第6話前編 今昔幻夢境

 湖猫うみねことしての登録は無事に終わった。

 俺とナミハナは彼女の居城に戻ってゆっくり休み、晩飯までの時間を待つことになった。

 俺はひとまず与えられた自分の部屋に行き、靴を脱いでベッドに倒れこんだ。

 雲のように柔らかなベッドに、俺の身体が沈んでいく。

 身体がまるで鉛みたいに重い。そうか、俺は疲れていたのか。


「……はっ、散々だな」


 与えられた俺の部屋をぐるりと見回す。

 まだベッドと作業机とタンスが有るだけの簡素な部屋だ。

 これからきっと色んなものがこの部屋を埋めていき、思い出が生まれ、多分最後に此処を去ることになる。

 この世界に来たばかりだというのに今からそれが寂しい。


 正直、父さんやマロンが居ない世界に帰っても仕方ない。でもここで永遠に生きていける訳も無いから帰らなくてはいけないと思っているだけだ。俺は一体どうすれば良いのだろう。まあチクタクマンに何時か騙されて殺されるかな? あいつニャルラトホテプだし。


 心配なんてしなくても良いのかもしれない。


「サスケ」


 チクタクマンに呼ばれ、俺は左腕の妖神ウォッチを覗き込む。


「なんだ?」

「やはりそうだ。散々だったという割に、君は笑顔を浮かべている。これは矛盾しているぞ?」


 笑っていた? 俺が?


「じゃあ楽しかったのさ。散々だったけど、楽しかった」

「そうなのか?」


 少し考え込んでみる。

 無理に理由をつけようと思えばできないこともない。


「確かに俺は化物に殺された。女の子からいきなり喧嘩もふっかけられた。でも俺はお前に救われて、ナミハナに寝床と飯を用意してもらった。俺は生きている。それが嬉しい……のかもしれない」 

「生きていることがそんなに喜ばしいことか?」

「素敵なことだ。俺は此処に来てそれを理解した」

「ふむ……やはり人間は面白い。だが本来の目的を忘れて自分の命を惜しむような真似はしてくれるなよ?」

「安心しろチクタクマン、お前の計画には協力する」

「ああ、ぜひとも頼むよ。我が父が目覚めれば全ては夢の泡に消える」

「俺も、お前も、この世界が結構好きなんだろうな。きっと。だから守りたいって思う」

「そうだな、人間のレベルに合わせればその表現が最も反感を買わないだろう。なにせ退屈が紛れる」

「へへっ、充分偉そうだっての」

「む、そうだったか? いやこれは失敬失敬、私に君達人間を愚弄する意図は無いんだよ? ただ面白いだけで」

「ったくもう……だから毎度嘲笑系邪神みたいな扱いされるんだよ」

「決して愚弄はしていないんだがなあ……」


 本当に困惑した表情を浮かべるチクタクマンを見て思わず笑ってしまった。

 笑われたことに気付いた彼は不満そうな表情を浮かべた。


「この私を嘲笑した人間は君が初めてだよ」

「馬鹿にしてはいないよ。おかしいなって思っただけだ」

「ええい、どういうことだね?」

「別にお前はお前のままで構わない。人間と上手くすり合わせられない部分は俺が補う。心配するな」


 そう言うとチクタクマンは機嫌を直してまた笑みを浮かべる。


「サンクス、心遣い痛み入るよ。案外君のような邪気の少ない男の方が私達ニャルラトホテプの契約者としては適性があるのかもしれないね。なにせ自爆しづらい」

「そうなのかもな。まあなんにせよお前は俺の命の恩人だからな。これからもよろしく頼むよ。騙して破滅させたくなったら好きにしてくれ。俺一人がどうこうなる分には恨みはしない」

「これからも……か」


 チクタクマンは物憂げに溜息をつく。

 いや呼吸をしている筈が無いので俺の気のせいなんだろうけど。


「どうしたチクタクマン?」

「いや、これからも大事だがこれまでのアズライトスフィアについて話す必要も有るかと思ってね」

「もしかしてこの世界はドリームランドなのか?」

「分かるのか!?」

「クトゥルフ神話の知識が有れば分かるよ。クトゥルフ神話で異世界と言えば幻夢郷ドリームランド、多くの人々の夢の深層からつながる魔法の王国だ」


 チクタクマンは慌て始める。


「待ち給えサスケ、私は君に嘘を吐いた訳ではないんだ」


 やっぱり隠してたつもりだったのか。

 生憎とこちらはTRPGプレイヤー、洒落た言い方をすれば卓ゲ者。この程度のことは簡単に推察できる。


「ともかく説明してくれ。どういう経緯でアズライトスフィアなんて呼ばれるようになったんだ?」

「オーケー! では説明しよう! 確かに君の言う通り、この世界はかつてドリームランドと呼ばれていた」

「呼ばれて“いた”?」

「その頃に有った筈の文明は我が父上の目覚めにより一度滅びたんだよ。君のような異世界人と神話生物の戦争が原因さ。私も暗躍したのだが……戦争は回避できなかった」


 成る程、ここがかつてドリームランドだったというなら納得できることは多い。

 奇妙に混合した文明や様々な人種。

 そして魔法と科学の融合。


「夢見人ってやつだな。例えばランドルフ・カーターみたいな」


 その名前を聞いた瞬間、チクタクマンは苦笑いを浮かべる。


「彼もまた人間側の勢力の一人だったな。指導的な立場に居た覚えがある。クン=ヤンの科学者と協力して第零世代と呼ばれる原初のエクサスを作って戦っていたよ」

「そうか、随分嫌そうな顔だな。ニャルラトホテプとしては良い思い出が無い相手なのか?」


 俺の記憶が正しければニャルラトホテプはランドルフ・カーターを破滅に導こうとしては失敗していた。

 チクタクマンにとっても嫌な相手だろう。


「あえて否定はすまいよ。だが彼から学んだこともある。例えば人間というのは味方にした方が便利だということだ」

「成る程……そいつはランドルフさんに感謝だな」

「味方にしてみたら実に便利だったよ。今までは人間を乗っ取ったりボディーを作らせたりするのが基本だったんだが、これからはこういうスタイルも悪く無いと思っている。鋼の友とでも呼ぼうか」

