第2話
そうして彼女の家に向かう道中、幸太郎はふたたび自己紹介。
「もう一度言うけど、俺の名前は真木幸太郎。高三だからあんたの一個上だ」
「牧場モー太郎? 牛牧場でも経営しているの?」
「真木! 幸太郎! 牛とは一切合切繋がりのない家庭だよ!」
「そう。私は
「わかった、冬香だな。よろしく」
そしてふたたび差し出された右手。しかし冬香は無視。
「いやいやいや、ここは握手しとこうぜ!」
「それは無理よ。だって私の右手、
「雪月花ってなんだよって、まさかその木製バットのことか?」
「雪月花。四季の美しさを表した言葉。まさにこのバットに相応しい名前でしょ」
「俺には年季の入った無骨品にしか見えませんけどね」
「これは一〇年前、おばあちゃんが私のために買ってくれた物よ。その日以来、私はこれで素振りを続け、長い修行末、理想のバッティングフォームを手に入れたのよ」
「除霊の力を手に入れたんじゃねえのかよ、自称除霊師!」
まったく、この少女は要領を得ない。常に無表情なだけに、なにを考えているのかさえ想像も出来ない。いったいこの子は何なのだ。
とそこで、冬香が不意に立ち止まった。
「着いたわ」
「え、着いたって……。もしかしてここが、あんたの言ってたアパートか?」
幸太郎は側の建物を見上げた。
住宅街の中に存在する、鉄筋コンクリート製の三階建てアパート。外観はお世辞にも綺麗とは言えず、大学生などが家賃の安さから居着いていそうな古ぼけた感があった。
「そう。ここが私の住んでる場所よ」
冬香はそう言うと、幸太郎を自分の部屋へと誘ったのだった。
冬香の部屋は一〇一号室。風呂とトイレは別々で、短い廊下の先に六畳フローリングの部屋があり、ベランダとクローゼットも備えられている。ありふれた1Kの一室。窓は東向きでなかなかに良い物件である。
部屋に通された幸太郎は、備えられた卓袱台の側に腰を据え、何気なしに部屋を見回す。女子らしさのない簡素な部屋。可愛げのある物が一つもない。しかし、その中でもとりわけ可愛げのない――もとい目を引く異様な物があった。
クローゼット。そこに貼られたお札と、開けられないように掛けられた注連縄。
それが異様。気味が悪い。
そんなところで冬香が向かいに座った。そして卓袱台に鍵を差し出す。
「とりあえずあなたには、この空き部屋の鍵を渡しておくわ。二〇六号室よ」
「えっと、ごめん。よくわからん」
「空き部屋を貸すから、今日からあなたにはこのアパートで暮らしてもらうわ」
「はあ? なにを勝手な!」
「勝手? 私、あなたに言ったわよね。その命を私のために使いなさいって。それを承知であなたは私についてきたんでしょ?」
「いや、まあ、それは……」
同棲が出来ると思ってついてきた、などと下心丸出しなことは言えそうにない。
「えっと、俺は……。そう、俺は疑問を解消したくてついてきたんだ。それに、私のために命を使えって言うのは、自殺しようとする俺を止めるための口実だったんだろ?」
「口実?」
「え、もしかして本気? それだとちょっと怖いというか……。そもそも空き部屋を貸すとか、そんなことがあんたに出来るのかよ。このアパートの所有者じゃあるまいし」
「ここの今の大家は私よ」
「……え?」
言葉の意味がわからないとする幸太郎は、先ほど見たアパートの外観を思い出す。たしか建物の壁に名前が書かれていた。メゾン・フレンドガーデン。幸太郎はその名前を頭の中に浮かべ、ハッとした。
友園冬香。友園。友、フレンド。園、ガーデン。友園、フレンドガーデン。
「え、マジで!」
「ええ。そもそも友園家はこの一帯の大地主だもの。そして今、このアパートを私が仕切ってる、代理でだけど。だから空き部屋を貸すのは、大家としてしごく当然のことだと思うんだけど?」
「た、たしかに……」
「理解してもらえたなら、早速だけど出ていってもらえるかしら? 明日は学校だし、私、お風呂に入って寝たいの」
「あ、お風呂ね。じゃあ俺はここで失礼して――って、なるわけねえだろ! 俺の疑問がまったく解消されてないんだって!」
「なに、見たいの? 一人暮らしをする女子高生の出ていけという言葉を無視して部屋に居座り、劣情の赴くままに覗きを働きたいの?」
「ちがう! 男ならば当然として見たいが、ちがう! そうじゃない!」
「そう。新規入居者が犯罪者ではなくて良かったわ。じゃあ出ていけ」
「いやだから、俺の疑問がまだ……」
しかしすべてを言い終わる前に、幸太郎は部屋の外に放り出された。冬香は半開きの玄関ドアから顔を覗かせ、言葉を残す。
「もしも疑問を解きたければ、二〇一号室を訪ねるといいわ。勝手に居着いてる奴だけど、そいつなら教えてくれるはずよ、たぶん」
「曖昧だな! っつか、勝手に居着いてるってどういうことよ!」
「あと、どの部屋にもお札が貼られているのだけど、絶対に剥がさないように。じゃあ」
「最後! 最後に怖いことを言わないで!」
閉められたドアを見詰めながら、幸太郎はどうしたものかと頭を掻く。
帰る場所もない。死ぬに死にきれない。こうなっては流されるがままにするしかない。
