第13話 ワルド⑦
「やめろ!」
僕は思わず叫んでいた。
目の前の映像では、今まさに「向こうの世界」の自分が女性を無理矢理襲おうとしている場面だった。僕の声に反応したのか、映像は動きを止め、やがて消えた。
『中央審議会』会長であるアクセルはじっと僕を見つめていた。
今映像で見せられた出来事は、今日、僕が夢の中で見た出来事そのままだった。僕は、自分が嫌がる女性を襲うなどという汚らわしい夢を見たために、思わず嘔吐してしまったのだった。
僕は再び気分が悪くなり座り込みそうになる。
「おっと君を立たせたままだったね。これは失礼した」
アクセルがそう言うと僕のすぐ後ろの床から椅子がせりあがって来た。僕は思わずそこに座り込み、顔を手で覆った。
「どうして……」
「それは何に対する問いかけかね?」
僕は顔を上げてアクセルの方を見る。
「どうして、君の『悪夢』を映像として見せる事が出来るのか、かな? それともどうして君がこんな夢を見るのか、かな?」
「どういう意味ですか……?」
前者はともかく、後者は意味が解らなかった。僕がこんな夢を見る理由を彼らは説明できるというのだろうか。
「まず後者から説明しよう」
アクセルは続ける。
「君は夢のメカニズムを理解しているかね」
「一通りは……」
夢は脳が思考の整理のために行っているとされている。浅い眠りであるレム睡眠中に、起きて活動している間に集めた情報を整理しているのだ。しかし、実際に夢は過去にあった事ばかりを整理している訳ではない。僕の『悪夢』が「実際にあった過去である」筈がないからだ。
「夢は脳が過去の出来事を整理するために行っているとされている……」
そして、アクセルは衝撃の言葉を言い放った。
「先程の映像は君の過去の出来事だ」
「なっ……!」
あまりの言葉に息が詰まる。僕は呼吸を整えて反論する。
「そんなはずはありません! 僕はあんな事をした記憶はない。大体、『向こうの世界』と現実は全く違うじゃないですか!」
「そう、正確に言えば君ではない」
もしかしたら彼は意図的に僕を怒らせようとしたのかもしれない。その方が、彼が話しやすくなるから。彼は今から話を進める自分のために、わざと僕を怒らせたのでは――そんな考えが一瞬、頭をよぎる。
「先程の行為を行ったのは、前世の君だ」
「前世……?」
アクセルはあくまで淡々と話を続ける。
「現代の人間は『天命転生』システムによって前世の肉体のDNA情報をほぼ百パーセント引き継いでいる。まあ、致命的な遺伝病などに対応するために、正確には少し改変は行っているんだが。ともかく、前世の自分と今世の自分は肉体情報的にはほぼ同一人物と言える」
それは事実だった。顔立ちや背格好は前世と今世でかなり近くなる傾向があった。だからこそ、「死」を乗り越えたと言えるのだ。客観的に見れば、同一の個体がずっと存続しているように見えるのだから。
「しかし、前世の記憶は保持していないはず……!」
そう、肉体は一緒でも中身、つまり、記憶の情報は一からリセットされる。事実、RSから産まれた瞬間の記憶が僕の原初の記憶だ。その産まれた直後の記憶ですら曖昧なのに、前世の記憶などあろうはずがない。
「記憶は脳の海馬と大脳皮質にある。特に長期的な記憶は大脳皮質に刻み込まれている。RSの仕組みを思い出すんだ。君は前世の肉体を、特殊培養液に溶かしたはずだ。それは大脳皮質とて例外ではない」
僕は彼の話を黙って聞いている他なかった。
「再生不可能な部位は除去してクローンで置き換えるものの、継続して利用可能な肉体の部位は再利用する。それは大脳皮質も同様だ。再構成の段階でテロメアの修復を行う必要上、情報は基本的にリフレッシュされる。だから、前世の記憶は基本的に保持されない。しかしね、記憶を持っていたパーツである大脳皮質は確かに残っているんだ」
アクセルはさらに続ける。
「つまり、記憶のリフレッシュを受けてこそいるもののほぼ全ての人間の身体の中には、前世から引き継いできた記憶が眠っているのだ」
「それが『異世界の悪夢』の正体……?」
