第7話

 夜、普段どおりに町へと繰り出した冬香。ひとまずはアパート周辺を巡回し、それから円を描くように住宅街を徘徊。その後、ひと気のない公園や路地を見て回った。が、そんな冬香の側には、何故か幸太郎の姿があった。

 冬香は幸太郎を一瞥することなく、しかし冷たい声で問う。

「ずっと黙ってたけど、どうしてあなたは付いてきているの、モー太郎?」

「え! その呼び名って勘違いを繰り返した時なんじゃ……」

「私に助力は必要ないと言ったはずよ、モー太郎」

「いや、でもやっぱり女の子一人でってのは危険だと……」

「モー太郎。そういうのは、余力のある人間がすることなのよ」

「それはわかるんだけど……。それよりモー太郎は勘弁して。さすがに心が折れる」

 そんなやり取りをしていた二人だが、結局は付いてきたならば仕方がないと、冬香は邪魔しないという条件で幸太郎の同行を許可した。

「それで、死霊ってのはどうやって見つけるんだ? やっぱり霊感とかが働いて、居場所がわかったりすんの?」

「半分は勘だからそんな感じだけど、もう半分は違うわ。霊というのは、暗くてジメジメしてて人のいない場所に現れやすいの。そう、まるでゴキブリのような……」

「死人に鞭打つのはやめてあげて!」

 幸太郎はひとまず落ち着くための深呼吸。改めて別の問いを投げ掛けた。

「それはそうとして。ずっと気になってたんだけど、どうしてバットなんだ? その、除霊道具だったらもっとそれらしい物で良かったんじゃねえの?」

 冬香は右手に持つ雪月花を持ち上げ、幸太郎に見せつける。

「これだったら持ち歩いても銃刀法にあたらないし、暴漢に襲われても大丈夫でしょ?」

「ああ、なるほどお……って、ならないからね。たとえ護身用でも軽犯罪法には引っ掛かるから、マジで」

「じゃあ生粋の野球ファンを名乗るわ。ほら、あれよ。カープ女子」

「うん、そうだね。もういろいろと疲れたわ。……なあ、そこの公園で休憩しようぜ」

 そこは駅前の喧騒から外れた場所にある公園。明るいうちは子供たちがサッカーボールを追い掛け、夜になると誰も寄りつかなくなる場所である。

 幸太郎が備えてあったベンチに腰を下ろす。次いで座った冬香は手元の雪月花をぼんやりと眺めた。幸太郎はひと気のない公園を見渡す。別段、幽霊を探していたわけじゃない。これと言って話題がなかったので、視線を彷徨わせただけだった。

 流れる沈黙。それを破ったのは、なんと冬香の方だった。

「この公園、小さい頃におばあちゃんに連れられてよく来たわ」

「それって、ばあちゃんが遊び相手になってくれてたってこと?」

「ええ。私、おばあちゃんっ子だから、実家にいるよりもあのアパートにいる時間の方が長い生活を送ってたの。そうしていると、すこしずつ霊が見えるようになった。それをおばあちゃんに言うと、おばあちゃんはごめんねって謝ってきたの。当時の私はなんで謝られたのかがわからなかったけど、あるとき気付いたの。おばあちゃんは、私に跡を継がせようとしてるんだって」

 メゾン・フレンドガーデンは、普通の猫が化け猫になってしまうような特殊な環境にある。そんな所に入り浸っていた冬香は、気付けば霊能力を覚醒させていたという。そしてそれは、後継を欲していた祖母の思惑だったのだ。

「それに気付いたとき、私はおばあちゃんの今までの優しさが打算的なものだったんだって思った。だから罵っちゃった。最低だって、嫌いだって、そんなことを言っちゃった。そのときのおばあちゃんの悲しそうな顔が今も忘れられない」

 冬香はベンチの上で膝を抱える。視線は相変わらずバットをぼんやりと眺めている。なんだか、その姿がずいぶんと幼く見えた。いや、か弱く見えたのだろう。

「それから当分はアパートに行かなくなったんだけど、ある日、おばあちゃんが倒れた。ずっと封印に携わってた影響で、心労がたたったんだって。だから休めばすぐに良くなると思った。でも、一向に良くならない。それどころか二ヶ月前に容体が急激に悪化して、二週間前には危篤状態。今では集中治療室で寝たっきり。もうずっと目を閉じっぱなし」

「じゃあ、ばあちゃんがアパートに戻ってくることって……」

 冬香は答えなかった。また幸太郎も問いを重ねることはせず、無責任に励ますこともしなかった。幸太郎が思っている以上に、冬香は覚悟しているとわかったからだ。

「でも集中治療室に入る前に、見舞いに行った私におばあちゃんが言ったの」

 ――冬香、ごめんね。おばあちゃん、あなたになんて言ってあげればいいのかわからないの。あなたには才能があるから跡を継いでほしいとも思うし、嫌なら継がなくてもいいとも思ってる。だから卑怯かもしれないけど、こう言っておくわね。……冬香。私は先にあの世に行くけど、いつか私にどんな人生だったかを教えに来てちょうだい――

「このとき私は決めたの、おばあちゃんの跡を継ごうって。そしてあの世に行ったら、胸を張って役目をこなしたよって伝えるんだって。……だから幸太郎」

 冬香が幸太郎へと振り向く。

 そのときの彼女の笑みを、幸太郎は生涯忘れないだろう。

 柔らかく、母のように温かいその笑みを。

「帰りましょ、私たちの家に」


          ◇


 選んではいけないとわかっていても、選ばずにはいられない選択が存在する。

 たとえそれが間違った選択だったとしても、選ばずにはいられないことがある。

 禁断の選択。

 帰ってきた冬香は、自室に備えた固定電話に数件の留守番メッセージが入っていることに気付いた。どうやら見回りに出ている間に電話が掛かってきていたらしい。再生する。父の声だった。緊迫した声。今、何処にいるんだ、と。続けて次のメッセージ。またもや父の声。先より焦りが増した声。祖母の容体が急変したと病院から連絡があった、と。嫌な予感を覚えながら、次々とメッセージを消化していく。はやくこっちに電話を寄越せ。いったい何処にいる。はやく病院に来い。そうして最後のメッセージは次の言葉だった。

 祖母が死んだ、と。

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