第二話 祠
「酒井さん、宿舎の共益費持って来たんですけど」
「あ、成島さん。わざわざありがとう。後でわたしが宿舎回るから、その時でも良かったのに」
「いえ、山入っちゃうと、いつ戻れるか分かんないんで」
「確かにそうね。助かります」
現金の入った茶封筒を渡して、作業の支度にかかる。公園の管理事務所と言えば聞こえはいいが、実際はただのプレハブ小屋だ。村の職員が顔を出すことは滅多にない。事務の酒井さんも、朝晩だけしか小屋には来ない。
さっき酒井さんが回ると言った村営の宿舎も空き室ばかりで、全部で十八世帯入れる宿舎に実際に入居しているのは私を入れて三世帯だけ。しかも全員独身だ。まあ、村の職員はほとんど自宅から通う。宿舎を使うようなケースというのは滅多にないんだろう。私以外の二人も、村に実家があるので宿舎にはいないことが多い。三階の一番端の部屋の私は、一階の二人とはまず顔を合わせることはない。とことん気楽だ。
新聞はとっていないし、日中ずっといないので、集金やら勧誘やら、うっとうしいのと顔を突き合わせる心配もない。私は休日も山に入るので、買い物と酒井さんとのやり取り以外はほとんど独りで過ごせる。とても都合がいい。
◇ ◇ ◇
「おお、成島さん、おはよう」
公園の入り口に一番近いところのお宅。そこのじいちゃんに声を掛けられた。
「
「整備かい?」
「ええ。今のところ、天気が大きく崩れてないんで楽ですね」
「ははは、そうかい。それにしても、こんな山の中を一人でうろうろしてて寂しくないんかい?」
「まあ、仕事ですから。慣れてますし」
「ふうん。独り身なんだろ? かみさんはもらわんのか?」
「こんな、くたびれた中年男のところに来たがる女性なんかいませんよ。給料安いしね」
「おや、男前の若いもんが何抜かす。わあはははははっ!」
じいちゃんは、けたたましい笑い声を上げながら私の背中をばんばん叩いた。
「じゃあ、行ってきます」
「おう、ご苦労さん」
年寄りに捕まると長い。それに、妙に詮索されるのも困る。
じいちゃんの視線が途絶えるところまで登って、一度足を止める。今日は、本当に春めいた暖かい日になりそうだ。ぼつぼつ観光客が入ってきそうだな。
◇ ◇ ◇
上り口の木道を掃除して、手すり代わりに渡してあるロープをチェックしながらゆっくり上がる。スミレ類の開花がいっぺんに進んだ。山が、装おう速度を一気に上げている。山桜が咲き出すのも時間の問題だろう。連休前に、もう人が入りそうだな。
滝のところで本道の方に曲がってすぐ。整備してあるベンチに、並んで人が座っているのが目に入った。若い女性が三人か。珍しいな。ここは観光用のマップには一応載っているけれど、とことん地味なところだ。足回りをしっかり固めないと来れないので、軽登山に慣れている山好きの年配者以外はあまり足を踏み入れない。桜の時期以外は、若い子が見て楽しめるものはほとんどないと思うんだが……。
見たところ、一応ハイキング用の格好だ。足元はウォーキングシューズだし、服装もしっかりしている。ザックこそ背負っていないが、歩きやすそうなスタイルで登っている。
「こんにちは。花見ですか?」
声を掛けた。それも仕事のうちだからね。三人の中で一番しっかりしていそうな、ストレートヘアの女性が返事をした。
「ええ。そのつもりだったんですけど、桜にはまだちょっと早いんですね」
「ここは山の中だからね。都市部よりはだいぶ遅れますよ」
「ええー? がっかりぃ」
三人の真ん中に座っていた小柄な子が、口を尖らせた。もう一人の細身で眼鏡をかけた女性が、聞いてもいいんだろうかという口調で私に問いかけた。
「あの……地元の方ですか?」
「いや、地元ってわけじゃないけどね。仕事だから。ここの公園の整備やガイドをやってます。成島です」
私は、胸につけてある職員証を見せる。
「成島さん、ですか」
「そう。去年の秋に採用になってね」
三人が顔を見合わせた。
「ええとぉ、ガイドさんてことわぁ、この山についても詳しいんですよね」
「まあ、一応。それが仕事ですから」
「わたしたちぃ、桜が見たいなーと思って来たんですけどぉ、どこかで早く咲いてるのないですかぁ?」
「この山ではないですね。日当りのいいところでも、あと数日はかかります」
「ちぇー」
小柄な子が、見るからに不機嫌そうな顔になった。
「ケイ、仕方ないじゃん。わたしらに合わせて咲くんじゃないんだからさ」
「そーだけどぉー」
眼鏡の子が、何か思いついたように再び私に質問した。
「あの、成島さん。桜以外にこの山の史跡とか名物とかはないんですか?」
「うーん、そこの滝は見てきたんですよねえ」
「はい」
「それくらいなんだよね。あとは、ほとんど村落の方にあるから。ここは本当に地味なんですよ」
「そっかあ……」
三人は、あからさまに落胆の表情を浮かべた。桜を見たいなら、もう少し下調べしてから来るべきだろう。開花情報は、村の観光サイトにも公開されているんだし。
「なんでこの山にそんなにこだわるんですか?」
率直に聞いてみる。
「いや、この山の辺りは元々古戦場で、すっごいパワースポットだって聞いたから、何かあるんかなーと思って」
そういうことか。私は腰に手を当てて三人を見回した。それから、少しばかり小言を押し付けた。
