第7話 水底に眠れ
さて翌日。
俺達が出撃したのはまだ日も上がらない早朝だった。
あまり人目につかないように依頼を終わらせたい事情が有るし、日が高い内に帰還できる方が安全だというナミハナの判断からだ。
「ここまでは問題なく進むことができましたわ。幸先はまずまずね」
漆黒のケイオスハウルと真紅のラーズグリーズが蒼い波間を駆け抜ける。
前もって打ち合わせた通り、頑丈なケイオスハウルが先頭を行き、その後ろを小型のラーズグリーズが続く。
「今回の依頼は遺跡調査と神話生物の駆除だっけか?」
「ですわ! 昼飯前には帰りますわよ!」
画面の向こうのナミハナが満足気に頷く。
映像付きの無線通信だ。
頷く度に金色の縦ロールがブンブン動き回ってる。
「あの受付嬢から話を聞いている分にはそこまで変わった依頼だとは思えなかったが……」
この日、俺とナミハナはザボン島の東の海にある古代遺跡群を訪れていた。
この辺りの古代遺跡は旧時代の遺産が多く眠っており、この世界の技術進歩を支えている。
湖猫に対する依頼の中にはこのような遺跡から様々な遺物を回収することも含まれるのだそうだ。
「ワタクシ達に与えられた任務は未帰還者が続発した遺跡の調査よ」
「未帰還者?」
「何の変哲も無い遺跡の筈なのだけど、不思議と調査に行った湖猫が帰らないのですって」
「神話生物か何かだろうな」
「ここは街に近い海域ですわ。強力な神話生物が居るならすぐに魔力で見つかる筈なのに……」
こういった条件から予測される敵はなんだろう。
俺は頭を使ってみる。
例えば隠匿能力に優れた魔術師。
例えばまだ半分封印されているような寝起きの神。
思考が異世界に馴染んでいる自分に気づいて少し笑ってしまう。
「ナミハナ、今のお前が予想している敵は?」
「考えられるのは深きものども、夜鬼あたりですわね」
「魔力を隠せるような敵は居ないのか?」
「邪神や狂信者であれば可能性は有るかもしれませんわ」
「狂信者……邪神を崇める魔術師か」
「ええ」
「邪神でも、狂信者でも、可能なら会いたくない相手だな」
俺はミ=ゴと出会った時に感じた恐怖を思い出す。
果たして俺は戦闘形態の邪神と出会った時に正気を保てるのだろうか?
「大丈夫よ。エクサスの中に居る限りは感覚を保護されますもの。正気は保てます」
「神話生物と戦う為には発狂対策が必要だと思っていたけど……このロボットがそのまま対策になっているのか」
「エクサスのこと? それはそうよ……何を当たり前のことを仰ってるの?」
「当たり前か……そうか、よく分かった」
「ねえねえサスケ」
「なんだ?」
「貴方、もう隠しもしなくなってらっしゃいますわね。貴方の無知は記憶の喪失ではなく、この世界における常識の欠落で起きているもの」
「えっと、つまり何を言いたいんだ?」
「貴方、記憶喪失じゃないでしょう。ワタクシ達と大きく異なる常識と少し異なる倫理観を持っているだけ。そう……古くからこの世界に渡ってくる異世界転移者、すなわち夢見人のような……」
昨日の晩の内にあの執事に何か吹きこまれたか。
ナミハナの直感とケイ老人の魔術的知識が組み合わさったならばその解答に辿り着いてもおかしくはない。
「隠し事が有るのはお互い様、じゃ駄目か?」
「ふふ、怯えなくて良くてよ。ワタクシは貴方を裏切らないわ。貴方がワタクシを裏切らない限りね」
俺は溜息をつく。
「怯えてなどいない」
「あらそう? じゃあ一つだけ。サスケは嘘が下手な事を自覚した方が良いと思うわ。そういう腹芸みたいなのはワタクシに任せなさい」
「……そうか、そりゃ悪かった……ん?」
レーダーに幾つかの影が映る。
海中から、海上から、岩礁の隙間から、影がこちらに向けて這い出し這い寄り這いずって来る。
そしてそのレーダー上の影に深きものども、ショゴス、夜鬼亜種と表示される。
チクタクマンが敵を識別してくれたのか。
「サスケ、構えなさい。敵よ」
「……此処は俺に任せてくれ」
「何を仰ってるの?」
「ナミハナ、これから起きることは他言無用で頼むぞ」
「だーかーらー! 説明なさいな!」
「後で」
「そういって説明しないのでしょうに……もう」
「済まないな、本当に済まない」
ケイオスハウルを更に前に出す。
海中に潜む人とも魚ともつかぬ異形の群れ。
海上を這いまわり滑りながらこちらに近づく粘液状の生命体。
空を黒く染める蝙蝠の羽を生やした貌の無い悪魔。
俺は左腕の妖神ウォッチを顔に近づけてチクタクマンに語りかける。
「チクタクマン、こいつらを追い払えるか?」
「オフコース! この程度の相手ならば問答無用さ! だが良いのかね?」
「無駄な戦闘をしたくないし、させたくない」
「それだけかね?」
「お前、随分と人の気持ちに敏くなったな……」
「いやいや、君が自分の気持ちを素直に言葉に出さない傾向が有ることから推測しただけだよ」