「その通り。ここまで言えば、悪夢の中の『異世界』の正体にも察しがつくだろう?」
アクセルは、くしゃりと顔をゆがませて言い放った。
「夢の中の『異世界』とは、この世界の遠い過去の世界なのだ」
あの下等で薄汚れた世界が、この世界の過去? 信じられなかった。
何よりもあんな凶行に走った「向こうの世界」の自分が、紛れもない自分自身だったとは、信じたくなかった。
「誰もが『異世界の悪夢』を見る。それは前世の自分の情報なのだ。より正確に言えば、何代前の前世なのかは人によって違う。RSが開発されて後の記憶ならどの代の物が蘇るのかは人によって異なる。だが、一つ言えるのは、我々人類がまだ『悪意』を持って生活していた時代にまで遡るという事だ」
確かに、僕が見た夢の世界は悪意に満ちていた。この僕でさえも……。
「その理由は実は簡単だ。そういう時代の夢を見る様に、『安全機構』が制御しているからだ」
「え?」
僕はアクセルの言葉の意味を噛み締める。彼の言葉に従うなら、あんな悪夢を『中央審議会』はわざと見せているということになる。
「君の想像がどこまで及んでいるのかは知らないが、人類の歴史から見れば、人間が『悪意』を持って生活していた時代の方が、人間の本性が『善』になった時代よりも圧倒的に長いんのだ。RSが完成した後も、長い間、人間の本性は『悪』のままだった。人間の本性の『善』化に成功したのは、ここ数百年の事。それより前の人間は『悪夢』の中の人間のように、大方の人間の本性は『悪』だったのだ」
次々と襲いかかってくる事実に、僕は倒れ込みそうになりながらもぐっと堪えて尋ねる。
「僕の『悪夢』は一体どれくらい前の世界なのですか……」
「少なくとも三千年は前だ」
三千年。途方もない時間だった。しかし、今問題なのはそこではない。
「それほど太古の記憶が、RSがあるといえ、残っているものなのですか」
「人間の脳という物は想像以上によくできている物なのだよ。現代の人間でも、脳の七十パーセントはあえて休眠していると言われている。これは、バックアップ体制を整えているということなのだ。RSと『安全機構』の助けさえあれば、これくらいの間、記憶を休眠させる事も不可能ではない。特に『安全機構』はホルモンバランスや外的攻撃に耐えるのみならず、人間の人格の深奥にも関わっているからね」
本当にそんな事が可能なのか疑ってみても仕方がない。事実できているのだ。それは認める他ないだろう。
「人格の深奥……?」
今更包み隠す所など何もないのか、アクセルはよどみなく喋る。
「疑問には思わなかったかね? 太古の時代には人間の本質は『悪』だった。それが今の時代、何故『善』に変わったか?」
「それは、人類の進化……」
言いかけて止める。『学び舎』で学んだ事であったが、先程までの話を聞いた後では、到底納得できる理由たりえなかった。
「RSによって遺伝的形質を、『安全機構』によって環境的形質を管理する事によって100パーセントに近い確率で人間の本質を『善』のまま留めおく事が可能になったのだ」
つまりRSと『安全機構』。この二つが揃って初めて、人類は『善』になる事が出来るのだ。あの穢れた時代から人間は決して進化してなどいなかったのだ。
「少し話が逸れたな。『悪夢』は『安全機構』が見せている。その理由は、あえて人間の本性が『悪』であった時代を体験させるためにある」
「どうしてそんな事を……」
「一つたとえ話をさせてもらおう」
アクセルはどこか芝居がかった調子で言った。
「太古の時代に、絶対王制を敷こうとした王が居た。絶対王政とは、簡単に言えば、王、たった一人のための国を作り、君臨するという事だ」
「そんなことが……」
現代には『国』と言う概念はない。『国』という概念には階級が付き物で、階級があれば平等足りえないからだ。歴史上、かつてはそういうシステムが存在したということは知っていたが、今の僕には本質的な理解ができているとは到底言えない状態だろう。
絶対王政。『国』を持たない僕には想像し辛い。しかし、「向こうの世界」、つまり、自分の前世の記憶として聞いた事があるような気もした。究極の自分本位。利己的行動。恐ろしい考えだ。
