第五話 国本菊香
ちょっとぉ。やだよぉ。ケイは爆泣きしてるし、佑実も震えながら泣いてたし。肝試しなんつー生易しいもんじゃないんじゃないの?
ひぃ。ひどいハイキングになっちゃったなあ。言い出しっぺがわたしだから、しょうがないんだけどさ。
えーとぉ、これ……か。見た目はただの古い祠だよね。何か妖気が漂ってるとか、後ろに何かの目玉が見えるとか、そんなのは感じない。ってか、霊感ゼロのわたしが言っても、説得力ナッシングだよなー。
うー。扉を開けて、中見るだけなんだけど。なーんとなく手が伸びない。引き返しちゃおうかなー。てきとーなこと言ってごまかせばいいよね。
肝試しったって、もともとはケイの暴走が元だし。ケイにも困ったもんだよなー。もう成人してんだから、もう少ししゃんとしてもらわないと。振り回されるこっちの身にもなって欲しい。佑実のサポートも、高校の時ほど切れがないし。それに……アツシのこともあるから、佑実には頼みにくい。
ふう。まあ、お参りだけしてこう。ええと。柏手を打って。ぱんぱん! 目を瞑って、拝む、と。何か祈った方がいいのかな? 桜がどっかで咲いてますように。わはは。そりゃあ、都合のいいお願いか。
あれ? 扉が開いてる。わたし、開けた覚えなんかないよ? ぞわわ。ま、いいや。ご神体は鏡かあ。クラシックな鏡だなあ。あれだよ。歴史の教科書かなんかに載ってるやつ。古墳の中からこんにちはって。
え? ……えーと。わたしは後ろを向いた覚えはないんだけど。どゆこと? ちょっと……。ちょっとちょっとーっ! 勘弁してよーーっ! 出してっ! こっから出してーーっ!
あ、そこの人ーっ! ……って、なんだわたしか。ごるあ! そんなボケかましてる場合じゃないっ! しかもなんでそんなうすら笑いしてんの? きっぶんわるぅ!
「あんたも、がんじがらめねえ」
へ?
「まあ、ずーっとそこにいなさい。そこは楽よー。あんたを縛るもんは何もないから」
う、うそー! や、や、やだよう。こんなところに置いてきぼりにされるのはやだよう! どうなってんの!? 誰か助けてよーっ!!
◇ ◇ ◇
大きな刷毛を持ったペンキ屋さんが、真っ赤なペンキをしたたらせながら、わたしの上に色を塗る。
しゃっ! 『むっちゃ元気』
しゃっ! 『とことん明るい』
しゃっ! 『責任感が強い』
しゃっ! 『面倒見がいい』
しゃっ! 『向上心が強い』
しゃっ! 『包容力がある』
しゃっ! しゃっ! しゃっ!
刷毛がわたしの上を通るたびに、わたしの姿は塗り隠されていく。息が出来ないくらいに、分厚く塗られたまっ赤なペンキ。いつからかなあ。わたしが『いい子』を装うようになったのは。それだけじゃない。雪山のてっぺんから雪玉転がしたみたいに、わたしにはべたべたといろんな形容詞がくっついて。いつの間にか、わたしは不格好な雪だるまになっちゃった。
親の期待は、確かにおっきかったかもしれない。うちはびんぼーだったし。何かを実現させたいと思ったら、自分でなんとかしないとならなかったから。勉強も、スポーツも、クラブ活動も。最初は自分のためだったはずなのに、それがうまく行き出すと、親がわたしからその喜びを全部取り上げた。
「うちの子はねえ、この前の模試で……」
「うちの子はねえ、この前の記録会で……」
「うちの子はねえ、クラブの部長を……」
うちの子は、うちの子は。エンドレスで繰り返される自慢話の下で、わたしがどんな気持ちでいたのか。父さんも母さんも分からなかったんだろう。悪気があってのことじゃない。親が夢見たサクセスストーリー、その片棒をほんのちょっぴり担ぐだけ。わたしはそのつもりだった。わたしは、ね。