幸太郎は手元の二〇六号室の鍵をポケットに仕舞うと、階段を使って二階へ。そして共同通路を渡っている途中、ふと視線を感じて背後を振り返った。そこには二〇一号室。その玄関ドアが、振り返ったと同時に閉まった。
「……なんだ?」
とそこで思い出す。疑問を解きたければそこに行け、という冬香の言葉。幸太郎は踵を返し、二〇一号室へ。まずはインターホンを鳴らす。が、誰も出ない。ノックする。反応なし。誰かがいるはずだ。そう思い、ドアノブを回してみる。すると開いてしまった。幸太郎は恐る恐る部屋の中を覗き込む。廊下の電灯は消えている。一応、もう一度呼んでみる。が、返事はない。おかしい。絶対に誰かがいるはずなのに。事ここに至ってもなお、居留守を続ける気か。ここまで来ると、神経が図太いというよりも、こちらを舐めているとしか思えない。こうなると呼ぶ声にも怒りが混じってしまうものだ。
「あの、すみません!」
すると、がたんと物音が鳴る。それに遅れて数秒、廊下と部屋を隔てるドア。それが僅かに開き、その隙間から声がした。
「ど、どちらさまでしょうか?」
怯えた声。どうやら警戒されているらしい。
幸太郎は怒りを静め、なるたけ落ち着いた声で答えた。
「あの、ここの大家に二〇六号室に住めと言われた、真木幸太郎という者です」
「新規の入居者さんですか? そんな御方がどうしてここに?」
部屋の電灯も消えているため、相手の姿はちゃんと確認できない。ただ、聞こえてくる声はとても若い。いや、むしろ幼く感じる。
「えっと、大家さんに二〇一号室の人にいろいろ聞けと言われたんで」
「そうですか。そ、それではお上がりください」
「あ、はい。お邪魔します」
そして玄関から上がった幸太郎は、電灯の消えた部屋へと入る。窓から差し込む月明かりが、薄ぼんやりと二〇一号室の住民を明かしている。幸太郎は電灯のスイッチへと手を伸ばした。こう暗くては会話もままならないと思ったのだ。
「あ、電気はつけないで!」
「え?」
制止の声が飛ぶも、その頃に幸太郎の指はスイッチを入れていた。パッパッと微音を鳴らして点滅し、電灯が部屋をしっかりと明かす。
そして。
「え?」
唖然とする幸太郎の視線の先には、幼い少女がいた。
年は一〇辺りか。髪はボサボサで、着ている服はよれよれ。それだけ聞けば育児放棄された子供のようではあるが、しかし肌は白くきめ細やかで、体つきも健康的。ただ、幸太郎が唖然とした理由からすれば、それらの要素はまったくどうでも良い些末事。
少女は部屋の中央に佇み、気恥ずかしそうに幸太郎を見上げていた。頭の上に生えた猫耳を手で押さえ、尻から生えた尻尾をゆらゆらと揺らしながら。
「あ、あの、私、まだ
「へえ~……え~と……う~ん……あ、そうだ」
思い立つと、幸太郎は少女へと歩み寄り、その姿をじぃっと観察。少女は困った様子で両手と視線を彷徨わせ、最後はにへらと愛想笑い。猫のような愛らしさ。率直に可愛い。猫耳がぴこぴこと微動している。どういう仕掛けなのだろうか。
「これ、どうなってんの?」
猫耳に触れた。何故、勝手に動くのか。実際に触れてみれば、その仕掛けがわかると思ったのだ。が、彼女の猫耳は柔らかく、温かかった。血の通いを感じる。質感、肉感、共に本物の感触。しかし何故だ。作り物ならば、こんな感触はないはず。幸太郎は満を持して生え際を見てみることにした。装着物ならば、カチューシャのような物があるはず。しかし見る限り少女の猫耳は頭から
「偽物じゃない? そんなはず……」
ふと少女の顔を見ると、彼女は突然の出来事に驚いた様子で放心。目などまさに点となっている。まずい事をしてしまったのだろうか、と思った矢先である。
「作り物の訳あるか、この痴れ者がッ!」
怒声と同時に幸太郎の腹部に少女の足がめり込み、そして吹き飛んだ。幸太郎は部屋の壁に叩き付けられ、ずるりと床に転がる。
「ガハッ、ゴホッ」
思わず咳き込む。いや、むしろ卒倒しなかっただけ良かったと思わされる蹴り。威力が半端ではない。
「な、なんだ?」
視線の先には先の少女がいた。しかしその態度は、大人しそうだった先とは真逆。胸の前で腕を組み、ふんぞり返るようにこちらを見下してきている。傲慢が板についたその姿は、幸太郎によりいっそうの困惑を与えた。
「貴様、なにやつ!」
少女からの問い。何もかもが理解できないながらも、幸太郎は蹴られた腹部を押さえながら答える。
「さっきも言ったけど、ここの大家に二〇六号室に住めと言われた、真木幸太郎だよ」
「なに! 冬香が居住を許可したと言うことか。つまり新規入居者」
途端、少女の態度が一変。敵意に染まっていた瞳が落ち着きを取り戻す。
「そうか、そうか。新規入居者なのだな。……ふむ、真木幸太郎よ」
名前を呼ばれ、幸太郎は反射的に「はい」と返答。少女はにぃと歯を剥いて笑った。
「ようこそ。メゾン・フレンドガーデンへ」
少女の頭に生えた猫耳がぴこぴこと小さく揺れていた。
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