「まあ、正確にはそこまで単純なものではないんだが。今触れたいのは、王が、自分一人が君臨する体制を作るために、民衆には基本的に本を読ませなかったということだ。何故か解るかね?」
「……王にとって都合の悪い情報を民衆に与えたくないいから?」
あまりに自然に言葉が口をついた後に、嫌な気分が僕を襲う。僕自身がこんな『悪意』に満ちた発想ができる事にショックを受けたのだ。どうして、情報を与えたからといって民衆が王に害を為すような事があるだろうか。
いや、そもそも王が先に民衆を虐げているという発想をすれば……。
僕は「向こうの世界」で「いじめ」に反撃した瞬間の事を思い出した。『悪意』は理解しがたくとも、それが『復讐心』であるなら……まだ理解できなくはない。
「そう。民衆を愚かで無知蒙昧な状態に留めおけば、そもそも彼らは虐げられている事にすら気がつかないかもしれない。自分達が苦しく、王が幸せなのは当たり前だと……」
恐ろしい発想だった。
やはり、このアクセルという男は信用できない。この男は親切に説明してくれているだけだと、彼の『悪意』を否定しようと考えたが、うまく心の整理は出来なかった。
「実際、この方法は王にとって、ある程度までは成果を出していた。誰も、反抗をしようという者など居なかったんだ。だが、結果からいえば、最終的にその国は滅びた。外国から情報を得て、彼ら民衆が自由を求めたからだ。何が言いたいかと言えば、人の口に戸は立てられない。開けるなと言われた箱ほど、人は開けたくなるものなのだよ」
アクセルはどこか得意げに大勢の前で演説するかのような調子で話す。そんな態度もどこか癇に障る。
「つまり……」
「人間の本性が『悪』であった時代の事を、隠蔽しようとすれば、必ず何処かで無理が生じる。どこかで秘密を知り、そんな時代を取り戻したいと考えてしまう愚か者が出ないとは決して言い切れない。だったら、最初から情報を隠さなければいい」
「それが『悪夢』?」
「そうさ。ただの伝達情報として『悪意』の時代を伝えても、それに歪んだ憧れを持つ者が現れるかもしれない。だから『安全機構』は、『悪意』の時代の記憶の中でもできるだけ陰惨な物を選んで見せるようにプログラミングされている。戦争の絶えなかった時代。食べる物がまるでなかった時代。物質的には豊かでも心が荒みきった時代……RSによる構成具合によっては、記憶を取り出せないパターンもあるから、個人差は出てしまうし、転生の代によってもどの前世の記憶が引き出されるかは変わってしまうのだけどね」
「伝聞情報との違いとは何です?」
「とびきり陰惨な時代を疑似体験させているのだ。当然、人間の本質が『善』となった現代の方がいい、この体制を維持したいと考えるのが自然だろう。だから、『非推奨行為』や『禁止行為』には誰もが従う。『禁止行為』を実行すれば、良くない事が起こるのは誰もが理解しているだろう? 自分がルールを破ることで、この世界が文字通りの意味で『悪夢』のような世界に変わってほしくはないと考えるからね」
僕は反論する。
「でも、その『悪夢』によって『悪意』の時代の情報を与えられたことによって、かえって歪んでしまう人間も居るのでは?」
僕はこの思想に同調したくはなかった。あの『悪夢』に何らかの意味があるだなんて思いたくもなかったからだ。
「簡単に言えば予防注射だよ」
「予防注射?」
「確かに、過去の時代を正確に認識で来てしまったなら、現代にはない『競争』に心を奪われ、『悪意』を開花させてしまう人間もあるかもしれない。だが、夢であるが故に、多くの人間にとっては漠然とした記憶しか残らない。細かい情報を得る術はないのだから、基本的には『悪意』に対する嫌悪感しか『悪夢』からは得ないのだ。もちろん、君のように『悪夢』を見やすい体質の者は多少悪影響を受けてしまっているきらいがあるのは認めねばならんが」
現代が果たして、今までの時代の中で最も幸せか否かは解らない。だが、長い歴史の中でもより悪い時代を選択的に見せているのだとしたら、当然、現代の現状の方が幸せだと皆が考えるだろう。