でも、期待っていう名の真っ赤なペンキをぶちまけられ続けて。わたしの考えは、動きは、どんどんぎくしゃくしだした。自分がしたいこと。自分の考えてること。自分の価値観。そういうのがぐにぐにと勝手にねじ曲げられて、わたしの知らない怪物の形になっていく。怪物の名は、責任。それは、わたしじゃない。わたしなんかじゃない……。
◇ ◇ ◇
高校に入って、わたしの被らされた仮面はますます分厚くなった。
わたしはとっても悲しかった。このまま一生、これが外れなくなってしまったらどうしようって。でも、たくさんのペンキ屋さんに幽閉されたわたしには、どこにも逃げ場がなかったんだ。
ますます重くなる責任。自分の人生なのに、人の人生の責任を負わされるって、ひどくない? でも、わたしにはそれを愚痴る相手がいなかった。そんな重しがあることを誰にも言えなかった。友達はいっぱいいたのに、その誰にも笑顔だけ見せて。怒りや泣き顔を見せることはなかった。意地を張ってたわけじゃない。どうやればいいのか、分からなかったからだ。
佑実と出会ったのは、その頃だった。
佑実は、聞くのが上手な子だった。わたしと違って目立つことはない。それなのに、ちゃんと仕事はこなす。部員のケアが出来る。うらやましい。本当に。心の底からそう思った。
でも、佑実は。佑実自身は、本当に楽しそうに部活の雑事をしている感じじゃなかった。まるでわたしに仕えるのが当然であるかのように、平然と、坦々と、こなし続けた。佑実の真意はどこにあるんだろう? わたしはそれを直接確かめれば良かったんだ。怖がっていないで。でも。わたしはそう出来なかった。だからわたしたちは、やり手の社長とその敏腕秘書の組み合わせみたいに、ぱりっぱりに乾いた関係のままで部活を切り盛りした。
ケイが来た時だってそう。周りのもの全てに爪を立てようとする、総毛立った山猫を檻に入れるのがわたし。それにエサをあげて、調教するのが佑実。それは、わたしたちにとってはビジネスであって、楽しいことではなかった。でも、わたしも佑実も絶対にそうは言わなかったし、そうはしなかった。
わたしたちは。いいえ、少なくともわたしは。あまりに器用すぎたのかもしれない。
◇ ◇ ◇
高校を出て。大学に入って。全ての責任を解かれたわたしは、ほっとした。
別の大学に行った佑実は、最初高校の時と同じようにわたしとつるもうとしたけど、わたし同様に強い違和感を持ったと思う。そりゃそうよ。わたしと佑実をずっと束ねていたのは、責任という名の重しだもの。そんなの首からぶら下げたままで友人関係を維持することなんて、出来るわけはない。
女と女。個人と個人。身軽になっていざ向き合って見ると、わたしにも佑実にも、あまりにお互いの見えてる部分が少ないってことが分かった。じゃあ、そこで生でやりあえばいいじゃん。そうだよね。本当はチャンスだったんだよね。わたしの仮面をぶっ壊すチャンス。
でも、わたしは佑実の中に踏み込む勇気がなかった。わたしに遠慮があったのか、佑実は徐々にわたしから距離を置くようになった。それは……寂しかった。とっても寂しかったんだよ。でも、それを佑実には言えなかったんだ。どうしても。
◇ ◇ ◇
わたしの器用貧乏は、大学にいる間には治らなかった。でも、親のプレッシャーを離れたことで。自分に無理な目標を課さなかったことで。わたしは、ほっと一息つけた。それは良かったんだ。良かったんだけど。仮面を被ったままで友達を作るのは無理だってこと。それを、いやっというほど思い知らされた。
みんな、ちゃんと本音をちらつかせる。その出し入れに自分もちゃんと追随出来ないと、笑顔だけでは心のやり取りができない。笑顔の看板みたいなわたしを見限って、友達が次々に離れてく。今まで孤立を経験したことがなかったわたし。わたしは焦り始めた。
嫌だ! 奇妙な笑顔が貼り付いた仮面。こんなん被ったままで、一生暮らしてくなんてぞっとする!
