第9話前編 竜宮城の水晶樹
驚くべきことにこの遺跡は本当に見た目通り俺達の世界の病院だった。
浸水しきっている巨大なエントランスは先ほど倒したディープワンに破壊されていたものの、水が届いていない二階から上の病棟は無事だ。
あの巨大なディープワンでは入ってこれなかったのだろう。
「どうするチクタクマン? ラーズグリーズならまだしも、ケイオスハウルだと病棟まで入れなさそうだ」
「オーケーサスケ、ここはケイオスハウルから降りて徒歩で調査を行おう」
「それって大丈夫なのか?」
「サスケ、今の君はケイオスハウルと同じように私が自ら作った機械の身体を持っている」
「敵に襲われても大丈夫ってことか。機体は?」
「それも問題ない。君が呼べば何時でも来る」
「分かった……行こう」
ケイオスハウルで遺跡のエントランスに有る吹き抜けを浮上して二階まで上がる。
水面から腕を伸ばし、適当なところにつかまるとコクピットのハッチを開いた。
「よっ……と」
首のコネクターを外してコクピットから身を乗り出す。
適当な床を見つけて飛び移った。
遺跡の二階は病室ではなく売店や自動販売機が残っている。
機械は錆び付いていて動くとは思えない。
何を持って帰ると金になるだろうか。
「チクタクマン、とりあえずマップ作ってくれマップ」
「オーケー、君の歩いたところをマップに書き込むことにする。出来たマップは視界の隅に表示しておくから参考にしてくれ」
「ありがとう。ところでチクタクマン、この世界の医療のレベルはどうなっているんだ?」
「君の居た世界よりは幾ばくか遅れている。だが魔術でその遅れを補っているのが現状だ」
「つまり、俺達の世界の知識を持ち込むことができればそれは金になるな」
「ザッツライト、需要は有るだろう。その需要を現金化する手腕は君に任せるよ」
「金儲けはナミハナに任せよう。彼女のあの直感みたいなものは信頼できる」
「君は随分とあの少女にご執心だな? 少し嫉妬してしまうよ。私も美少女の姿で君の目の前に現れるべきだったかな?」
「やめろ馬鹿」
キャラが濃すぎて胸焼けがしそうだ。
「ハハハ、ジョークさ! 私の人格は人間で言うところの男性をベースにしているからね。そういうのは女性形の化身に任せるとしよう」
「勘弁してくれ、女神なんかに付きまとわれるのは迷惑だぜ」
俺はサイボーグの体力に任せて病院の中を歩きまわる。
しばらく歩いていると興味深い部屋を見つけた。
「DI室……なんだこれ?」
ドアを開けると壁一面に本棚が有り、中には薬剤関係の本が並んでいる。
これだけあると到底俺一人では運び出せそうに無い。
面白そうだったのでその中で目についた英語の本を取り出した。
「英語だな……Drug Interactions by Heuston and Horne 2020か」
軽く内容を見てみると薬同士の相互作用について触れているものだと分かる。
だが日付がおかしい。俺の居た時間より少し先の未来の本だ。
「読めるのかサスケ?」
「お前だって読めるだろう? それよりも気になるのはこの本のタイトルだ。なんだこの2020って」
「君の居た時間軸より未来の書物ということじゃないか」
「何故それが此処にある?」
「ドリームランドの時間軸と君達の居る世界の時間軸は別だ」
「いや違う。そうじゃないよ。おかしい、これはおかしい……ああ、そうか」
「どうしたんだ?」
「俺は遺跡なんて言われたからてっきりこの世界で作られたものだと思ったんだよ。だがここは建物ごとこの世界に飛ばされてきているみたいだ」
「グッド、良いところに気がついたね。恐らくここは世界の崩壊に巻き込まれてドリームランドに流れ着いたんだろう。ここがアズライトスフィアになってからというものこういう遺跡は増えた」
「世界の崩壊?」
「ああ、世界は幾つも並行して存在する。それが崩壊する中でアズライトスフィアに紛れ込むのは良くある話だ。特にその崩壊に魔術師が関わっているならばね」
「成る程……」
嫌な予感がする。
もしかして俺の世界ももうすぐ滅亡する平行世界の一つなんじゃないか?
俺みたいな只の高校生の家にミ=ゴが襲撃を行い、挙句ニャルラトホテプと遭遇してしまうのだ。
他所でも同じ事件が起きていないという保証は無い。
「どうしたんだサスケ?」
「なあチクタクマン、俺の世界は……大丈夫なのかな?」
「それは分からないね。未来は観測によって結果を変える。私が君に情報を与えることで観測結果が変化するかもしれない。そしてそれが崩壊に繋がらないとは言えない。君が情報を得たことで逆に破滅が起きるなんて皮肉な展開は嫌だろう?」
「ダメか……」
俺はガクリとうなだれた。
その時だった。
「サスケ? 貴方はサスケと言うのね? 素敵な名前、我輩の生け贄を逃がしてしまったいけない子の名前ね」
顔を上げる。
目の前に俺より少し年上に見える黒髪の少女が居た。
頭には金の蔦に水晶の華を散りばめた冠を乗せ、瞳を閉じたまま俺の方を向いている。
肌は白く滑らかで、その上にはギリシャの神々が纏うような一枚布を身体に巻きつけていた。
このゆったりとした服の隙間から見え隠れする身体のラインは華奢で、抱きしめたら折れてしまいそうである。
神々しい、触れてはいけないと俺は直感で理解した。
「アトゥ! アトゥじゃないか!」
チクタクマンが嬉しそうな声を上げる。
アトゥといえばアフリカ奥地に居るとかいう邪教の神だ。
ニャルラトホテプの化身の一つで、信者は主に奴隷や無実の罪にあえぐ人々だと聞いている。
「あら……」
アトゥと呼ばれた少女は薄く目を開けて俺の左腕に時計の姿で巻きついてるチクタクマンを一瞥する。
その僅かな隙間から空に良く似た色の瞳が見えた。
「やだ、チクタクマンね。貴方の使徒だったの?」
アトゥはそう言ってまた瞼を閉じる。
一瞬だけ、不快そうに口元が歪む。
流石に自分と同じニャルラトホテプの化身を前にすれば冷静では居られないのか?