「これで、先程、君の『悪夢』を映像として現出させる事が出来た理由の説明にもなっただろう」
『安全機構』が『悪夢』を制御しているのだとすれば、それを管理する『中央審議会』が映像として見せることぐらい造作もないだろう。
「………………」
僕は突然に告げられた真実に頭が痛くなり始めていた。もう少し、この度合いが強まれば、『安全機構』に介入されるかもしれない。
「おや? 顔色が優れないようだが。今日はこのくらいにしておこうか?」
僕はアクセルの言葉を受けて、答える。
「いえ……大丈夫です」
「これから後に伝える情報の方が、もっと君にとってはショックが大きいと思うけど、本当に大丈夫かい?」
「……お気づかい、ありがとうございます」
アクセルはそこで僕の顔を改めてしげしげと眺めた。
そして、またくしゃりと笑った。
「とても、感謝をしているような顔には見えないね」
「……どういう意味です」
「いや、言葉では『ありがとうございます』と言いながら、腹の底では心底苛立ちを覚えている様な顔だな、と思ってね。いや、失敬。気に障ったのなら謝るよ」
僕は思わず言い返す。
「あなたの方も到底、謝っているようには見えない顔をしていますよ」
言ってしまってから、すこし言い過ぎたかと思った。だが、すぐに構わないと思いなおした。もはやこの程度、瑣末事だ。
アクセルは一瞬呆けたような表情を見せた。
だが、次の瞬間、彼は表情を反転させる。
――『邪悪』。
眉をひそめ、瞳は僕を睨みつけ、それでいて、口には獰猛な笑みが浮かんでいる。『忌み語』である『邪悪』という言葉を選ぶ以外に表現しようの無い顔。
そして、僕は思い出す。
『汚染者』を殴り飛ばしたときのラウディの表情を。
「いいね。いい子ぶった人間より、私にとってはそういう人間の方が好みだよ」
「そういう人間」。彼にそう言われてはたと気がつく。
そうか。そうだったか。
僕も今、目の前の彼と同じ『邪悪』な顔をしているのか。
「誰もが『善』となった時代。それでも、例外というのは、どこにでも現れるものだよ」
この瞬間から、アクセルの雰囲気が明確に変わっていた。威厳のある空気こそ最初から変わらぬが、今ではそれが威圧的な物に変化している。他者を圧せんとする意志を、確かに感じる。
「それが我々『中央審議会』であり……」
話の中で半ば予想していた事だった。目の前に居るアクセルを見れば解る。彼らは普通の人間と違う。
彼は『悪意』を持っている。
そして、GMCの『神託』によってそれは判断されている。
「そして、君だよ、ワルド君」
僕ははっきりと自分の『悪意』を認識した。
僕は目の前の男を害してやりたいと思っていた。
「そうだ、その目だ」
アクセルはどこか嬉しそうに続けた。
「確かに君は我々と同じく『悪意』を持っている。RSとGMCと『安全機構』によって完全に人格を支配された現代においてもね」
僕に『悪意』があると宣言する人間に、『悪意』を持つ事自体が、自分に『悪意』がある事の証明になる事は皮肉という他ない。
「……それにも理由があるんですか?」
ここまで来たら引き出せるだけの情報を引き出すしかない。どちらにしても引き返す事などできそうにもないからだ。
「正直、はっきりとした理由は解らない。現代の科学といえども『心』を百パーセント解析出来た訳ではないのだ。だが、GMCの解析によれば、人工全体のおよそ0.05パーセントの人間には『悪意』が備わっていると言われている」
「0.05パーセント……?」
それは計算が合わない。認めたくはないが、自分が『悪意』を持った人間だとカウントしても、『中央審議会』にいる人間は六人。それは人口の0.05パーセントなんかよりずっと少ない。
「そう、『悪意』を持った人間ならば全て『中央審議会』に選ばれる訳ではない。もしそうだとすれば、もっとここも賑やかになっているのだがね」
自分は0.05パーセントの中から選ばれた。選ばれなかった者とは何が違うというのか……?
