第三話 南森ケイ

 ちぇ。ジャンケンで負けて、一番手になっちゃった。


 あのおじさん、すっごく怖そうなこと言うからさ。どんな肝試しかと思ったら、あんな簡単なの。つまんない。さっさと終わらせて帰ろうっと。だいたいさー。こんな山つまんないよ。なーんもないし。桜が見事だって言うから楽しみにしてきたのに、佑実ゆみ先輩もチェック甘いんだから。ばっかばかしい。思いっきり空振りじゃないの。


 えーと。あ、これね。なんかきったない祠だけど、扉開くの? よいしょ。ご神体って、これのこと? 鏡、だよね。古っちいなー。あたし、写るんだろか?


 って、ちょっと。何これ? あたし後ろなんか向いてないよ。なんで今来た方角見てるの? で、なんであたしがあたしの顔見てるの?


 ええっ! ちょっとぉ、これどういうことよー! うそぉ! どうなってんの!? 出して! あたしをこっから出してよーっ! そこのあたしの顔してる人。そんな知らん顔してないで、あたしをこっから出してよーっ!


「あんた。つまんない人ねー」


 誰? それあたしに言ってるの? あったま来るーっ!


「何もかもつまんないんでしょ? じゃあ、ずっとそこにいれば?」


 や、やだーっ! なんで、なんでこんなことになっちゃったのよう。ああー、行っちゃう、あたしの顔した別の人ーっ。あたしをこんなとこに置いてかないでよう! 泣きたいのに涙が出ない。どうなってんの? どうなってんのよーっ!


◇ ◇ ◇


 あたしは、小さい頃からみそっかすだった。どんな時にも半端者扱い。あたしがどんなにまじめに考えて言っても、やっても。それは余計なことって怒られた。用事ばっか増やしてって怒鳴られた。いつからだろう? それがあたしを歪ませていったのは。あたしから素直さを取り上げていったのは。


 わがまま。そうだよね。確かにあたしはとんでもないわがままだ。どうせ何を言っても聞いてもらえないなら、あたしも自分の言いたいこと、したいことだけしようって。あたしの欲求はどんどんエスカレートした。みんなからどんなに浮いたってかまわない。だって。どうせあたしの言うことなんか、誰も聞いてくれないんだもん。中学も高校も、クラスに一人も友達がいなくて。本当はすっごい寂しいのに、どんどん虚勢だけ張って。家に帰ってから、猛烈に荒れ狂った。あたしは。本当はもう壊れていたのかもしれない。


 でも。気紛れで入った高校のクラブの先輩が、あたしに助け舟を出してくれた。国本くにもと菊香きっか先輩と寺前てらさき佑実先輩。二人とも、とても大人だった。ガキ丸出しのあたしを上手にいなした。あたしが泳ぎ回れる広いプール。あたしを抱いてくれる暖かい水。あたしは、やっと手足を伸ばせた。無理に尖らなくても、あたしでいられた。

 あたしは緩んだ。わがままを言いながら、そのわがままが通らないことを少しずつ受け入れられるようになってきた。あたしは、生まれて初めて自分の言い分をきちんと聞いてもらえた。それを認めてもらえた。嬉しかった。他のどんなことよりもそれが嬉しかった。


 だからあたしは丸くなった。少しずつ、自分を抑えることを覚えた。それは我慢するってことじゃない。あたしの言い分を聞いてもらうのと同じように、あたしも言い分を聞いてあげるってこと。刺を刺で返したって、なんにもならないんだもの。


◇ ◇ ◇


 でも。あたしの幸せな時間は短かった。先輩は二人とも卒業して、あたしとの距離が開いた。せっかく少しましになっていたあたしのわがままは、誰にも制御してもらえなくなった。潮が引くように、あたしの周りには誰もいなくなった。わがままは、あたしに中途半端に知恵が付いた分もっと激しく陰湿になり、たちが悪くなった。あたしは、再び無理解と自分の未熟さの中にどっぷり漬け込まれ、ひどく荒れ狂ったまま高校を出た。

