第5話 戸根中の怪談

「盾」


聞き慣れた声で、呼ばれた。

この嬉しそうな声色は、多分再婚の話。


いつきさんが盾に会いたいんだって。明日、一緒にご飯食べない?」


ほら。

でも、私はちっとも嬉しくなかった。


「…ごめん。明日は、友達のとこに行くから」


だからって、この態度はないと思うけどね。私ったら…本当に、まだ子供だわ。そんな予定ないのに。


「…盾…、樹さん、とてもいい人なのよ?前のお父さんの事は、もう…」

「母さん」


遮るように、立ち上がった。

目を大きく見開いて見上げられる。

わかってる。こんなこと、言っちゃ駄目なのよ。

…言っちゃ、駄目なのだけれど。


「…私、母さんが再婚するの反対よ」


それでも、言わずにいれなかった。

母さんが再婚しちゃったら、きっとあの子は私の弟じゃなくなる気がして。


「どうして…、どうしてそういう事言うの!?」

「…行ってきます」


待ちなさい、と怒鳴る母さんを無視して、私は家を出た。


______


「…お前、早乙女っつったっけ」

「…あら、昨日の。何かしら?」


二階堂くん、同じクラスだったのね。


「お前、大丈夫かよ? 顔色悪いぜ?」

「あらぁ…寝不足かしら。やーねぇ、もう。これ以上お肌が荒れちゃったら大変だわ」


彼、やっぱり不良向いてないわ。

だってこんなにも優しいんだもの。


「保健室行ってこいよ」

「嫌よ。保健室遠いんだもの」


私たちのクラスがある本校舎から、保健室のある西校舎までは、とても遠い。

まず本校舎下まで降りて、渡り廊下渡って、それから西校舎を二階まで上がらなきゃいけない。

どうなってるのかしら、戸根中の構造。


「…おいっ!?」


目の前がぐにゃりと歪む。

それにつられて足から力が抜け、私の視界は地面に落ちた。


「早乙女!? っおい、誰か先生呼んで来い!」


あれ…私。

どうしてこんなに疲れてるんだろう?


______


「…早乙女くんが倒れた?」

「そうらしい。さっき二階堂がわざわざ伝えに来た」


ふむ…早乙女くんが、か。


「それ、何処でだ?」

「教室。椅子から落ちたんだってさ」


確か早乙女くんは…三年一組だったかな。

あの教室、怪談があったような。


「早乙女くんの様子を見に行こう。来るか? 奈々」

「ひなに着いていかない訳ないでしょ。行こう。休み時間が終わる前に」


私は、奈々を連れ立って教室を出た。


「あ、昨日の」

「とっ、とととととと、東条!?」


うん、やっぱり早乙女くんの言う通り恋か。


「早乙女くんは?」

「あいつなら、一番窓際のベッドで放心状態だよ。日々の疲れと心労じゃねえかって、保健の先生が」


疲れと心労?

まさか、クッキー作るために寝る時間を削って…?

…いや、彼に限ってそんなことはないな。


「早乙女くん、失礼するぞ」


シャッ、とカーテンを開く。

彼の言った通り、早乙女くんは窓の外を呆然と眺めていた。


「早乙女くん」

「…あら、ひなちゃん。どうしたの?」


返事はしてくれたけど、どこかやつれた笑顔だ。

…どうして。

どうして、君は。

そんな風に無理をして笑うんだ。

昨日言ったじゃないか。「あまり溜め込み過ぎると後が大変だぞ」って。


「早乙女く」


私の声を遮るように、チャイムが鳴り響く。


「帰ろ、ひな」

「先生には言っといてやるから、ちゃんと休めよ」


私は奈々に引き摺られるように保健室を出た。


______


「ふふっ…。本当…嫌な日だわ」


私は、どうして母さんが離婚したのかわからない。

あんなに、家族で仲良かったじゃないの。どうして?

理由の一つ説明されないまま、引っ越しして、母さんの再婚話が出て…。


「心労溜まらない方がおかしいわよぅ」


ねえ母さん。

どうして父さんの事忘れろなんて言うの?

何が、あったっていうのよ?

私の意識は、いつの間にか深みに落ちていた。


______


「奈々、早乙女くんのところに行こう」

「昼休みに行ったじゃん? 何で?」


これといった理由があるわけじゃない。

でも、私はあのままの早乙女くんをほっとけない。


「頼む、奈々。もしかしたら、早乙女くんは…!」


______


「おい早乙女。もう放課後だ、帰れ」

「あら…わざわざ悪いわね。そうよね…もう、帰らなきゃ、ね…」


帰りたくない。


「何、お前帰りたくねえの?」

「そうねえ。帰りたくないわ。でも帰らないとお菓子作れない…」


それは由々しき問題よ。ひなちゃんと話す理由がなくなる。


「早乙女くん!!」


カーテンが物凄い勢いで開けられる。


「早乙女くん、話してくれ。君…。」


息を切らせたひなちゃんが、そこに立っていた。

もしかしてひなちゃん…私の為に、走ってきてくれたの…?


「ひなちゃん…」

「君、怪談に取り憑かれているんだろう!?」


…は?

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