せっかく自分を追い詰めないようにと下ろした、責任の看板。わたしは、自分の周囲を人で埋めるために、就職を機にもう一度それを背負うことにした。集まってくる有象無象の人たち。その中に、わたしの仮面の下の素顔を見てくれる人がいるかもしれない。なんの当てもない馬鹿げた考えなのに、それにすがらないとならないくらい、わたしは追い詰められていた。
自分を削って、昼夜を問わずばりばり働いて。うん、確かに。わたしの周りに人は集まってきた。でも、それは高校のクラブの時と同じ。全てはわたしの内面を素通りする。わたしの手と足と口と脳みそを使い倒すために。新たに責任という大きな看板を背負わされ。無駄に光る広告塔みたいに、ぎらぎらしながら。わたしは自分の愚かさを呪った。
わたしは……わたしは出口が欲しかった。何もかもぶん投げて、そこから出て行く出口が欲しかった。出口。それがアツシだったのは、単なる偶然だったと思う。だから。それが佑実の彼氏であったことも。わたしを繋ぎ止めようとして、ケイが下劣な手段でアツシを嗅ぎ回ったことも。わたしにとってはどうでも良かった。
わたしはね。ただ出口が欲しかっただけなの。わたしを塗りつぶそうとする無数の刷毛をかわしてゴールに飛び込むためのゴールテープ。それが、アツシだっただけ。それだけ。
◇ ◇ ◇
ああ。わたしったら泣いてる。今まで、どんなに辛くても、どんなに泣きたくても、涙一滴出なかったのにさ。鏡の中に閉じ込められて、初めて泣いてるなんて変だよね。へへ。ぐす。ひっく。
「ね? そこにいると楽でしょ?」
いきなり目の前から声が響いて来た。わたしの声。楽しそうなわたしの顔で覗き込まれる。
うん、確かに楽だね。でも、ここはわたしの場所じゃない。
「どして? 居心地いいでしょ?」
いや。わたしの仮面をここで外しても意味ないもん。
「ふん?」
わたしの素顔を見せなきゃならない人がいるの。
「……アツシ?」
いや。佑実とケイ。何も付いてない素っ裸のわたしの心をちゃんと見てもらわないと、わたしが潰れちゃう。もう、どうやっても耐えられない。我慢出来ない。
「そう……」
視点がいつの間にか移動した。わたしはいつの間にか祠の前に立ち尽くしていた。両手の拳を固く握りしめて。
「は。はは。はは……ははは」
わたしは……ちょっと笑ってみた。でも、それが限界だった。
ぐわっしゃああああああん!! ものっすごい音をたてて、わたしの顔をずっと覆い隠していた仮面が木っ端微塵に砕け散った。わたしは地面に倒れ込み、土に顔を突っ込んで思い切り泣いた。まるで吠えるみたいに。
「わあああああうっ!」
「わあああああああうっ!」
「わあああああああああうっ!」
二十数年間。わたしがどこにも出せなかった心の底から叫びを、残らず解き放つように……。
わたしが泣いていたのは、ほんの数分だろう。溜まっていたものを吐き出しきって、わたしはしゃくりあげながら顔を上げた。涙で溶けた土が顔に縞模様を作ってる。無様な顔が鏡に写っていた。そしてどこまでも惨めなわたしの肩を抱くようにして、知らない女の人が立っていた。
「まったくまあ、よくもそんなに溜め込んだもんだわ。今まで壊れなかったのが奇跡みたいなもんだよ?」
「はい……」
学校の先生に叱られたみたいに俯いちゃう。
「もう、溜めたらだめだよ」
「はい……」
とてもあり得ない状況なんだけど。わたしは、その語り掛けを素直に受け止めていた。
「あ、それからね」
なんだろ?
「ここであったことを、絶対に他言しないようにね」
それまでは呆れ顔だった女の人の表情が、急に険しくなった。
「どうしてですか?」
「あなたの命がなくなるからよ」
ずしん! 心臓に鉛を流し込まれたように、わたしの意識が急激に現実に戻った。全身に震えが走る。
「は、は、はひぃ……」
怯えるわたしに一切頓着せず、女の人は笑顔でわたしに手を振った。
「ばいばい!」
ごくり。わたしは目を瞑って顔をぶるぶる横に振ると、祠の扉をばたんと閉めた。それから、ばたばたと這うようにしてベンチに戻った。顔を泥まみれにして戻ったわたしを見た二人は、本当に心配してくれた。
「ちょ、菊香、大丈夫!?」
「先輩、何があったんですかあっ!?」
そんなの答えられるわけないじゃん! わたしは紫色になっちゃった唇を震わせて、ただぶるぶる首を横に振ることしか出来なかった。
でも。わたしを見るおじさんの視線は、すごく優しかった。
「どうだい? 怖かったかい?」
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