「成る程、それを敏いというんだよ」
「リアリィ? 早速君と行動をともにした効果が出たようだね。やはり人間は素晴らしい!」
「頼む」
「君も手伝ってくれよ?」
チクタクマンはケイオスハウルの右手を彼らに向けて
彼らが奉仕種族である以上、その上位存在である邪神チクタクマンからの指示には刃向かえない。
「なんですのこれ!? 神話生物の反応が止まってしまいましてよ!」
深きものどもが、ショゴスが、夜鬼が、一瞬で動きを止める。
「ちょっとサスケ! 今度こそ説明なさい!」
ナミハナが混乱するのも無理は無い。
普段ならば凶暴な神話生物があっという間に大人しくなったのだ。
「さあサスケ、次は詠唱だ。恐れることはない。君と私は機械的に神経を接続している。自然に口ずさむことができるようにデータを送り込む」
「分かった」
すぐに俺の口が勝手に呪文を紡ぎ始める。
「――
声は歌となり、歌は詩となり、深く強くその言葉を彼らの内側へと刻みつける。
「――旧支配者チクタクマンの名において命ずる。
深きものどもは水底深くへと沈み、ショゴスは海面に溶け込み、夜鬼はまだ朝焼けの残る空の彼方へと飛び去っていく。
初めて魔法を使ったというのに、十メートルくらい全力疾走したようなわずかな疲労感しか無い。
魔力というものが俺の身体を流れているのは分かるが、それがむしろ心地良いとさえ思えるのだ。
「サスケ、何をしたの!?」
「魔法だ」
「ちょ、ちょっと待って? だとしても奉仕種族の隷属なんて複雑な儀式魔法を一瞬で……」
「何故使えるか気になるか?」
「貴方の過去を詮索するつもりも無いわ。話したいなら聞くけど……」
「友人相手に秘密を持つことは良いこととは思えない……」
「あら、お友達と言ってくれたわね」
ナミハナは微笑む。
「湖猫は脛に傷を持つのが当たり前、貴方だって私の家のことを聞こうとしないじゃない」
「理由が有るなら聞かない」
「あらあら、聞いてくだされば教えたのに」
「俺だってお前に聞かれたら言うよ」
「あら、あらあら! そういうのもありですわね。でも……そうね、何時かは嫌でも聞いてもらわないと困りますわ。良くって?」
「ああ、何時か……な」
俺の心が解れていくのが分かる。
「あらサスケ、近くまで来たみたいよ」
近距離用マップの端に目的の遺跡が表示される。
どうやら目的地が近づいてきたみたいだ。
「そうだな。海底に行かなきゃ駄目なのか……どうすればいい?」
「サスケ、潜航モードに移るわ」
「了解……潜航モード?」
俺は一時的に左腕と機体の神経接続を切り、妖神ウォッチを顔に近づけてチクタクマンに尋ねる。
「おい、潜航モードってなんだ?」
「ソーリー、説明を忘れていた!」
「そうか、じゃあ早速だが説め――」
足腰の感覚が消える。
「なにこれ」
普段のエクサスの操縦だと上半身だけがエクサスと一体化して、下半身の感覚はそのまま残されていたが、それとは異なる感覚だ。
「なんだこれ?」
「ウェイトアミニット!」
ズブ、と全身が水に浸る感覚。
息は苦しくない。
「なんだこれー!?」
「安心し給え、ソナーや魔力計の情報から擬似視界を構築する。戦闘に支障は無い」
仄暗い海中には不思議なことに魚影が見えない。邪神や神話生物が居ると魚は逃げ出すのか?
海底で昆布がゆれているだけ。まるで海の廃墟だ。
そして遠くに病院のような建造物が見える。
地図の表示と照らし合わせるとあれが今回の遺跡か。
「パーフェクト! 潜航形態への移行が完了した! ホバークラフト化しているエクサスの下半身をスクリューに変形させた訳だね!」
足腰の感覚が蘇る。
だがおかしい。
これは俺の足じゃない。腰に直接スクリューを付けられている。
むず痒くて気持ち悪い。
「なあ、それだけで海の中を動けるのか?」
「エクサスの周囲を細かな泡で覆うことで水の抵抗を減らしたり、スカートの内部に水中行動用のスクリューをつけるなど、人類は涙ぐましい努力をしているね」
「ケイオスハウルは?」
「元々この機体は鈍亀だが、マジカルパワーによって水上と大差無い動きができるよ! 人類の機体とは出来が違う!」
「つまり、エクサスってのは水中だと動きが鈍くなるのか」
「そういうことだ。だからこの世界の人間は戦闘を水上で行いたがる」
「神話生物や邪神は水中に引きずり込もうと思わないのか?」
「人間側の対海中攻撃手段が豊富なことや単に頭上を取られる不利が有る関係で自ら海上に上がることが多いな」
「成る程、俺だったら海中に引きずり込む策を考えるんだが……」
まだ邪神や神話生物が人間の戦術を学習していないのだろう。
そもそも戦術という概念が有るかどうかも怪しい。
「サスケ! 遺跡が見えてきましたわ!」
遺跡。俺達の居る世界の病院にそっくりだ。エントランスの有る巨大な病院。
都市病院や大学病院といったところか?
