドナンバーズを呼ぶことで君は僕に制限時間まで与えた訳だ。まあ落とし所だよね」


 地底湖を離れていくミリアのパルティアンショット“ナッツクラッカー”。

 その手には小さな子どもが眠っている。

 あの子が本当に正しいことが何かを見定められるようになる為の時間を守りたい。

 その為に――――。


「これで二人きりだなシャルル。魔術師同士仲良く話し合いといこうか」


 俺は努めて平静を装う。

 俺はこの世界でケイ爺さん以外の魔術師を知らない。

 正直言って怖い。


「紳士的対応だ。礼を言うよMr.サスケ。僕の要求は君の身元についてだ。どこの流派か、何と契約しているのか、師匠は誰か、そういったことについて知りたい」


 役者じみた身振り手振りを交え、シャルルは俺に問いかける。


「答えても良いが条件がある」

「なんだね?」

「俺が一つ質問してお前が答える。その後でお前も一つ質問を返し、俺はそれに答える。交互に質問していく中で、質問に答えた数が等しくなった時、どちらかが終わりにしようと言ったらそれでお終いだ。この場は穏やかに解散。これでどうだ?」


 シャルルはわざとらしく指を鳴らす。


「それだ! いやあ……悪くない。君はアズライトスフィアの人間じゃないね? 発想が平和的すぎるよ。文化的ともいうかな? 知性を感じさせる」

「それは質問に入るのか?」

「ノー、質問するまでもないと判断した。君からどうぞ」

「食えない奴だ。お前こそ何処の人間だか分かったものじゃない」

「それは質問かなMr.サスケ?」

「まさかだ。俺にとってそれは質問するほどのことでもない。虚無教団という組織の幹部だそうだが……アザトースを崇めて何を狙っている?」

「そんなことでいいのか? ことさら喧伝する訳でもないが、今更隠すつもりも無い。アザトースの覚醒、そして世界の再編だよ」


 アザトースの覚醒……?

 ああ――――ああ、ああ! こいつが、こいつらが! 俺の、敵か!

 今まで見えなかった敵がやっと現れたのか!

 だが俺はその興奮を押し隠し、努めて冷静に振る舞おうとする。


「邪神の信奉者らしい。非生産的な目的だな」

「そうだろうか? 僕としては世界の再編程創造的な行いは無いと思うけど。ああ、ちなみに僕は一人の作家として創世記を著す権利と引き換えに偉大導師エクス・グランドマスターの下に参じた。この情報はサービスだぜ」

「どうでもいい話だ」

「自分の話をどうでもいいとか言われると作家としてのプライドが傷つくよぅ……。僕は作家として心から読者を愛している。読者からのいかなる罵倒も甘んじて受ける。でもね、どうでもいいと言われるのだけは……耐えられない」

「今は交渉の場だ。物語は後で書け」

「オーケー、君の言うことが正論だ。じゃあ質問させてもらおう。君は誰に魔術を教わった?」

佐々総介さっさ そうすけ、俺の親父だ」


 咄嗟に嘘が出た。下手にケイ爺さんの名前も出せないし、邪神から直接手ほどきを受けているなどと言えば何が起きるか分からない。


「佐々……ああ、そういう一族か! 成る程、成る程、よく分かった。ドリームランドの外に存在する伝統有る魔術の家門って所だな。生身でも魔術を使えるのに、エクサスに乗ったんだ。規格外の魔術も使う訳だよ」