「ああ、それで命を救われる人間が居るならそうするのが最高だと思うよ」


 この世界の発生に至る事情は理解した。


「ところで佐助、私はこの世界の現状を見誤っていた」

「なに?」


 いきなり不安な発言が飛び出す。


「思ったよりも状況は混沌としているようだ。十年見ていなかった間に人間が更に強くなっている。信じられないことにあのナミハナ嬢のエクサスは完全に人間に由来する技術しか使っていない」

「ケイオスハウルもパワーアップが必要ってか?」

「ザッツライト! 業腹だが他のニャルラトホテプの協力を仰ぐ必要があるかもしれないね」

「成る程、候補にはどんな奴が居るんだ?」



「そうだな、アトゥなどは面白いな。生命と苦痛を同時に司る神で、私の苦手とする生物への干渉という分野を補える」

「どんな奴なんだ?」

「性根が腐ってる!」

「何故嫌いな奴を候補に……」

「合理的だと判断したからだよ! 他にも悪心影や闇に吠えるものやトート神なんかは候補としてリストアップしてあるとも! だいたい私の機嫌の問題で言えば何を好き好んでアトゥなぞに!」

「邪神って面白いなあ……」


 ちなみにこのアトゥだが、俺も聞き覚えがある。

 奴隷達の苦痛や血を力に変えてこの世界に根を張る植物のような邪神だ。火山の噴火の如き高エネルギーを伴った顕現を行い、周囲の地形を破壊することも有るとか。


「ところでニャルラトホテプの化身ってのはどんなところにいるんだ?」

「ニャルラトホテプの化身は恐らくこの世界の至る所に隠れ住んでいる筈だ。湖猫の立場を利用してそういった場所の探索を行ってくれるかい?」

「勿論だ。ケイオスハウルがパワーアップするならば俺も仕事が楽になる」

「君は話が早くて助かるよ」

「その言葉はお前にも言える。話していて楽だ」

「そいつは良い。やはり我々はグッドパートナーズだ」


 ならばあとは依頼にかこつけて探すだけか。

 だが探す為にはケイオスハウルが欠かせない。

 あれのメンテナンスについて俺は何も知らない。


「ところでケイオスハウルと言えば修理や整備は大丈夫なのかな? この城に預けっぱなしだけど」

「人工筋肉は神話生物由来のもので自己再生をする。装甲や駆動系に関しては普通なら取り換えが必要だが、駆動系は目立たないから先に修復しておいた。よって今回の整備は装甲の張替えだけしか要らない。楽なものだよ」

「ケイオスハウルの性能も未来の超技術ってことにでもして誤魔化したいな……」

「そうだな。私も能力を十全に発揮できる方が良い」

「分かっているさ。その為の俺だ。其処はなんとかする。ケイさんに疑われる可能性が一番高いんだよな……」

「ナミハナの直感の方が怖いのではないのか?」

「いいや、あいつは俺達が害意を持ってないことを理屈の外で理解している。直感が優れているからこそだな」

「そういうものなのか……」

「ケイ爺さんは魔術の知識が有る分、余計な警戒をさせてしまうかもしれないな……」

「君の意見は実に参考になる。感謝するよ。潜入に特化した他の化身と同じくらいスムーズな人間界への潜入に成功している」

「感謝っていうならお互い様だ。俺だってお前の力で活かしてもらっているんだ」

「サンクス!」


 チクタクマンは液晶画面の中で嬉しそうな笑顔を浮かべていた。

 例え信用ならない邪神であったとしても、こいつの振る舞いが誠実に見える限り、俺も誠実で居よう。俺は改めて自分に誓う。

 丁度その時、部屋の外からナミハナの呼ぶ声がした。


「サスケー! ごはんできましてよサースケ―! サッスケー! 今晩は私の好物のステーキですわよ! 焼きたてでしてよ!」


 お前の好物か。まあ俺も好きだけどさ。

 いや待て、それより何より……


「ステーキ……!?」

「その他にも休暇の為に用意させた山海の珍味がいっぱいですわー! トリュフとかロブスターとか用意させましたわー! トリュフは薄く削ってステーキにかけるのですってよー」

「そ、そいつはすごいな……たのしみだ」


 有るのかステーキ?

 有るのかトリュフやロブスター!?

 異世界の高級料理のくせに普通だな! 贅沢で美味しそうだけど! もっとこう……ミ=ゴ焼きとか想像してたよ!

 ああ、これも俺以外の夢見人が持ち込んだ文明なのかな?


「あと依頼についても連絡が来ましたわ! 食べながらお話しましょう! 明日は早朝から海に出るわよ!」

「ああ、分かった。俺もベストを尽くす」


 俺は美人と話すのが恥ずかしいせいかナミハナにそっけない雰囲気の返事しかできない。

 すまないナミハナ……。

 

 ともかくついに初仕事だ。

 働かざるもの食うべからずと言うし、バリバリ働いてバリバリ恩義は返していくとしよう。

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