サイドストーリー 桜再び
「なあ」
話し掛けるが、応える者はいない。
満開の桜の花の下。日射しは花を透かして、それを天に舞い上がらせる。羽衣、か。
「泰子。元気か?」
ああ、一度でいい。一度でいいから、二人で並んで桜を見たかったな。私は手をかざして、花の隙間から青空を見やる。あのどこかに。きっと、どこかにあいつの笑顔がある。
「ふぅ、ふぅ、はぁ……」
喘ぐような音が聞こえたので、驚いて振り返った。
「おや、旗山にようこそ。元気だったかい?」
どすん。木の下に体を投げ出すようにして、国本さんが仰向けに大の字になった。
「すっごーーいっ!!」
「はっはっは。だろう? 去年は早過ぎて、見られなかったものな」
「はい。今日は楽しみにしてきました!」
「あれ? 南森さんと寺前さんは?」
「あうー。わたし抜け駆けなんですよー。今日は平日で、二人とも仕事なもんで」
「あーあ、後で恨まれるぞー」
「大丈夫ですよ。ほら」
国本さんがショルダーバッグから出したスマホを操作した。そこには、二人が笑顔で手を振っている様子が映っている。
「ほお。便利な時代になったもんだな」
「でも、やっぱ実物には敵いませんよ」
国本さんが、差し掛かる桜全てを抱きしめるような仕草をした。
「……生きてるんですねー」
「そうさ」
「あの」
「なんだい?」
「成島さん、老けましたね」
おっとっと。ずっこけそうになる。
「おいおい、いきなりそういう突っ込みはないだろ」
「ははっ」
「年相応になっただけだよ」
腕時計を見る。そろそろかな?
「国本さんは、今日はこっちに泊まりかい?」
「はい。今夜は山菜料理を食べ尽くします!」
「はっはっは。そりゃあいいや。私も午後は休暇なんだ。もうすぐ高桑のじいさんが一升瓶下げて花見に来る。一緒に一杯やろう」
「うわあ、昼間っから贅沢ですねえ」
「まあね。この桜はここらじゃ最後に咲くやつだ。もう花見の観光客は来ない。最後くらい、私らにも分けてもらわんとな」
「うふふ。そうですね」
おーい、と呼ぶ声がする。下の道から、じいちゃんが赤い顔をして上がってきた。もうかなり出来上がってるらしい。
「お、えいちゃん、なんだべっぴんさんはべらせて」
「ああ、最後のお客さんですよ」
「なんだ、客かい」
なんだもへったくれもないもんだが、これが田舎流ってことなんだろう。
三人で、桜の木の下に座って、黙って空を見上げる。
「今年も……見れたなあ」
じいちゃんがぽつりと呟く。
「ははっ。わたしは、今年は見れた、ですね」
まぶしそうに目を細めながら、国本さんが言い流した。
「おう、前にも来たんかい?」
「はい。去年は少し早かったので」
「そうかい、そうかい」
じいちゃんが、にこにこと頷いた。
「まあ、桜はいつでも勝手に咲きよる。わしらがそれに合わさんことにはしゃあないからな」
ぽんと膝を叩いたじいちゃんが、ふろしき包みから酒とつまみと猪口を出した。
「さあ、命の水でも飲んで。わしらも桜になることにしよう。はっはっはあ。うわっはっはっはっはあ」
私はその笑い声の行方を見る。それはいつの間にか日射しとゆっくり絡まり合って。残桜の枝をかすかに……揺らした。
【 了 】
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