「これで満足か? 俺はそろそろ帰りたい。これでもこうやって日銭を稼いで安い正義感を満足させるだけの毎日を結構気に入っていてね。要するに命が惜しい」

「僕の新作を書く為にまだ幾つか質問したいんだけど駄目?」

「それは質問か?」

「いんや、君が帰りたいなら僕は止めやしない。でも帰って良いのかな?」

「は?」


 シャルルの背後の空間に漆黒の裂け目が出現する。

 その裂け目から、紅炎プロミネンスが吹き出した瞬間、俺は最悪の可能性に思い至った。


「君が帰ると、その間にここから邪陽神クトゥグア様が顕現なさってしまうだろう。この島の地下で助けを待つ人々や、近隣の平和な村さえ飲み込んで……ね」

「ふざけるな!」


 俺はシャルルに向けてケイオスハウルの右拳を射出する。

 シャルルは拳が直撃する寸前で姿を消し、今度は俺達の背後に現れる。振り返った時にはシャルルは既に巨大な万年筆を湖面に突き立てていた。

 万年筆から出た黒インクがエクサスのようなカタチを創りあげ、シャルルはその中に吸い込まれる。


「――――虚数霊機ヴェルハディス!」


 シャルルの絶叫が地底湖に響く。瞬間、漆黒のインク塊は青白く輝く粘液を纏う灰色の小型エクサスへと一瞬で変化を果たした。

 俺も指を咥えて見ていた訳ではない。だが射出した両方の拳は空中で何者かに弾かれ、シャルルとヴェルハディスに届かないのだ。


「チクタクマン! 出力を上げろ! あの不可視の防御をぶち抜くぞ! 物理で!」

「オーケー!」

「魔力を込めて! 物理で殴る! ぶん殴る!」


 魔力を両腕に回す。頭は痛いし、指も冷たい。呼吸も荒くなってきた。


「殴って!」


 だが構わない。ありったけの力をケイオスハウルに叩き込む。


「殴って!」


 俺の気合に応えるようにして、ケイオスハウルの両腕から音高らかに蒸気が吹き出した。


「――――ゲッ、そいつは不味い! ルル、ハリル! 機体に戻れ!」


 灰色の機体の瞳が青白く輝く。

 使い魔を呼び戻して防御を固めるつもりか? だが遅い!


「殴りぬく!」


 ケイオスハウルの二つの拳がヴェルハディスに突き刺さる。

 装甲が凹み、金属の割れる音を立て、ヴェルハディスは大きく仰け反る。

 怯んだ隙に飛ばした腕でヴェルハディスの両肩を掴み、追撃へと移る。


「チクタクマン、アトゥ、魔力を貸せ!」

「「良い――――」」

「わよ!」

「だろう!」

「「「ゴォッドハァァァアアアアアアアアアウル!!」」」


 二柱分の魔力を乗せたゴッドハウル。

 吹き荒れる魔導の旋風はヴェルハディスを砕き、その灰色の装甲を吹き飛ばす。


「ああ、くそっ! やはり厄介な相手だよ!」

「今からその割れ目を閉じろ! さもなきゃこのままミンチにしてやるぞ!」

「君が? 僕を殺す? 君の戦いを見ていたぞ。殺人など――――!」


 ケイオスハウルがヴェルハディスの両肩を握り砕き、そのまま無造作にコクピットを引きちぎる。

 生きていたシャルルがコクピットの中から顔を覗かせた。


「――――はは、やるじゃないのMr.サスケ」


 冷や汗タラタラの表情で呟くシャルル。

 顔が見えている。

 そのせいで一瞬だけ俺は追撃を躊躇ってしまった。

 振り上げた拳を叩きつけるのが、一瞬だけ遅れてしまった。


「お前を――――!」

「おっと! ストップだ!」


 だが奴にとってはその一瞬で十分だったのだろう。

 首筋に冷たい感触が走る。

 何時の間にか青白く光る粘液を身に纏い悪臭を放つ犬のような生き物が俺の首筋に牙を当てていた。

 

「……くっ!」


 振り上げた拳を振り下ろせなかった。


「動いてくれるなよ、Mr.サスケ? 僕の愛犬は凶暴だ」

「だからどうした! 俺が死ぬよりはケイオスハウルの拳の方が疾いぞ!」

「そうかもしれないね……うん、だからバイバイだ!」

「えっ?」


 正しく一瞬だった。

 俺がマヌケな声を上げたその一瞬で首にかかっていた牙の感触は消えさり、同じくヴェルハディスの姿も消える。

 後に残されたのは疲弊しきった俺、チクタクマン、アトゥ、そして……クトゥグアの魔力が溢れる空間の裂け目だけだった。



********************************************



 都合の良い奇跡なんて起こらない。

 でもだからこそ、もがく甲斐も有る。

 もがいて、足掻いて、千切れそうになるまで腕を伸ばして。

 その先に起きる必然を、人は知らず奇跡と呼ぶ。

 

 第十七話後編 「決着、邪神クトゥグア!」


 邪神奇譚、開幕!

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