「そもそもなぜ『悪意』を持った人間が『中央審議会』に選ばれるのか? そこから説明せねばならない」
確かにそうだ。『悪意』を持った人間は、自分がそうである以上認めるのは業腹だが、劣った人間だ。なぜなら、争いの種になりえる思想を持っているという事になるのだから。そんな人間がなぜこの世界の最高決定機関たる『中央審議会』に就くのだろう。
「そもそも『中央審議会』の具体的な職務とは何かね?」
アクセルは逆に僕に質問してきた。
「『非推奨行為』や『禁止行為』の制定……」
「それは既に制定されている。少なくとも現状、変える必要がある物とは思えない。ただ書かれているものを繰り返し読んでいるだけなら、『遊び舎』に入る前の餓鬼でもできるぞ」
『悪意』を包み隠すことをやめたアクセルの言葉の端々からは、粘つく様な嘲りの臭いがねっとりとこびり付いていた。
だが確かに、もう出来ている決まり事を変更するのは、よほどの事がなければ行われないだろう。
「緊急事態における現場の収拾……」
「そうだな。それが一つ。こないだの事件で君たちの前に私が現れたようにね。では想定できる緊急事態とはどのようなものだ?」
改めて問われると思い付かない。『中央審議会』に緊急事態における最高決定権があるという事は知っているが、それが具体的にどのような時に執行されるものなのかは知らないのだ。
人々が『中央審議会』が果たしていかなる業務を行っているのか具体的に知らなくても疑問に思わないのは、人を疑う事を知らないからだ。
「知っての通りこの世界は太古とは違い国という概念なしに統一され、全ての人間は『安全機構』の管理下にある。だから、外敵というものは、ありえない」
「では『外界』は? その危険を排除するために、『開拓者』達を送り込んでいるのでは? もし有事があるとすれば、『外界』からの脅威なのでは?」
僕はラウディの事を思い出していた。彼ら『開拓者』は『外界』の脅威に立ち向かうために、結成されているのではないのか?
「『外界』の脅威とは何だね?」
「それは……」
『外界』に何があるのか、僕はほとんど何も知らなかった。
「人間に従順でない『龍』が居ると……」
「君はそれを見た事があるかね?」
「ないです。噂でしか……」
アクセルは改めて襟を正した。今から非常に重大な真実が告げられるという事を僕は察した。
「まず大前提として我々は『世界の秩序』を守るためならなんでもする、そう言ったね」
「……覚えています」
「今から話す事は、衝撃的かもしれないが、真実だ」
そして、ついに、アクセルは本日最大の衝撃的事実を告げた。
「結論から言えば、『外界』には何の脅威もない」
僕は頭をがんと殴られたような気分になる。人生の中で頭を殴られたことはないが、きっとこれ以上に衝撃を受けることはそうはない。
僕には、アクセルの言葉が真実であることを認めるわけにはいかない。
「しかし、百年の寿命の内に『開拓者』達が帰って来られないほどに『外界』は広がっているのでしょう!」
思わず僕は口調が強くなる。
アクセルによって告げられつつある最悪の真実に否定したいがために。
「それは嘘だ」
やめろ。
「『外界』には何の脅威もないし、百年の時を要するほど広いわけでもない」
やめてくれ。
「では、なぜ『開拓者』達が帰ってこないのか?」
「やめろ!」
我慢できず、思わず言葉を挟む。
アクセルは僕の言葉を無視して続ける。
そして、ついにもたらされた決定的な一言。
「『開拓者』は『悪意』を持った不適合者として、我々『中央審議会』に処分されているからだよ」
「やめろ!」
そして、ラウディにはもう二度と会えないのだという事実を、僕は知った。
いったいどれくらいの時間が過ぎたのだろうか。僕が我を取り戻したときには、目の前に椅子には、憎き男アクセルがまだ座っていた。
「いやあ、流石にこの事実は衝撃が強すぎたかな? 随分と長い間、呆けていたね」