「ああ、どうやって侵入するんだ?」
「入るのは簡単よ。だけど此処から先は私が先行しますわ。貴方慣れてないでしょう?」
「俺に遺跡の探索経験は無い。頼んだ」
ケイオスハウルの速度を緩めてナミハナのラーズグリーズに先行させる。
こうしてみると小型でドリルを持っている上、作業用アームが四本も有るラーズグリーズは遺跡の探索には向いているのか。
「サスケ! 君の言う通りだ!」
「勝手に人の頭の中を覗くな」
「ケイオスハウルは基本的な武装が斬艦刀だし、右腕に搭載しているガトリングガンも狭い遺跡の内部では扱いづらい。しかしラーズグリーズのドリルは当てれば良いだけなので狭い場所でも問題なく戦える。ロマンばかり追求していたかに見えて、作業用ロボットとしての本質を抑えていた訳だね!」
「お前、機械のことになると急に早口になるな」
俺とチクタクマンが漫才をしている間にも、ラーズグリーズは遺跡へ迫る。
ナミハナは目にも留まらぬ速度で遺跡の入り口にドリルを突き立てた。
病院にそっくりな建物の出入り口は土煙を上げて粉砕された。
「遺跡ー!? 大事な遺跡ー!?」
考古学者が見たら泡吹いて倒れる大胆な突入法である。
「これでサスケの機体でも通れますわね! 先に入って遺跡の様子を調べますわ!」
「そうだけど! そうじゃないよね!?」
「騒ぐこと無いでしょう? こんな所に金目な宝なんて無いのに……」
「え? ああ、いや、えっと……」
「先行きますわよ!」
ラーズグリーズは先行して遺跡の内部へと侵入する。
その時だった。
「あらっ?」
遺跡の内部に入ったラーズグリーズの反応が消える。
「ナミハナ!?」
そして遺跡の内側から怒轟が響き渡る。
「ヴォオオ゛オオオオオ゛オ゛オ゛!!」
大きな穴の開いた入り口から巨大なウツボが顔を出す。
頭だけでラーズグリーズの倍以上のサイズが有る。
表面は黒い斑点がびっしりと生えた茶褐色の表皮。
口からはみ出た牙の白さと対照的で、それがまた一際嫌悪感を誘う。
斑点?
いや違う。
あれは斑点なんかじゃない。
「おや、あれはディープワンじゃないか。なかなか巨大化したようだね」
「チ、チクタクマン!」
「どうしたんだ?」
「あれ、あの斑点! あれ、あれは――――!」
俺は思わず情けない悲鳴を上げた。
ありえない。
あんなものが有ってはならない。
おぞましいあまりにおぞましい。
例え邪神の加護から生まれた生き物だとしても、今自分があんなものと一緒の次元に居ると認めたくない。
認めたくないが……俺の目の前には吐き気を催す邪悪で醜悪で醜怪で奇怪な奇獣が居た。
あれは、あの生き物は、あの生き物の斑点だと思っていたものは――!
「慌てることは無いぞサスケ。あの斑点に見えるものは破壊されたエクサスのパーツと人間だ。人間の方はまだ生体反応が有るみたいだ。良かったじゃないかサスケ、まだ助かるかもしれない」
生きたまま怪物の身体に貼り付けにされた人々。
皆無表情で、まるで蝋人形みたいだ。本当に生きているのか?
あの夜の記憶がフラッシュバックする。
マロンは死んだ。親父も死んだ。
死んだ。
俺だって死ぬ筈だった。
――怖い。
「うわあああああああああああああああああ!」
恐怖、嫌悪、それ以外の言葉に出来ないあらゆる感情が叫びになる。
何が起きているのか。アレが何なのかはわからない。
だがこのままではナミハナが危ないことだけは分かる。
「落ち着き給え、サスケ。相手は格下だ」
チクタクマンが俺の耳元で囁く。
ただ囁いただけじゃない。
俺の心に……なにかされたようだ。
「……何をした? 何が有ったか分からないが何かしただろう?」
「君の反射神経を強化したのと同じだ。君の意志力を一時的に補強し、ストレスへの耐性を向上させた」
「……そうか、礼を言う」
お陰で冷静になれた。
何時もと何も変わらない。戦わなくてはいけない。
あの化物共にこれ以上俺の大切な人を奪わせない……奪わせるか、奪わせてなるものか!
「さあサスケ、君は何を為す?」
「――決まっている!」
「ああそうだな! イッツタイムナウ! 戦闘開始だサスケ!」
俺はケイオスハウルの胸の刻印から
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