第11話 ワルド⑥
「うっ!」
僕は悪夢から受ける衝撃のあまり、ベッドから飛び起きた。
激しい動悸が僕を襲い、胃の内容物がせぐりあげてくる。
(神経性の消化管異常を確認。消化管保護のために内容物の排出を行います)
『安全機構』のアナウンスが脳内に流れ、それに従って僕は嘔吐した。嘔吐なんていうのは初めての経験だった。強制的に胃と食道の存在を意識させられ、圧倒的な不快感が僕を襲う。
(心拍数上昇、血圧、共に上昇。基準値をオーバーしています。解析中です――――交感神経の異常を確認。鎮静剤を投与します)
次の瞬間、僕の身体はだいぶ楽になり始めていた。身体については、あとは『安全機構』のアナウンスに従っておけば問題ないだろう。
吐瀉物についてもすでに、たらい程度の大きさの家庭用『オートメーション』から伸びたアームが服を拭い、瞬時に処理してくれていた。服にも、ベッドにももう何の跡も残っていない。
(しばらくの間、横になる事を推奨します)
僕はアナウンスに従ってベッドに横になった。
そして、初めてこのような神経異常を起こした原因を思考する。また、吐き気が戻って来るような気がしたが、そこは『安全機構』が上手くやってくれたようだ。吐き気はない。
(「向こうの世界」の僕が……)
具体的な言葉にするのも憚られる事だった。
結局、思考は何もまとまらない。
出発の刻限は近づいている。
放心状態のまま、ベッドから起き上がり着替えを済ませた。
今日から僕は『神託』に従い、『中央審議会』に出向しなければならない。
いうまでもなく、『中央審議会』はこの世界の最高執行機関だ。全ての政策、裁定の決定権はこの機関が握っている。『非推奨行為』や『禁止行為』を定める事や、有事の際に決定を下すのも、この機関だった。
僕はバスに乗って中央都市セントマリアにやって来ていた。目指すのは、セントラルビルディング。そこに『中央審議会』の執務室がある。
僕は高速エレベーターに乗り込み、『中央審議会』の執務室に足を踏み入れていた。ここでこれからの職務に関する説明を受けるのだ。
踏み入れた執務室は異様な空間だった。まず窓がない。そして、壁が異様に厚い。少なくとも地上九百メートルには来ている筈なのに、まるで地下の部屋のようだった。部屋の形自体は円形で、今、自分が上がって来たエレベータを円の中心として、取り囲むように席が用意されていた。
僕がエレベーターから降りるとエレベーターそのものが床に格納され、消えた。見たところ他に出口はない。つまり、ここから出る事は出来なくなった。
別に許可なくここから出る必要などないので、何の問題もないのだが、言葉にできない不安が、僕を襲っていた。
「本日より配属になりました。ワルドと申します。よろしくお願いいたします」
僕は着任の挨拶を行う。
僕はそっと視線を動かして、部屋を観察する。部屋には僕以外に一人だけ。席は九席ある。つまり、八席が空席なのだ。
「うむ。ご苦労だったね」
一番厳かな雰囲気を醸し出していた僕の正面に座っている男。彼こそが『中央審議会』現会長アクセルだった。あの事件の現場の収集に現れた男。鼻の筋が通っている金髪の美男子だ。髪は少しウェーブしている。
「久しぶりだね。こないだはどうも」
彼はにこやかに言う。僕はどう応じていいか解らず、黙ったまま突っ立っている。
「そう、緊張せずともいいよ。君は選ばれたのだからね。今は私が会長という事になっているが、もちろん階級には差はない。君と僕の立場はあくまで同列なんだから」
いかなる返答をすべきか。とりあえず、目線だけを彼に合わせておく。
「とはいえ、いきなりこんな所に放り込まれて戸惑うのは当然だろう。しばらくは我々の指示に従ってくれればいい」
「解りました」
「では、改めて言おう。着任おめでとう、ワルド君」
アクセルは相好を崩して言った。
「ありがとうございます」
「まずこれだけは大前提として告げておく。我々の責務は『世界の秩序』を守ることだ。そのためなら何でもするし、君に何でもしてもらう」
「……解りました」
どこか釈然としない気持ちを抱きながら僕は応えた。
「では、我々の具体的な職務について説明していくが、まず君は疑問に思っている事があるのではないかな」
「……はい」
僕の疑問。それは何故僕が『中央審議会』に選ばれたのか、ということだ。
『中央審議会』に選ばれる人間は本当に少ない。現状、メンバーは僕を除いて五人。最高で九人までがメンバーとして選ばれる。空席があることからも明らかなように一人減ったから一人補充する、という物でもないらしい。だから、少なくとも僕には選ばれる資格があったという事だ。
「ここに来た誰もが考える疑問。何故、自分が選ばれたのか?」
「はい」
僕は特別優秀な生徒ではなかったように思う。もちろん、人と競争する事などあり得ないので、実際の所は解らないが。
「君の疑問を解消しよう」
次の瞬間、僕とアクセルの間に立体映像が展開される。
そこに映っていた世界を見て、僕は驚いた。
「これを見てくれたまえ」
そこに映っていたのは、僕の悪夢の中の世界だったからだ。
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