「正直に言うとね。あまりそういう興味で山を見て欲しくないんですよ」
上から目線の小言がかちんと来たんだろう。小柄な子が、もっと不機嫌な顔になった。
「なんでですかぁ?」
「この山も含めてだけどね、元々霊山は女人禁制のところが多い。山の神様は女性で、神様が嫉妬するからっていうことなんですけどね。それはともかく、女性を不浄のものとして捉える向きがあるんですよ。山伏とかの山岳宗教も、もともとは男ばかりでしょう? 霊峰には、未だに女人禁制を唱えているところがありますし」
「ええー?」
「まあ、今の時代にその考え方はナンセンスですけど、そういう背景があるっていうことは、どこか心に留めておいて欲しいんです」
眼鏡の子が、釈然としないという風に聞き返した。
「……なぜですか?」
「弱いと、山に食われるからですよ」
「え?」
「山はね。元々人間を受け入れるつもりはないんです。人間がいようがいまいが、圧倒的な存在であり続ける。心身が貧弱な人は、男女を問わずその威圧感に耐えられません。正気を保てなくなります」
小柄な子が猛烈に不機嫌な顔をしている。その子の顔を見ながら、挑発するようにして言葉を重ねる。
「あなた方が三人でなくて、もし一人でここにいれば。あなた方は恐ろしくなって逃げ帰るでしょう。山というのはね、本来そういう荘厳なところなんですよ。たとえ、こんなに低い山であってもね」
小柄な子がぽんとベンチを下りて、私に向かって指を突き出した。
「なに変なこと言ってんのさ! こんなつまんない山。怖いわけなんかないじゃん。あほらし!」
「ケイっ!」
ストレートヘアの子が、失礼な言動を大声でたしなめた。だが、小柄な子の態度は改まらない。ふむ。それに、眼鏡の子はどうも表情が硬い。言動や表情は控えめだけど、残りの二人に目を向けない。なるほど……。
私は三人をもう一度見回す。彼女たちは友人同士だろう。だが、その関係は決して単純ではないと見た。
「ケイさんとおっしゃいましたかね」
「へ?」
「あなたは今、こんな低い山なんか怖くないと言いましたよね?」
「言ったけど、それがどうしたの?」
「じゃあ、肝試しをしてみませんか?」
「肝試しぃ?」
眼鏡の子の顔が急に歪んだ。その手のは嫌いなんだろう。
「三人それぞれでもいいですし、どなたかお一人でもいいですよ。なに、ほんのすぐそこにある祠。それにお参りするだけです」
「なんの……祠ですか?」
こわごわと、眼鏡の子が確かめた。
「昔、山仕事をする人が作業の安全を祈念するために作った祠です。さっきも言いましたが、山の神は女性。失礼のないように神様を祀って供物を捧げ、きちんと拝んでから作業をしていたんです。その名残ですね」
さっきまできゃんきゃんいきり立っていた小柄な子が、急におとなしくなった。私は、薄笑いを投げつけて挑発する。
「やっぱり怖いですか?」
「こ、怖くなんかないわよっ!」
私が馬鹿にして笑ったと思ったんだろう。噛み付くように反発した。
「じゃあ、最初は私がその場所に案内しましょう。で、一度戻ってから今度は一人ずつ行く。ルールは簡単です。祠に着いたら扉を開けて、ご神体が何かを必ず確認してください。私がそれを聞いて、正解かどうか確かめます。それだけです」
三人は互いに顔を見合わせた。真っ昼間。今のところから遠くはない。もしかしたら、他の観光客には出来ない体験ができるかもしれない。好奇心と若干の虚栄心が彼女たちの警戒を緩めたんだろう。三人はまんまと話に乗った。
ストレートヘアの子が立ち上がって、私の提案を承けた。
「おもしろそう。案内してもらえます?」
「いいですよ」
四人で滝のところまで戻って、滝の手前にかかる木橋をゆっくり渡る。沢の向こうは雑木林ではなく、ヒノキの暗い造林地だ。
「うわ。暗いなあ」
ストレートヘアの子が、林内を見回して顔をしかめた。
「足元に気をつけてくださいね。すぐそこです」
まだ本道からの景色が木立の間に見え隠れする、短い距離。歩くと言うほどのこともなく、すぐに祠にたどり着く。小柄な子が祠を見て、勝ち誇ったように嘲笑した。
「へっ、こんな近くじゃん。つまんねー」
そうして扉に手を伸ばそうとしたので、腕を出して止める。
「それは肝試しの時にね」
ぷうっと膨れた小柄な子を視線で押し返す。下がってろ。小柄な子は、私の表情に怒気が混じったことに気付いたんだろう。渋々引き下がった。
三人を見回しながら、もう一度ルールを確認する。
「場所は分かりましたね。まあ曲がってすぐのところですし、絶対に迷いようはないんですけどね。ここまで来て、祠の扉を開けて、御神体が何かを確認して、戻って私に申告する。肝試しのルールはそれだけです」
あとの二人も、ちょっと拍子抜けしたように顔を見合わせた。それじゃあ肝試しとしてはあまりにスリルがないと感じたんだろう。最後までそう思っておいて欲しい。その方がチャンスが大きくなるだろう。明暗の対比でね。
「じゃあ、戻りましょう」
私が最後尾になるようにして、来た道を戻る。先を行く三人から少し離れて一度足を止め、一度だけ素早く振り返った。
「
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