 あたしには、先輩たちみたいな学力もなかった。専門学校を出て、そのまますぐに就職した。でも、どんな仕事をしても長続きしなくて。いつも周囲の人に当たり散らすことしか出来なくて。そんな自分が嫌だと思っても、どうしようもなくて。どんどん崩れて行った。


 そんなどうしようもないあたしに、もう一度浮上するきっかけをくれたのも、偶然に再会した菊香先輩だった。颯爽としてて。自分に自信を持って、どんなことも前向きにこなす。あたしが逆立ちしてもなり得ない理想の姿が、そこにあった。


 あたしは。こんなあたしは要らないと思った。菊香先輩のコピーでいい。出来損ないのコピーでいいから先輩みたいになりたい。でも、それをどんなに願ったところで叶わない。だから、せめて側にいたいと思った。先輩のまとう空気の中に、自分を置きたいと思った。自分の気配なんか要らない。そんなの消してしまおう。


 それからのあたしは、いっぱい努力をしたと思う。先輩がいる会社は一流企業。あたしなんか、どんなにがんばったって入れない。でもその会社の仕事の中には、外注に出されているものが結構あった。下請けなら、あたしが潜り込む余地があるかもしれない。あたしの乏しい脳みそをフル回転させ、いくつか資格を取って、先輩の会社と取引のある小さな会社に潜り込んだ。


 あたしの目論見は当たった。付き合いのある会社の社員同士。しかも同窓。先輩は、気軽にあたしを誘ってくれるようになった。あたしは……どうしようもなく嬉しかった。これで高校の時みたいに、あたしはうまくやれる。きっとうまくやれる。


◇ ◇ ◇


 幻想が消えるのは早かった。それも、高校の時よりもずっと早く。当たり前だよね。先輩は、あたしをもうオトナとして扱ったんだ。技量のある、立派な社会人だって。あたしの中身があの頃と何も変わらないことを知らずに。いいや、違う。あの頃よりもずっと荒んで、ぐしゃぐしゃになっていることを知らずに。あたしのわがまま癖は、高校の頃のようにはもう制御出来なくなっていた。

 気紛れ。気分屋。けーわい。全てが自分を中心に回ってると思ってる。そういう陰口を、先輩を楯にしてやり過ごした。そういう小ずるさを、あたしは当たり前のように身につけてしまった。

 あたしが目標にするはずだった先輩の姿は遥か彼方に霞んでしまい、あたしのどうしようもない場当たりのわがままと減らず口だけが先輩を困らせる。これじゃいけない! 何度そう自分に言い聞かせても、あたしの狂気はもう後戻り出来なくなっていた。


 菊香先輩は、あたしが重荷になっていった。あたしから距離を取ろうとし始めた。あたしは、敏感にそれを感じ取った。ここで見捨てられたら、あたしは本当に破滅だ。切羽詰まったあたしは、とんでもないことに手を染めた。菊香先輩が、佑実先輩の彼氏を好きになってることに気付いて。菊香先輩に、その男の情報をたれ込んだ。あたししか知り得ないその男の情報を得るために、あたしはその男に近付いて、誘惑して、体を売った。その情報を、菊香先輩に条件付きで流した。


 条件。あたしと一緒にいること。


◇ ◇ ◇


 結局。あたしは何がしたかったんだろう? 菊香先輩は、あたしの側にいる。確かにいる。でも、先輩はあたしを見てくれない。先輩が見ているのは、あの男だ。どうにかして振り向いて欲しいと、涙ぐましい努力を続けている。それは佑実先輩の彼氏なのに。しかも、あたしの使い古しであることを知らずに。その渇望の先には、あたしなんかどこにもいない。


 あたしはパソコンの検索エンジンみたいなもの。あの男のことをキーワードで入れれば、何か情報が出てくる。誕生日。好きな食べ物。趣味。女性の好み。スケジュール。あたしが吐き出す無機質な言葉は、先輩にはなにより大切なもの。でも隣にいるあたしには、その情熱の百万分の一も分けてくれない。

 あたしは先輩の横にいて、どんどんすり減っていく。わがままで先輩を縛ろうとしても、それはロープではなくて刃にしかならない。あたしが先輩を壊してしまったら、同時にあたしも壊れてしまう。


 あたしは。あたしは……本当は何がしたかったんだろう?