「君もドリームランドに来ていたのかね? ならば連絡ぐらいしてくれても良いじゃないか!」
「知らないわ、我輩はあの病院に根を張っていたら何時の間にか病院ごとドリームランドに飛ばされただけよ。貴方と一緒にしないでくれる?」
「ハハハ! 世界の崩壊直前に呼びだされてそのまま巻き込まれただなんて君は実に馬鹿だな」
アトゥは瞳を見開く。
「カッチーン、人の心程度も分からない貴方なんかに愚かと言われるとは思わなかったわ」
早かったなシリアスブレイク。
この子自分でカッチーンとか言っちゃったよ。
途中まで神々しいとか思ってた俺の心を返してくれないかな、いや本当に。
「な、なあ」
チクタクマンが居ればそこまで問題は起きないだろうと判断し俺はアトゥに話しかける。
彼女はまた瞼を閉じて俺に微笑みかける。
「ふふ、何かしら?」
「あのディープワンを召喚したのは君か?」
「勘違いしないでくれるかしら? あんな趣味の悪いもの自分で召喚しないわよ。偶々迷い込んできて気に入ったから使ってただけ。まあ我輩、ああいうのも嫌いじゃなかったけどね」
「成る程……それは悪いことをした」
そうか、こいつが諸悪の根源か。
何か有っても躊躇無く戦えるな。
こちらにチクタクマンが居る以上、一方的になることは無い筈だ。
「謝ることないわよ。どうせ無駄だし」
「無駄?」
「チクタクマンの契約者(コントラクター)、貴方は神域を侵し、我輩の供物を奪った。まこと、傍若無神にして不敬甚だしい」
「待ち給え、アトゥ。我々は警告も無く襲撃を受けたのだ。正当防衛ではないか?」
「神に人の理など通じない。チクタクマン、貴方は人を知らぬが故に神を知らない」
成る程、どの道殺すということか?
「だったら……俺とチクタクマンをどうすると言うんだ?」
戦闘だというならこちらも躊躇うつもりはない。
俺はケイオスハウルを何時でも呼べるように身構える。
「愚かなる人の子、貴方に神罰を下すわ――――――と、言いたいところだけど」
「だけど?」
「実は我輩のペットを殺した以外は貴方達に咎は無いのよね。何も殺すこと無いじゃないのよ、もう」
プクリと頬をふくらませるアトゥ。
なんだ、ニャルラトホテプの化身はどいつもこいつも親しみやすいのがウリなのか?
「え、あ、ああいやほら、それは同じ人間が神話生物に捕まっていれば……ねえ?」
「貴方の言い訳は聞かないわ。貴方は何も知らずに迷い込んできただけだし、我輩としてはチクタクマンの監督責任の方が気になるくらいよ」
「あー……ソーリー、その件に関しては謝ろう」
「そうね、だったら同じ化身のよしみというものも有るわ。その子がチクタクマンのお気に入りならば今回だけは犬に噛まれたと思って見逃してあげる。あのディープワンの代わりなんて幾らでも手に入るし」
「良いのか? さっきまでの口ぶりだと本気で怒ってるかと思ってたんだけど……」
「久しぶりに人と直接会って話すことができて機嫌が良いのよ我輩。それにサスケ、貴方は我輩の好みのタイプだわ」
彼女はそう言って薄く目を開けて俺に微笑みかける。
ちょろい!
驚くほどちょろいぞ!?
どういうことだチクタクマン!
俺は思わずチクタクマンの方を見る。
「サ、サスケ……」
「どうした?」
チクタクマンが宿る時計の液晶が真っ青になっている。
あ、これ滅茶苦茶まずい奴なのか?
「逃げよう。もしくはケイオスハウルを呼べ! アズスーンアズポッシボゥ!」
「 お そ い わ ! 」
アトゥの瞼が開き、空色の眼があらわになる。
それと同時に地面から水晶で出来た樹木が伸びてきて、俺の手足に絡まり付いて俺を完全に拘束する。
「速すぎる! 嘘だろ!?」
一瞬の出来事だった。
人間と神の基礎性能の違いを痛感する。
「キャハハハハハハハハ! 素敵! 素敵だわ! 我輩を楽しませて頂戴な!」
眼を開き、恍惚を伴う哄笑を上げるアトゥ。
彼女はまるで舞うようにその場でくるくると回転して笑い続ける。
その笑みは邪悪で、その舞は淫靡で、一枚の絵画のように美しい。
この小さく華奢な身体の何処からこの堕落した空気は漂うのだろうか。
ああ、そこに居たのはまごうかたなき邪神であった。
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