アクセルは気味が悪いくらいの快活な笑顔で話を続ける。
「こう見えても私は優しい性分でね。他の『中央審議会』のメンバーに比べれば随分と穏健なんだよ」
「……自分で言う事ですか?」
僕は消え入りそうな声で呟く。ぶつけられた『悪意』へのせめてもの『復讐』の言葉だったが、返した刀は余りにも弱弱しい。
ところが、この反撃は予想外の効果をもたらしたようだった。アクセルは少しばかりの驚愕を滲ませて、言葉を紡ぐ。
「いやあ、これは掛け値なしにいうのだけどね。私は今まで三人のメンバーにこの事実を同じ様に伝えたけれど、こんな風に反撃してくれる人間は初めてだよ。これはGMCはいい人材を選んでくれた。感謝せねばな」
この男の賛辞など、全く嬉しくは無い。むしろ、不快だ。だから、僕はアクセルを正面から睨みつけながら言ってやる。
「話を続けてください」
「まあ、君なら一気に最後まで話をしてしまっても大丈夫かな」
演技ではないのであろう。本当にこの男は喜々としている。これほどまで衝撃的な真実を告げられる自分に酔ってでもいるのだろうか。あるいは、言葉でとはいえ、僕をいたぶることができることに快楽を覚えているのだろうか。
どちらにしても反吐が出る。
この男と対面していると、自分の中の『悪意』がどんどん溢れだす。滾々と湧き出るドス黒い水が僕の心をゆっくりと満たしていく。これではこの男の思う壺なのではないかという思いもあるが、その湧出は止められそうもない。
「では、話の続きだ」
アクセルは改めて話し始める。
「『悪意』を持ってしまった人間は排除しなければならない。そうでなければ善良な人間を傷つける可能性があるからね。ほら、以前君と会ったときの『汚染者』のことを覚えているかい? ちょうどあんな具合にね」
ナイフを持ち、暴れた『汚染者』の狂気に染まった瞳を思い出す。あの根源にあるものこそが、今僕の心内を確かに染めているものと同じものなのだ。一歩間違えば、自分もあの男と同じようになっていたかもしれないのだ。
「ああ、もちろん。あのときの男はもう処分されたよ。周囲の人間には彼は遠いところで『汚染』を取り除いているんだ、と言ってね。いやあ、『悪意』の無い人間ほど欺かれやすいものはないね。まず『だます』という発想がないから、『だまされた』ということにも滅多なことでは気付けないし、万に一つ気付いても『そんなはずないよな』と勝手に好意的な判断してくれるからね」
さらにアクセルは話し続ける。
「さて『汚染者』の危険性は今語ったように、直接を人を害することにあるのはもちろんだけれど、それ以外にも存在する。それは何かわかるかい?」
「さあ……想像もつきませんね」
「ははは。君は嘘が下手だね。まあ、普段の生活で嘘をつかなくちゃいけない場面なんてめったにないからね。仕方がないか」
アクセルはどんどんテンションが上がっていっている。よほど、この説明をするのが楽しいのだろうか。
「本当は君も想像がついていると思うが、『汚染者』の最大の脅威は『汚染』の拡大だよ。ちょうど、君のお友達が『悪意』を開花させた最後のきっかけになったように」
「……黙れ」
僕はラウディを侮辱され、思わず口汚く反論する。
だが、もう構うもんか。
僕は『悪意』をもった人間なのだから。
「いやあ、やっぱり君はいいよ。『悪意』を指摘されたのはつい今し方のことだというのに、もうそれを使うべき場面で使うことができている。これはできそうで意外にできない。『悪意』持ちとして選ばれ、ここに来たメンバーも初めは自分は善良であるかのように振舞おうとするんだ。滑稽だろ? もうすでに『神託』はくだってるっていうのにさ」
「無駄話はやめてもらえませんかね」
僕はアクセルの言葉を遮る様にして言う。
「おお、怖い怖い。まあ、確かにそれも一理ある。さっさと事務的な話は終わらせて、今日は君の歓迎パーティーとしゃれこもうじゃないか」