◇ ◇ ◇


 鏡の中で。あたしは泣けなかった。どんなに泣こうと思っても、涙が出なかった。あたしは、鏡に閉じ込められていることよりも、もう先輩に会えないことの方がずっと悲しかった。あたしは恋愛感情で先輩が好きなわけじゃない。いたずらに、先輩に理想像を重ねていたわけでもない。ただ。ただ……。


 あたしを理解してくれた数少ない人が、先輩だった。それだけなんだ。それだけのことが、あたしを高め。それだけのことが、あたしを狂気に駆り立てた。


「ふうん……」


 突然、鏡の外で声がした。顔を上げると、そこにあたしの顔をした別人がいて、あたしを覗き込んでいた。


「そういうことね。で、どうすんの?」


 どうする? あたしは思わず俯いてしまう。あたしは、もう刃の上を歩いている。一歩でも間違えると、先輩もあたしもまっ二つになってしまう。そうしたのはあたしだ。


 あたしは……。もう先輩から離れた方がいいのかもしれない。あたしは破滅する。間違いなく破滅する。でも、それに先輩を巻き込むわけにはいかない。唯一あたしを理解してくれた、支えてくれた先輩を、あたしの狂気の巻き添えにするわけにはいかない。ここにいれば、あたしはもう先輩に迷惑をかけずに済む。害悪そのもののあたしが、先輩を汚さずに済む。


「そう。つまんない生き方ね。それでいいの?」


 つまんない? そう、つまんない。あたしの人生は、全部つまんないことの詰め合わせだった。自分自身の置き場所を探し続けて、まるでピンボールの球みたいに、あちこちにぶつかって跳ね返って。転がるだけで、どこにも当てはまらなくて。

 ああ、あたしは本当にわがままだったんだろうか? 人に声高に主張できるような自分の生き方や信念なんて、どこにもなかったんじゃないだろうか?


 つまんない。あたしの口癖。つまんないもの。それは、自分をどっかから持ってきて継ぎはぎしようとしてたあたし自身。それをどうしても認めたくなくて、先輩に自分を投影してただけ。つまんないよね。自分が。なくなってしまっても何の跡も残らない自分が。ふう……。


◇ ◇ ◇


 ふと顔を上げたら、そこは祠の前だった。


「あ、あれ?」


 慌てて腕時計を見る。


「五分も経ってない……」


 さっきのは夢だったのかなあ。なんか妙にリアルだったよね。あたしは祠の中の鏡を見つめる。そこにはあたしではなくて、あたしの見たことのない女の人が写っていた。ものっすごく厳しい顔つき。きりきりと眉を釣り上げた女の人に、ぎっと見据えられた。


「ひ……」

「南森ケイ!」

「は、はひ……」


 がくがくと足が震える。立っていられなくて、膝を折った。両手を組んで、硬く目をつぶる。怖い。怖いっ! 怖いーーーーっ!


「ここであったことを、一言も他人に漏らすでないぞ!」

「は、は、はひぃぃぃっ!」

「漏らした時はその命はないものと思え! 良いな!」

「は、はいーーっ! 確かに約束守りますーーっ!」


 あたしは目を開けるのが怖くて、ほとんど目を瞑ったままで山道を駆け下った。途中で二回派手に転んだけど、そんなこと気にしてる余裕なんかなかった。滝の前の木橋を駆け抜けて、先輩たちとおじさんの座っているベンチが見えたところで、腰が抜けた。


「ちょ、ちょっと! ケイ! どしたの!?」


 慌てて菊香先輩がすっ飛んできた。あたしはその顔を見て、やっと涙を流すことが出来た。


「う……わあああん! わああああん!」


 なりふり構わずに。あたしは泣きじゃくった。怖くて。怖くて、怖くて、怖くて。どこまでも、どこまでも怖くて。佑実先輩も心配そうに寄ってくる。


 でも。おじさんは、あたしの顔を見て少し笑った。あたしは、どうしようもなく……それが恐ろしかった。


 おじさんは、先輩たちに抱えられるようにしてベンチに戻ったあたしの顔を見ずに、ぼそっと言った。


「なあ? 怖かっただろ?」


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