なおも人を小馬鹿にする様な発言を続けるアクセルを僕は眉間に力を込めて睨む。全身に力が入っていることがわかる。いつの間にか、僕は握りこぶしを作っていた。
「話を戻そう。『汚染者』を見た人間の反応は、恐ろしい、怖い、近付きたくない……こんなものがほとんどだ。だが、ごく稀にその『汚染』された様を見て、それに憧れを抱く人間もごく少数ではあるがいるんだ。やっぱりシステムも完璧ではないからね。どんな人間にも『悪意』の因子がほんの少し残っていて、それが反応してしまうことがあるんだね。不運なことにさ」
つまり『汚染者』を野放しにしておけば、間違いなく善良な人間であるはずのルウやミズキも何かの間違いで『汚染』されてしまはないとは言い切れないということなのだろう。
僕はただ話を聞き続ける。
「そうした可能性を減らすために、実際にやってはいけないことをしてしまった『汚染者』は排除される。将来的に『汚染者』になる可能性をもった『悪意』持ちも同様さ」
「待って下さい」
僕は少しばかり落ち着きを取り戻して尋ねる。
「だったら、貴方は処分されているのでは?」
「正確には、君と僕と『中央審議会』のメンバー全員だね」
いちいち煽る様につっかかるアクセルの言葉を無視して続ける。
「人を実際に害した『汚染者』は処分される。それはまだ理解できる。でも、我々『中央審議会』が確かに『悪意』を持っているというのなら、同じく『悪意』を持っているとされた『開拓者』とどう違うというんですか」
いったい、なにが僕とラウディの明暗を分けたというのか。
「また話が長くなる、と君は嫌うかもしれないけど、一つ先に言わせてもらうよ。前提として、『悪意』をもった人間というのは何も善良な人間と比べて必ずしも劣っているというわけではないんだ」
「……どういう意味でしょう」
「考えてもみてごらんよ。先程も言ったけど、善良な人間は『だまされても』滅多なことでは、それに気がつけない。という事はだよ。たとえば、世界にたったひとり、イレギュラーな存在として、『悪意』持ちの人間が現れれば、下手すればそのたったひとりに世界が侵される、なんて状況を考えるのはやりすぎかな?」
確かに、現実の人間は人と争うことを知らない。人間は皆、他人のためを思って行動していると心の底から信じている。そんな人間たちの中で、たったひとり自己本位に行動し、自分のことだけを考える『悪意』持ちがいたとしたら。それは家畜たちの中に『龍』を離すような行為に等しいのかもしれない。
「そういう状況になったとき、たとえ、善良な人間たちが『悪意』持ちの人間に打ち勝つことができたとしても、はたして善良な彼らに『悪意』持ちとはいえ、人間を『処分』するなどということができるだろうか?」
きっと無理だろうと思う。『悪夢』の世界、この世界の遠い過去の人間ならいざ知らず、現代の人間に人を『処分』するなどという事はあまりに荷が重いだろう。
「もう答えは出たね? 『悪意』持ちの人間を処分できるのは、同じ『悪意』持ちの人間だけだ」
『悪意』を持った人間の排除は誰が行うのか。それもまた『悪意』を持った人間にしかできる事ではない。『善性』しかもたない人間は他人を害する事ができないから。確かに筋は通る。
いわば、毒を以って毒を制す。
それが『中央審議会』だったのだ。
『中央審議会』の「緊急事態における役目」とは『悪意』を持ってしまった『汚染者』を処分する役目だったのだ。
「まあ、『処分』と言ってもね。『悪意』持ちの選別自体はGMCによって自動的に行われるし、実際の処分行為の実行も『オートメーション』によって行われる。つまりは全てGMCによってこの世界は回す事が出来る。だが、いかにGMCが完全なシステムといえど、それを管理する人間は必要だ。それが『中央審議会』」
アクセルは言い放つ。
「つまり、『中央審議会』はGMCの管理と彼女の行動に責任を持つためだけに存在する機関なんだ」
ほとんどのピースは揃った。だが決定的な一枚がまだ不足している。そして、その一枚こそが僕を本当に叩き壊す最後の一撃になる。その予感がある。
この男、アクセルは最後の最後に僕を殴り飛ばす最強のカードをまだ手の中に隠している。その空気をひしひしと感じ取る。
この男の『悪意』が、今、僕に正面から襲いかかろうとしている。
「では『悪意』持ちが、狩る者である『中央審議会』に回るか、狩られる者である『開拓者』に回るかはどのように決定されるのか」
僕とラウディの運命はどこで別れたのか。
その答えこそが、最後に僕を殺す最後のピース。
嗜虐への快楽と放言への陶酔をないまぜにした表情で、アクセルはくしゃくしゃに笑う。
そして、アクセルは告げる。
「それは保持する前世の記憶の中で『犯罪行為』を行ったか否かだ」
僕はアクセルの言葉を噛み締める。
「……『犯罪行為』?」
アクセルはもはや満面の笑みとも言うべき笑みで言う。
「今で言う『禁止行為』に近い物だ。ただ、我々が定めた『禁止行為』よりも、より陰惨なものにのみ適応されるものだ。たとえば、『禁止行為』には『悪口』とあるが、『犯罪行為』では、その『悪口』がよほど酷いものでない限りは、『犯罪行為』と判定されない」
僕の身体はガタガタと震え始めていた。だが、もはや後戻りはできない。
「……具体的に『犯罪行為』とは何なんだ?」
「『傷害』『窃盗』『殺人』など……そして、『強姦』行為もだ」
「『強姦』……?」
「前世の貴様がやった行為だよ」
「っ!」
つまり、『強姦』とは、女性を襲う事……!
「我々、『中央審議会』は『悪意』を持つ者の中で、前世で『犯罪行為』を行った者のみで構成されている」
「なぜ『犯罪行為』したものだけで『狩る側』が構成されるんだ!」
僕はもう感情を抑える事が出来ない。自分とラウディに振りかかった理不尽な運命に憤りしか感じていなかった。
「それは実体験として、『犯罪行為』の重みを知っているからだ。君も実際、『悪夢』を通じて前世の行為を追体験することで、『犯罪行為』の悪逆非道さを実感できただろう? 二度とあんな事はしたくないと思えただろう?」
それは当然だった。あのように『罪悪感』に駆られる行為を再びするなんで事は決してありえない。
「気付いたようだね」
「同じく『悪意』を持つ『中央審議会』と『開拓者』の違いは、『悪意』に身を任せた時に襲ってくる『罪悪感』を知っているか否かなのか……」
「我々は『犯罪行為』という陰惨な行為を行った後に襲ってくる『罪悪感』を知っているからこそ、この現代で『悪意』を発散させる可能性が低い。だから、『狩る側』として正当に『悪意』を発散させる事が許されているんだ」
ラウディは『悪意』を持っていたが、それを御する『罪悪感』を体験していなかったから処分された。
僕は『悪意』を持っていたが、それを御する『罪悪感』を体験していたために生かされた。
「君はぎりぎりだったな。GMCによって今日、『犯罪行為』の『悪夢』を見る事を計算されていたから、『罪悪感』を知り、生きる事を許されたのだ」
僕はついに崩れ落ちた。
薄汚く『悪意』を持った自分が生き残る事が出来た理由が、過去の自分が犯した『犯罪行為』にあるなど、信じたくなかったからだ。
「君はもう『悪夢』を見ることはないだろう。このシステムの秘密を知った以上、『悪意』の時代を体感させる必要はないし、『罪悪感』を得るという目的は終わっているのだからな」
僕の頬を熱い涙が伝っているのを感じた。
僕はただただ悲しくて泣き続けた。
『処分』されてしまったラウディの事など、もう頭にはなかった。
僕は、前世の犯罪と言う業を背負わされた可哀そうな自分のためだけに、涙を流し続けたのだった。
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